関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

突然の悲報。そして杉原千畝

2011年08月06日 | 日記
8月1日突然の悲報がとどいた。
大学の先輩であり、元職場の先輩、
今の私の基礎をつくった姫路での生活を支えてもらった
T根さんの息子がなくなった。
彼が生まれた時から知っているのだから、
30歳すぎだろう。病気による突然死のようである。
芸大を出て、邦楽・筝曲で活躍していると聞いていたのに、残念なことだった。
何より、父親であるT根さんのことを考えると、悲しい、かなしい思いにとらわれる。
葬儀に行くことができなかったので、電報だけ打たせてもらった。
葬儀に参列したS田さんからのメール
『本当に悲しくて、つらいお葬式でした。
ご家族のみなさんにかける言葉も見つかりません。
憔悴した中でも、T根さんは、私達の心にとどく、
優しくて素晴らしい挨拶でよけいに涙をさそわれました。
こんな事ってあるんですね。いまだに信じられません。
ご冥福をお祈りするしかありません。』

写真は、伏見・深草墓苑。(2011年5月)
ここにも忘れえぬ人が眠っている。


3日から4日にかけては、職場の旅行であった。
馬篭から昼神温泉泊まり。翌日は岐阜の八百津町にある杉原千畝記念館。
その後犬山市までの日本ライン下りの行程。
杉原千畝、1940年リトアニアの日本領事代理として、
日本政府の指示にそむいて、ナチスから逃れようとする
6000人ものユダヤ人に「日本通過のビザ」を発行した。
当時の社会状況への理解も深めながら、
「人道への決断」の足跡がしのばれ、
命をつないだユダヤの人々の
感謝の思いがあふれる展示だった。
周辺は「人道の丘」(写真下)と名付けられている。


明日からは長崎。
原水爆禁止と原発事故による放射能被害根絶を考える4日間になる。

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