関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

国会経由、沖縄知事選の渦中へ

2014年12月06日 | 日記
11月5日(水)は国会へ行って政党幹部の控室へ
消費税の増税を中止するための法案を
共同で提出するよう要請した。
民主党幹事長の枝野代議士の部屋にも行った。
すでに、みんな、維新、生活の3党が「延期」法案を提出していたが、
それは「国会議員定数の削減」「公務員給与の削減」という
誰もが一致できない無理な条件を付けたものであり、
実効性がない「アリバイ的」な代物だ。
私たちは「条件を付けず、来年10月実施を中止する」の一点で共同するよう求めた。

翌日(6日)から知事選挙支援で沖縄へ移動。
飛行機は途中でかなり揺れたが、
先行する飛行機の軌跡に発生した乱気流にぶつかったと説明があった。
初めての体験である。

沖縄では、宣伝カーに乗っての街宣(写真↓)


事務所訪問、会議や小さな集会への参加、会員訪問など 忙しく4日間を過ごした。
レンタカーを安く借りれたので移動は便利(3日間で325km)、
若干の方向感覚もつかめた。

①米軍嘉手納基地(写真↓)のすぐ近くの読谷村で行われた小集会に参加。


6人ほどだったが、基地を身近に暮らしている住民の実情や悩み、
そして基地反対運動を続けている誇りのようなものを感じることができた

②那覇の牧志市場の中を、地元の役員さんに案内してもらい40軒ほど訪問。
どこでもすぐ選挙の話題になり、近くの人も寄ってきて話しに花が咲く、
楽しい行動だった。
この市場、何軒あるかわからないが沖縄の台所という雰囲気がいっぱいだった。
都市部ではほぼなくなった庶民の消費生活を豊かにする対面・対話の買い物空間だ

③沖縄市コザ十字路で行われた翁長候補の街頭演説(写真↓)を聞くことができた。


誰でもが納得できる政策と立場を示すことのできる凄い候補者だった。
それも沖縄のたたかいの歴史がつくり出したのだろう。
沖縄の心がひとつになれば、辺野古新基地建設は必ず中止になるし、
普天間基地は撤去されるという確信を強くした

④その後、1970年のコザ事件の目撃者から当時の様子を聞くこともできた。
事件の中心地点であった「胡屋十字路」周辺も何回か通過し、
嘉手納基地ゲート前から連なる横文字看板の店を見ながら、
ベトナム戦争当時の米兵の狼藉にたいする県民の怒りを想像した

⑤那覇の県庁前での宣伝(写真↓)。


全商連の鎌田副会長(83歳)の火の出るような演説だった。
自らの満蒙開拓団と引揚げの悲劇を重ねながら
沖縄の地上戦の悲劇、広島・長崎、全国の空襲の悲劇を語り、平和を訴えた。

11月9日(日)夜に羽田へ帰ってきた

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