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小池は、結婚もできない子供もいないのだから<<タヌキでも飼ってれば良いのだ>>タヌキに緑の端巻きでもしていなさい。
厚化粧は、顔のアザをごまかすため。仕方ないね。
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私は母になれなかった――鳥取県知事を謝らせた「小池百合子」都知事の言葉狩り 識者の意見は
12/2(日) 8:00配信
デイリー新潮
私は母になれなかった――鳥取県知事を謝らせた「小池百合子」都知事の言葉狩り 識者の意見は
ハロウィン・イベントにメーテルのコスプレで登場した小池都知事(撮影・上森清二)
小池百合子都知事(66)が披露したメーテルコスプレに引っかけ、平井伸治鳥取県知事が“「メーテル」の語源は母”“母の慈愛の心をもって大都市と地方の折り合いを”と述べたのは、11月9日の全国知事会議の場だった。これに小池知事は「非常に傷ついた」「私は母になれなかった」と訴えたのだが……。
***
ジャーナリストの徳岡孝夫氏の言葉を借りれば、都民1300万人ならずとも、大多数の国民感情は、
「もうこんなお粗末な話はいい加減にしてほしいですよ」
ということになるだろう。
「鳥取県知事が言ったのはあくまでたとえ話でしょう? それを元にケンカを始めたら、議論の焦点がボケてしまいますよね。要するに、県知事としては“東京は税金取り過ぎてるから、母のような気持ちで鳥取にも分けてくれ”って言ったわけでしょ? それを“私は母じゃない”って返すのは大人げない。そもそもね、東京は銭がザクザク入って、鳥取はすかんぴん。あるのは日本海の波ぐらい」(同)
いやいや、鳥取砂丘もあれば冬の蟹もあるけれど、
「その波の向こうには、北朝鮮という誰かが言うように『慈悲深い国』がある。そういうところで、鳥取県を“経営”している知事の身にもなってやってくださいよ。何百万人もの信任を得て都知事になった人間が、しょうもないことでケンカするなよと思ってしまいますね」(同)
続いて、脚本家の橋田壽賀子氏は開口一番、
「今回の小池百合子さんのニュースを知って、私、吹き出しちゃいましたよね」
と、あけすけに言う。
「だって鳥取の知事さんの『母の慈愛』って言葉は一般的な話、象徴とか概念として仰ったことでしょう? それをねじ曲げてご自分と結びつけるなんて、笑っちゃいました。私も子ども産んでませんけど、『母の慈愛』って分かりますよ。兄弟とも違う、父とも違う、そういうのって分かるじゃないですか。だからこそ、ホームドラマの脚本もたくさん書いてこられたと思うんですね。もしかしたら、小池さんは母親になれなかったってことがコンプレックスなのかしら。私はまったくそんな風に感じていません。もちろん子どもを見て“かわいいな”って思いますけど、(自分に子どもが)なくて良かったとも思いますし。コンプレックスなのであれば気の毒だなとは思います。だけど、やっぱり今回の話は無理にご自身に結びつけすぎ。滑稽極まりないなと思いました」
佐藤愛子氏は「いちいちうるさい世の中に」
渡った世間の厚み深さは伊達ではない。その一方で、17年の年間ベストセラー、『九十歳。何がめでたい』著者の佐藤愛子氏は、
「小池さんの反論って、昔の女学生がするような言い返しでしょう。だから、それについて感想を言うこと自体がバカバカしい話。アホらしくてまともに論評なんて出来ませんよ」
と一笑に付す。
「まぁ小池さんもムカっとしたんでしょうね。私もムカっと来たら無茶苦茶言っちゃうタイプだから、似たようなもんだ、ふふふ。一般論として言ったことを、個人の問題として無理に持っていくのは大人げないですよね。よっぽど虫の居所でも悪かったのかな。モノの取り方がケチ臭い。もっと正論で答えればいいじゃないですか。そんな変な感じで突っ掛からずに……」(同)
「でも……」と穂を継いで、
「何ていうか、社会全体として、いちいちうるさい世の中になりましたよね。言葉尻を捕まえてどうだっていいことをいちいち憤慨してみたり、論評してみたり。いったい何考えて生きてんだって思いますよ。もっと大事なことを考えろって。(新聞の)読者の投稿とか見ても、つまらないことで憤慨している人っていっぱいいますよね。みんな何かに苛立ってるんです。何ていうか、人間が小さくなったんだと思いますよ。なんでそんな世の中になったのか。その理由は分からないけれど、ちょっと考えたら面白いテーマかもしれませんね」
母国は? 母語は?
他方、評論家の呉智英氏は、
「例えば『母国』という言葉はどうでしょうか」
と問いかけをする。
「難民の人たちが“この国こそ母国のようだ”と発言した際、“母になれなかった私には分からない”なんてことを言う人がいるでしょうか。仮に『母国』という言葉をそのままの意味で捉えたら、“母国なるものがお前を産んだのか”“地面からお前は生まれたのか”って話になってしまいます。本来、母国とは“母のように自分を育ててくれる、懐かしい国”として使っているわけですね。小池百合子の考え方で言えば、母国という言葉を使っただけで“私は母になれなかったので、母国というモノは分かりません。私の心は傷付きました”と言われてしまうことになります」
また、「母語」という言葉を例に取って、
「これは『マザー・タング』の直訳で、“母が教えた言葉”という意味です。母親が子どもを抱きながら、“これがあんよね、おててね”って教えるから『マザー・タング』になるわけです。じゃあお母さんがいない子や、お母さんが蒸発してしまった子は『マザー・タング』と言わないのでしょうか。そんなことはありません。お姉さんやお婆さん、はたまたお父さんが教えた場合でも『マザー・タング』となる。つまり『母』とはモノのたとえで『母国』や『母語』もそれと同じ。ですから『母の』という形容詞も、慈愛に付ける枕言葉みたいなものなのです」
更に、「彼女の論理で言えば……」と付け足して、
「お母さんが早く死んでしまったり、育児放棄で出ていってしまったり、早くに離婚してお母さんの顔を見たことがないっていう場合でも、『母』という言葉をその人の前で使っちゃいけないのかということになります。こんなことにばかり気を使いすぎていると、そのうち言語表現が痩せ細ってしまって、文化的な豊かさがどんどんなくなってしまう。ちなみに今の“痩せ細る”って言葉も、小池百合子のロジックに照らせば“太っている私の立場はどうしてくれるんだ!”なんて形で肥満気味の人から不満の声が出てくるかもしれませんよね」
と苦笑するばかり。
「鳥取県知事の発言は、小池都知事を侮辱していることにもならないですし、一般的に子どもを産めない人への侮辱にもなりません。だから、二重三重にくだらない言いがかりとしか捉えようがないのです」(同)
東京五輪直前の知事選で再選され、廟堂の一角を占めても……。
「気に食わないことを言う人も山ほど来る。いちいち目くじらを立てていたらオリンピックの『顔』にはなれない。都知事はもっと広い心を持たなアカンでしょうな」(先の徳岡氏)
ともあれその際、小池女史を五輪の「成功の母」と評する言葉は狩られているのかもしれない。
「週刊新潮」2018年11月29日号 掲載