関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

4月の覚書的メモ(下)

2013年05月05日 | 日記
4月25日(木)~27日(金)
第二次の岩手・被災地実態調査に出発
25日は、盛岡から宮古市へ直行。
付近の状態を見て、市役所で復興の現状を聞き取り
その後、被災したみなさん20人ほどから、現状を聞くことができた。
(写真↓宮古の港付近)


(写真↓宮古駅・北三陸鉄道)


(写真↓山田町の駅・火災の跡が生々しい。 まだJRは開通していない)


駅前の「ビッグ・ウェーブ」というビジネスホテルに宿泊
津波が来る前からその名前で営業していたそうだ。
建物は流されず修理して営業再建しているが、
なにせ名前「ビック・ウェーブ」が皮肉に聞こえる

26日(金)は、宮古から陸前高田市への向かい、
大槌町・吉里吉里、釜石、大船渡を移動した。2週間前より桜が盛りになっていた。

陸前高田は、改めてまっ平らな地面が広がっていた。
同市の課長さんから復興状況を教えていただいた。
(写真↓陸前高田市役所)


被災直後から、数少ない宿泊場所として
ボランティアなどの拠点となってきた鈴木旅館さんを訪ね、
ご主人から話を聞かせてもらった。
26日は、大船渡に引き返し、港近くの大船渡プラザホテル泊
(写真↓大船渡の港周辺)


27日(土)は、大船渡の仮設商店街で理事長さんに面会、
その後市役所を訪ねたが、あいにく土曜日で資料は手に入らなかった。
(写真↓大船渡 夢商店街・仮設)


住田町へ移動。地元の木材を活用した復興住宅プロジェクトについて聞いた
元々林業の町として、町営住宅も木造・在来工法で良いものが
つくられてきていたことが、それらを見ただけでわかった。
(写真↓住田町営住宅)







その後、再度陸前高田に移動、
懇談会の時間まで、津波で取り囲まれ、孤立してしまった広田半島を一周。
箱根山というところへも上がり、周辺の全景を鳥瞰することができた。
(写真↓広田半島…半島の根っこの両側から津波が押し寄せ、中央でそれが合流、水柱が立ったという)


(高田湾に浮かぶ養殖イカダ)


(陸前高田のバンガロー風仮設住宅)


(陸前高田の港・船にはクレーンが3機設置されていたが、
漁業のためではなく、海底のガレキを引き上げるために
特別に設置されているのだそうだ)


懇談会の後、一関まで送ってもらい、新幹線で帰京した。

28日(日)は、群馬の磯部温泉へ。義父の米寿の集まりだ。
「かかぁ天下」で有名な温泉だ
(写真↓磯部駅前の恐妻の碑)


(駅前の食堂・中華と看板があるが、メニューはなんでもあった)


(温泉街から見える妙義山塊)




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