関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

夙川点景

2012年05月03日 | 日記
4月29日の夙川
先月29日に、西宮に帰宅した。
午前中は、ゆったりしていたので久しぶりにカメラを持って近くの夙川べりを歩いてみたが、新緑が萌え落ち着いた気分で散歩が楽しめた。
歩いてみると、あらためていい景色に出会えたので写真を飾っておく。

北夙川橋の欄干に据えてある「街灯」。

なぜこんな凝った形にしたのか知らないが、どこにでもある「近代的」な様式ではないのは良いし、作られてからかなり経っているので、周りの景色に溶け込んでいるように思える。ただし、この形が地域の文化や歴史を反映して、出来るべくして出来たものかどうかは分からない。

堤防に咲くツツジと夙川上流の河川敷。

背景は六甲山系のゴロゴロ岳(標高565・6m)。私は「苦楽園山脈」と呼んでいる。
河川敷では、いつも幾人かの人たちが佇んでいる。
本当のところ、私はツツジとサツキの区別がついていない。この花はおそらくツツジだと勘で判断した。
そんな時いつも思い出すのは、幼い頃、田舎で父親が育てていた鉢植えの花だ。それは、やはりツツジだったのかどうか今でも分からないままでいる。

ツツジ群の上に覆いかかる葉桜の枝。

夙川の桜は見事だ。そして、花の盛りが終わったあとでもその新緑の迫力もまた格別だと思う。それでも人の目線は、次の出番を待っていた低層に咲くツツジの花の方を向いてしまう。

北夙川橋から南を見渡した景色。

正面を横切る橋は、阪急電鉄甲陽線の鉄橋。周りの緑の6割方が桜の新芽だ。
甲陽線は阪急電車の神戸線夙川駅からの支線。北の方角に向かって伸びているが駅は中間の苦楽園口駅と終点甲陽園の二駅しかない。戦前の甲陽園方面の宅地開発にともない、阪急資本が線路を通したそうだ。構想ではその先の六甲山系最東端の山、甲山(かぶとやま)の下をトンネルで貫通し、船坂方面まで通したかったようだ。今でも試掘のトンネル、戦中には防空壕だったようだが、その跡があるそうだ。その掘削工事には朝鮮からの強制労働者が使われていたと聞く。7~8年前、この甲陽線と県道との交差の踏み切りを廃して、立体交差にしようという工事が実施されそうになった。先の写真にある鉄橋も壊し、線路を半地下式にするという構想で、その先にある桜並木などを掘り返してしまうものであり、電鉄と市役所段階ではほぼ決定の計画だったが、地域住民から猛反対の住民運動が起こり、その計画は白紙撤回となった。確かに交通行政の観点からは、踏み切りの構造は危険なものだったが、地域の人々は長年親しんできたその風情と環境を守ることを選択した。
おかげで、今ものどかな景色と花を見ることができている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。