お寺への玄関口です。この界隈は小さなお寺が林立しています。
書いているうちに、つらい話ばかりになってしまいました。
へこみますから、読まないほうが・・・いいかと・・・
今日は母の命日の12月10日。
昨年は娘と二人連れで父母の墓参を致しました。
でも今年も娘と二人連れのつもりで東上野の
お寺にいって参りました。
地下鉄銀座線の「稲荷町」で下り、そのまま迷わずに
お寺に到着しました。
一昨年(2004年)は息子夫婦と孫2人。
そして娘と私の6人での墓参でしたが、
昨年(2005年)は、散々テレビや週刊誌で「関東大震災級の地震来る」
とか「東京直下型マグニチュード8クラスが遣ってくる」等と
脅かされたので、
「もし孫がいる時に下町でそんな地震が起きたら!」と恐怖し、
娘なら常日頃から地盤の弱い「溜池」辺りで仕事しているのだから、
私と二人なら良いかと、二人だけで行くことにしました。
昨年のこの日、わいわいと女2人でお喋りしながら歩いたので
道に迷い、同じ所をグルグル回り時間が掛かってしまいましたが
今日の娘は無口なので、私はスタコラと目的のお寺に到着しました。
彼女と歩いたら、必ず「ねえ、ドトールに寄ろうよ。」と言って
カフェラテを頼み、直ぐタバコタイムになるのですが、
今日は墓参の後にしようね。
お寺の方が
「先日は弟さんの息子さんがお墓参りにいらっしゃいましたよ」
お寺専用のお榊と手桶を持って行くと甥が供えた青々とした緑の葉がありました。
そこに私のお榊も一緒に入れました。
手桶から水を掬い、墓石になんどもなんども掛けて。
昨年は水を掛けるのは娘の役目でした。
お線香を立てるところまで濡れたのでティッシュで拭いて
「アッチッチ」と言いながらお線香を供え・・・
こんな時、娘の透明な影じゃなくて本当に彼女と一緒だったら
ちゃんと私を気遣ってくれて重い荷物はいつも持ってくれのに・・・
と涙があふれ出しました。
◇ ◇ ◇
娘よ。
あなたを失ってから、いかにあなたが大事な人だったか思い知ったよ。
あなたと一緒に人生終えたら良かったのに、と思う日もたくさんあるよ。
きっと父親も言葉には出さなくても同じだね。
でも、この前ね。
久し振りに会った孫のくーくんの顔見ながら、
「この子のために、幸せにならなければ」と切実に思ったんだよ。
その時、幸せになり方、忘れてしまった。
どうすれば幸せになるのだろう?って考えたよ。
それまではね、
「もう幸せなんていらない。不幸なままでいい。
2度と再び幸せなんかある筈無い。後は死ぬだけ。」と思ってたんだ。
でもね。クーくんの顔見て「それじゃいけない」って思ったんだ。
幸せになるその一歩は、自分を許すことから始まるんだって気がついたよ。
あなたを失ったことで自分を責めてばかりいたら、
きっとあなたが一番悲しむだろうと、やっと気がついたよ。
他の人にいくら言われても、こういうことって駄目なんだよね。
自分自身、時が満ちて、そう得心しなければならないんだよね。
自分を責めてばかりいる人が、周囲を幸せに出来るわけないよね。
不幸が不幸を呼ぶばかりだよね。
次の次の時代のクーくんの為にも、自分を許すことから始めよう。
気がついても、まだ気がついただけ。
そんなに簡単なことじゃない。
まだ、行ったり来たりの繰り返しだろうけど・・・
20歳代の息子さんを病気で亡くされた親しい友人から聞いたのだけど、
「2年は掛かるよ」と言われました。
その方はお勤めしていて、
「忘れなきゃ出来ないから仕事中は泣かないけれど、夜帰る時に自転車に乗ったとたん、
涙がどんどん溢れてきて毎日泣きながら帰っていたよ。
一番辛いのは2年だったけど、でも何年経ったって自分の息子だもの。
忘れるわけ無いよ。」って・・・
今夜は、たくさんの悲しみと泣きごとになりました。
娘を喪った悲しみを吐き出させてくださいね。
◇ ◇ ◇
また、墓参に話は戻りますが、父母に話しかけ、娘に話しかけ、
残された家族を守ってくれるようにと・・・
うちだけじゃなく、私の弟2人やその家族も成人病で
確実に父母の方へと歩みだしているのだから・・・
これはやはり東上野にある東本願寺です
紅葉
蓮如上人像
書いているうちに、つらい話ばかりになってしまいました。
へこみますから、読まないほうが・・・いいかと・・・
今日は母の命日の12月10日。
昨年は娘と二人連れで父母の墓参を致しました。
でも今年も娘と二人連れのつもりで東上野の
お寺にいって参りました。
地下鉄銀座線の「稲荷町」で下り、そのまま迷わずに
お寺に到着しました。
一昨年(2004年)は息子夫婦と孫2人。
そして娘と私の6人での墓参でしたが、
昨年(2005年)は、散々テレビや週刊誌で「関東大震災級の地震来る」
とか「東京直下型マグニチュード8クラスが遣ってくる」等と
脅かされたので、
「もし孫がいる時に下町でそんな地震が起きたら!」と恐怖し、
娘なら常日頃から地盤の弱い「溜池」辺りで仕事しているのだから、
私と二人なら良いかと、二人だけで行くことにしました。
昨年のこの日、わいわいと女2人でお喋りしながら歩いたので
道に迷い、同じ所をグルグル回り時間が掛かってしまいましたが
今日の娘は無口なので、私はスタコラと目的のお寺に到着しました。
彼女と歩いたら、必ず「ねえ、ドトールに寄ろうよ。」と言って
カフェラテを頼み、直ぐタバコタイムになるのですが、
今日は墓参の後にしようね。
お寺の方が
「先日は弟さんの息子さんがお墓参りにいらっしゃいましたよ」
お寺専用のお榊と手桶を持って行くと甥が供えた青々とした緑の葉がありました。
そこに私のお榊も一緒に入れました。
手桶から水を掬い、墓石になんどもなんども掛けて。
昨年は水を掛けるのは娘の役目でした。
お線香を立てるところまで濡れたのでティッシュで拭いて
「アッチッチ」と言いながらお線香を供え・・・
こんな時、娘の透明な影じゃなくて本当に彼女と一緒だったら
ちゃんと私を気遣ってくれて重い荷物はいつも持ってくれのに・・・
と涙があふれ出しました。
◇ ◇ ◇
娘よ。
あなたを失ってから、いかにあなたが大事な人だったか思い知ったよ。
あなたと一緒に人生終えたら良かったのに、と思う日もたくさんあるよ。
きっと父親も言葉には出さなくても同じだね。
でも、この前ね。
久し振りに会った孫のくーくんの顔見ながら、
「この子のために、幸せにならなければ」と切実に思ったんだよ。
その時、幸せになり方、忘れてしまった。
どうすれば幸せになるのだろう?って考えたよ。
それまではね、
「もう幸せなんていらない。不幸なままでいい。
2度と再び幸せなんかある筈無い。後は死ぬだけ。」と思ってたんだ。
でもね。クーくんの顔見て「それじゃいけない」って思ったんだ。
幸せになるその一歩は、自分を許すことから始まるんだって気がついたよ。
あなたを失ったことで自分を責めてばかりいたら、
きっとあなたが一番悲しむだろうと、やっと気がついたよ。
他の人にいくら言われても、こういうことって駄目なんだよね。
自分自身、時が満ちて、そう得心しなければならないんだよね。
自分を責めてばかりいる人が、周囲を幸せに出来るわけないよね。
不幸が不幸を呼ぶばかりだよね。
次の次の時代のクーくんの為にも、自分を許すことから始めよう。
気がついても、まだ気がついただけ。
そんなに簡単なことじゃない。
まだ、行ったり来たりの繰り返しだろうけど・・・
20歳代の息子さんを病気で亡くされた親しい友人から聞いたのだけど、
「2年は掛かるよ」と言われました。
その方はお勤めしていて、
「忘れなきゃ出来ないから仕事中は泣かないけれど、夜帰る時に自転車に乗ったとたん、
涙がどんどん溢れてきて毎日泣きながら帰っていたよ。
一番辛いのは2年だったけど、でも何年経ったって自分の息子だもの。
忘れるわけ無いよ。」って・・・
今夜は、たくさんの悲しみと泣きごとになりました。
娘を喪った悲しみを吐き出させてくださいね。
◇ ◇ ◇
また、墓参に話は戻りますが、父母に話しかけ、娘に話しかけ、
残された家族を守ってくれるようにと・・・
うちだけじゃなく、私の弟2人やその家族も成人病で
確実に父母の方へと歩みだしているのだから・・・
これはやはり東上野にある東本願寺です
紅葉
蓮如上人像
若い方が今から辛さを分っても悲しいです。
ですから春提さんは幸せでいて下さいな。
昼間の月ってのどかで平和な感じがしますね。
知りもしないのに コメント書かせていただいて
あたたかい お返事いただけて・・・
どれだけ 私自身も 励まされていることか・・・。
天気の良い日は 昼間の月を 見つけては ホッとしています。
最近はちょっと体調が気になりますが・・・
お子さんに対する温かい眼差し、ステキです。
何事も一生懸命。
お子さん中心でも、ちゃんとやりたい事もやっている。
卓球! とっても頭に良いのですってね!
あの番組観たかったのにツレアイにチャンネル回されました。
小さくて速い球に即座に反応して動き続けるなんて凄いことです。
春提さん、私からもお礼を言わせて下さいね。
一番辛いときからフォローし続けてくれてありがとう。
ばーばさん ありがとうございます。
なぜだか わからないけど ありがとうございます。
私ったら・・・
私もいつか 自分のことを 書けるように なりたいと 思います。
見る角度が違うと、こうも世の中違って見えるのかと。
今までどんなに鈍感で盲目だったのかと衝撃を受けました。
今は毎日の事件を見るにつけ過敏になり自分のことのように辛く悲しいです。
私の場合は毎日その一日を乗り越えることが精一杯でしたが、
何とか皆さんに励まされここまでやって来ましたよ。
ブログの友人にも感謝しています!!
それでなくても私達年代は中々前向きになれないもので気持を立て直したりは、とてもとても難しいです
あれやこれやと胸一杯に思いを巡らわせておられる様子に
感動しております
それぞれに同じ悲しい思いをされている方も世の中に一杯居られることでしょう
私はそんなに強くなれるでしょうか
こちらでは始めまして!
これもみえっちさんが紹介してくださったご縁ですね。
私も「DNAの二重らせん構造」の本読みましたが、科学的過ぎて難しくて。 その後娘の本棚からリチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」竹内久美子の「パラサイト日本人論」香田康年の「遺伝子の[たくらみ]」など、その辺りを取り出して読んでいます。賛否両論、喧々諤々なのでしょうが、私にとっては目が覚めるような考えが随所にあり大いに楽しめました。
ですからムーミンパパさんの言われる「種の存続」分かるような気がします。
あの時に「折角送り出した『娘』という遺伝子の乗り物を喪って、私の身体中の遺伝子が悲鳴を上げている!」と息子さんを亡くした方に言いましたら
「あなたらしい言い方。」って冷静にいわれてしまいました。
暫くは小さな幸せを積み重ねて行きたいと思っています。
いくつになっても何か失う悲しさは変わらないし、
そんな悲しみが消え去ることはないのだろうと思います。
昔むかし、生物の授業でこんなことを聞きました。
DNAが二重らせん構造になっているのは、その方が種として強いから。
その代わりに、単生殖は不可能になったので、個体としては死ぬことになる。
つまり、生き物は個体の存続より種の存続を選択したんだ。
なんだか小難しい話で恐縮ですが、そんなことを思い出しました。
ブログ一周年おめでとうございます。
これから時々コメントさせてください。