小池百合子都知事の“カイロ大首席卒業”めぐる詐称騒動 「正規ルートではありえない」の指摘
6/20(水) 8:01配信 デイリー新潮
小池百合子都知事の“カイロ大首席卒業”めぐる詐称騒動 「正規ルートではありえない」の指摘
小池百合子都知事
五輪が危うい「小池百合子」都知事の「学歴詐称」騒動(上)
四半世紀に亘り燻ってきた小池百合子都知事(65)の「カイロ大首席卒」問題。新証言を基に詐称ありと、石井妙子氏が文藝春秋にリポートを寄せた。騒動に火が点き都議会での追及を呼びそうな気配である。と同時に「五輪を都知事で」という計画も危うくなり……。
***
去る9日発売の文藝春秋で、「小池百合子『虚飾の履歴書』」というリポートが発表された。ノンフィクション作家・石井妙子氏の手になるこの原稿は、1992年の初出馬から燻ってきた女史の「カイロ大を首席で卒業」なる経歴の嘘を、留学時代の同居人女性が詳らかにするという態(てい)を取る。同居女性が綴った過去の手紙や小池氏とのツーショット写真も配された全26ページ。大要を以下に記しておこう。
〈その女性は、「私は小池百合子さんとカイロで同居しておりました。カイロ大学を卒業、しかも首席で、という肩書きを掲げて小池さんは今日の栄光を勝ち得ましたが、彼女は実際にはカイロ大学を卒業していません」とし、石井氏に内情を打ち明けることにした〉
両人は72年4月にかの地で出会い、6月から同居を始めた。生活費を抑えるためのシェアリングである。その頃、小池女史は現地の語学学校に通っていたが、彼女のアラビア語は英語で喩えて言うなら、“This is a pen.”のレベル。更に、日本人の男たちが頻繁に部屋へやって来るので、勉学に勤しむのとは程遠い日々だった。
〈「ノートが広げてあったのでたまたま見てしまったのですが、とても驚きました。(アラビア語が)あまりにも初歩の初歩だったからです。これを私に知られたくなかったんだろうなと思いました。なんでも、(アラブ諸国相手にビジネスを展開する)お父さんと当時エジプトの情報相が知り合いだから、そのコネで(カイロ大学に)入れてもらえる。任せておけばいいんだと、すっかり安心しきっている様子でした」〉
「そういうことにしちゃったの?」「うん」
そのコネのお蔭なのか、73年10月に入学許可。(※小池氏は自著で「72年10月入学」と記述)2年生からの編入、授業料も入学金も無料になったとされる。しかし、76年、
〈「小池さんは確かに必死にノートに文語で文章を書き写していました。でも、それがどういう意味なのかは、まったく理解していなかった。『テストでも質問文はどうせ読めないから、とにかく暗記した文章をひたすら大きな字でかくの』と言うのです〉
という状況で結果が伴わないのは当然。落第だった。
〈「カイロ大学は3回続けて進級試験に落ちると、学科を変えるか、退学するかを迫られるそうです。小池さんは3回目の落第で、退学するしかない状況だったのかもしれません」〉
しかし、状況が一変。エジプト大統領夫人が急遽来日することになり、小池女史はそのアテンドをするため、祖国の地を踏むことになった。大仕事を終え、彼女がエジプトに戻った1カ月後――。
〈「私は目を疑いました。(小池氏から見せられた新聞に)『カイロ大学を卒業した小池百合子さん』と大きく書かれていたからです」〉
そこではこんな会話が交わされたという。
同居女性 そういうことにしちゃったの?
小池 うん。
石井氏が明かす同居女性の胸中
記事を書いた石井氏の話。
「同居女性は、小池さんがカイロ大を卒業していないことについて、こんなふうに話していました。“隠し事なく生きて欲しい。そんなに隠し事をして、息が詰まらないか。小池さんも人生の晩年に入っている。最後まで嘘の人生で終わらせないで欲しい。まっとうな、正しい生き方をして欲しい。自分を偽るのは、もうここまでとして欲しい”と」
そしてこう続ける。
「彼女はこんな心中も明かしています。“小池さんの秘密を知っているという恐怖から逃れるために、ずっと誰かに話したかった。高齢となり、残り少ない余生を不安から解放されて過ごしたいと願っていた。そんな折に(石井氏の)記事を読み、今、伝えておかなければと感じた。事実でないことが事実として定着し、それが歴史となることを見過ごしていいのか、という思いもあった”」
「正規ルートではありえない」
先にも触れた通り、この詐称疑惑は四半世紀も前から取り沙汰されてきた。事実なら公選法が定める虚偽記載の罪に問われるものだ。彼女が「カイロ大卒」と経歴に書けば、それに異議申し立ての情報が出てくる。これに対し、「卒業証明書」を手に小池女史が登場し、笑って詐称を否定する。今回の文藝春秋の記事でも、彼女の顧問弁護士はその証書を持ち出して打ち消したし、当のカイロ大も、「確かに小池氏は76年に卒業している」と回答しているのだ。
そうやって、あたかもモグラ叩きのごとく疑惑は一蹴されるのだが、これが絶えないところから察するに、光を当てて欲しいというモグラらしからぬ情報の性格もまた見て取れるのだ。
「外国人なら、紹介さえあれば入学自体は難しくはありません。しかし、入ってからは本当に大変ですよ。書き言葉である文語は限られたインテリが使う言語であり、日常で使用する口語とは難易度が著しく異なる。日本人が習得するのは並大抵の努力では困難です」
と話すのは、女史と同時期にカイロ大に留学していた小笠原良治大東文化大名誉教授。日本人として初めて同大を卒(お)えた人物である。
「小池さんのアラビア語が“This is a pen.”
レベルだったというのが本当なら、話にならない。まず、授業で教授が話す内容や板書される文章など全く理解できなかったはずです。1年半に亘って現地でレッスンを受け、その後も毎日、血の滲むような努力をした私でも、卒業に7年を要しました。外国人が4年間で卒業するのは至難の業で、正規のルートではありえないと思います。アラビア語というのはロシア語と並び、世界で最も難しい言語と言われているんです」
(下)へつづく
「週刊新潮」2018年6月21日号 掲載
6/20(水) 8:01配信 デイリー新潮
小池百合子都知事の“カイロ大首席卒業”めぐる詐称騒動 「正規ルートではありえない」の指摘
小池百合子都知事
五輪が危うい「小池百合子」都知事の「学歴詐称」騒動(上)
四半世紀に亘り燻ってきた小池百合子都知事(65)の「カイロ大首席卒」問題。新証言を基に詐称ありと、石井妙子氏が文藝春秋にリポートを寄せた。騒動に火が点き都議会での追及を呼びそうな気配である。と同時に「五輪を都知事で」という計画も危うくなり……。
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去る9日発売の文藝春秋で、「小池百合子『虚飾の履歴書』」というリポートが発表された。ノンフィクション作家・石井妙子氏の手になるこの原稿は、1992年の初出馬から燻ってきた女史の「カイロ大を首席で卒業」なる経歴の嘘を、留学時代の同居人女性が詳らかにするという態(てい)を取る。同居女性が綴った過去の手紙や小池氏とのツーショット写真も配された全26ページ。大要を以下に記しておこう。
〈その女性は、「私は小池百合子さんとカイロで同居しておりました。カイロ大学を卒業、しかも首席で、という肩書きを掲げて小池さんは今日の栄光を勝ち得ましたが、彼女は実際にはカイロ大学を卒業していません」とし、石井氏に内情を打ち明けることにした〉
両人は72年4月にかの地で出会い、6月から同居を始めた。生活費を抑えるためのシェアリングである。その頃、小池女史は現地の語学学校に通っていたが、彼女のアラビア語は英語で喩えて言うなら、“This is a pen.”のレベル。更に、日本人の男たちが頻繁に部屋へやって来るので、勉学に勤しむのとは程遠い日々だった。
〈「ノートが広げてあったのでたまたま見てしまったのですが、とても驚きました。(アラビア語が)あまりにも初歩の初歩だったからです。これを私に知られたくなかったんだろうなと思いました。なんでも、(アラブ諸国相手にビジネスを展開する)お父さんと当時エジプトの情報相が知り合いだから、そのコネで(カイロ大学に)入れてもらえる。任せておけばいいんだと、すっかり安心しきっている様子でした」〉
「そういうことにしちゃったの?」「うん」
そのコネのお蔭なのか、73年10月に入学許可。(※小池氏は自著で「72年10月入学」と記述)2年生からの編入、授業料も入学金も無料になったとされる。しかし、76年、
〈「小池さんは確かに必死にノートに文語で文章を書き写していました。でも、それがどういう意味なのかは、まったく理解していなかった。『テストでも質問文はどうせ読めないから、とにかく暗記した文章をひたすら大きな字でかくの』と言うのです〉
という状況で結果が伴わないのは当然。落第だった。
〈「カイロ大学は3回続けて進級試験に落ちると、学科を変えるか、退学するかを迫られるそうです。小池さんは3回目の落第で、退学するしかない状況だったのかもしれません」〉
しかし、状況が一変。エジプト大統領夫人が急遽来日することになり、小池女史はそのアテンドをするため、祖国の地を踏むことになった。大仕事を終え、彼女がエジプトに戻った1カ月後――。
〈「私は目を疑いました。(小池氏から見せられた新聞に)『カイロ大学を卒業した小池百合子さん』と大きく書かれていたからです」〉
そこではこんな会話が交わされたという。
同居女性 そういうことにしちゃったの?
小池 うん。
石井氏が明かす同居女性の胸中
記事を書いた石井氏の話。
「同居女性は、小池さんがカイロ大を卒業していないことについて、こんなふうに話していました。“隠し事なく生きて欲しい。そんなに隠し事をして、息が詰まらないか。小池さんも人生の晩年に入っている。最後まで嘘の人生で終わらせないで欲しい。まっとうな、正しい生き方をして欲しい。自分を偽るのは、もうここまでとして欲しい”と」
そしてこう続ける。
「彼女はこんな心中も明かしています。“小池さんの秘密を知っているという恐怖から逃れるために、ずっと誰かに話したかった。高齢となり、残り少ない余生を不安から解放されて過ごしたいと願っていた。そんな折に(石井氏の)記事を読み、今、伝えておかなければと感じた。事実でないことが事実として定着し、それが歴史となることを見過ごしていいのか、という思いもあった”」
「正規ルートではありえない」
先にも触れた通り、この詐称疑惑は四半世紀も前から取り沙汰されてきた。事実なら公選法が定める虚偽記載の罪に問われるものだ。彼女が「カイロ大卒」と経歴に書けば、それに異議申し立ての情報が出てくる。これに対し、「卒業証明書」を手に小池女史が登場し、笑って詐称を否定する。今回の文藝春秋の記事でも、彼女の顧問弁護士はその証書を持ち出して打ち消したし、当のカイロ大も、「確かに小池氏は76年に卒業している」と回答しているのだ。
そうやって、あたかもモグラ叩きのごとく疑惑は一蹴されるのだが、これが絶えないところから察するに、光を当てて欲しいというモグラらしからぬ情報の性格もまた見て取れるのだ。
「外国人なら、紹介さえあれば入学自体は難しくはありません。しかし、入ってからは本当に大変ですよ。書き言葉である文語は限られたインテリが使う言語であり、日常で使用する口語とは難易度が著しく異なる。日本人が習得するのは並大抵の努力では困難です」
と話すのは、女史と同時期にカイロ大に留学していた小笠原良治大東文化大名誉教授。日本人として初めて同大を卒(お)えた人物である。
「小池さんのアラビア語が“This is a pen.”
レベルだったというのが本当なら、話にならない。まず、授業で教授が話す内容や板書される文章など全く理解できなかったはずです。1年半に亘って現地でレッスンを受け、その後も毎日、血の滲むような努力をした私でも、卒業に7年を要しました。外国人が4年間で卒業するのは至難の業で、正規のルートではありえないと思います。アラビア語というのはロシア語と並び、世界で最も難しい言語と言われているんです」
(下)へつづく
「週刊新潮」2018年6月21日号 掲載