<抽象的結論は外国人留学生の調査活動の限界か>
<結論の具体化と賛否表現=表現の自由行動=は、検閲の結果、外国人留学生追放措置を招くか>
<共産主義社会における平民に対する劣悪処遇のメッセージ発信か>
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香港中文大学大学院博士課程
石井 大智
DAICHI ISHII
石井 大智
DAICHI ISHII
2018年9月に慶應義塾大学総合政策学部卒業後、香港中文大学大学院の博士課程に進学。人の移動に特に高い関心を持ち、中学生の時に難民が多く避難するヨルダンに渡航。慶応大在学中には香港の重慶大厦(チョンキンマンション)で難民支援を行う。
専門は文化人類学と移民研究で、特に留学生の移動と就業、エスニックマイノリティーによる現地コミュニティーの発展に関心を持つ。香港の抗議活動では多くのメディアの取材コーディネートもしている。日経ビジネス電子版で連載中。Twitter: @Daichi_Ishii
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責任のない政府に補償義務はあるのか
1. 政府が店舗の閉鎖を強制した場合
2. 政府が店舗の閉鎖を強制はしないものの強く推奨した場合
3. 政府が店舗の閉鎖を推奨も強制もしないが、社会的状況を見て「自主的」な判断のもと店舗の閉鎖を決めた場合
2. 政府が店舗の閉鎖を強制はしないものの強く推奨した場合
3. 政府が店舗の閉鎖を推奨も強制もしないが、社会的状況を見て「自主的」な判断のもと店舗の閉鎖を決めた場合
香港と中国の場合は?
例えば筆者が研究テーマとする香港はどうだろうか。
香港は伝統的に自由放任経済政策(いわゆるレッセフェール)を取ってきたと言われる。香港は土地が公有リース制で原則香港政府が所有していること、半数弱の住民が安価な家賃の公営住宅に住んでいることなど「自由放任」とも言い切れない部分もあるものの、社会政策については極端に消極的である。
2000年になってから強制性公積金(MPF)という強制的に民間の年金保険に加入させる制度が登場したものの、老後や失業時の公的扶助はまだまだ十分であるとは言い難い。法定最低賃金は2011年まで存在せず、未だ所得格差も大きい。かなりの「自己責任」社会であると言える。
では今回の動きはどうか。新型コロナウイルスの感染を受けて政府は法的拘束力をもって娯楽施設の閉鎖を命じ、飲食店の営業を制限した。また、5人以上で公衆の場で集まることを禁止した。一部の公務員も在宅勤務を行い、それに合わせて在宅勤務を導入した民間企業も多い。人々の外出は減少し、様々な業種が影響を受けた。
一方で新型コロナウイルス流行の影響を受けた労働者の給料を政府が半額負担するという政策も発表された。対象はおよそ150万人(香港の人口の2割)の労働者で、給料の50%を政府が6ヵ月間補助する(1ヵ月あたり上限9000HKDまで)。
これは業種を限定したものではなく、感染症政策に対する補償というよりかは安定雇用という社会のセーフティーネットを守る試みであると言える。こうして「自己責任」として失業者が大量に発生するのを避けようとしている。
この制度の対象者は幅広い労働者であり、必ずしも感染防止のために社会の「犠牲」になった人々を救うことを企図していないので、社会全体の痛み分けというよりかはセーフティネットとしての役割が強いだろう。
ただ、香港でビジネスを行う上でのネックとなるのは高い家賃である。大幅売り上げ減に直面しているのにもかかわらず、簡単には家賃引き下げに応じないデベロッパーも多いという。
もし新型コロナウイルスによる損失が「社会全体で共有すべき損失」であれば、借主として飲食店など店舗を運営する人々が被る損失を貸主も被るべきだが、貸主の中には家賃の引き下げに応じず、損失分配になかなか応じない人々もいるようだ。
一方中国本土では、失業保険金の支払い、失業農民向けの生活補助金、景気刺激策としての補助金などの支給は行われているものの、都市閉鎖に対する直接的補償は行われていない。
武漢などで行われた都市閉鎖は移動の自由を大きく制限するものであり、あらゆる産業が深刻な影響を受けている。
そのような状況では、政府に対する責任を認めたり、社会全体で痛みを分かち合うことに合意が取れたりしても、現実問題補償すべき相手が多すぎて、補償しきれないだろう。また中国は改善されつつはあるものの平時からセーフティーネットがその金額と対象者の面で十分に整っていない。
結果として中国では都市閉鎖による損失についてはある種「自己責任」が徹底されていると言える。
では今回の動きはどうか。新型コロナウイルスの感染を受けて政府は法的拘束力をもって娯楽施設の閉鎖を命じ、飲食店の営業を制限した。また、5人以上で公衆の場で集まることを禁止した。一部の公務員も在宅勤務を行い、それに合わせて在宅勤務を導入した民間企業も多い。人々の外出は減少し、様々な業種が影響を受けた。
そこで香港政府は業種ごとにきめ細かくどのような支援をするか決定しており、実質政府の禁止令の補償に近い。学校の閉鎖に伴い影響を受けた学校内の食堂業者や人々の外出減少の影響を受けたタクシードライバーも補償の対象でそれぞれ基準が定められている。閉鎖が命じられたゲームセンターなども補償を受けることができる。これは政府の政策により影響を受けた業種について、「政府の責任」をもって補償していると言えるだろう。
一方で新型コロナウイルス流行の影響を受けた労働者の給料を政府が半額負担するという政策も発表された。対象はおよそ150万人(香港の人口の2割)の労働者で、給料の50%を政府が6ヵ月間補助する(1ヵ月あたり上限9000HKDまで)。
これは業種を限定したものではなく、感染症政策に対する補償というよりかは安定雇用という社会のセーフティーネットを守る試みであると言える。こうして「自己責任」として失業者が大量に発生するのを避けようとしている。この制度の対象者は幅広い労働者であり、必ずしも感染防止のために社会の「犠牲」になった人々を救うことを企図していないので、社会全体の痛み分けというよりかはセーフティネットとしての役割が強いだろう。
「自粛と補償はセット」論争は誰もに関係する
今回の「自粛と補償はセット」というのは決して店舗閉鎖など直接損失を負っている人々だけに関係する話ではない。研究者の間では個人、政府、社会が責任をそれぞれどの程度の負うべきかこれまで多く議論されてきたが、より開かれた議論が行われるべきだ。
「政府の責任」、「自己責任」、「社会全体で共有すべき損失」は社会に生きる誰もに関係する話であり、一人ひとりの主張が社会全体の考え方につながり、最終的には政策にも影響していく。新型コロナウイルス流行を政府がどのような役割を果たすべきなのか、そしてどのような役割を果たしてこなかったのかを考える一つの機会としたい。