GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

ロビン・フッド(自由と平等を求めて!)

2010年12月26日 | Weblog
 リドリー・スコット監督作品「ロビンフッド」の中で、『マグナ・カルタ』の成立の場面がでてくる。こんな娯楽作品の一場面に出てきたので思わず目を見開いた。『マグナ・カルタ』(大憲章)はイングランドの憲章で、ジョン王の権限を限定する法として作られ、国王が貴族や聖職者の権利が認められた法律だ。しかし、ジョン王はすぐにその約束を反故にした。『マグナ・カルタ』を世界史で勉強して少し知識はあったが、映画を見ていてもまるで絵に描いたモチのような扱いに驚いた。まるで日本の前首相の所信演説のようだ。 しかし、歴史の中に埋もれかけたに見えた『マグナ・カルタ』の理念は、その400年後、500年後に甦ってくる。17世紀のピューリタン革命(清教徒革命)やアメリカ合衆国建国の理念となったのだ。権力を法で縛り、権力の行使には適正な手続き(→議会)を要する事、そして、法治国家の考え方、生存権や自由主義的思想の原型となった。こうして『マグナ・カルタ』は永遠のものとなった。

 今まで私が知っているロビン・フッドは、映画やTVドラマでも、権力やその他の支配から逃れ、自由に生きようとする姿が描かれていた。小学校の頃、彼らが使う石弓(映画は弓だけ)を苦心して自分で作った覚えもある。ヒーローは常に権力の外側にいて、神出鬼没で内側に潜む腹黒い連中に矢を打ち込む。この図式は全世界同じ様な気がする。日本の大盗賊、石川五右衛門や鼠小僧次郎吉もよく似た描かれ方をしている。

 ロビン・フッドが謳う自由と平等の理念は仏教・儒教国の日本や中国、韓国には見られない。イスラム教国家も同じように見られず、よって市民革命なるものが歴史上存在していない。奈良・平安の貴族政治が消滅した以降も、675年もの長き渡って続いた武家政権が、「自由」や「平等」という言葉の発生を阻害してきたのだ。

 イエス・キリストは、紀元1世紀初頭にパレスティナで生まれたが、「ポリス」国家を持っていた古代ギリシャとは地理的にそう遠くは離れていない。紀元前8世紀頃急速に栄えた古代ギリシャ文明では都市国家「ポリス」では直接民主制を採用した「ポリス」もあったという(凄い!)。天候に恵まれた地中海で伸び伸びと育った「自由」都市ポリスの思想の欠片から、「自由」や「平等」といった概念がひょっとすると彼に影響を与えたのかもしれない。

 ユダヤ教はとても戒律が厳しい宗教で、信仰、教義そのもの以上に、その前提としての行為・行動の実践と学究を重視している。日本の曹洞宗、臨済宗の禅による厳しい修行と同様だ。しかし、これでは僧でもない、生活に追われる庶民への波及は難しい。そこで、法然が現れて浄土宗を作り弟子の親鸞が浄土真宗として発展させた。こうして日本全国に宗教が浸透していった。日本では法然・親鸞がイエス・キリストと同格的な働きをしたと私は認識しいる。

 日本の武士道には仏教色、儒学・朱子学が色濃く流れている。「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」、ひいては「家名の存続」という儒教的態度が底流に流れている。イデオロギー色の濃い朱子学も人間は自分の所属する共同体へ義務があるとした。この共同体とは家を意味し、その上は藩、最上のものは上様=幕府となる。武家政権に当てはまったのだ。

 古き日本人の血にはこの濃いDNAが流れている。だから日本では歴史上自由や平等なる理念が発生しなかった。当然この流れは中国や韓国も同じだと思う。イスラム教もまた師に忠、親に孝、自らを節することに厳しい。本当は違うのだが、「自由平等」の理念には自分を律するイメージが欠如しているように思える。仏教とイスラム教、ユダヤ教には、日本の武士道と似たスタンスがある。人は生まれながらにして平等・自由の理念を持つキリスト教と大きな違いがここにあるような気がする。

 『マグナ・カルタ』は英国という身分階層がいまだに明確な国家に生じたことは必然のように思えるが、カトリックから分離したプロテスタントの存在なくして考えられない。そして王党派と議会派に分裂していった。今もなお英国の大憲章となっているのはその後の「清教徒革命」のおかげだと云える。国王が存在し、議会が国を動かす立憲君主制が以後確立する。カトリック対プロテスタント、後者が市民革命の担い手となっていった。ピューリタン(「清教徒」=プロテスタント)の中には祖国での弾圧を逃れ、1620年、メイフラワー号に乗りアメリカに移住した者が数多くいた。そして王のいない立憲共和制の国を作った。

 中国の長い歴史においても「自由」の理念は育たなかった。武官政権は日本と違って秦の始皇帝ただ一人、その後の長い歴史は貴族たちによる政権、つまり奈良・平安時代のような文官政権が4000年以上続いたのだ。この流れがいまだに民主化の流れを阻害しているように感じる。日本も中国も世界で云う市民革命の経験がないのだ。イスラムやヒンズー教国家も「平等」「自由」という理念が発達しなかった。詳しく学んだわけではないが、仏教や儒教、イスラム教、ヒンズー教、つまりアジアの世界には「自由・平等」の理念の発達がなかった。だから市民革命と呼ばれる欧米と同格の革命がなかったのだ。

 ロビン・フッド映画には悪政から市民を開放しようとする熱い想いが常に存在している。それは「自由と平等」を愛する人たち、キリスト教圏内に住む人々のDNAと共鳴する。その元は『マグナ・カルタ』「清教徒革命」に流れる熱い理念と云える。そしてもっと掘り下げていけば、ローマ帝国に処刑されたイエス・キリストにまで想いは辿り着く。しかし、イエスの死によって「自由と平等」は永遠の理念となり至高の目的となったのだ。ロビン・フッド映画は仏教国家やイスラム教国家ではヒットする筋書きではないようだ。


         (今回は少し飛躍し過ぎたかな… ま、いいか)


          皆様、良い年をお迎え下さい!



<どんでん返し>

2010年12月23日 | Weblog
 「どんでん返し」というのが小説でも映画でもあります。幼い頃、裏も表も見極められず、漫然と受け入れていた展開が予想もしなかった結末を迎えるのですから、私は何度も驚愕したものでした。

 高校生の頃、吉川英治や司馬遼太郎、石坂洋次郎、源氏鶏太、武者小路実篤の小説を好んで読んでいた私は、幼なじみのS君から五木寛之の『蒼ざめた馬を見よ』を薦められました。これが<どんでん>との最初の出会いでした。彼は私の天然を見抜いていたのでしょう。

 物語はQ新聞に勤める主人公が、亡くなった翻訳者の意志を受け継いで「極秘に国外で本を出版したい」と望むソ連の老作家の希望を果たそうとします。幻の原稿『蒼ざめた馬を見よ』を受け取り出版するために、冷戦時代の恐ろしいソ連に行くという物語でした。老作家の最後の言葉「あの作品は、自分が書くべきだった」「わたしは、この本を書かなかった。しかし、それ故にこそロシアの作家であるわたしは罰せられるべきだ」が今も心に残っています。

 次に出会った<どんでん>は、名匠ビリー・ワイルダー監督の映画「情婦」。1957年モノクロ作品で、私はTVの深夜放送で見た記憶があります。翌日、アガサ・クリスティの原作『検察側の証人』を買いに走ったほど、ラストの結末には驚愕しました。

 弁護士ロバーツ卿の元を、レナード・ボウルという青年が訪ねてきました。資産家の老婦人エミリー・フレンチ殺害事件の容疑者となってしまった為、弁護を依頼しに来たのです。フレンチ婦人の巨額の遺産の相続人になっていたことから、金銭的に困っていたレナードには充分に動機があり、住み込みの家政婦の不利な証言など、状況は不利なものばかりでした。しかも犯行時間のアリバイを唯一証明出来る妻ローマインが、なんと『検察側の証人』として出廷し、何故か夫に不利な証言を始めたのです。

 私の二大<どんでん>はこの二つです。ともに天然少年だった高校時代(今も対して変わっていませんが…)に出会った作品だけに、その驚愕度は半端ではありませんでした。その証拠にいまだにこの2作品を越える大驚愕を味わったことはありません。

 好きな<どんでん>映画では、「スティング」、「アヒルと鴨のコインロッカー」 、
意外系では「ファイト・クラブ」「シックス・センス」「閉ざされた森」「キサラギ」です。

 <どんでん>物語を嫌う人はあまりいないように思います。最後にスカット爽やかになることが多いからでしょう。誰もが一つはそんな物語が心に残っているようです。<どんでん>の緻密な計画は、冷静な知性なくして成立しません。小説家や映画監督も同様で冒頭のシーンやその後もチラチラと伏線を残していきます。幼い頃は人生経験も映画体験も少ないので、小説家や監督の意志には気づかずにいます。私ぐらい歳を喰らってくると、「この伏線の意味は?」などと素直に展開を見られなくなってしまう悪い習性が生じてきます。これまで何度も<アメリカの陰謀>なんて言葉を使ってきたのもこの習性が起因しています。

 私はN市の海岸にある公園施設内のレジャー施設に勤めています。今年その公園を管理・運営する事業体に一人の青年が勤め始めました。今日も穴の開いたチリメンキャベツの葉の裏を一枚一枚返して紋白蝶の幼虫(0.5~1cm)を取っては踏みつぶしていました。植裁を大切にする人にとって蝶の幼虫は天敵です。彼はとても誠実な青年で、その動向にはいつも目が向いてしまいます。乱暴な言動のお客様が無理難題をふっかけて困っている場面に遭遇すると、おせっかいにも私がしゃしゃり出て彼に助け船をだしたこともあります。彼のような優しい性格の人にとって、尽くせば尽くすほど誠実に花を咲かせ、実のなる植物の世界が最も心が落ち着くのでしょう。彼の後ろ姿を見ていると植物の世界をこよなく愛していることがうかがえます。

 植物の世界には<どんでん>がありません。植物や動物を愛する人は、<どんでん>嫌いかもしれません。人間社会での競争や裏切りに辟易していることが要因の一つです。動物や植物は人を裏切りません。行いはすべて本能であり、もって生まれた習性は変わらないからです。
 とても哀しいことですが、私欲を持つ人だけが人や動物や植物を裏切り、悪知恵を巡らせて陰謀を企てるのです。万年天然青年を自負する私は、実は<どんでん>が好きではありません。映画や小説の世界は別ですが、実際の驚愕する出来事も好きではありません。その多くは悪い方に属するからです。半世紀も生きてくると醜い裏切りや<どんでん>に何度か遭遇してきましたが、いつもご免被りたいと思っています。

 現実社会では爽やかな<どんでん>はほとんどありませんが、私は幸運にも一度だけ経験しました。30年ほど前の話です。私たち夫婦は妻の両親に猛反対されて駆け落ち結婚をしたのです。私の両親は結婚式に出てくれましたが、2年後、謝罪したくて結婚後初めて妻の実家に帰った時のことでした。1歳の息子がヨチヨチと義父に近寄ってその胡座の上に座った時、人生で最高の<どんでん>が起こりました。それまであんなに怖い顔をしていた義父が、一気に表情を緩め、息子を抱いてくれたのです。

「そうか、ワシのところにきてくれたか、可愛い子だ」
 私も連れ添いも泣きながら両親に頭を下げました。


 3年前に公園のジャカランダ(中南米原産の低木)が花を咲かせました。1992年に開業した公園・施設ですが、それまで15年間一度も花を咲かせたことがありませんでした。薄紫っぽいブルーの美しいジャカランダが今年も初夏に花を咲かせ、みんなを楽しませてくれました。こんな<どんでん>ならいつでも歓迎したいですね。



「今の中国、今後の日本」

2010年12月18日 | Weblog
 安い人件費で大量生産する世界の工場。これが昨今の中国イメージだ。しかし、12/12の神戸新聞の記事を読むと、若者を中心に仕事に対する意識が変化しているという。そして進出している日本企業では人材確保に苦労するケースが増えてきているとも。

 現地のミノルタ工場では3,300人の従業員のうち2,200人が高校などを卒業してきた内陸部の出身者で、ほとんどが10~20代。現地の日本人担当者は「人を集めるのが最近は難しい。一人っ子政策の影響で我慢強くない子も多い」とこぼす。毎年10%の賃上げを実施しているが、一カ月当たりの離職率が17%まで上る時もあるという。

 中華全国総工会のアンケート調査によると、働く理由を「収入を得るため」と答えた人の割合は、1960年代生まれが76.2%だったが、80年代生まれになると18.2%に激減。彼らの目的は「外で遊ぶ」「経験を積む」の両回答で70%超を占めるとの事。

 2020年前半には日本と同じように労働人口が減少に転じる予測もある中国。日本政府はレアメタルの輸出制限を踏まえて米国と協力して他国での発掘に着手したとの報道があったが、今後他国もこれに同調していくだろう。レアメタルだけではなく、民主化の遅れや人件費の高騰は、今後進出を考えていた企業にとって二の足を踏む要因となっている。日本にとって排日運動もその一つに違いない。誠実な国民性を持つ仏教国ベトナムへの工場移設を実施した企業があることもすでに報道されていた。

 先進国が為替差額を利用して後進国を食い荒らし、利潤が上がらなくなると、また近場の後進国へと移動していく。その国の所得水準は上がっていくのだから食い荒らすという表現はベターではないが、中国が米国のプレッシャーを受けて元の切り上げを実施すれば、労働市場の減少を余儀なくされ、世界の工場という大看板を降ろさざるを得なくなる。中国政府は苦しい選択としいられている。これが現代の経済戦争だ。

 日本もかつて1ドル360円時代がしばらく続いたが、円の切り上げというプレッシャーも相次ぐ技術革新によってはねのけ、ドイツに次ぐ工業国家として名のりを上げた。鉄鋼・造船・繊維、その後の自動車企業やOA機器・家電企業の興隆のおかでげである。しかし、アメリカの陰謀説まで勘ぐる為替操作によって、質は高いが値段も高い製品となり、急速な質の向上と安値で売ってきた韓国のサムソンのような巨大家電企業が新たに名を連ねる時代になってきた。日本は世界最大の自動車生産国家となった瞬間、米国国内での相次ぐリコール問題というまたもアメリカの陰謀らしき施策によって、1位の座を続けられなくなってしまった。

 まだまだ米国はリーマンショックによる後遺症から抜け出せず、高い失業率が下がらない。マネーゲームという打ち出の小槌が崩壊した今、アメリカもまた、イノベーション(技術革新)を必要としているだろう。ただアメリカには世界一の農業国家という揺るぎない大看板を持っている。日本からみれば本当に心から羨ましく思う。こんなふうに考えると中国の民主化の流れは、実はイノベーションなくしてあり得ないのかもしれない。そうでなければレアメタルの輸出制限のような施策しか経済戦争を凌ぐ方法がなくなってしまうからだ。まだまだ自力での工業化が進まない中国国内の状況を見て、共産党首脳部は地団駄踏んでいるかもしれない。

 世界全体で輸出力を見てみると1990年代は、アメリカ・ドイツは12%、日本は8%で、中国は2%に過ぎなかったが、今や中国は12%、米国・ドイツは8%、日本は4%まで下降した。この数字が中国が世界の工場と呼ばれる所以だ。インド、インドネシアという人口が多いアジア諸国の工業化への速度が加速してきている現代、日本の技術革新力が今まで以上に求められる時代になったことを自覚しておかねばあっという間にそれらの国に追い越されるに違いない。

 今後世界を巻き込む大戦は起こることはないだろう。大戦における戦費の増大が最大の要因だ。しかし、隣国の38度線での小競り合いのような諍いは今後も世界各地で続くに違いない。何故なら武器輸出を大きな収入源とする国家にとって、死活問題にもなりかねないからだ。第二次世界大戦やベトナム戦争への参加による大きな経済損失を経験し、1975年のサイゴン陥落以来、米国は経済戦争へとシフト切り替えた。その哀しい末路が、リ-マンショックではなかったか。

 現在の国家対国家の攻防は、ミサイルや核の保有でなく、目に見えない為替操作、聞こえがいい自由貿易、その他の陰謀めいた策略が交差する経済戦争が主流となった。この攻防を凌ぎ生き残る為には、自国の将来をしっかりと見定め、組する国家を誤らない強かな外交手腕と、追随を許さない技術革新(イノベーション)をし続けること以外に手段はない。だからこそ国家は、開発者や企業家たちへの支援を怠ってはならない。そして、国家がもっと力を入れて人を育てることを考えなければならない。中村修二氏のような青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの発明・開発者(現在米国在住)が、日本企業や日本から離れることがあってはならないように思う。日本には資源がないのだ。為替を使用して資源を買いたたき、追随を許さない(国際特許)イノベーションによって優れた商品を輸出し、経済戦争の表舞台で支持を得続けることこそ、わが日本が生き残る唯一の道だと思う。

 能力を最も発揮できる場所や国への移動を考えるのが、確かに昨今のグローバル的考え方かもしれません。しかし、リベラル派のくせに国粋主義から脱皮できないグッドラックのボヤキだと解して下さいませ。

「別れないカップル」

2010年12月14日 | Weblog
 人が人と出会ってお互いに通じるものがあって付き合いだし結婚に至ります。たとえ見合い結婚であれ、戦国時代ほど本人の意向が無視されることはないでしょう。つまり結婚前のある時期、二人はたとえ瞬間であっても気持ちが通じ合い結婚に合意するのです。何をいいたいのかと云うと、何かの縁があって結婚したのですから、出来る限り別れないように添い遂げるべきだと云いたいのです。そのために、私はしばらくの期間同棲してお互いを良く知るべきだと思っているくらいです。

 12月11日の朝日新聞に、夫婦の会話を5分間聞けば91%の確率で、15年後に離婚するかを予測する米国の心理学者ジョン・M・ゴットマン氏の話が掲載されていました。彼の研究では、別れないためには以下の7つの点が大切だということだったので、そのままでご紹介します。 


1)相手の興味や感情について良く理解していること。
  レストランでの相手の好み料理や相手の人間関係を把握している。

2)相手への思いやりと感謝の気持ちを忘れないこと。
  相手を侮辱したり避難したりせず、過去のよい思い出を共有したり
  相手の良い点をいつも褒めたりします。

3)相手から逃げず、真剣に向き合うこと。
  日常ささいなことでもしっかりと会話し、愛情の交流を行います。

4)相手の意見を尊重すること。
  お互いのマイナス感情を隠し合ったり片方が相手に常に指揮命令を行ったりせず、
   尊重と譲歩を繰り返します。

5)夫婦の間で解決できる問題だけに集中して取り組むこと。
  夫婦の問題は、すべて解決できるわけではなく、永続するような問題も多々あります。
   しかし、こういった問題は大きくしないように心がけます。

6)夫婦間に生じて、行き詰まってしまった問題を上手に乗り越えること。
  しかも、無理に解決するのではなく、日常生活に支障がなくなる程度まで、
  互いに理解や譲歩を行います。

7)二人で分かち合える人生の意義を見つけること。
  結婚生活で、高い目標を共有することで、夫婦の文化を創り上げることができます。
  

「非難」「侮蔑」「自己弁護」「逃避」を「四つの危険要因」とし、避けるべきものと定義。
 
                          (12/11の朝日新聞朝刊より)
 
 私たちカップルは一度も離婚の危機などありませんが、連れ添いによると、
「この7点に近いことを実践しているような気がする、7点すべて共感できる」と述べていました。

 私はこの7点の中で、4)がとても大切であるように思います。いつも最初に読むのは殆どが連れ添いです。私の良き編集者とも云えます。どんな意見やスタンスで私が人生を送ろうとしているのか、どんな食事や映画や本が好きなのか、世界中で最も理解しているのが彼女であることは間違いありません。私も彼女のことを理解していますが、私を理解するほとではないと思います。ただ世界中で考えると、間違いなく私が一番深く彼女を理解しているはずです。このような相互理解が、尊重と譲歩を繰り返せる要因になっていると思います。

 今回も彼女が私に「ブログに書けそうな内容よ」と言って、夢中になってK-1の録画を見ている最中に新聞を持ってきて記事のページを示してくれたのです。大本命の王者シュルトを破ったピーター・アーツの信じられない不屈の精神力に感動していた最中でしたが、記事の内容に思わず見入ってしまいました。シュルトを破ったアーツはすべてを出し切ったので優勝決定戦は残念な結果に終わりました。でもアーツ、大好きです。早速この日記を書き始めました。

 私は幸せな人生を送りたいと思っています。連れ添いや息子も同じように幸せでなければ私の幸せは成立しません。そうでなければ私が望む幸せではないのです。このスタンスは連れ添いも賛同してくれているようです。今は息子の自立を応援するだけです。人にはこのような一つの哲学が必要な気がします。そばにいるものがそれをみて感化されるくらいでなければ意味も価値も薄れますが…

 仕事と同じで上司は部下を感化できなければ存在価値はありません。そして相手の長所や本人が気づかない能力を抽出しなければ給料泥棒になってしまいます。このスタンスは仕事場も家庭もまったく同じです。私の幸せは一人では感じられません。このような生活を夫婦で続けているうちに夫婦には一つの文化が構築されていくように思います。様々な出来事を協力して乗り切ってきた歴史や心に残る暖かい想い出が夫婦やカップルの文化となって昇華するのです。「非難」「侮蔑」「自己弁護」「逃避」はその構築を阻害するもの、不必要なもののような気がします。

 残念ながら別れてしまった夫婦、長持ちしないカップル、恋人になれない関係、幸せでない関係、そのどれもが7点のどれかが要因になっているかもしれません。
  

今、夫婦やカップルと呼ばれる関係を継続している方々、

クリスマスを前にもう一度自らの関係を冷静に見直してみませんか?

 
 

<十戒>

2010年12月12日 | Weblog
●「キリスト教の十戒(じっかい)」
1.わたしのほかに神があってはならない。
2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3.主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4.あなたの父母を敬え。
5.殺してはならない。
6.姦淫してはならない。
7.盗んではならない。
8.隣人に関して偽証してはならない。
9.隣人の妻を欲してはならない。
10.隣人の財産を欲してはならない。

●「仏教の十善戒」
1)不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺しません。
2)不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを取りません。
3)不邪淫(ふじゃいん) みだらな性的関係を持ちません。
4)不妄語(ふもうご) 嘘をつきません。
5)不綺語(ふきご) 無駄な噂話をしません。
6)不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使いません。
7)不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるような言葉をいいません。
8)不慳貪(ふけんどん) 異常な欲を持ちません。
9)不瞋恚(ふしんに) 異常な怒りを持ちません。
10)不邪見(ふじゃけん) (因果、業報、輪廻等を否定する)間違った見解を持ちません。
                                (ウィキペデアより)     

 昔、人が群れをなすと、このような戒めが生まれるほど人の心は荒れたのでしょう。助け合い共存していくことは、このことを考えると残念ながら夢物語かもしれません。宗教はもともとは貴族や支配階級のものでしたが、イエス・キリストやお釈迦様、マホメットが下層階級の中から広げました。日本では空海の天台宗から生まれた法然の浄土宗がそれに当たります。そして弟子の親鸞がより容易く庶民に理解できる教えとして浄土真宗を日本中に広げました。豊臣政権や江戸幕府時代、キリスト教は邪宗門として長く禁止されました。

 仏教伝来は飛鳥時代の538年とされています。日本は一大仏教国で約75000の寺院、30万体以上あるといわれる仏像は、他の仏教国と比べても桁違いに多い。しかし、現代では仏教徒であることを自認している人は少ない。

 キリスト教と仏教の<十戒>を読んでみると大きな差がありません。それはどの国々でも人々の群に変わらないことを意味しています。つまりどの国も戒めが必要なくらい混乱していたのです。そして貧しいが故、辛い生活が故、領主や王を恨んでも致し方がない故、庶民の間に字が読めなくても、心の安定を求めて分かりやすい宗教が広がったのでしょう。
              
 先日デンゼル・ワシントン主演の未来SFアクション映画「ザ・ウォーカー」を見終わって、また様々なことが頭に浮かんできました。近未来第3次世界大戦が勃発したために、オゾン層が崩壊し、紫外線を直接受けて大地は荒れ果ててしまった。そんなアメリカ大陸を、地球上でただ一冊となった<聖書>を西へ、西へとを運ぶ物語でした。残った人々は紫外線が強すぎる気候のため農業もできず水や食べ物を求め、過去の遺産を貪り、奪い合うしか出来なかった。国そのものが消滅してしまっていたのだ。街の支配者は<聖書>の力によって荒れた人心を集めようとして<聖書>を捜していた。悪人といえど、荒れた人の心はどうにもならなかったのだ。何だか滑稽だがその悪人が、聖書の力を信じていると云うストーリーだった。日本映画的に言い換えると、ある宿場町を支配しているヤクザが、大切な仏像を抱えて逃げる「座頭市」を追う展開だ。

「聖書に本当にそんな力があるのだろうか?」

 映画を観ながら宗教心が失われつつある現代で、まっさきにこのことが浮かんできたのです。かつて禁酒法のような法律が生まれたアメリカ。まだまだ保守勢力が大きいアメリカも根底にある宗教心が薄まりつつあります。今の世だからこそ<十戒>が必要な時代と思え、こんな映画が出来たのでしょう。後進国と呼ばれた国々では<バベルの塔>のような天にも届く高いビルや塔を競い合って建てています。金を掴んだ国家・企業がその威勢を示すかに見えてきます。

世界総人口を約55億人とすると、約19億人がキリスト教信者、約10億人がイスラム教信者、約7億人がヒンドゥー教信者、約3億人が仏教信者です。これは、地球の人間が100人いたら、35人がキリスト教信者、19人がイスラム教信者、14人がヒンドゥー教信者、6人が仏教信者という比率になります。(http://www.bekkoame.ne.jp/i/funyara9/syukyo/s_jinkou01.htmより)
 中でもキリスト教の財政は年々逼迫しているとも聞いています。バチカンへの合法的な寄付を試みる映画「ゴッドファーザーPARTⅢ」。マイケル(アル・パチーノ)はPARTⅡでファミリーを守るために裏切った実の兄を殺させます。カトリック信者であるゴッドファーザーのマイケルに、生涯続いた<苦悩する良心>がPARTⅢの主題でした。


(仏教徒が1千万人以上いる国)
1. 中国    :1億人
2. 日本    :9千万人
3. タイ    :6千万人
4. ベトナム  :4千万人
5. ミャンマー :3800万人
6. スリランカ :1400万人
7. カンボジア :1200万人
8. 韓国    :1100万人 (http://blogs.yahoo.co.jp/newjava/12743801.htmlより)

 この日本の数字に関しては釈然としないものがありますが、葬式のことを考えるとこういった数字になるのでしょう。

 偉人の教え(親や神や先生や偉大な作家etc.)を知って、人は心に良心なるものが生じます。私はこれを神と認識しています。幼き子供たちに食事だけ与えて集団で生活するように強いれば、いったいどんな集団となるでしょう。親や先生によって文字も教育も施さなければ、間違いなく獣たちの集団と化すでしょう。後から生まれてきた弟や妹が兄や姉のオモチャで遊べば、兄姉が許さない様子をみれば明らかです。親が兄や姉をなだめなくては恐ろしいことになりかねません。食欲は生存本能であり所有欲もまたしかりです。親たちの教えや偉人たちの教えが宗教となっていったのです。

 聖書には<十戒>のような戒めを誰でも理解し易いように物語風に書かれています。言い換えれば元々獣である人々の心に良心を芽生えさせるの宗教だと云えます。これが私の宗教認識です。  

 日本ではイマイチでしたが、アメリカでは空前の大ヒット映画となった「ダークナイト」は、ジョーカーによってバットマンや検事、刑事、警官、執事、庶民までこの<良心>を問われる展開になりました。これが大ヒットした所以です。宗教色が薄くなった日本で大ヒットしなかったのは当然と云えます。アメリカでヒットした「ザ・ウォーカー」も<聖書>にまつわる話なので日本でのヒットは望めませんでした。


 映画「ダークナイト」では大都会を庶民が2隻のフェリーに乗船してジャーカーの暴挙から逃れようとします。しかし、ジョーカーによって2隻とも爆弾が仕掛けれていました。片方を爆発させれば残ったフェリーが助かるというジョーカーの悪巧み。乗船した庶民は自分たちが助かるためにもう一隻の爆弾のスイッチを押そうという云う意見と、そんな行為は<良心に反する>と云う意見の二つに分かれます。あなたならどうしますか? 映画を観ている観客まで<良心>を問われてしまう、今までにない優れた脚本でした。

 私はどの宗教にも属していませんが、<良心>は信じています。それは私の論理で云えば神=良心ですから、神を信じるということにもつながりますね。無神論者としては、矛盾してしまいますが…。とにかく、この考え方が私の哲学・スタンスなので、性悪説を指示するもの頷けると思います。


 今のところグッドラック哲学はここまでしか構築できていませんが、

 さて、皆様は<良心>を信じますか? 

 改めて自らに問いただしたいと思います。


韓国映画「息もできない」

2010年12月05日 | Weblog
まさに魂を揺さぶる映画に出会いました!

 韓国映画「息もできない」(2008)は、私の映画鑑賞歴の中でも最も衝撃を受けた、熱くてしかも悲し過ぎる物語です。剥き出しの暴力描写とリアルな感情表現は、緊張感いっぱいで目が釘付けになるでしょう。監督は当時32歳だったヤン・イクチュン。彼は主演・製作・脚本・編集も手がけたまさに恐るべし新人です。暴力シーンが多くて気の弱い方にはお勧めできませんが、本当にこんな傑作とは滅多に出会えることはありません。2009年11月に開催された第10回東京フィルメックスでは、史上初の最優秀作品賞(グランプリ)と観客賞をダブル受賞し、日本の映画ファンに鮮烈な印象を与えた傑作です。

(物語)
借金の取り立て屋をしているサンフンは、母と妹を死なせた父親が刑期を終えて帰ってきても激しい怒りと憎しみを抑えることができないでいた。そんな荒れたサンフンが道端で高校3年生のヨニと出会う。ヨニもまたベトナム戦争の後遺症で精神を病んだ父親と不登校を続ける弟を持った家族の中にいた。
 社会の底辺で生きる愛を知らないヤクザなサンフンと、傷ついた心を隠した勝気な女子高生ヨニ。二人は逃れられない家族というしがらみの中で息もできないような生活を続けていた。ヨニの弟が偶然サンフンの部下となって働き始めたことから、運命の歯車が思いもよらなかった方向に動き出していく。ある夜、漢江の岸辺で心を傷だらけにした二人の魂は結びつく。何一つ互いに本当のことを語り合っていない二人だったが、純愛よりももっと切ない二人の魂が求め合ったのだ。しかし、動き出した運命の歯車は誰にも止めようがなかった…。

               
●監督はインタビューの中でこんなことを語っています。

「韓国の歴史的な背景を見たとき、“国”が私たちの父親や母親の世代の心に傷を負わせてきたという認識があったんです。父親は国の発展のため、家族のことは二の次でお金を稼ぐ機械のように扱われてきた。母親はどうだったかというと、小学校までしか通っていない人も多く、子どもを教育する余力がない。それでも母親には子どもたちと一緒に暮らしている一体感がありますが、父親には家族との意志の疎通がなく、かといって外に行っても確固たる地位があるわけじゃない。でも、国の復興という大義名分のために働く必要がある、そういったゆがんだ家族像が、実は韓国では広く見られるんです。私もそういったひずみの真っ只中を生きてきて、もやもやしていたんです。家族との間に問題を抱えていて、自分の中のもどかしさを、ただ吐き出したかったんです。この映画はサンフンの物語のようでもあるんですが、実は父親の物語だったような気もしているんです」

……サンフンとヨニは互いのどんな部分に魅かれあったのだと思いますか?

「おそらく二人は狼のようなものなんです。一匹狼というくらいで、狼は一匹で行動することが多いですよね。でも、そんな狼でも寂しさや恐怖心を持っていて、別の狼に出会ったとき、初めは警戒するけれど、その狼が自分と同じ悲しみを持っていることに気づく。…」
          (http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai/index.htmlより)

 夢や愛や希望という文字は今までのサンフンとヨニの人生には見あたらない。家族という絶望がしがみついていたからだ。ここには「息もできない」くらいの圧倒的な重さで現実が覆い被さっている。もし仮に私がサンフンとして生まれてきたのなら、彼のような生き方以外の道を選べれただろうかという思いがしてくる。このリアル感が魂を揺さぶるのだ。

二人が何ら家族の真実を伝えあっていないにも関わらず、
漢江の岸辺でサンフンは生まれて初めて年下の女高生に心のうちを呟く。

「これから俺はどう生きればいいのか教えてくれよ、頭がいいんだろ」

「私のために生きればいいのよ」と笑って答えるヨニ。

愛を知らずして育ったサンフンの砂漠のような心に
ヨニの言葉はきっと心が洗われるような爽やかな雨をもたらしたに違いない。
粗放なサンフンがヨニの膝に頭を乗せて堤防に身体を横たえる。
そして両手で顔を抱えて体中で泣き出してしまう。
ヨニもまた自らの家族の絶望を想って泣き崩れるシーンは切なくて哀しくてそして、美しくて、
感動という言葉では言い尽くせない。

わずかな希望の光が二人の心に灯がともった瞬間だった。
そのはずだった… 
それだけにこの漢江のシーンが後々まで心を締め付けてくる。
  
                                            
<受賞歴>
●ロッテルダム国際映画祭 タイガー・アワード(グランプリ)
●ラス・パルマス国際映画祭 主演男優賞、主演女優賞
●ドーヴィル・アジア映画祭 ゴールデン・ロータス賞(グランプリ)、国際批評家賞
●フリブール国際映画祭 エクスチェンジ賞
●ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭 カトリック映画賞、観客賞
●シンガポール国際映画祭 最優秀演技賞(男優賞)
●バルセロナ・アジア映画祭 ゴールデン・ドリアン賞(グランプリ)
●ニューヨーク・アジア映画祭 新人監督賞
●台北映画祭 スペシャル・メンション賞
●カルロヴィヴァリ国際映画祭 NETPAC賞(アジア映画賞)
●ファンタジア国際映画祭 最優秀映画賞、最優秀男優賞
●テキサス=オースティン・ファンタスティック映画祭 観客特別賞、
 ニュー・ウェイヴ部門最優秀監督賞
●ウラジオストク国際映画祭 グランプリ、最優秀女優賞
●アジア太平洋映画賞 男優特別賞
●韓国映画評論家協会 国際批評家連盟韓国本部賞
●韓国・大鐘賞 新人女優賞
●韓国・青龍映画賞 新人男優賞、新人女優賞
●東京フィルメックス 最優秀作品賞(グランプリ)、観客賞  
                            (2009.12.10現在)



「少女D(世界は360度)」

2010年12月02日 | Weblog
私は恐れを知らない女の子

確かに戦争や飢え 交通事故やヤクザさんの喧嘩は恐ろしいけど

私には心から恐れるものはありません

だから何だってできるような気がします

一番したいことは世界中を旅して 多くの国の人たちと言葉は交わせなくても

気持ちを伝え合えたらいいなと思っています

世界にも日本にも不幸な人たちがたくさんいます

私は健康なので自分の力で何でもできますが

病気や不自由で自分の力で身体を動かせない人たちがいます

今のちっぽけな私では何の手助けもできませんが

もっともっと勉強して知識や経験を積めば

きっと多くの人たちの手助けができると思います


同じ学校で 仲間のはずなのに虐めがあるのは何故なんでしょうか

私は虐めをする人たちの気持ちが理解できません

誰もが楽しい学校生活を送りたいと望んでいます

それを仲間であるはずの人がブレーキをかけるなんておかしいと思います


人生は決して平坦な道ばかりではないと思います

でも一生懸命頑張って努力すればきっと何とかなるはずです

そう考えると私の前には世界が360度広がっていることになります

これだけでも心がウキウキとしてきます

テレビからは悲しいニュースがたくさん流れてきますが

日本は世界の国々の中ではとても平和で平等な国だと思います

だから努力すればどんな職業にも就けると思います