50年前の今日、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊施設に立てこもり
ベランダより演説する三島の姿を今でもはっきりと覚えています。
その直後に自決するなんて思いもよらないから、強烈な出来事として記憶にある。、
三島の作品「金閣寺」位しか読んだ事無いが、
同志の「楯の会」の若者たちは今どうしていらっしゃるのかな?
50年前と云えば、3日程前に小学校の同級生だったHくんから自分が主宰する
「赤門塾の五十年」という冊子が送られてきた。
去る11月1日T市(東京近郊)の会館で五十周年記念祝賀会を開きました。
これまで赤門塾とつながりのあった多くの方々に読んでいただきたく
感謝の気持ちを込めてお届けします。 と手紙にあった。
1970年4月から東大闘争で大学のありかたに疑問を抱く3人で始めました・・・。と、
小学校の6年間を共に過ごしたが、
70年間お付き合いがあった訳ではなく、
担任だった先生が定年後西国遍路を初めて30年位前に
住んでいた駅に来て電話を貰いお会いした時に
Hくんの話になり、私がいなくなったらHくんと連絡して
同郷のお友達としてお付き合いお願い・・・と云われて以来・・・。
教育と云う事に疎いので、毎年送られてくる合宿便りなんか関心がないが、
受け取っている。
私塾が50年も続くとは凄い努力でしょうね!
朝から眼科の予約で診察に行く。
歩きで25分。眼圧も異常値でなく、視力も自分が思う程悪くなくヤレヤレ。
民家の玄関先の花やつで
府営住宅のトランペットフラワー
昨日行った菩提寺の柿の木
皇帝ダリア
今日の 7034歩
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