GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「おめでとう!バルセロナ}

2009年05月29日 | Weblog
 フットボール(サッカー)というゲームは11名が協力して、相手ゴールに何回ボールをたたき込めるかという戦いだ。ルールは至って簡単。手や腕は使ってはいけない。そしてオフサイドという独特のルールがある。このルールがフットボールというゲームをとても面白くしている。攻撃は、中盤がボールをキープしパスとドリブルを駆使してサイドにボールを運び、クロスボールを放ってFWがゴールを決める、これが基本だ。

この基本を忠実にバルセロナが守り、マンチェスターユナイテッドは守り通してカウンター攻撃で点を取るスタイルだったが…

世界最高峰のフットボール(サッカー)チームを決める試合とは?
 
 昨夜開催されたバルセロナ対マンチェスター・Uのチャンピオンズリーグの決勝戦に違いない。ヨーロッパのクラブチームの最高峰を決める戦いだ。4年に一度の国別対抗戦ワールドカップも大きな戦いだが、寄せ集めチームとしての習熟度はクラブチームのそれとは比べものにならない。勝ち上がってきたことによって構築されてきた強いチームワークこそが、サッカー観戦の醍醐味だ。

 しかし、観戦後の印象はあまりにも対照的だ。この日のマンチェスターUが酷すぎた。結果はバルセロナの2-0の圧倒的勝利だった。ボール支配率は前半後半ともにバルサが高かった。試合序盤こそマンUの果敢な動きに押し込まれ、クリスティアーノ・ロナウドを中心に再三再四シュートを浴びた。特に前半2分のロナウドのフリーキックのシーンでは、直接狙った無回転シュートをバルデスが弾き、詰めて来たパク・チソンに泡や先制ゴールを許しかけたが、ピケが懸命のスライディングで間一髪失点を免れた。

 前半10分、エトーのゴールがこの日のすべてだったように思える。あれでけ攻めていたマンUがたった一度のカウンター攻撃で先制の1点を許してしまったのだ。この不甲斐ないとしか云いようのないディフェンダー陣の動揺が、その後もファーガソン監督を苦しめたのではないかと推測する。その後はバルサが完全に試合をコントロールした。もし、前半10分までの攻撃中にマンUが先制していたら、バルサが反対にマンU陣に見られた信じられない失点の呪縛にかかっていたかもしれない。その後はトライアングルと評される華麗でスピード感のある短いパス回しに翻弄されたこのように、マンUは完全降伏した。

 ファーガソンは66分、パク・チソンに代えてベルバトフを投入、FW4人を前線に並べる超攻撃的な布陣で臨んで来たが、70分のメッシのゴールはまるで名画をワンシーンのようなゴールだった。

 チャビが右サイドをドリブルで駆け上がる。
 中央へふわりと絶妙なクロスボールを上げた。
 待ち構えていたメッシが、これまた絶妙な右側頭部でヘディングシュート。
 決してヘッド利かせた強いへディングではなかった。
 角度を付けた顔面に近い分を当てただけの、柔らかいボールだった。
(今までに見たことのないへディングシュートだった)

 そのボールはまるでループシュートのように
 ジャンプした長身のファン・デル・サールの頭上を越える。
 そしてゴールネットを揺らした。


(書いていても今でも目を閉じるとメッシのヘディングシュートが浮かんでくる)

もし、メッシがヘッドを利かせた強いシュートを打っていたら
もう少しボールは直線的な軌道となり、キーパーにはじかれていただろう。
あの瞬間にキーパーのジャンプが視線に入っていたのだろうか?
想像するだけでもゾクゾクする。


 以前メッシの生い立ちからのドキュメント番組が放映されていたが、彼のフットボールへの執念は並大抵のものではない。家族が彼のフットボールの為に一家総出でバルセロナに移住してきたのだ。しかし、残念ながら家族が新しい地になじめず帰郷するが、若いメッシは一人残った。しかも背が伸びないという病気を抱えていたメッシを家族がサポートし、FCバルセロナの下部組織がそれを支えたのだ。多くの人に支えられたここまで来たメッシは決して驕ることなく今も家族とチームの為に戦っている。彼の言葉にはいつも家族への感謝が述べられている。素晴らしい選手だ。バルセロナは決して彼を放出しないだろう。
 奔放で驕りが見てきたロナウジーニョを放出し、チームバルセロナをたった一年で作り上げた弱冠38歳のグアルディオラ(かつてのバルサ主将)監督は、偉大な監督として後世に名を残すだろう。今だかつてチャンピオンリーグの連覇したチームはない。これが新たな彼の目標になるに違いない。


 今回のチャンピオンリーグ決勝戦90分で、マンUの印象に残る選手はロナウドとルーニーしかいない。それに反してバルセロナはメッシをはじめとし、前半に先制ゴールを決めたエトー、必死でロナウドにへばりついてイエローカードをまで出させた主将プジョル、先制シュートを阻止したピケ、ゲームを作ったイニエスタ、何度かゴールを脅かしたアンリ(少し元気がないようにも見えたが…)、他にもシウビーニョや2点目をアシストしたチャビもいい動きをしていた。これだけの選手の名前がすぐに上がってくるFCバルセロナ。まさしくヨーロッパ最高の素晴らしいチームワークを駆使して頂点を極めたと云っていいだろう。


★マンチェスター・U戦後のグアルディオラのコメント
「我々は偉大な事をやってのけた事をハッキリと自覚している。今はとても満足している。これ程喜ばしい瞬間を味わえる事、これ程素晴らしいシーズンを送る事が出来た事、本当に幸運に感じている。選手達もチームのスタッフ達も、今喜びを爆発させている。今日と言う日は、それが許される日だ。選手、スタッフ、クラブ関係者、ファン、全ての人達におめでとうと言いたい。この勝利を楽しんでもらいたい」

「天使と悪魔」&秘密結社

2009年05月26日 | Weblog
 大ヒットした「ダ・ヴィンチ・コード」の“ロバート・ラングドン”シリーズ第2弾。ダン・ブラウン原作のシリーズ1作目の『天使と悪魔』を映画化。もし、前作とどちらが良くてできていたかと問われたら、原作も含めて今回の「天使と悪魔」を押したいですね。本作は前作のキリスト教との関係は薄く、「ギリシャ的科学思想に対する批判と抵抗」がテーマになっています。

 コンクラーベと呼ばれる教皇選挙が行われる直前に<反物質>(核をも凌ぐエエネルギー>が盗まれ、しかも4人の教皇候補が誘拐されます。 秘密結社<イルミナルティー>と呼ばれる反キリスト組織から1時間ごとに教皇候補を殺害していくという予告と、ヴァチカン全体の爆破予告まで入るに至って、ルーブル美術館での一件で気まずい関係になっていたヴァチカンからロバート・ラングラン教授に事件解決の要請が舞い込みます。教皇候補4名の救出と<反物質>爆破のタイミリミットが迫る中、ヴァチカン内をはじめ、イタリアの有名な寺院を駆け巡るスリリングな展開は、前作の「ダビンチ・コード」を遥かに凌ぐ出来映えです。

ところで聞き慣れない<反物質>とは?
 『物質と反物質が衝突すると対消滅を起こし、質量がエネルギーとなって放出される。これは反応前の物質・反物質そのものが完全になくなってしまい、消滅したそれらの質量に相当するエネルギーがそこに残るということである 。1gの質量は約 9×10の13乗(90兆)ジュール のエネルギーに相当する。
 反物質は自然界には殆ど存在しないので、人工的に作らねば得ることが難しい。非常に高いエネルギーを持つ粒子どうしを衝突させると多くの粒子が新たに生成されることは既に知られていて、これは粒子が衝突前に持っていたエネルギーがそれに相当する質量に変わるためであり、物質と反物質の衝突とは逆の事が起きているのだが、これによって生成される粒子の中に反粒子が実際に含まれている。そのため現在では、人工的に高エネルギーの粒子を、粒子加速器という非常に巨大な装置を使って作り出し、それらを衝突させて反粒子を作りだし捕獲することで反粒子を得ている。』(ウィキペディアより)

秘密結社<イルミネルティ>とは?
聖書とはことなる科学的根拠からコペルニクスやガリレオの地動説、そして生命の起源等の発表に驚いたローマカトリック教会は宗教界を根底から覆すそうとしている彼らに大きな弾圧を与えてきた歴史が存在します。そんな彼らはメーソンと呼ばれる結社や<イルミナルティ>と呼ばれた秘密結社を組み、地下に潜ったとされています。

「イルミナティのシンボルはピラミッドに目のシンボルである。このシンボルはエジプトに由来し、「ホルスの目(ウジャトの目)」と呼ばれる。このシンボルは権力構造のヒエラルキーとすべてを監視する支配者を表しているとされる。陰謀説を唱える一部の者から、1ドル紙幣のこのシンボルはアメリカ合衆国がイルミナティにより陰から支配された国家である証拠と主張されることもある。」(ウィキペディアより)

 過去に映画「ハドソン・ホーク」や「ナショナル・トレジャー」シリーズやその他の冒険・アクション映画では、秘密結社が悪玉の如く描かれてきました。巨大な力で弾圧を加えられたものは地下に潜るしかその存在を継続できなかったのでしょう。

 移民によって形成された国家アメリカでも同じように結社が生まれました。移民したイタリア人差別・弾圧を受けてマフィアを作り、中国人も華僑たちの中からチャイニーズマフィアが生まれました。社会主義国家として強大な軍事力で君臨したソ連が崩壊し、独立国家が次々に東ヨーロッパに誕生しましたが、今の状況は日本の戦後と似通っており、今までの秩序が様変わりしたのです。すぐれた工業製品をもたないそれらの国は民主主義・市場経済への移行の過渡期とはいえ、まさに混乱期にあります。この時期に栄えるのはウラの組織です。大きな貧富の差がそれらの組織を生じさせるのです。戦後の混乱期は、アメリカ政府と同じように日本政府でも共産化を防ぐ防波堤としてヤクザ組織や右翼団体を利用してきました。ここに日本のヤクザ社会やアメリカのマフィア社会が国の根幹の一部と結びついた背景があります。それを象徴するこんな言葉が以前囁かれていました。
「アメリカではインテリが新聞を作って、マフィアがその新聞を売る」

 一般市民は圧倒的暴力を行使する暴力団排除に賛成しますが、ノミ屋やその他を手配する連中に対しては自分が必要とするから黙認します。ここには人間の醜い心の影、エゴと呼ばれる人間の本性が垣間見えます。その醜い部分にヤクザやマフィアが寄生しているのです。<必要悪>という言葉がありますが、これを支えているのはヤクザ・マフィア社会というよりは人間のエゴと云うべきです。


公営競技
現在開催が許可されている公営競技は以下の4つに限られている。頭文字をとって三競オート(さんけいおうと)と呼ばれています。

競馬・競艇・競輪・オートレース

それぞれの監督官庁
競馬:農林水産省
競艇:国土交通省
競輪・オートレース:経済産業省
スポーツ振興くじ:文部科学省
宝くじ:総務省

公営ギャンブルでの売上は一部は各省に流れることになっています。
■宝くじ・toto 還元率45%
■競艇・競馬 還元率75%
■パチンコ・パチスロ 還元率80%

 かなり古い数字ですが、平成12年でみると、公営5競技の売上合計が約6兆8,000億円、宝くじが9,500億円、パチンコが約28兆7,000億円ですから、これらの合計は約36兆4,500億円にもなります。これは平成12年余暇市場全体(85兆570億円)の約43%を占めます。これを日本国民1人当たりで計算すると年間約30万円で、月に2万5千円はこれらのギャンブルに費やしていることになります。世界のギャンブル市場を把握する正式な統計は存在しませんが、くじが世界一盛んで人口も多いアメリカの例があります。米州くじ協会によると、平成12年の総売上額は377億6,000万ドル(日本円で約4兆7,000億円)で、住民1人当たりの年平均購入額は152.97ドル(日本円で約19,000円)です。この他にカジノやスポーツブッキング、競馬などの売上がありますが、それぞれの売上を合算しても約8兆円弱であると推測されるので、日本は世界最大のギャンブル大国と云えます。さらににヤクザ社会のヤミのノミ屋が大きな勢力を維持しながら存在しています。



 映画「天使と悪魔」から大きく話は逸れましたが、秘密結社と呼ばれる組織は昔から存在していました。<イルミナルティ>のような昔の日本赤軍のように理想をかざした組織は消滅しましたが、人間のエゴに絡みついたガン組織のようなヤクザ社会は市民のすぐそばに存在しています。そして今や<必要悪>として多くの市民が黙認しているのです。
日本では以前こんな言葉が囁かれました。

「政府のインテリが都市計画を立案し、ゼネコンがそれを請負、ヤクザの地上げ屋が実行する」

<後悔しない愛5>

2009年05月22日 | Weblog
M様へ

<いい恋>はお互いが成長するものです。
あの人を守れる人物にならなくては、という気持ち
あの人の幸せを喜びたい、あの人の笑顔を見ていたい、
そんな気持ちが料理や編み物を勉強したり、お互いの趣味や趣向を受け入れて、
ともに共感したいと思うようになっていくものです。
そして自分の感情を優先させるのではなく、相手の心情を想い図るようになります。
これは恋愛で学ばなくてはならない一番大切なことです。
自分の愛する人の気持ちを理解したいという気持ちです。

こんな恋愛が自分自身の心の感性を豊かにしていくのです。
そしていつか、恋愛相手だけでなく周囲の人の気持ちまで感性が届くようになっていきます。
父や母、友人だけでなく映画や本の登場人物にまで共感できるようになっていきます。
大人になっていくという過程というのはこういうことです。
だから私は若い人に「いい恋をしよう!」と語っているのです。

さて、私の話をしましょう。
チーちゃんと付き合っていたある時期が、私の生涯で一番モテた気がします。
何故か? 今考えればきっと周囲の連中と比べてガツガツしてなかったのでしょう。
決して見栄えは良い方ではないのでそれ以外考えられません。
私のその頃の気持ちは、「女性は生涯で彼女一人でいい」と真剣に思っていたのです。
しかし、大恋愛が崩壊してからは自暴自棄に陥りました。
女性に対して自分の気持ちを最優先にしたのです。無意識に感情を優先させていたのです。
「来るものは拒まず」そんな状態でした。

バイトに来ていた大学生の妻に私の方から声をかけました。
(今振り返ると私から声をかけたのは妻だけでした)
転勤の多い仕事で、埼玉から栃木へ、栃木から群馬へ、
そして栃木に戻って、次は名古屋という状態でした。
その間に妻以外の女性とも付き合いましたが、
遠距離になっても付き合いが続いたのが妻だけでした。
半年に1回しか逢えず、しかも逢っても30分しか逢えない時がありました。

以前、妻とその頃のお互いの心情を話し合ったことがあります。
「あの時、あなたはエッー!と云いながらも決して怒ったりはしなかった」
「どうしてもっと逢えないの?!」とお互いに相手に迫らなかったのです。
つまりお互いに<待てる心情>だったことが、遠距離恋愛を成立させたのでしょう。
「あなたは私に対して怒鳴ったり、怒ったことは一度もなかった」
「一切束縛しようとしたことがない」

これは私にとっても妻にとって続いた大きな要因でした。携帯電話のない時代でしたが、
妻から仕事場に電話が入ったことは一度もありませんでした。
借りていたアパートにも
「今、何してるの?」なんてたわいのない連絡も一度もありませんでした。

その頃私は仕事が最優先でした。
「彼女に逢いたい」からといって群馬や栃木、
名古屋から逢いに出かけたことはありませんでした。毎日15時間以上勤務しており、
出勤時間はほとんど朝の6:00という状況だったので体調管理が最優先でした。
就職したてのペーペーの頃、チーちゃんのアパートから出勤したことが度々ありましたが、
「土日が休める他の仕事がないの」というニュアンスの会話がありました。
チーちゃんにとってこれが大きな要因となっていたのです。
つまり自分の路線に相手をひっぱりこもうとしていたのです。
私は心のどこかでそんなチーちゃんに対して違和感を感じていました。
その違和感は学生の頃から続いていたものでしたが、その頃の私は向こう見ずな若造でした。
私の力でスタンスや感情を変えられると過信していたのです。
お互いに歩み寄ろうとする気持ちもなかったのです。
それはお互いの愛が足りなかったのかもしれません。


義父に結婚したいと宣言しに行った時、こんな事を尋ねられた。
「娘のどこが気に入った?」

「買う車の色を何色にしようかというような時は口出ししても、
 右と左どちらの道を行くか、
 そんな時は口出しせず私に黙って付いてきてくれる、
 そんな聡明さに惹かれました」


義父の前での結婚宣言の後、苦い笑いしながらこう云われました。
「きっと苦労するよ」(その言葉は認めたこと?)

あの時はそう感じました。が、しかし…。



大切なことは<待てる気持ち>、相手を<許せる気持ち>の中に
<愛>が潜んでいる気づくことです。


そして大切なことは<他力>つまりお互いのタイミングです。
リンゴが熟したとき、枝から落ちようとしているとき、
その下にいるかどうかです。こればかりは神のみぞ知るということです。
縁があればその時、リンゴの下にいられるのです。
『人事を尽くして天命を待つ』
これが<後悔しない愛>につながります。



そして<相性>です。
付き合っていれば相手の趣味・嗜好が分かってきます。
何が嫌いで、何が好みかです。
妻がこんなことを云っていたことを思い出しました。
「『チーちゃんに仕事を変わって欲しいと云われた』とあなたが話したとき、
この人は仕事に対して口だしされたくないんだと思った」

これはとても重要な話です。
つまりこれは相手の基本スタンス(=信念)に近い部分です。
相手のスタンスを無理に受け入れるようでは、後々シコリ(=ストレス)がでてくる、
だから決して相性は良くないと体で感じるられるかどうかです。
若いだけにまだまだ経験や教養が足りません。
つまり理性でなく本能(=感情)で体で感じなくてはなりません。

さきほど「お互いの愛が足りなかった」と書きましたが、
若いときはまだまだ足りない理性で思うのではなく、
自分を大切にする体で感じなくてはなりません。(=感性)


3年という一つの区切りを自分で決めることは、大きな決断です。
そしてその3年間でM様の気持ちがどう移り変わるか、
はたまたより堅固になっていくかを、
自分自身、冷静に心の変化を観察していかなくてはなりません。
もちろん彼の気持ちも同様です。
つまり、彼氏と感情的なM様、そしてその関係を観察するもう一人の自分です。
演劇用語でそれを『ハイパーセルフ』と云います。
自分が演じるステージを客観的に見る、俯瞰的視点です。
若いM様には困難な作業かもしれませんが、
コメントの中で「彼の中での自分の存在はどの位置なのか」という表現がありましたが、
それを人生のステージに置き換えるて見るスタンスです。

「今の私の想い(存在)は、
 80年と云われる人生というステージでどういう位置なのか」


そういった視点を持てるよう心がけましょう。
かなりの時間を要します。私の場合あなたの年齢から20年以上かかりましたから。
でも生きていく上でとても大切な視点だと想います。
彼との人生だけが決してあなたの人生だけではないからです。

今は彼のいない人生を考えろというのは不可能なことでしょう。
彼と一緒になれてもなれなくても、同じような視点は必要です。
自分の位置が明確になれば、目標が自ずと見えてくるからです。

「The Way We Were」
バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの映画「追憶」の原題です。
かつて若い頃、お互いの目指す人生が違っていた…
こんなふうに私はこの題名を訳しています。

今でもこの大ヒットした「追憶」のテーマがラジオやテレビから流れると
胸が締め付けられますが、それは私にとって<後悔しない愛>だったかもしれません。

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<後悔しない愛4>

2009年05月20日 | Weblog
M様

彼氏はとてもミステリアスは人ですね。
付き合って5年、つまり彼は20歳、M様は18歳からの付き合い。
その間に二人だけで旅行や二人だけで何度も夜を過ごしているもの関わらず、
自制している彼。
昔の自分を思い起こすととても考えられません。
その頃の自分と比較するのは決してベターではありませんが、
相対的私感(過去の経験や知識と比較しての私個人の感想)でお話します。
大学の頃、付き合っていた彼女と結婚したい堅い意志がありましたが、
大学を出てすぐに一緒になろうとは全く考えていませんでした。

(>何年かしたら結婚しょうとも言われましたが…多分冗談なのかもしれないです…。)
=同じ気持ちかな?

1977年の頃で給料は確か12万くらい(IYグループのレストランチェーン)でした。
そんなペイペイ結婚できるとは到底思えなかったし、
自分自身としてももっと大人になりたい、
そのためには様々な経験が必要だ、
「我に七難を与えたまえ」(戦国武将の山中鹿之助の言葉)という心境でした。
経験もない若造では大切な人を守りきれない、そんなスタンスでした。
少なくても組織内では店長に昇格し、店を管理する立場になれば、
多少なりとも世間が見えてくるだろう。
そして彼女の親にも会いに行けるだろうと思っていました。
それがあの当時の私の目標でした。

M様の彼氏はようやくCD発売にこぎ着けて、
メジャーデビュー目前のような思えます。
当然彼の事務所からは「ファンには手を出すな」的な指示が出ているでしょう。
そんな指示があろうと遊ぶ奴は遊ぶ。
しかし、彼は遊ぼうとはしていない。
それが(人を好きになるという気持ちがわからない)からか。
それとも堅い意志のもと(何年かしたら結婚しょう)で、
自制しているのか。とてもミステリアス。

そんな状況でのM様のとるべきスタンスは?

不倫でもなく、一緒になれる可能性を持った今までで最高に好きな人を、
諦めることはとてもできない決心だと思います。
今のM様の気持ちが本当なら堪え忍ぶことが出来るはずです。
彼のバンドの成長を影から見つめることが可能なはずです。
半年で一回、一年に数回しか逢えなくても、
電話やメールはやろうと思えばできるのです。
彼はあなたを嫌ってはいないのです。
(嫌いな人と夜を過ごしたり、旅行などできません)

その我慢が決して報われると補償はありませんが、
その純粋な気持ちを持ち続けるのはM様次第です。

まずは3年、堪えてみませんか?
3年後の互いの気持ちなど本人ですら予想できません。
バンドの状況も大きな変化があるかもしれせん。
M様にも新しい出会いがあったり、
彼も今までの女性への対応が変化するかもしれません。

私の場合ですが、彼女との恋が崩壊してからある時期乱れたことがあります。
女性は生涯彼女一人でいいと思っていたにも関わらずです。
そんな状況で今の連れ添いと出会いました。
まだ結婚など考えられないとても危うい時期でした。
数人の女性と付き合い、連れ添いもその一人でした。
しかし、他の女性とはいつの間にか自然消滅しましたが、
一人だけはどうして切れないで、長く続いたのです。
それを人は<縁>と呼ぶのでしょう。

大学を卒業して1年、その頃の彼女と別れて4年後に今の連れ添いと
まさに電撃・強引結婚(?!)を果たしました。

3年先のことなど人には見通せないのです。
だったら今の気持ちを大切にしましょう。
彼と<縁>があればまるで必然のように関係は突如動きだし、
M様の想いが報われる時が訪れるでしょう。
しかし、そういうことにならない場合も当然起こります。

ただ重要なのは今の真摯な気持ちを大切にするということです。
分かりやすい言葉でいうと
「人事を尽くして天命を待つ」です。これを<他力>と言います。
心臓は自分の意志で動いてはいません。
つまり生かされているのです。ここに<他力>の存在があります。

お互いの人生に<縁>があれば、動き出す時が来るものです。
そのタイミングを見過ごすか、掴むか、
互いの<縁>が遭遇するか、しないか、誰にも分からないのが人生と思って下さい。

M様、「人事を尽くして天命を待つ」
まずは3年、やってみませんか?

<後悔しない愛3>

2009年05月20日 | Weblog
M様


>私が「ジョー・ブラックをよろしく」のスーザンなら…連れて行ってほしかったと思ってしまいます…。

M様だけでなく、1,000人のスーザンがいても
1,000人とも連れて行って欲しいと想いますよ。
それが若さであり純粋な気持ちだからです。

しかし、1,000人の父がいれば1,000人がスーザンを止めるでしょう。

しかし、1,000人のジョーがいるなら、
1,000人ともスーザンを諦めるか?
これは断言できません。

『好きなものを、ただ奪うことは愛とは言わない。
 愛の本質とは生涯を懸けて相手への信頼と責任を全うすること、
 そして愛する相手を傷つけぬこと』

この本質を理解しているジョーが何人いるかどうかで
決まってくるからです。

>離れるくらいなら、一緒に堕ちるとこまで堕ちてもいいと…。

この表現は納得できませんね。
>一緒に堕ちるとこまで
とは、どういう意味ですか? もう落ちているのですか?
理解できかねます。

客観的に今、大切なのはM様ではなく
ジョーの場合と同じく、彼の姿勢です。

『好きなものを、ただ奪うことは愛とは言わない。
 愛の本質とは生涯を懸けて相手への信頼と責任を全うすること、
 そして愛する相手を傷つけぬこと』

この本質を理解しているなら、ご両親にその意志を表明する必要があります。
しかもその言葉で両親を説得できるかです。

たとえM様が(一緒に堕ちるとこまで)という気持ちでも
一人の男性としてはそんな境遇にさせたいはずはありません。

だから、本当にあなたを愛するなら、
あなた一人を守れるまで一旦は我慢して別れ、
改めて両親の前で「娘さんを下さい!」と
言い切れる人物になろうと努力するべきです。

ほとんどの女性が恋に落ちると「一緒に堕ちるとこまで」
と感情的になります。(後悔なんて絶対しないと)
男として、とても喜ばしいことです。

しかし、「一緒に堕ちるとこまで」と女性と同じような思いの生活力のない男性なら、
M様は将来きっと後悔するでしょう。これは間違いのない事実です。
そして、その時、恋が単なるインフルエンザだったと気づくでしょう。

恋は盲目という言葉の怖さはここにあります。

親や周囲には見えても、恋に落ちた人だけが見えないという怖さです。
これを簡単に考えないで下さい。
この瞬間の決断を誤って人生を棒に振る(これは言い過ぎですね)
その後の人生に大きな影響を与える話を沢山見知っています。

M様の決心が変わらないのなら(「一緒に堕ちるとこまで」こんな考えでは絶対にいけませんよ)、
両親の賛同を得て結婚を前提に交際を認めてもらいましょう。
23歳というのはすでにりっぱな大人です。

お相手の年齢が23歳以下とは思えません。
だから、相手の両親があなたの自宅を尋ねて、
結婚を前提とした交際を認めてもらいましょう。

結婚した時、妻の年齢が23歳でした。
私は28歳でした。

最初、妻の父に会いに行き、娘さんと一緒になりたいと宣言しました。

そして両親を説得し、
両親が大阪から埼玉へ頭を下げに行きました。
これが最低限、妻にしたい女性の両親への義務であり責任だと思います。

*このあと私の結婚は大騒動になりましたが…。

最後の
>今この好きな人と過ごせている時間こそ、私にははかなく感じてしまいます…

この意味を理解しかねます。
もうすでに両親は反対しているのですか?
もしそうなら男性の取るべき行動は上記のように明確です。
それがM様への愛の証明であり、常識ある行動だと思います。

<後悔しない愛2>

2009年05月20日 | Weblog
M様

>『自分自身を大切にする』『後悔のない恋愛をする』

心配しないでいいですよ。
若い頃、こんなめんどくさいことを考えて
恋愛する人など一人もいませんよ。

私にできることは「気づき」を示唆できるくらいのことです。

H様が云うように
『自分の中で追体験もしないで知恵の何ほどがわかるでしょう』

『ふるまいの正しさや方向をはかる物差しにしてしまえる力を
 蓄えていかなくてはならない』のは自分だからです。


>どちらかが片親だと、その子供は恋愛によく失敗するんだそうです
こんなことは決して考えてはいけません。
それは育ててくれた親に対して侮辱していることになり、
しかも自分が成長できないことを、他人のせいにしていることになります。
そんなスタンスは自分を過保護しているだけで
「自分を大切にしていない」のです。
大切にするということは自分の成長と相手の成長を同レベルで促すことです。

だから「後悔しない恋愛」を言い換えると
「自分が成長できるような恋愛」になります。

しかし、その意味をはき違えると、
私の元彼女のように年配の人や地位のある人と不倫に陥ります。
そんな相手なら多くのことを学べるからです。

しかし、ここに<成長>という意味の取り違いあります。
このような恋愛は世間では数多く見られます。
そんな恋に落ちた若い女性に多く、その恋愛を後悔しないと断言するくらいです。(恋は盲目)

最も許せないのが「いずれ今の妻とは離婚して、あなたと一緒になるから」
などという輩です。こいつは絶対に許せない!

一人の女性の一生をどう思っているのか?
男親として復讐を決意してしまうほどです。

若い女性が「大人の男性はずる賢い」ことを知るのは10年以上もかかるでしょう。
これは私が聡明だと思っていた女性や知人の実話です。
そんな女性も10年後には成長するでしょうが、それでは遅いのです。
たとえ配偶者がいる人に惚れても片思いで終わらせましょう。
この別れは必ず自らを成長させます。

若い女性と恋に落ちた年輩者も、その相手を本当に大切に思うなら、
自ら身を引かなくてはなりません。(これは結構切ないはず…)
その子の人生を背負えないからです。(映画「ジョー・ブラックをよろしく」の別れ)

その時は互いにとても切ない恋で終わりますが、
このように考えられる人が幸せに遭遇できるのです。

この別れはとてもいい別れとなってその後の自分を支えてくれます。
いい別れを心がけることはいい人生につながります。(これは本当です、信じてもいいです)

M様の今の恋愛は不倫ではないと思いますが、
上記の話はとても大切な話なので覚えておいて下さい。

「相手を見極める」
これはとても難しいことです。
しかし人生はその連続だと云っても過言ではありません。
つまり、一生続くということです。


世間では数多くのサギ事件が発生しています。
最近では今も問題になっていますがホリエモンのライブドア事件、小室哲哉の事件、
振り込めサギ事件、金融詐欺事件など、いまだに後を絶たないサギ事件が発生しています。
それだけ人は騙され易いということです。
しかも、それにつけ込む輩が大勢いるという世間を学ばなくてはなりません。

恋愛におけるウソとこれらの詐欺事件とは大きな差がありますが、
基本的には私は同じだと思っています。
自分だけが可愛いくて、相手に不誠実であっても一切良心を痛めない連中です。
つまり良心を持たない連中なのです。


私はこんなふうに思っています。
引っかかる人は何度も引っかかってしまう恐れがあります。
それは自分の想いだけに捕らわれ、相手を観察していない為です。
相手ではなく自分の恋愛に恋している愚かな人です。

金や約束事や時間にルーズな人は、人に対していいかげんという傾向があります。
言葉遣いが乱暴で、清潔感のない人も私は感情的に受け付けません。
そして人の悪口をしょっちゅう口にする人も、好きにはなれません。
受け入れる度量が狭く、知識も経験も足りず、
感情的な言葉を吐く連中にも好意は持てません。


こんなこといくつ羅列しても、私が長年自分で得たものであって
M様が自分の経験の中で観察し実感せねば本当の価値はありません。


「いい恋愛をしょう!」
こういう意識だけを持って楽しく行きましょう。

過去の経験を活かすも無駄にするのも
現在の心の持ち方次第と理解して下さい。

どんな心構え?
もう私に示唆できることはありません。
M様が少しずつ構築していくしかないのです。

そして自分の良心(=教養=羅針盤)を築いていくのです。
最低で20年かかると思って下さい。(これは私の実感)

だからゆっくりと、だけど、しっかりと歩むのです。
二度とないM様だけの大切な人生だからです。

<後悔しない愛>

2009年05月19日 | Weblog
親が云う若い子供に向かって云う「世間の常識」とは、いったいどういうものなのでしょうか?
それを盾に「やめなさい!」と言って子供が納得するのでしょうか?
私の若い頃の自分を思い返すと100%不可能だと思います。
「世間の常識」を理解できないからです。

 もう30年も前の話ですが、 日記「今私は嫁いでゆく」でYouTubeに投稿した曲を歌っているCと、半同棲生活を送っていました。大学2、3年の頃です。お互いのアパートの部屋に週末ごとに泊まりに行くという状態です。男親はまだしも、女性の親にとって決して喜ばしい話ではありません。親から見れば当然「世間の常識」を逸脱しています。

 しかし、地方から出てきた一人住まいの私たち大学生にとって「世間の常識」など考えにも及びませんでした。しかも、私は彼女と結婚するつもりでした。一度彼女の実家からお姉さんが上京してきたことがあり、私は神妙に挨拶した記憶が残っています。残念ながらお姉さんの表情は曇っていたように感じました。その後、短大生だった彼女は先に大手銀行就職し、しばらくして私の大恋愛はもろくも消滅しました。

 私は純粋に結婚したいと思いつめていました。当然のように彼女に身も心も求めました。彼女も同意しながらも、私のような100%ではなかったようでした。私はそれを薄々感じながらも、いずれ100%にしてみせると思っていました。しかし、それが彼女に負担になっていったのかもしれません。愛情のバランスが不均衡だったのです。

 聡明で、自由奔放な性格、しかも詩の才能や歌がとてもうまかったCは、社会に出て歳を重ねた地位の高い人物と恋に落ちたようでした。そして、人生経験もない教養もない頼りない若造(私)と比較してしまったのです。

「あなたのように純粋な恋愛ができなくなった…」
これが忘れられない最後の言葉でした。


 若い頃の純粋さはかけがえのないものです。恋愛中にそんな純粋な相手から身体を求められて若いあなたが女性なら「NO!」と云えますか?

 昔のCがそうだったように、私のすべてを受け入れてくれました。それが若さというものであり、 純粋さというものだと思います。しかし、その若さや純粋さが、とても<危うい>ことにまったく気づいていないのです。人も半世紀も生きて親にもなれば、そんな危うい青春時代を送ってきた経験があります。つまり、若くて純粋なために、その頃は過ちとは思えない行為をしでかした経験があるのです。

あのオバマ大統領やブッシュ元大統領でさえマリファナやクスリの経験があったと聞いています。

今でも我が子に、若い頃の経験をすべて誇れる親がどれだけいるでしょうか?
初体験の相手が今でも素晴らしい人だったと誇れる人がどれだけいるでしょうか?


 親が云う世間の常識とはいったい何なのか? 親は若い頃の自分の危うさを十分承知しています。だからと云って「こんな過ちをしてきたから貴女(お前は)は気をつけて!」とは親として、なかなか云えないものです。ようやく親となり世間の常識を理解できる年代になったので、あの頃の自分の危うさを客観的に受け止めて初めて<世間の常識>を盾にするのでしょう。しかし、残念ながらそんなものは若い人達に分かるはずがないのです。

もっと親として伝えなければいけないのは、「自分を大切にする気持ち」です。
自分の過ちを素直に子供に伝えた方が、<世間の常識>の何倍も説得力があります。

「アルコールの為に好きでもない人に、いつの間にか身体を許してしまった」
「この子なら簡単にやれそうだから抱いた」
愚かな話になると、避妊をおろそかにしたために子供をおろした。
このような現実を私は何度となく聞いています。

ここには当然、純粋な恋愛が存在しません。
自分自身を大切していないために相手まで傷つけてしまうのです。
そして後々、大きな後悔は生じるのです。

 親の心配はここにあります。愛する娘や息子に後悔をさせたくないのです。これは親として純粋で当たり前の気持ちです。若い人には残念ながら知識も経験も足りません。だからこそ云いたいのです。
「もっと自分を大切にして!」と 、
そして「いい恋愛をして!」と。
「将来も後悔しない恋愛をして!」と叫びたい気持ちです。

 自分を大切にすることは過去も現在も将来に対しても同様です。好きでもない相手とSEXして、将来後悔しない人などこの世にはいないと思います。若いとき配偶者のある人と恋愛に落ちた経験を、親となって我が子に誇れる人はこの世にはいないと思います。燃え尽きてもいいとその時は思えた大恋愛不倫を、老後になって悔いはない恋愛だったと云える人はこの世にはいないと思います。もし存在するのならその恋愛中に命を絶った人だけでしょう。

人は考える葦です。どんな大失恋も明日、目を覚ます限り、人は立ち上がれます。

後悔するような愛は愛ではないのです。私はそう信じています。


映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(完全版)をじっくり見て下さい。
この映画の中で答えを見つけるのは難しいですが、とても大切なことが描かれています。トト(サルバトーレ)の愛、アルフレードの愛、大人になったエレナの愛、この三人の愛それぞれに共感できたなら、この映画はきっと生涯の宝物になるでしょう。

「グラン・トリノ」

2009年05月08日 | Weblog
「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「父親たちの星条旗」「硫黄島から手紙」「チェンジリング」と立て続けに名作を作り続けているクリント・イーストウッド監督は、今年の5月31日で79歳になります。特に最近の作品には大切なもの守ろうとする孤高の姿、戦争や体制への批判的メッセージが強く感じます。そして「無常」を必然としてしっかりと受け止め、残された時間の大切さを噛みしめているようにも感じます。だからこそ紹介した全編に哀愁が漂っているのかもしれません。

 グラン・トリノはフォードの車種で 1972年から1976年に生産された今から30年以上前のビンテージカーです。フォードといえば1968年公開の映画「ブリット」でマックイーンがサンフランシシスコの急斜面を疾走したカーアクションの元祖映画に登場したマスタングGT390を思い出します。(http://www.youtube.com/watch?v=GMc2RdFuOxI)

 映画「グラン・トリノ」では、このビンテージカーがとても大きな役割を果たします。最愛の妻を失った年老いた男ウォルト・コワルスキーの唯一の道楽がグラン・トリノでした。二人の中年の息子がいますが、頑固で口の悪い彼を妻や孫までが毛嫌いしていました。
 老犬と共に孤独に生きる人種差別主義者で偏屈老人。彼の家の隣にモン族(古くから東南アジアに居住し、現在ミャンマーとタイ国に80万人以上いる)のファミリーが越して来ます。
 その息子タオが悪友達にそそのかされ、グラン・トリノを盗もうとしますが失敗します。そのことからモン族ファミリーとの交流が深まっていきます。東南アジア人をイエローと平気で発言する偏屈老人は、始めモン族ファミリーの古き伝統や誇りに眉をひそめます。しかし、思いがけず次第に彼らの情の厚さに引き寄せられていく様子がユーモアと哀愁を織り交ぜつつ丹念に描かれていきます。

 若い神父とのやりとりにも、この映画に対するとても真摯な姿勢が覗えます。偏屈老人の挑みかかる言葉に決して立腹せず、若い神父が熱心に耳を傾ける姿にウォルトだけではなく、見ていた私も共感しました。
また、しっかりした頭のいいタオの姉との会話も印象深い。

「The girls go to college and the boys go to jail. 」 (モン族の)女の子は大学にいって、男の子は刑務所にいく。偏屈老人にトロイ弟とやじられますが、「彼はまだやることが分からないだけ」と言い返します。この辺りの脚本がとても良くて来ています。また、ごろつきに囲まれた時も、彼女の凜とした態度や言葉にも誇り高きモン族の強さを感じます。

 長い歴史が誇りや伝統を築いていきます。そこには大切なものを後世に残したいという切なる人の願いが含まれています。個人の家の生活習慣も同じように思います。毎日の挨拶や食事や人との応対にファミリーの伝統が根付いていきます。しかし、その伝統や誇りは急速なグローバル化や時代の変化に伴い、優先順位を変えてしまったように感じます。

 大家族から核家族への変化にもそのそれが表れています。このたった数十年の変化が世界を大きく変えていったように感じてなりません。合理化、グローバル化、インターネット。それらすべては根底に感情が流れています。反対に誇りや伝統は理性的なものです。ここに時代の流れに押し流されていくものがあります。

誇りとはいったい何なんでしょうか?
誇りとはいったいどのような価値があるのでしょうか?



「ロッキー・ザ・ファイナル」でロッキーが最後の試合臨むとき、
一人息子の引き留めを振り払い、亡くなったエイドリアンの為でもない、
一人息子のためでもない、 唯一自分の誇りために上がろうと決意します。

「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」では退役した盲目の軍人が、
現役時代の軍服にすべての勲章を付けて、その誇りのために自殺しようとします。

「ア・フュー・グッドメン」では百戦錬磨の大佐が、その誇りのために我を忘れ、若き弁護士の誘導尋問に、はまってしまいます。

大河ドラマの「篤姫」では「女の道は一本道。引返すは恥にございます」と
菊本は、 自分の死を持って、篤姫に役割の大切さと女の誇りを教えました。

オバマ氏は就任挨拶の中でこう云ってアメリカ国民の誇りを喚起しました。
「我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。『酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た』と未来の世界で語られるようにしよう」

<誇りとは如何なるものか?>
この答えは皆様が自分で捜す答えのようです。

映画「グラン・トリノ」は死を前にした頑固な老人の話です。
最愛の妻に先逝かれ、急速な時代の中で家族との絆を失いながらも、
大切なものを信じ、命を賭けて守ろうとする孤高の男性の物語です。
秀作です。是非見て下さい。

<新型インフルエンザの恐怖2>

2009年05月06日 | Weblog
『厚生労働省は5日、午後3時9分に米サンフランシスコから関西空港に到着した航空便に乗っていた京都市の10歳未満の女児が、インフルエンザの簡易検査でA型に陽性反応が出たと発表した。新型インフルエンザに感染している疑いがあるため、詳細な遺伝子診断「PCR」を実施して、感染の確認を進める。

 厚労省によると、航空便はユナイテッド航空885便と全日空7071便、USエアウェイズ6643便の共同運航便。女児はラスベガスやサンフランシスコに滞在。4日の時点で、発熱やせきなどの症状を示し、熱も38度あり、解熱剤を服用していた。

 同便は乗客が320人で、うち15人は座席が近いなど、女児との接触が濃いとされた。』(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090505-00000544-san-sociより)

もし、新型インフルエンザなら大変なことになります。
その女児は、本当に可哀想な感染というほかありません。

機内の他の乗客にも当然、二次、三次の感染の恐れがあります。

昨日の報道では、香港のホテルで一人感染が確認できた時点で
宿泊客300以上お客様が、ホテル内に隔離されたということでした。

今回同じ機内にいた両親をはじめ、全員の検査が必要となります。
膨大な人力と時間を要します。
明日も帰国大ラッシュが日本の大空港で始まります。

水際の対策が万全とは決して云えないだけに、
アメリカや中南米へ行かれた人は十分な自己管理、自己申告、
健康確認をしなくてはなりません。

「人は見たいものしかみない」
これはカエサルことジュリアス・シーザーの言葉ですが、
海に浮かぶ一角に注目し、氷山の下に沈む巨大な氷塊と広大な海を見ようとしないものです。
見たくないのです。信じたくないのです。

自分が風邪気味かなと思っても「きっと大丈夫だ」と思いがちになるものです。
そう思いたいのです。
この些細な判断が巨大な氷塊になっていくことが
<パンデミック>を引き起こす原因の一つです。

今ならワクチンの量や病院の手配は万全なのです。
しかし、感染者が未曾有の数に膨れ上がったとき、パニックと化します。
このことだけは良識ある人間は理解しておかねばなりません。

水際で必死に頑張っている厚生省の職員、医療関係の方、空港や港など
多くの方々が不眠不休で努力されているはずです。

<新型インフルエンザの恐怖>

2009年05月04日 | Weblog
<新型豚インフルエンザ>
『豚に感染して呼吸器症状を起こすインフルエンザ。通常は人に感染せず、まれに感染しても軽症ですむと考えられていたが、豚のH1型ウイルスが人や鳥のウイルスと豚の体内で混ざって変異し、新型インフルエンザの条件のひとつである「人から人にも感染するウイルス」になったとみられている。

 焼いたり煮たりすればウイルスは死滅するため、きちんと加熱調理してあれば、豚肉やハムなどを食べても感染することはない。感染を防ぐ方法としては、まず流行地域には出かけないこと。人込みを避け、マスクをつける、外出から帰ったら手を洗いうがいをするなど、ふつうのインフルエンザと同様だ。』
(http://www.asahi.com/topics/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B6.php より)

 今日の夕刊に、韓国で新型インフルエンザに感染した「推定患者」が最終的に感染が確認されたと発表されました。 

 現在メキシコから発生した新型インフルエンザが「フェーズ5」という、かつて類をみない状況で大量発生が広がりつつあります。アメリカのサブプライムローンの破綻から端を発した世界的不況が全世界を覆ってきている今、WHOはフェーズ6(パンデミック)宣言にとても神経質になっています。しかし、日を追うごとに感染者の数、感染した国の数が増加しており、アメリカや日本、そして多くの国が、未曾有の金をつぎ込んで経済を活性化させようと努力している今、アウトブレイク(予想以上に感染が広がるoutbreak、感染爆発)を越え、複数の大陸に感染する<パンデミック>が始まりだしたことは否定できません。

 まだ日本での感染例がないものの、水際での防御を100%するのは決して容易ではないだけに感染事例の報道が恐ろししくて仕方がありません。日本はかつてある教団による地下鉄サリン事件という前代未聞のテロがありました。そして、猛威を振るった鶏インフルエンザなど、それらの苦い経験を経て、感染症に対する防御体制は全世界の中でも高レベルのはずです。今回こそ、水際での防御体制を徹底して、国内での感染を防いで欲しいと願っています。しかし、世界各国で日本レベルの防御体制が数多くあるとは思えません。すでに数千万人が大移動するゴールデンウィークが始まっており、5、6日の一日何万人もの海外旅行者の帰国が最大の焦点になるはずです。また飛行機旅行は長時間による機密度の高い箱での移動を余儀なくされます。感染にこれほど適した場所はないと云えます。映画館、劇場、カラオケも同じです。多くの人が集まる場所は注意が必要です。

 朝刊で新型インフルエンザの本体がアメリカから送られてきたニュースを聞きました。これからは昨夜のような厚生省と横浜市の醜い泥仕合はなくなるはずです。発熱者の感染チェックがスムーズになるからです。大切なのはこれからです。如何にして水際での感染チェックを徹底し、二次感染を防ぐかにあります。院内感染という恐ろしい言葉もあります。どうあっても二次感染だけは国の威信にかけて防がねばなりません。

 今後も厚生省の職員の方はきっと大変きつい仕事になるはずです。一般国民からの無数の問い合わせ、また全都道府県で感染者がでた場合、感染者を隔離する病院の確保、医師看護師の確保、ワクチンの確保です。堅固な防御体制とはいえ、相手は目に見えないウィルスです。検査によって感染者は確認できるでしょうが、「感染などしていない、単なる風邪だ」と自己判断する保菌者の存在も心配です。

 メキシコからの旅行者がキーワードですが、感染予備軍をどのようにチェックするのか、飛行機や大型船での旅行などウィルスが潜む場所の数は決して少なくないのです。この時期、一度でもメキシコに立ち寄った旅客機や船への検疫、消毒はもちろんのこと、メキシコをキーワードにすべての人間、動物の検疫にも目も向けなくてはなりません。高レベルで堅固な防御体制とは云われていても、穴の数は計り知れません。

「フェーズ5」という聞き慣れない言葉を安易に考えるべきではないと思います。特に海外旅行から帰ってこられた方々は、空港での検査、そして真摯な自己健康管理を必要とします。問題ないと思っている方もウガイや手洗いには今まで以上に気を配って欲しいと思います。




(参照映画)
「アンドロメダ」  (監督:ロバート・ワイズ)
「アウトブレイク」(監督:ウォルフガング・ペーターゼン)
「12モンキーズ」(監督: テリー・ギリアム)
「28日後」    (監督:ダニー・ボイル)
「感染列島」   (監督: 瀬々敬久)

 この5本の映画にはウィルスと人との戦いが描かれています。どの映画もとても恐ろしい内容です。そこにはウィルスだけではなく、人々の欲望が混ざり合うからです。ウィルス突然変異も描かれています。つまり従来のワクチンでは救えない恐怖です。そして、新ワクチンの製造がパンデミックに間に合わない恐怖です。もし万が一世界が滅ぶことがあるなら、核爆弾ではなく、細菌兵器の汚染や新型ウィルスだと私は思っています。

「今私は嫁いでゆく」<おいどん+チー&ホク>

2009年05月01日 | Weblog
 1976年、私は大学4年生でした。春休みに帰省すると、4歳上の兄の25回目の見合いの前日でした。兄は気持ちは優しい性格ですが、少し怠け者のところがあります。そんな兄が40年続けた父の商売を変更し、喫茶店を始めてまだ間もない頃でした。学生だった私は父の商売をそのまま兄が継ぐと思っていたのですが、喫茶店を開店すると聞いて本当に驚きました。

 母から20回以上も見合いをやっている話を聞き、「大丈夫だろうか?」私は心配でなりませんでした。私は小賢しく兄に向かって知恵(?)を付けようとしていましたが、隣の部屋で私の話を聞いていた父がこんなことをしゃべり出しました。

「ユージ、心配せんでええ。なるようになるから。
 男と女はハタがどんなにやきもきしても、ならんときはならんし、
 なるときはなるもんだ」


 私には、その言葉の意味がどうにも理解できませんでした。せめて弟として何かしてあげたいと思い、兄の髪の毛のセットをしました。ドラヤーとブラシを持って、「頑張ってこいよ!」と妙な励ましをしました。しかし、牛年の兄はのんびりしているように見えましたが、どこか自信なさげにも見えました。

(兄嫁? 喫茶店の美人ママになって欲しいなあ!)
私は考えただけでうれしくなりました。

見合いから帰ってきた兄の表情はとても明るく、おまけに得意げにも見えました。
「どうだった?」
「今度は大丈夫、間違いない!」
「ほんまかいな」

私は半信半疑でした。

翌日には紹介者から電話連絡が入りました。
母は満面の笑みを浮かべながら私に向かってこう云いました。[m:50]
「Kさん(兄嫁)も気に入ったそうや。お兄ちゃんのこと可愛いいって!」

(可愛いい? 誰かとまちごうてんのんちゃうか? 
 兄を気に入った? 信じられない! ほんとやったら奇跡や!)

 私は東京に戻りましたが、この結婚話はスイスイ進んで、奇跡的な話がどんどん現実的になり、4ヶ月後には本当に結婚式を迎えることになったのです。お姉さんは奈良の人で大阪の商店街の賑やかさがとても気に入ったらしく、しかも喫茶店のママになることもとても喜んだそうです。
「ポコポコとサイフォンで点(た)てるコーヒーの音が優雅でええなあ」(後日談)と思ってくれたそうです。

 私はこの話し聞いて父の「なるときはなる話」をすぐに思い出しました。そしてお姉さんができるきとがうれしくてうれしくてたまりませんでした。しかも写真のお姉さんは本当にとても美人だったのです。これこそ奇跡でした。

 お姉さんと初めて対面したときの印象を良く覚えています。本当に写真以上に美しい人でした。そしてその笑顔はまるで天使のように思えました。本当に兄貴の嫁さん? これはやっぱり奇跡と云うほかありませんでした。お姉さんのおかげで喫茶店は大繁盛し二人の子に恵まれ、今も二人はおしどり夫婦です。

 私とお姉さんもとても仲良く、兄に連絡する必要があっても必ずお姉さんに連絡を取り、
今でもしょっちゅう私たち夫婦の様子や旅行先から写メールを送ったりしています。私の妻ともとても仲が良く、妻の言葉のはしはしからお姉さんを尊敬していることが覗えます。

「お姉さん、我がファミリーに嫁いできてくれて、本当にありがとうございます!
 母を最後まで面倒みていただき、心から感謝しています。
 そして、残り少なくなった父をこれから宜しくお願いいたします」



兄の結婚披露宴でお姉さんに捧げる歌を作ってギター一本で歌いました。
結婚式に自作の歌を歌いたいと両親に伝えるととても驚きましたが、
詩を見せると父がとても気に入り、その詩をコピーして披露宴に来られた400名全員の方々に配ったのには驚かされました。

(録音はヤッチャンが居候していたお兄さん宅で。仲間だったシモちゃんという女性の結婚式で歌うために、彼女の親友2名とおいどん2名とのセッション。その練習を一発録りしたもの)


YouTubeで見る



「今私は嫁いでゆく」
                      作詞・作曲:ユージ
                   リードボーカル:チーチャン
                   サイドボーカル:ホク&ヤッチャン&ユージ
                        ギター:ユージ



幼い頃から 多くの人と 
出会い 別れました     (結婚式では「別れ」を「歩んできました」に変更)
でも今そっと 思い出してみると
みんな いい人なんです

二人で初めてお化粧した
あの子も 小学校の先生
今私は 嫁いでく
母さんの温もりから
今私は 嫁いでく
父さんに見守られて


二十歳を過ぎて 多くのことを
知り 学びました
両親の目に 計り知れないほどの
愛を見たのも あの頃
そんな母さんの 黒髪に
白いものが 増え始めた

今私は 嫁いでく
母さんの温もりから
今私は 嫁いでく
父さんに見守られて

今私は嫁いでゆく
幸せを育てるために
今私は嫁いでゆく
あなたの腕の中に