中国は称賛、世界からは大批判…あまりにもお粗末なWHO「コロナ調査団報告書」

2021年04月06日 | 国際紛争 国際政治 


中国は称賛、世界からは大批判…あまりにもお粗末なWHO「コロナ調査団報告書」

4/6(火) 7:01配信
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現代ビジネス
「発生源を特定」できていない…

写真:現代ビジネス

 新型コロナウイルス感染症の発生源の解明を目指して、中国の武漢を訪問した世界保健機関(WHO)の調査団報告が先月末(3月30日)、ようやく発表された。

【写真】日本人は知らない…中国の「990万人コロナ検査」で見えたヤバい事実

 ところが、その内容は、国際的な専門機関のものとは思えないお粗末な仕上がりだ。中国との共同研究という体裁を採ったことが仇になったようである。

 報告書は4つのシナリオを提示して、「動物から中間宿主(別の動物)を介してヒトに感染した」という説を最も有力だとする一方で、中国のウイルス研究所から流出したというトランプ前アメリカ政権が主張していた説は「極めて可能性が低い」と結論付けた。

 しかし、いずれもが推測の域を出ておらず、肝心の「発生源を特定する」という目的も果たせなかったのだ。

 結局のところ、WHOと中国に対する国際社会の不信感は払しょくできず、新たな感染症リスクに対してWHOが予防という使命を果たせない恐れを露わにした。このままでは、人類は感染症に立ち向かう前に国際政治の駆け引きで共倒れになりかねない。

 今週は、この悲惨な現状を概観し、打開策を探ってみよう。

 今回の報告書のタイトルは、「COVIT-19ウイルスの起源に関するWHOの国際調査:中国編」(WHO‐convened Global Study of Origins of SARS-CoV-2:China Part)で、「2021年1月14日から2月10日のWHO・中国の共同調査」(Joint WHO-China Study 14 January-10 February 2021)という副題が付き、筆責を「共同執筆」(Joint Report)としている。

 実物はWHOのホームページに掲載されているが、PDFファイルで120ページに及ぶ。構成や論理は整然と整理されている半面、真実の特定には程遠い内容となったのが特色だ。
米国の主張とは真逆の結果に

 新型コロナの発生源として、4つの仮説を可能性が大きいものからランク付けして指摘。この4つは、武漢のフィールド調査が終了した段階で、調査団が記者会見した際には、ランク付けをせずに列挙していたものだ。

 調査書のランク付けをみると、一番可能性が高いのが「動物から中間宿主(別の動物)を介してヒトに感染」したケースで、「考えられる、または非常に可能性が高い」と位置付けた。

 根拠は、コウモリやセンザンコウから新型コロナとよく似たウイルスが見つかっていること、他にも中間宿主を介してヒトに感染したウイルスが存在することだという。

 2番目は、「動物からヒトへの直接の感染」で、「可能性がある、または考えられる」とした。この根拠は、コウモリとの接触機会が多いヒトからコウモリのコロナウイルスに対する抗体が見つかったことである。

 3番目は、中国が熱心に主張してきた「海外から武漢に持ち込まれた」という説だ。「可能性はある」という表現で、否定しなかったのだ。

 輸入した冷凍食品のパッケージの外側から新型コロナウイルスが見つかった例から低温に耐える特性が明らかになっているというが、実際に感染した証拠がないため、3番目のシナリオにとどめたとしている。

 最後が、中国科学院の武漢ウイルス研究所からウイルスが流出したという説だ。米国がかねて強く主張していた説だが、新型コロナ確認時(2019年12月)以前に、類似ウイルスを扱っていた研究所がないとして、「極めて可能性が低い」と突き放した。


テドロス自身が報告書の不備を列記

 4つのランク付けはもっともらしく見えるものの、いずれも推測の域を出ていない。実際に、ヒトへの感染がいつ、どこで起きたのか、どういう経路を辿って感染が広がったのかという肝心の部分が特定されていないのだ。

 つまり、今後の予防策として決め手になることはほとんど解明できなかった。これでは、調査報告として合格点を与えられない。

 そして、驚くべきことに、WHOを率いるテドロス事務局長自身が報告書発表の席で、その不備を列挙した。

 テドロス発言のポイントは、(1)調査団は生データの入手で困難に直面した、(2)調査が十分だったとは思わない、(3)ウイルス研究所からの流出説は更なる調査が必要だ、(4)報告書は重要な一歩だが、これで終わりではない、(5)発生源をまだ発見していない――といった点だ。

 テドロス氏は結論として、4つの仮説のすべてに可能性が残っていると主張。ランク付けを否定したうえで、さらなる調査が必要だと表明したのである。

 WHOの報告書に対する評価は、中国と中国以外で対照的だ。

 中国は即座に、「調査に参加した専門家が示した科学的な精神を称賛する」とのコメントを発表した。

 ただし、テドロス発言には、中国外務省の華春瑩報道官が北京で開いた定例記者会見で、「科学を尊重し、科学者の意見と結論を尊重する必要がある」と反発。

 さらに、WHO調査団に派遣された中国側責任者を務めた疫学者の梁萬年氏は、「どれだけ問題を理解しているのか分からない」とテドロス氏の理解力に疑問を投げかけたうえで、「分析が十分だったかそうでなかったかは、科学者と歴史が判断するべきだ」と言い放った。
中国不信を増幅させる悪循環

 これに対し、日本、米国、英国、韓国など14か国の政府は、報告書の公表に合わせて共同声明を発表、「WHOが行った中国での調査に懸念を表明する」と強い疑念を投げかけた。

 返す刀で、「我々は新型コロナの発生源について、干渉や不当な影響を受けず、透明性のある独立した分析や評価が行われることを支持している」と論じ、「国際的な専門家による調査が大幅に遅れ、完全なデータやサンプルにアクセスできなかったことに懸念を表明する」とも述べて、改めて中国のデータ提供や調査団受け入れが遅れた問題を厳しく批判した。

 一方、14ヵ国声明は、中国批判だけでなく、「全てのデータが揃っていれば、国際社会はCOVID-19の起源を独立して評価し、このパンデミックから貴重な教訓を得て、将来の病気の発生による壊滅的な結果の招来を防ぐことができる」「我々は、WHOと協力して能力を強化し、世界の健康安全保障を向上させ、将来の感染症の発生を探知し、それに備え、対応する世界の能力に対する人々の信頼を得られるよう取り組んでいく」と強調したことは、今後に繋がる重要なメッセージだろう。これこそが、調査の目的であり、WHOの存在意義だからだ。

 また、WHOのテドロス事務局長とEUのミシェル大統領は3月30日、欧州やアジアの25カ国の首脳と連名で、今後のパンデミックの脅威に「国や機関が単独で立ち向かうことはできない」として、国際社会の実効のある協力を目指す「パンデミック条約」締結を呼びかけた。

 新条約のもとで、感染症の速やかなデータ共有やワクチン・治療薬の開発協力の枠組みを確立することが狙いで、今年5月のWHO年次総会で議論するという。

 振り返れば、中国は昨年初めの段階で、把握していた情報を速やかにすべて開示しなかったことから、国際的な不信を招いた。折からの米中の対立激化と欧州の中国不信の高まりに直面、中国は態度を硬化させて情報統制を強めたばかりか、WHOに介入して事態を取り繕おうと試みた。その結果、中国不信を増幅する悪循環に陥ってしまった。

 習近平体制には難しい選択だろうが、ここは原点に立ち戻り、率直に失敗を認めたうえで改革を公約しない限り、中国に対する世界的な不信感が容易に解消することはないだろう。

 中国問題は厄介だが、感染症に関する情報の共有や予防・治療策の確立に、国際的な協力と連携が不可欠なことも、また事実だ。新たなパンデミック条約が締結されて、国際的な協力と連携が円滑に進む体制が構築されることを強く望みたい。

町田 徹(経済ジャーナリスト)



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恐怖の延命は、医者の強欲が原因!!

2021年04月06日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
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お坊さんは「高級車に乗っている」という噂は本当

2021年04月06日 | 消費者情報

お坊さんは「高級車に乗っている」という噂は本当

4/6(火) 6:37配信
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@DIME
お坊さん=高級車に乗っている?【坊主の知られざる話】

お坊さんが乗っている車=お布施で購入されたものとは限らない。

「お坊さん=高級車に乗っている」と世間で語られるが実際はどうなのか?僧侶である筆者が自身の経験から検証した。

【イラスト】お坊さん=高級車に乗っているという噂を検証

【検証1:車好きが多い】
お坊さんは檀家宅へのお参りや本山での会議など車移動が少なくない。

特に、交通機関が乏しい地方の寺にとって車は生命線。車中で過ごす時間も増え、愛着が増すというわけだ。そこに個人の趣向も相まってということか。

補足すると、お坊さんが乗っている車=お布施で購入されたものとは限らない。自分で稼いだお金で個人的に購入している、つまり普通に働いて欲しいものを買っただけということもある。お坊さんでも他に仕事をしている人は多い。

お布施で高級車に乗っていることに対して疑問を持つのは解るが、自分で稼いだお金の使い方をアレコレ言われるのはちょっと気の毒である。

【検証2:「高級車に乗って欲しい」】

ごく少数ではあるが、高級車に乗っているお坊さんから聞いた話である。檀家さんから「自分の寺は立派でいて欲しい。だから高級車に乗ってくれ」とお願いされたとのこと。

最近は聞かなくなったが、「立派なお寺とお付き合いをしている」ということをステータスにしていた檀家さんも多かった。

本人は高級車に乗ることに葛藤があり辛そうであった。

【検証3:高級車に乗っているお坊さんが目立っている】

はっきり言って大多数のお坊さんは高級車に乗っておらず、軽自動車かファミリーカーが多い。

それでも「お坊さん=高級車」のイメージが強いのは、経済的に余裕のある一部のインパクトが大きいからだろう。余裕のないお坊さんはサラリーマンなど普通に働いている。無論、高級車に乗る余裕はない。

確かに高級車に乗っているお坊さんはいる、それは否定できない。しかし、「お寺の収入だけで生活できるのは全体の3割程度」との話も聞くし、高級車に乗る余裕があるのは恐らく1割程度だろう。
俗っぽい言い方をすれば「業界トップ」の人で大多数にとって高級車は無縁の話なのだ。

<まとめ>
「高級車に乗るお坊さん」は決して多くない、にも関わらずイメージが強いのは、ギャップがおもしろおかしく広がったのだ。

仏教ではモノへの「執着心」は煩悩としてあげられている。しかし、時代とともに僧侶の役割も変化し現実的に何も持たない生活は不可能。ジレンマである。

ある偉大な僧侶を「赤表紙と新聞の間に生きられた」と例えた言葉がある。
赤表紙とは「仏教」、新聞とは「世間」の比喩で、仏教に偏っても人に伝わらないし、世俗に染まり過ぎればそれは僧侶失格。中間が重要だ。もし高級車が悪目立ちしている僧侶がいたら、バランス感覚が良くないのだろう。

これは仏教界に限った話ではない。社会もバランス感覚が重要なピースになる。しかし、私たちは他人のバランスの悪さばかりに目を向けてしまいがち。
優れたバランス感覚とは他人のバランスを許容できることだと私は思う。バランスがいい具合に保たれれば、誰もが住み良い世界に近づくのだ。

文・イラスト/光澤裕顕(みつざわ・ひろあき)

著書『生きるのがつらいときに読むブッダの言葉』。浄土真宗(真宗大谷派)僧侶。福岡県八女市覺法寺衆徒。1989(平成元)年3月生まれ。新潟県長岡市出身。京都精華大学マンガ学部マンガ学科卒業。僧侶として仏道に励むかたわら、マンガ家・イラストレーターとしても活動中。

構成/inox.



sirowine | 27分前

そんなお坊さんもいるだろうけど、それよりも種別関係なく宗教を隠れ蓑にして広大な土地に派手な建築物等々好き勝手している団体の多いこと。

それと政治にも関わりだしてますからね、最近では幸福なんたら党の方達だった人が自民党から推薦されているポスターを見て唖然としました。

返信0

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dek***** | 15分前

寺の目立つところに車庫建てて高級車停めてたり、檀家回りに高級車使うから批判されるのではないでしょうか?

職種にもよるが、高級車で顧客回りを高級車使う営業マンは少ないでしょ?

そう言ったバランス感覚が欠けてればお坊さんでなくても批判されるよ。

返信0

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cdg***** | 5分前

お寺の非課税はおかしい。これから高齢者が増加し、亡くなる方が増えて来る。お葬式で戒名、お布施が増えます。宗教法人も法人平等に納税するべき。他に社会福祉法人、数千万円貯め込んで県の監査で指摘されている。大きな施設や多数の施設がある社会福祉法人は『億かも』。この二種類だけでも全国だと納税額が数千億どころか『兆』になるのではないか。国民が正直に納税するのが馬鹿馬鹿しい。

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オレンジリボン運動 | 31分前

高級車ならアウトで安い車ならOKは低次元な発想と思う。
坊さんは質素であるべきと考える人もいるが、お金の信仰も一種の宗教だしね。

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ph***** | 2分前

うちのお寺さんは、檀家廻りは軽(ただしフル装備)、
プライベートでは高級外車です。
決して質素な生活ではないですね。

返信0

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kou***** | 31分前

うーん。坊主が稼ぐとこんなに批判をされるのか。なんか不思議ですね。
様々な考えがあって良いと思いますが、稼いでいる坊主がいてもそれはそれで良いのではないだろうか。
多忙すぎて欠礼する坊主よりも断然良いのではないだろうか。

返信1

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ama***** | 34分前

ごく一部に特権階級かと思うような権高僧侶もいるが、大半は地域の憩いになる寺院で慎ましく暮らすお坊さんばかり。近年は葬儀の縮小化も進み、ますます収入も細りそうで、気の毒な感もある。車だって大衆車が精一杯ではないかな。

返信0

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猫ちゅーるマシマシでお願いします | 32分前

カウンタック乗ってた織田さんが悪目立ちしてたのは間違いないが、BMW7シリーズ乗ってる人も時々居ますね。
檀家さん減って経営難しくなってるお寺さんも少なくないと思いますが。

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gmr***** | 20分前

お坊さんが、とか、全員が、とは言わない。
が、末端の信者には極貧生活を強いて、自分とその家族は贅沢三昧という宗教指導者はいる。

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j******* | 15分前

菩提寺(世田谷区)の住職は敷地内に3台分の車庫(電動開閉の重たいシャッター付き)を造り、自分用にランドクルーザー、奥さん用にFWの4ドア、右ハンドル(名称はわからない)。

返信0


syo***** | 21分前

何乗ってようが、どんな家に住んでようが、構わない!ただ、非課税でそれをやっているから、叩かれる。そんな金あれば税金取れ!!

返信0

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vhiuc**** | 2分前

お車代ももらえるし、すぐもとがとれるのでは。
欲深い坊さんはあまり信用できないなあ。

返信0

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nwp***** | 30分前

極々一部だと思うがね。
こういう紹介すると全部そうみたいなコメントして怒りすぎる人が必ず現れる。

返信0

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km1***** | 41分前

坊主丸儲け。非課税で、お布施は値切らない。何かあったら、寄付ください。檀家も減少しているが、極楽とんぼ。

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Ryu | 44分前

私の同級生の坊主はアルファロメオ⇒アウディ⇒ポルシェと乗り継いでいます。

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men***** | 45分前

実家が高野山ですが

本当です。まぁ、みんなよく乗り換えております〜

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red boo | 20分前

寺も法人化して税金払えばいいと思う。

返信0

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日本カワウソ | 31分前

昔は二種スクーターをフル装備で乗ってるお坊さんが結構居たよね

返信0

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d(^_^o) | 42分前

織田無道さん、車好きでしたね。

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yuk***** | 16分前

京都のお坊さんは凄いよ。高級車だらけだよ。



fan***** | 25分前

宗教という職業です。
クリスマスパーティーもやります。
やりたいことやります。やらないのは税金払うことくらいかな?

返信0

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gdj***** | 43分前

坊主丸儲け。
この言葉が全てでしょう。
殺生殺生言うてステーキも食ってますがな。

返信0

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kiy***** | 40分前

坊主まるもうけ

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kur***** | 29分前

OT様はFERRARI…

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kjhghhcfb | 44分前

葬式高いよね

返信0

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qwi***** | 9分前

生臭坊主


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《追悼》橋田壽賀子さん「安楽死で死なせて下さい」と語った理由

2021年04月06日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備

【追悼】橋田寿賀子さん 貫いた脚本家としての流儀、そして死に対する思い(インタビュー再掲)

4/6(火) 6:30配信
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日刊ゲンダイDIGITAL

橋田壽賀子さん(2018年撮影)/(C)日刊ゲンダイ

 日本を代表する脚本家で劇作家の橋田寿賀子(はしだ・すがこ、本名・岩崎寿賀子=いわさき・すがこ)さんが死去したことが5日、分かった。95歳。4日、急性リンパ腫のため静岡県熱海市の自宅で息を引き取った。NHK朝ドラ「おしん」やNHK大河ドラマ「春日局」、「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)など数々の名作ドラマを手がけてきた橋田さん。日刊ゲンダイは2018年、都内ホテルでインタビューを敢行したが、その際、記者と気軽に膝を突き合わせ、当時の近況、昨今のドラマについて、そして死に対する思いを赤裸々に語っていた。再編し再掲する。

 ◇  ◇  ◇

「生きるも死ぬも恨みっこなし」橋田壽賀子さんに聞く

■夫が残してくれた遺産は約2億8000万円

 半世紀以上、第一線で活躍してきた脚本家の橋田壽賀子さんは、92歳になった今もエネルギッシュに世界中を旅している。88歳で終活をスタートさせ、“安楽死宣言”もした。橋田流の人生の終い方が注目されているが、その考え方は至ってシンプル。地中海クルーズを直前に控えた3月下旬、都内で話を聞いた。

■遺産で悠々自適な暮らしをしたかったが…

〈登場人物は脚本家の分身みたいなもの〉――。日々実践する生き方を紹介した新著「恨みっこなしの老後」(新潮社)にはこうつづられている。

 1990年の第1シリーズ以降、30年近くにわたって放送されている「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)は5人姉妹を中心とした岡倉家のホームドラマだ。一体、誰がいちばん自分に似ているのかを聞くと、意外な答えが返ってきた。

「私は意地悪だって自覚がありますし、それが多少なりとも作品に出ているとは思いますけれど、あの中には近い人も、なりたい人もいないんですよ。ただ、どんなに嫌な子でも“最後にはいい道を選んでね”って願いを込めて書いています」

 5人娘の嫁ぎ先も含め、個性的なキャラクターが登場する大ヒットドラマには、前年の89年に亡くなったTBSプロデューサーで夫の岩崎嘉一氏の遺志が反映されている。

「主人は2億8000万円ほどの遺産を残してくれたんです。私はその遺産で悠々自適な暮らしをしたかったんですけれど、主人はその資金で私の名前を冠した財団を設立し、ドラマに恩返ししろと。でも、財団をつくるには2000万円ほどが不足していました。そうしたら(プロデューサーの石井)ふく子ちゃんが、“1年間続くドラマを書けばTBSが貸してくれるから書きなさい”って。簡単に言いますけれど、4クール分の脚本ともなれば、家族が多くないと持たない。そこで女の子5人に、定年間近のお父さんとお母さんの一家を描けばどうにかなるだろうって考えたんです。思いつきでしたが、5人もいると各世代が抱える悩みや不安が書ける。永久に書けるんですね」

 各回のテーマは新聞の読者投書欄を参考にしているそうで、「一般の人が何に悩んでいるのか、何がうれしかったのかが、つぶさに分かる」と言う。

 来年5月には平成から新たな年号へと変わる。大正14年生まれの橋田さんは4つ目の年号となるが「興味はない」と、こう続ける。

「だって、年号が変わっても私たちの生活が劇的に変わるものではないでしょう? ただ昭和という年号は忘れられませんね。なかでも、敗戦の昭和20年。それまで軍国少女だったのに、突如、はしごを外されて人生ががらりと変わってしまったんですから」

 NHK大河「いのち」(86年)や朝ドラ「おしん」(83~84年)にも、日本女子大在学中に体験した戦中・戦後の厳しい生活が色濃く反映されている。

■自分に仕事がこないと思っている放送枠は見ない

 脚本家人生60年超。言わずと知れた大作家だが、決して現場には注文を出さない。

「台本はお嫁に出した子どもみたいなもの。焼いて食おうと煮て食おうとお好きにどうぞっていう気持ちです。直すときは教えてくださいって言いますけれど、一度、手渡したらどう演出しようがどう演じようが構いません。同じ脚本家でも倉本(聰)さんと私、全く違いますね(笑い)」

〈ありがとう〉というセリフひとつとっても、演じる役者によって十人十色。ホン読みも稽古も立ち会わないのがポリシーだ。

「放送を見たときの驚きが楽しみなんです。脚本家の色がついちゃったらつまらない。ときには、あの役者さんヘタッピね、と思うこともありますが、一視聴者として楽しむためにドラマを描いているところはあります」

 これまでに単発で210本超、連ドラで120本以上を書き続けてきた。最高視聴率62.9%を記録した「おしん」(1983~84年)は全世界60カ国で放送されている。同作を含め、「あしたこそ」(68~69年)、「おんなは度胸」(92年)、「春よ、来い」(94~95年)と朝ドラは計4本も手がけているが、最近の作品は「全く見ていない」そうだ。

「私はゲンキンだから、自分に仕事がこないと思っている枠は見ないんです。だから、大河も見ない。NHKで3本も書けば、ステータスも、民放のドラマの原稿料も上がりますが、その必要はもうありませんから。NHKも私にオファーする気なんてないでしょうけれどね。ふふふ」

 81年放送の大河「おんな太閤記」での功績が評価され、ゴーサインが出たという「おしん」。明治時代の田舎のビンボー物語だけに、「青年期のおしんを演じた田中裕子さんも“こんな役はやりたくない”って言ってたようですよ。私が現場に行っても目を合わせず、口も利かなかった。一生懸命演じてくださって、あそこまでの作品になったんですから感謝はしておりますが、一生忘れません」。



88歳で終活を始め、葬式も偲ぶ会も行わないと宣言

第16回橋田賞授賞式での橋田壽賀子さん(2008年撮影)/(C)日刊ゲンダイ

 もともと情が入って脚本が左右されることがないように、私生活では役者と付き合わないようにしているという。深い親交で知られる泉ピン子については「女優さんという感じがしない」とどこかクール。

「子どものころから人に影響されることが嫌いなんです。親交隔絶している方がずっと気が楽。ひとりっ子だった私をふびんだと思った母親は、お友達をちょくちょく家へ呼んでいたんですが、それも凄く苦痛でしたね。両親も早くに死んでますし、40歳で食べるのもやっとだった私をもらってくれた主人には一生懸命尽くしましたけれど、亡くなってからはあちらの親戚ともお会いしてない。いまは係累もありませんし、生涯孤独。人付き合いの煩わしさがなくてとても楽なんです」

 数カ月に及ぶクルーズでも深入りはしない。

「仲良くお付き合いしていただいて、船を下りる時には『はい、さようなら。またお船の上でお会いしましょうね~』ってお別れするんです」

 それが橋田流の無理しない生き方だ。

■整理整頓して下着もつけて…このまま眠って起きなきゃいいな

 92歳の橋田さんは、新刊「恨みっこなしの老後」(新潮社)で〈もう誰も恨む人もいません〉〈今、残っているのは感謝だけ〉と胸の内をつづった。まるで菩薩の域に達したかのようだが、死ぬよりも怖いことがある。

「今はまだ頭も少しはハッキリしているし、遠出するときだって押し車(シルバーカー)を使えば歩くこともできる。トイレもお風呂も入れます。怖いのは、ボケたりして分からないうちに人様に迷惑をかけること。夫に先立たれ、子どものいない天涯孤独の私にとってそれがいちばん怖いから、もしものときは“安楽死させてください”って書いたんです。法律を変えるまでは無理だとしても、それで皆さんが話し合ったり考えたりするきっかけになったらいいなという思いはありましたね。そして願わくば、ひとりでも多くの方が死と向き合ってくれる訪問医さんと出会えるといいなあって。幸せに死なせてあげるにはどうしたらいいか、長生きさせてあげるにはどうしたらいいか。その人その人の希望をかなえてくれる町医者が増えてくれたらなあって思います。私も早くそういう主治医を見つけたいですね」

 88歳で始めた終活では、夫婦別々の墓に入ることを決め、葬式も偲ぶ会も行わない宣言をした。いずれも迷惑をかけないための策だが、当時は“たられば”だった死が「いまは切実」だと言う。

「皆さんに申し上げたいのは、90を過ぎた人間が考えることは“自分が死ぬ”ということ。これはもうね、この年齢にならないと分からないものですね。私は明日、死ぬかもしれないっていう感覚。理想は、朝起きたら死んでたっていうのがいい。眠っているときって幸せだから、毎晩、寝る前にこのまま眠って起きなきゃいいなって思いながらベッドに入っています」

 用意は周到だ。

「自宅に誰が入ってこられてもみっともなくないように、いつも、家中きれいにしておかなければいけないし、机の上も整理整頓して下着もちゃんとつけておかなきゃって。ものすごく気を使って、死ぬ準備をしているんです」

 取材の翌日、橋田さんは70日間に及ぶ地中海方面へのクルーズに旅立った。

「生きて帰ってこられたら、もう夏。またお会いできたらいいわね」

 秋にはアノ名物ドラマの特番を控えているそうだ。

(取材・文=小川泰加/日刊ゲンダイ)


「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」橋田壽賀子さんが95歳で死去…2月から治療に専念

4/5(月) 18:36配信
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橋田壽賀子

脚本家の橋田壽賀子(本名:岩崎壽賀子)さんが2021年4月4日、午前9時13分、急性リンパ腫により亡くなっていたことが分かった。享年95歳。

【写真】橋田壽賀子さん

1964年、TBS東芝日曜劇場「袋を渡せば」の脚本でデビューし、以来、今日まで55年以上にわたり、テレビドラマの脚本家として、数々の名作・ヒット作を生み出してきた橋田さん。


中でも連続テレビ小説第31作「おしん」は、テレビドラマ史上最高視聴率を記録。また、石井ふく子プロデューサーと共に100作以上を描き上げた東芝日曜劇場で“ホームドラマ”のジャンルを確立し、「ただいま11人」、「つくし誰の子」、「おんなは一生懸命」など多くの連続ドラマを執筆。「渡る世間は鬼ばかり」は1990年のスタートから2011年までの20年に亘り、10シリーズ・511話という歴史に残る連続ドラマとなり、現在もスペシャルドラマとして「家族」の物語が続いている。

テレビ文化全般に対する関心も高く、1993年、自身が設立した橋田文化財団による「橋田賞」を創設し、「日本人の心や人の触れ合いを取り上げ、放送文化に大きく貢献した番組や人物」を毎年表彰。また「新人脚本賞」を通じて、新たな才能の発掘にも取り組んできた。

そんな一般財団法人 橋田文化財団は、「今年2月下旬、都内の病院に入院し、治療に専念してまいりました。3月中旬、熱海市内の病院に転院。4月3日、熱海市内の自宅に戻り、翌4日、静かに息を引き取りました。ここに生前のご厚誼に深く感謝いたしますと共に謹んでご報告申し上げます」と発表。

なお、故人の遺志により、お通夜・告別式は執り行わず、本日5日、荼毘に付された。お別れの会等についても遺志により行う予定はないとのこと。

今回の訃報を受けて、石井プロデューサーは「橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと『どうしたの?』と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。『あなた一人でどこに行ったのよ』という思いでいっぱいです」と思いを明かす。

「おしん」ではおしんの母・ふじ役、「渡る世間は鬼ばかり」では次女・五月役で出演した泉ピン子は「昨日意識がなくなったとき、『ママ』って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました」とふり返り、「今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました」とコメントしている。


《追悼》橋田壽賀子さん「安楽死で死なせて下さい」と語った理由 「そろそろ、おさらばさせて下さい」という権利があってもいい

4/5(月) 20:57配信
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文春オンライン

 脚本家の橋田壽賀子さんが4月4日午前、急性リンパ腫のため、95歳で亡くなりました。静岡県熱海市のご自宅で最期を看取ったのは、泉ピン子さんでした。

【写真】この記事の写真を見る(4枚)

 テレビドラマ「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」など、ヒット作を手掛けた橋田壽賀子さんは、2017年 『安楽死で死なせて下さい』 (文春新書)を上梓。“最後のお迎え”についての橋田さんの率直な考えは、多くの読者の心を打ちました。

 その背景を描いた当時の記事を再公開します。(初公開:2017年8月26日。記事中の肩書・年齢等は掲載時のまま)



「私は安楽死で逝きたい」。2016年12月号『文藝春秋』に掲載された1本の記事が大きな反響を呼んだ。原稿を寄せたのは、92歳の人気脚本家の橋田壽賀子さん。「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」はじめ名作ドラマを生み出した脚本家がごく私的な思いから綴った記事は、本人の予想を超えて共感を呼び、その年の読者賞を獲得する。関心が高いが、口にするにはためらいのある「安楽死」について、ご本人が明言するに至った背景を伺った。

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私が安楽死を望むわけ

©鈴木七絵/文藝春秋

 人さまに迷惑をかける前に死にたい。それが私の望みです。

 家族がいれば、子どもや孫の成長を見届けたかったり、できるだけ生きていて欲しいと望まれることでしょう。けれども私は、夫に先立たれ、子どもはなく、親しい友人もいない。天涯孤独の身の上です。

 仕事は嫌というほどやったし、世界中の行きたい場所へ行きました。もうじゅうぶん生きて、やり残したこともなく、思いを残す相手もいません。

 いまはまだ自分で生活できていますが、足腰が立たなくなったらどうしましょう。行きたいところへ行けず、食べたいものを食べられなくなったら。いつの間にか認知症になって、何もわからなくなってしまったら。

 食事から下の世話まで人さまの手を借りるなら、そうなる前に死なせてもらいたい。これは、尊厳とプライドの問題です。死ぬときに、痛いのや苦しいのも嫌です。だからいつどうやって死ぬか、自分の意思で決めさせてもらいたい。それには安楽死しかありません。

 ヨーロッパのいくつかの国やアメリカのいくつかの州では、安楽死が合法です。だから日本でも認めてもらって、わざわざ外国へ行かなくてすむようになれば助かります。

 こんな願いは私だけだろうと思いながら『文藝春秋』(2016年12月号)に「私は安楽死で逝きたい」を寄稿したところ、読者の方々から賛同の声がたくさん寄せられました。「私も安楽死に賛成です」「頑張って、法制化の旗振り役になってください」と、声をかけられる機会も増えました。

 そんな大それたことはできませんけど、私と同じように考える人は思いのほか多いようです。そんな人たちが、安楽死という死に方をごく当たり前に選べるようになればいいな、と思います。ある程度の年齢になったら、「そろそろ、おさらばさせて下さい」と申し出る権利があっていいのではないですか?

誕生日ごとに「死に方」を考えよう

 当たり前の話ですが、人は誰でも死にます。しかも、いつ死ぬかわかりません。なのに死は忌むべきものとされ、死について語ろうとすれば「縁起でもない」と言われます。日本人は、死というものや自分の死に方に、無関心すぎるのではないでしょうか。

 私たち戦争を経験した世代の死生観は、その後の人たちとはまるで違います。人の死を身近に見すぎたせいで、死ぬことが怖くないんです。終戦のとき私は20歳で、勤労動員された学生でした。戦争中は「今日死ぬか、明日死ぬか」ばかり考えていました。ようやく戦争が終わったあとも「今日の食べ物をどうするか」で精一杯。青春などありませんでした。

 若い頃は直面していた死について、再び考えるようになったのは、90歳を目前にした頃でした。そして「死んでも公表しない。葬式も、故人を偲ぶ会もやらない」と決めて、周りの人に頼んであります。けれども、もっと早く準備しておけばよかったと思うんです。

 たとえば、自分が死んだときに臓器を提供するかどうか、15歳から意思表示ができるようになっています。同じように、20歳になったら毎年の誕生日ごとに、自分がどんな死に方をしたいか考えたらどうでしょうか。お誕生日は、ひとつ年を重ねたお祝いであると同時に、いつやってくるかわからない死に一年近づいたことを意味する日です。そこで、この一年生きてこられたありがたさを噛み締めつつ、死に方について考えるのもいいのでは? 去年「延命治療は一切拒否」と決めたとしても、そのあとで恋人ができたり家族が増えたから、今年は「少しでも延命の可能性があるなら、生かして欲しい」と変わったってかまわないのです。

 いますぐ安楽死したいと考えている私だって、今日はお医者さんに行ってきました。血液検査をして、お薬をもらってきました。いつ死んでもいいけど、生きているうちは元気でいたいからです。大型客船「飛鳥Ⅱ」の来年の世界一周クルーズに申し込んで、お金も払いました。身の回りのことを自分でできて、楽しみがあるうちは、もうちょっと生きていてもいいかな、と思っているんです。

 若いときから死に方について考えることは、生き方を見つめ直すことになるし、人生を豊かにしてくれるはずです。



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「文春新書」編集部/文春新書



bib***** | 8時間前

安楽死、同感です。自分も子供たちに迷惑かけたくないし、日本の若い力を介護で台無しにしないで済むでしょう。

返信0

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kam***** | 9時間前

「安楽死で死なせて下さい」は私にとって
バイブルのような強いメッセージと受け止めた。
やすらかに、おさらばさせてもらったんですよね。合掌。

返信0

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kum***** | 3時間前

痴呆で徘徊して行方不明になる人とかいるがたまらんね。
不摂生したら早死にするだろうとか思うけど長生きしてしまうリスクもあるからな。
橋田さんお疲れ様でした。合掌。

返信0

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mik***** | 10時間前

痴呆で徘徊するならば、私は安楽死を選択したい。
誰かに迷惑をかけて死にたくないと思ってしまう。


コメント
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