GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「タイガー、パーマーに並ぶ!」

2008年01月29日 | Weblog
現地時間1/27、米ツアー第4戦で、タイガーにとって今季初戦のビュイック招待(カリフォルニア州サンディエゴ、トリーパインズGCサウスC)は最終ラウンドの競技を終了。2位に8打差をつけて出たタイガーは、1番でいきなり12メートルのバーディパットをぶち込んで好スタートを切った。

 6番でバーディを奪ったものの、7番でボギー。9番パー5では第3打をグリーンオーバーしピンチに見舞われた。だが、キッチリ寄せてパーセーブ。流れを取り戻すと、11番では直角に曲がるフックラインを読み切ってバーディ、13番でもスコアを伸ばし、タイガーは通算21アンダーと快調に突っ走った。

 14番からの3連続ボギーでスコアこそ落としたが、それでも通算19アンダーでホールアウト。2位の今田竜二と8打差の圧勝で、ツアー62勝目を飾った。この勝星はサム・スニード(米)の82勝、ジャック・ニクラウス(米)の73勝、ベン・ホーガン(米)の64勝に続く史上4位タイで、御大アーノルド・パーマー(米)に並ぶ大記録。同時に、同一大会4連覇は2度目(1度目はアーノルド・パーマー招待)となり、こちらは史上初の快挙となった。(スポマガゴルフ編集部よりの転記)

 今年もタイガー・ウッズは好調のようだ。2位なった今田竜二のことを少しだけ紹介しておきましょう。1976年生まれでタイガーより1歳若い。14歳の時、単身で日本を離れ、アメリカ・フロリダ州タンパに引っ越した。15歳でアメリカのジュニア・トーナメントに初優勝を記録し、「ロレックス・ジュニア年間最優秀選手賞」を受賞。全米アマチュアランキングでタイガー・ウッズに次ぐ2位になったこともある。こんな彼の経歴で一番の注目したのは、14歳で単身アメリカに渡った度胸の良さだ。中学卒業後、どんなにゴルフが好きな少年でも単身渡米するのはなかなかできるものではない。昨夜もインタビューに笑顔で答えていたが、流ちょうな英会話もさることながら、清々しい笑顔に心洗われる思いがした。(本当にいい気性なんだなと思わせる笑顔)旧知の仲のタイガーに次ぐ2位(最終日はタイガーイーブン、今田は9バーディ、4ボギーの5アンダーで最終日だけではトップの成績)で「私は風の強い方が好きです。みんなが悪くなるから」と平然と言ってのけた。ゴルフプレーでは、風の強い日ほど嫌な物はないと云われている中、やはりただ者ではない。強引な攻めで優勝を逃した試合も2,3回見ています。なんだか優男(?)に見えても単身アメリカに渡った強心臓は健在なようです。

 では、ゴルフを知らない方もいらっしゃるようなので私なりに簡単に説明してみましょう。

 プロの試合でお話しますが、ゴルフの試合は、簡単にいうと18ホールを4日間トータルでより少ない打数で終えた人が優勝するゲームです。1ホールの基本は4打です。これが18ホールで合計72打(パー72と表現します)でも、4打(パー4)だけではつまらないので、ロングホール(5打で上がるホール、パー5と云う)、ショートホール(3打で上がるホール)、パー3と云う)を各9ホール2つずつが大体のコースでセッティングされています。合計は72、つまりパー72のコースとなります。

 タイガーは27日。初戦優勝を決めましたが、4日間で19アンダー、つまり72打×4日間=288打のコースを-19、269打で回ったのです。2位の今田は11アンダーですから277打で終わったことになります。タイガーが圧倒的勝利を獲得したと云えます。

 さて、タイガー・ウッズの強みはパターにあると常々思っています。3歳の頃から米国特殊部隊出身の父からゴルフ指導を受けましたが、「ゴルフプレーの中でスリーパットが一番悪いミス」と教わりました。私はこの言葉に「ゴルフプレーの神髄」があるように思えてならないのです。
 
 何故そう思うのか、ゴルフプレーは出来る限りミスを無くしてアンダーパーを目指す競技ですが、「ボールはカップ届かないと入らない」と良く云われます。しかし、強気に打てばカップを行きすぎ、入れようとして外したために落胆した感情で打つ返しのパット難しくなります。同じ距離のパットでは2打目方が外す回数が多いことを知っています。プロは違います。外し方を冷静に見て、逆からのパットの方向・強さを真剣に脳裏に残すので、3パットは少ないですが、それでも落胆する気持ちをコントロールできないと外すプロも少なからずいます。そんな選手はその後、ドンドンスコアーを落としていきます。

 野球に置き換えると「バントミス」「エラー」は3パットに当たります。野球の女神が見放すのです。ゴルフでは3パットは心の緊張に針を刺してしまい、勝機という空気が抜けていくような現象を呼んでしまうのです。ボギー以上に3パットはこたえます。100を一度も割ったことがない人にはこの落胆はあまり見られませんが、80を切りたいと持っている人にはかなりこたえるミスになります。

ここに「ゴルフの神髄」、
つまり、「強気を忘れずに、しかも己の感情をコントロールせよ」があるのです。これは今まで読んできた本からの引用ではなく私自身への戒めの言葉でもあります。しかし、分かっていてもできないのがゴルフであり、人生でもあります。頭の中にいくら偉人たちの言葉、名君たちの言葉、映画の名セリフが溢れていても実践できることとは大きく違っているのです。

 タイガーの父は幼い息子にゴルフの神髄を初めは決して伝えなかったはずです。ただ「3パットが一番悪い」だけ教えたのでしょう。何度も3パットをして父に叱られ、泣き出すこともあっても決してパターを投げ捨てなったのでしょう。様々なグリーンで何時間でも練習できる集中力を身に付け、何故3パットしたかを幼い子ながらに分析し修整してきたに違いありません。

 パターには特にその人が持っている人間力が試されます。
「グリーンの傾き、芝の向き、上り、下り、朝方(露がボールを遅くする)昼過ぎ(グルーン乾き早くなる)グリーン全体の形状とカップ位置、グリーン荒れ具合、風(強いと影響される)などあらゆる状況を冷静に把握し、そして分析して勇気を持って狙い所、方向、強さを決断しその決定を自分の体(手や指先)に伝えます」しかし、「なんであんなに強く打つの?」「どうしてそんなに弱いの?」「どこに打ってるの?」ことはこの直後にたびたび起こります。思っても出来ないのです。この辺がアマチュアたる所以でもありますが……。

 父は3パットの要因を幼いタイガーに考えろときっと云わなかったのではないだろうか?失敗の要因を幼い子に探させるよりは巧く出来たパットを誉め、グリーンをチェックするのも楽しみながら体で覚えさしていったのではないだろうか。幼い子供は好きなことには信じられない集中力を発揮します。
 タイガーがトーナメントで見せるグリーン上での状況把握のルーティーンにはいつも澱みが無く、しかも鋭い視線の先にはボール通る道筋以外にはない。観客のしゃべり声もグリーン外の騒音も全く聞こえない無の境地を入り込み、ファーストパットへ全神経を集中させています。(私などは、どうせこんなの入る分けはないからとにかく近づけようと打ってしまう自分よく感じます)そんなパットでは近づくパットも離れてしまいます。

 昨年の暮れ、ようやくこの境地に達しました。30歳後半の頃は80台を連発していて殆ど90を越えなかった私ですが、距離を出すことに挑戦し始めてすべてを失った感がありました。10年を無駄にしたとは云いませんが、結果的にはそうなります。しかしその道を歩んだからこそ今の自分がいるのだと思い返し、2008年度には是非とも40を切ろうと目標を立てました。映画もスポーツ観戦も大好きですが、実際のゴルフプレーには及びません。タイガーの父の言葉を常に忘れず、新たなスタンスでゴルフに望みたいと思っています。

「オバマ、サウスカロライナ州で大勝!」

2008年01月29日 | Weblog
[コロンビア(米サウスカロライナ州) 26日 ロイター] 

 26日にサウスカロライナ州で行われた米大統領選の指名獲得に向けた民主党予備選で、オバマ候補が圧倒的な黒人の支持を得て、クリントン候補およびエドワーズ候補に大勝した。
 2位の座をめぐっては、クリントン候補とエドワーズ候補が接戦を演じている。
 出口調査によると、オバマ候補は同州の投票総数の約半分を占めるとみられる黒人票の5分の4を獲得。白人票も大方の予想を上回る4分の1を獲得した。
 オバマ候補はニューハンプシャー州とネバダ州でクリントン候補に連敗しており、2月5日の「スーパーチューズデー」に向け、サウスカロライナ州で勝利することが絶対的な条件となっていた。


 【ワシントン23日時事】

 米ゾグビー社とロイター通信などの合同世論調査によると、26日に米大統領選の民主党予備選が行われる南部サウスカロライナ州で、オバマ上院議員の支持率は43%に上り、ヒラリー・クリントン上院議員(25%)に18ポイントの大差を付けてリードしていることが分かった。また、オバマ氏は同州の党支持者の約半数に上る黒人の6割を超える支持を集めた。
 調査は、クリントン氏が勝利したネバダ州党員集会後の20-22日、サウスカロライナ州の同党支持者約810人を対象に実施された。同州出身のエドワーズ元上院議員の支持率は15%にとどまった。
 黒人の支持率は、オバマ氏が65%で、クリントン氏の16%を大きく上回った。これまでの予備選ではクリントン氏が女性の高い支持を集めていたが、今回調査では、オバマ氏が37%と、クリントン氏(29%)を上回った。


 スーパーチューズディーを前にしてサウスカロライナ州での<黒人票の5分の4を獲得。白人票も大方の予想を上回る4分の1>は、次期大統領に向けて大きくリードしたことは確かだ。以前も日記に書いたが、彼を見ているとジョン・F・ケネディをどうしても思い浮かべてしまう。

 しかし、アイルランドから移民し成功したケネディ家とは違い、苦労してハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として史上初の「Harvard Law Review」の編集長を務めた。卒業後シカゴに戻り、有権者登録活動に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され2004年まで務めた。この経験と実績は類をみない。<輝く希望の星>を十分期待させられるものが備わっている。
クリントン女史には経験と実績、そして冷静で明晰な頭脳を感じさせる。

今回もテニスと同様に二人のオリジナル分析をやってみよう。

               オバマ    クリントン   
 1)明晰な頭脳        85      90
 2)経験と実績        70      90      
 3)国民の期待度      95      85
 4)党内の掌握度      80      90
 5)有色人種の期待度   90      75
 6)選挙での集金度    80      95
 7)政界でのクリーン度   90      80
 8)危機管理能力      75      90
 9)外交能力         75      90
10)大統領能力        80      90

        合計    820        875

私の独断的分析によるとこのような結果になります。 

 今日の全豪OP決勝のように次世代同士の一騎打ちではなく、党内改革を必要と考えるか、旧体制での押し切るか、そして民主党が政権を執るにはどちらの候補が一般投票で勝利するかという、複雑な要素が絡まっています。よって上記の点数では分析できない今後の世論の動きが大きな影響力を持ちます。黒人が過半数以上のサウスでオバマ:クリントン=43:25という選挙結果がどうスーパーチューズディーに影響するか、そして最後、最大数を持つカルフォルニアでどうなるか、映画や野球やテニスならなんとか分析できても全く自信がありません。

 米国世論は<改革>を望んでいるのは確かなようです。よって2期続いた共和党から民主党への移行は避けがたいようです。ここでクリントンでの<安全パイ的改革>を望むか、それとも今までにない<飛躍的な改革>をオバマに望むかが焦点ではないだろうか。

 <保守本流の米国民気質が、本気で大きな改革を望むか?>
 
 保守本流とは、東海岸や西海岸に住む人たちの事ではない。米国のキリスト教プロテスタントは一般に「主流派(メインライン)」と「福音派(エバンジェリカル)」があり、2004年の大統領選で大きな影響を与えたのが福音派である。大統領選の出口調査で回答者の22%を占めた「福音派」の78%がブッシュに投票した。福音派は共和党の大票田だ。この宗教に属する人たちこそアメリカの本流と呼ばれている。

福音派の特徴
・聖書に書かれている言葉を文字通り解釈し、間違いが含まれていないと信じる。
・福音を積極的に伝道していくべきだと考える。

彼らの多くはいまだ聖書と反する「進化論は信じない」(過半数以上)
「中絶は認めない」
「大儀のない戦争は誤りだ」(ベトナムもイラク戦争も誤り)
「黒人問題は米国が犯した深刻な誤り」

(参考文献:http://miyajee.free100.tv/route66woiku.html
 
 東海岸中心のリベラルな米メディアしかみていないと決して見えてきませんが、上記の人たちが(不承不承ながらも)今のブッシュを支えていることを認識しておいて欲しい。

 これらの変数を先ほどの二人の合計に掛け、サウスでの状況変数をも掛ければ今後の見通しが予想がつくのだろう。きっとMIT出身の天才達が、経済の見通しやダウの予想推移を計算するように、こんな計算を間違いなく実施しているはずです。

 全豪OPテニスの男子決勝と米国民主党の大統領候補選びは非常に興味深いものがあります。まったくジャンルも複雑さも内容も影響度も違いますが、私の興味度という観点からは90点の同格です。

 テニスは予想は昨日記しました。スーパーチューズディー前の予測は素人には非常に困難ですが、敢えて民主党大統領候補者の予測をしてみましょう。

クリントン:オバマ=6:4 クリントン辛勝

【第11日】 全豪、ツォンガ鮮烈デビュー!

2008年01月25日 | Weblog
http://www.sponichi.co.jp/sports/special/tennis/2008_australianopen/kijilist.htmlより
<ナダル脱帽>ナダルはツォンガの出来にお手上げの様子だった。「彼が信じられないプレーをしたし、チャンスがなかった。あのレベルでプレーされたら止めるのは難しい」と完敗を受け入れた。

 両サイドに振り回しても好ショットで切り返され、サーブを破る流れをつくりかけると、強烈なサーブに断ち切られた。

 ハードコートで開催される4大大会の全豪、全米を通じて初めて準決勝に進出。好調な歩みだったが思わぬ相手に行方を阻まれた。「きょうのように戦ったら、フェデラー相手でもチャンスがある」とツォンガの優勝の可能性まで口にした。

 <ツォンガ“まるでアリ”>世界38位の伏兵ツォンガが2位のナダルに圧勝した。ランク上では番狂わせだが、相手にサーブを一度も破らせないストレート勝ちは堂々とした勝利。「サーブもボレーもすべてがパーフェクトだった」。4大大会わずか5度目の挑戦で、ノーシードから決勝に駒を進めた。

 17本目のサービスエースで試合を決めた22歳は、戸惑いがちにナダルの握手に応じる。喜びを爆発させたのはその直後。「信じられないし、夢のようだ」と興奮は冷めなかった。

●ジョーウィルフリード・ツォンガ(フランス) 

 2003年の全米ジュニア王者だが、故障が重なり、ひのき舞台になかなか立てないでいた。コンゴ人の父を持つツォンガのニックネームは「ムハマド・アリ」。容姿だけでなく時速200キロを超えるサーブと、相手コートへ打ち抜くフォアハンドが「チョウのように舞い、ハチのように刺す」といわれた名ボクサーを連想させるのだろう。「決勝でも全力を尽くすだけ」とツォンガ。本命フェデラー(スイス)との決勝になれば、楽しみが膨らむ。 (共同)

昨夜、私はWOWOWの全豪オープンテニスに釘付けになった。

吸った息が吐けない、驚愕! 
こんな選手がいたなんて信じられない!
凄い! 凄い! 凄すぎる!

本当に心から驚きました。

私がテニスに夢中になったきっかけは、
1985年のボリス・ベッカーの登場からだった。

 オープンスタンスから放たれる強烈なサーブは「ブンブン・サーブ」という愛称で呼ばれた。“ビッグ・サーバー”(サーブを主な武器として攻撃するタイプの選手のこと)の元祖はベッカーだと言われている。

1984年にプロ入り。1985年のウィンブルドン選手権にて、大会史上最年少の「17歳7ヶ月」で初優勝を飾る。

この試合でグリーンの芝生をかけずり回り、
転げ回っても立ち上がり
擦り傷だらけになっても弾丸サーブを打ち込み、
強烈なファアーの強打放つ、
金髪・アーリアの巨人の出現に度肝を抜かれた。

あの驚愕度を5とすると
ツォンガの驚愕度は10点満点だ。

何が凄いか?
王者フェデラーと比較しながら述べよう。

サーブの早さ:フェデラー100としてより110
その正確度:フェデラーを100にすると90
フォアーの強打:フェデラー100にすると110
バックの強打:フェデラー100にすると110
ネット及び多彩な動き:フェデラー100とすると90
ボールを捉えるまでのスピード:フェデラー100としてより105
気迫:フェデラー100とすると110
変わらない表情:フェデラー100とすると100
試合に望む冷静さと計画度:フェデラー100としてより90
グランドスラム経験度:フェデラー100としてより10

これを足し算すると、フェデラー:ツォンガ=1000:925

グランドスラム経験度を除けばツォンガがフェデラーを越える?

しかし、王者に挑戦する若者に経験などあるはずがない。
大会前はフェデラーの挑戦権はナダルorジョコビッチと思っていたが
ナダルを最初から圧倒し、6―2、6―3、6―2で勝利したツォンガ。こんなスコアーをいったい誰が想像しただろうか?

 王者アーノルドパーマーに初めて牙をむいたゴールデンベアーこと、ジャック・ニクラウス、1962年にプロ入りする。同年の全米オープンがメジャー大会通算「18勝」の出発点であると同時に、彼のプロ初優勝でもあった。1966年の全英オープンで男子ゴルフ史上4人目の「キャリア・グランドスラム」を達成。前年の1965年に達成したゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)に続く快挙であったが、その後2000年の全英オープンでタイガー・ウッズが達成するまで、34年間4冠達成者は現れなかった。

タイガー・ウッズ
 1996年8月27日のプロ転向からわずか10か月余りで、マスターズを含む7大会に優勝を挙げ、21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝いた。2000年全米オープンから2001年マスターズまで、メジャー大会4連覇を達成。ゴルフにおける数々の史上最年少記録を更新してきた選手になる。

タイガーの鮮烈デビューは今も脳裏にはっきりと覚えている。

王者アーノルドパーマーに驚異的なドライバーの飛距離で挑戦し、しかも高くて止まる正確なアイアンショット他のすべてのゴルファーを圧倒したニクラウス。
その年老いたスーパースターに印籠を渡したタイガーの圧倒的飛距離と正確性、ねばり強い強靱な精神力は類を見ない。しかも何よりも凄いのはパターだった。
軍人だった父から幼い頃より英才教育を受け、「スリーパットがゴルフでは一番悪いミスだ」とから教えられた。パットこそ強靱な精神力が必要だと父は息子に伝えたのだ。「パター イズ マネー」と云われる所以である。

ニクラウスとタイガーの鮮烈デビューを彷彿させる、
モナメド・アリによく似たツォンガ選手。
こうなればフェデラーはジョコビッチに勝利して欲しい。
そして、王者フェデラーと挑戦者ツォンガの対決を見たい。
女子はエナンを鍛えたサーブで圧倒したシャラポアで決まりだが、
男子はまだ分からない。

王者を前にしてツォンガがナダル戦のような動き、瞬発力、機敏な反応、
他を寄せ付けないパワーショットを展開できるか?
フェデラーは鍛えたサーブをビシビシコーナー隅にミラクルショットを連発するかがキーとなりそうだ。

ワクワクの最終日を楽しみに待ちたい!

「イチロー、野茂投手から学べ!」

2008年01月23日 | Weblog
イチローがニ軍時代、監督や打撃コーチから何を云われても決して振り子打法を変えませんでした。自分で考えて進化させていきた振り子打法。あの当時の土井監督(元読売巨人軍)は俺のいうことを聞かない限り一軍には上げないと豪語していました。もし、その言葉でイチローが振り子打法を止めていたら、今のイチローは存在しないかもしれません。その後就任した亡き仰木監督が彼の非凡さに気づかなかったら、これまた大リーガーイチローも誕生しなかったでしょう。土井監督やその時のコーチから何を云われようと頑固に自分のスタンスを変えなかったのは、リーディングヒッター(首位打者)という結果をニ軍で出したイチローの実績あったからです。

 尊敬する野茂投手も全く同じです。あのトルネード投法を決して変えませんでした。堺の新日鐵時代の実績と自信が、プロ球団の近鉄に入団しても変わることを拒んだのです。そして初めて二人の後ろ姿、つまり実績に気づいた今は亡き仰木監督との出会い。仰木監督は不世出な二人を世に出すために監督になったような気がしてならないのです。この事に感動せずにはいられません。野茂投手は今も遠い異国の地で大リーガーへの復帰を目指して必死で頑張っています。こんな凄い選手はもう私の生涯では見られないような気がします。

 間違えないで欲しいのは、若いときの想いを貫き通せと云っているわけではありません。世間で給料を貰うということはプロの世界で生きるということです。つまり結果が先だということです。イチローや野茂は、ヒットも打てない、勝利投手にもなれない、にも関わらず打法や投球フォームを変えなかったのではありません。誰もやらなかった振り子打法を苦心して編み出し、投手によってタイミングを取り易くし、ニ軍でリーディングヒッターを取った実績があるのです。
 
 野茂は幼い頃、漫画で見て体で覚え10年もかけて身に付けたトルネード投法は、打者から見ると体のねじれでボールの手離れが見えにくく、従ってタイミングも取りにくく、ゆっくりしたフォームから繰り出される剛速球と信じられない角度で落ちるフォークの前に大リーガー達はキリキリ舞したのです。入団した年、オールスターに先発で出場。13勝6敗、236奪三振の成績で新人王、奪三振王のタイトルを獲得する。日米両国で新人王を受賞したのは現在野茂ただ1人。(最多奪三振2回 :1995年 (236)、2001年 (220) MLB通算109勝、日本米通算201勝)
「一億ドルの男」と騒がれた松坂大輔が、この記録を抜くのは不可能だろうと思います。しかし、この記録に挑戦して欲しいと思っています。

 数々の記録を塗り替える素晴らしい実績があって初めて頑固さに意味があるのです。結果の伴わない頑固さは馬鹿と云っても過言ではありません。楽天の野村監督が以前「選手を成長させるには、自信をつけさせればいい。後は軌道修正だけを注意すればいい」と云ってましたが、その意味が今ではよく分かります。


     若者たちよ
     能書きをたれる前に 今の場所で結果を出せ
     能書きは胸に秘め 結果を出し続けろ
     その秘めたるものを素晴らしい構築物にするために
 
     たとえ失敗しようが結果を出し 真摯に省みて
     それ以上の実績を上げようと努めよ
     その繰り返しが多くの結果を残し
       実績が人を成長させる
     そこで初めて周囲が認めるのだ  
 
     そうしていつの間にか 何ものにも代え難い鋼鉄の甲冑
     <自信という名の甲冑>を身に付けるのだ
 
     その甲冑はどんな戦場でもそなたを守ってくれるだろう
     ガタガタ言うのはそれからだ
     その甲冑を身につけたとき周囲の人は初めて耳を貸すだろう
 
     人は職位で動くのではない
     命令で動くものでもない 
     そんな輩はいつでも どこでもそなたを裏切るだろう
     そう思っていた方が無難だ
 
     金を媒体としない仲間 
     共に汗を流し合った仲間
     同じ修羅場をくぐり抜けた仲間
     自分を信頼してくれる仲間
     信頼できる仲間を作れ
 
     そして後輩には結果を出すよう望め 
     喜んで結果を出せるような環境を作れ
   いつの間にかそなたが甲冑に身を包んでいたような状況を作れ
     後輩に<自信という名の甲冑>を授けなさい
     その後輩は決してそなたを裏切らないだろう
     きっとそのなたを何度も救ってくれるだろう
    <自信という名の甲冑>だけがそなたを守ってくれることを学べ

『離れていくなら 近づかないで』

2008年01月21日 | Weblog
 ある人の日記にこんな言葉がありました。この気持ちが良く分かります。しかし、ウォークマンが大ヒットした頃から、自分勝手の個人主義の時代に突入した現代、アナログ派とデジタル派に心は分かれていったようです。よりクリーンで鮮明になったマシーンのデジタル化は大歓迎ですが、時間の経過はアナログ的に積み重なっていきます。

 想いが届かない、振られた、裏切られた、そんな経験が人を育てるのですが、決して人生の階段は一度期に上がれないのです。何度も同じ失敗してようやく気づく人の方が多いようです。若いときから悟りを開ける人がいないように、誰もが時間をかけて人との接し方を学んでいくようです。ただ多くの失敗や挫折を知った人の方が弱い心を理解できるような気がします。

 若いときの恋愛が大切だと以前もブログに書きましたが、挫折した想いは自分の心を豊かにするようです。しかし、その挫折が大きすぎると人は自分の心を守るために復讐心を持ったり、臆病になったりします。そんなスタンスでは掴める愛も、育める愛も失います。

『嫌いなものが増えるたびに、受け取れるはずの幸せの量が減るのかも知れない』

 幼い頃両親が離婚し、母とともに九州に渡る。鹿児島県立伊集院高等学校中退。長崎で炭鉱夫として働き、労組の責任者となるが闘争に敗れて退職。ほか養鶏業、自動車教習所教員など、さまざまな職を転々とし、三年間の結核療養ののち作家になった勝目梓氏の小説「風の装い」という小説に書かれていた言葉です。とても含蓄があり忘れられない言葉です。

 

 輝くような青春の時、共感し合った仲間は今も健在です。
今もこうした仲間、損得抜きの仲間を大切にし、
その輪を広げていくことこそ、肝要だと思います。


続・全豪オープン、6日目!

2008年01月20日 | Weblog
ロジャー・フェデラー対ヤンコ・ティプサルビッチ

長いことテニスを見ているが、こんな試合はなかなか見られない。
王者と戦う新鋭がここまでキングを苦しめるか? そんな試合だった。

「この日は好調セルビア勢の一角、23歳のヤンコ・ティプサレビッチに第1セットを先取される苦しい立ち上がりで、その後もミスショットを連発して、サービスエースでピンチを切り抜ける苦しい展開となります。
2セットオールで迎えたファイナルセットでも互いに一歩も譲らない接戦となりますが、均衡を破ったのは王者フェデラーで、第17ゲームをブレークしてリードをつくり、次のゲームをキープして、4時間27分に及んだ激闘を制しました」(http://auopen.blog.tennis365.net/)

7 6 5 6 10
6 7 7 1  8

このスコアが王者フェデラーの試合?

勝負の分かれ目は第5セット、8-8互いにチャンスがありながら、
サービスキープで迎えた第17ゲームに訪れた。

ティプサレビッチのサービス、40ー0で断然有利に進めていた。
しかし、王者フェデラーは決して諦めることなく食い下がり、
なんと40ー40とし2回目のアドバンテージでブレイクしたのだ。

ネットにかけるミスショットをした瞬間、
全く表情を変えない昔のアニメのエイトマンを彷彿させるティプサレビッチが
初めて悔しそうな表情を見せ、天を仰いだ。

40ー0からのブレイク、
今までの展開から想像も出来ない結末を
「受け入れられない」そんな表情に見えた。

次をブレイクすればいいのだから、まだ負けた訳ではないのだ。
しかし、そうは思えないのがグランドスラムなのだ。


試合後のコメントで苦しかったフェデラーはこう振り返っている。

「彼は素晴らしいテニスをした。ぎりぎりで切り抜けられて幸せだよ」と、
落ち着き払ったいつもの姿で辛勝を振り返っていた。(共同)


フェデラーの追い詰められた後の信じられないサーブ、
スーパーショットの連続が今回も自分自身を救った。

それにしてもこの全豪でまた新たな若手が躍り出たのは確かだ。
セルビアのヤンコ・ティプサルビッチ選手だ。(ファンになった)
今大会で最高の試合になるような気がする。

<全豪オープンテニス、4日目>

2008年01月18日 | Weblog
マルコス・バグダティス対マラト・サフィン戦

興奮冷めやらぬ、この思いをここで語りたい。

結果:6-4 6-4 2-6 3-6 6-2

 テニスの試合を見ていて一番興奮し手に汗握るのは両者共にストロークプレーヤーで互いにコート内を走り回って拾いまくる対戦だと思う。
先ほど見終わったマルコス・バグダティス対マラト・サフィン戦はまさしくそれを感じさせる試合だった。

4セットを終わって勢いはサフィンにあった。
バグダティスのサービスからファイナルセットは始まった。お互いに得意のストロークが何本か続いた後、先にサフィンが動いた。
右に振られたバグダティスは、クロスに返した。
それをフォアーでストレートに返そうとしたサフィンのボールはアウト。15-0
センターに入ったサーブを返そうとしたがネットに。30-0
次のファーストはミス。
セカンドサーブとなりサフィンの強烈なリターンをバグダティスはわずかにアウト。30-15
バグダティスは次のサーブを又強くセンターに。
サフィン打ち返せずネットに。 40-15

ゲームポイントのファーストサーブは又もセンターに。
サフィン、体を泳がされラケットに当てるの精一杯。
ボールは客席へ。

バグダティスは2セットを連取されたがファイナルの出足は快調だった。1ゲームアップ。
バグダティス応援団のボルテージは一気に上がり出す。
その大声援は元々堅いサフィンの表情をさらに険しくした。
(真剣になっても、深刻になるな!サフィン)

2ゲーム目、サフィンのファーストは入らず。
セカンドから二人のストロークはしばらく続く。
ストレートで返そうとしたバグダティスのボールはアウト。(打ちミスか?)15-0
サフィンのファーストサーブはまたも入らず。(頑張れ、サフィン!)
セカンドからまたストローク戦が始まりかけたが、サフィンのフォアーのボールはバックラインを割った。15-15

サフィンが汗を拭くわずかな間もバグダティスの応援団の声援は続く。

またもファーストをミス。(3回連続のミス、堪えろサフィン!)
セカンドからストロークが少し続く。
サフィンは強いストローク、返ってくるバグダティスのボールはわずかに力を抜いたボール。
サフィンの苛立ちが見えたような気がした時、強打のボールはバックラインオーバー。15-30

柳氏:2セット取ったあと、もう負けられないと気持ちが入り過ぎるんですよね。

サフィン、ようやくファーストサーブが入るが、バグダティス、ナイスリターン。
大きなサフィンの体が流れボールはサイドラインを超えた。15-40

ブレイクポントは2回。
「まだ切れてません」と実況のアナウンサーは祈るように呟いた。

サフィン、ファーストを見事に決めて長いストローク戦が始まった。
吸った息が吐けない。
バグダティス見事なバックを右隅にストレート。

柳氏:わあーすごい!

サフィンは必死に追いつき、そのボールをリターン。
実況者:良く返した!

しかし、バグダティスは前に出ながら左サイドにサフィンを振った。
追いついたサフィンの強打のバックは、またもサイド超え。

実況者:オォー
柳氏:もうここしかないという感じで… 
   バグダティスはここしかないという気持ちを込めたボール続けましたね。
   (サフィンは)2セット取るまでにそうとう気持ちを集約してましてからね。
   (少し、疲れたか? 切れてきたかな?…)

ゲームカウント2-0(2games to 0)

バグダティスサーブで始まった第三ゲーム
サフィンが最初取るが、バグダティスの強いサーブがセンターに。
うまくリターンできず。15-15
次は少しラリーが続くが、最後はサフィンのボールがわずかにネットにかかる。
(あれくらい、超えろよ、サフィンの心の叫びが聞こえそう)
サフィンは持っているラケットをコートにぶつけようとするが、なんとか踏み止まる。30-15

サフィンのロブが浅く、バグダティスにグランドスマッシュを叩きつけられた。40-15

サフィンは又もラケットをコートに叩きつけようとしながら投げてしまい、ボールパーソンに拾ってもらう。

(サフィンの我慢も、もうこれまでか…)

柳氏:ここで一気にサーブでポイントすれば、バグダティスに流れがきますよ

バグダティスのファーストサーブはネットにかかりイン。
もう一度ファーストサーブ。

柳氏:ナイスサーブ!

ボールは見事センターを突く。

サフィン、ついにラケットをコートに叩きつけ壊してしまう。
悔しさで何かを呟いているが聞こえてこない。

2ゲームを連取して流れが変わったと思っていたが、
バグダティスは息を吹き返し、気がついたらゲームカウント3-0(3games to 0)
自分の不甲斐なさにキレてしまい、ラケットと叩きつけた。

ここが勝負の分れ目だった。

これまでにもサフィンの険しい表情、苛立ったゲームを何度か見てきた。
強いサーブ、そして強打を持ちながらゲームをコントロール出来ないでいる、そんな姿を残念に思う。
それに引き替え、今年のバグダティスは髭を剃り、どこか憎めない幼い笑顔が余計に引き立つ。拾いまくるプレーは健在だ。

 印象に残るのは、2006年全米オープンで第8シードに選ばれたバグダティスは、2回戦でこの大会限りでの現役引退を表明していたアンドレ・アガシに 4-6, 4-6, 6-3, 7-5, 5-7 のフルセットで敗れた試合だ。

 両足を攣りながらもアガシをフルセットまで引きずり込んだ粘りのテニスが忘れられない。今年も憎めない笑顔を振りまき、私設の応援団はコートを覆うだろう。


王者フェデラーは今年もすでに絶好調のようだ。
ナダルを今年も押さえるつけるのか?
若いジョコビッチの成長も楽しみだ。
さあこれからの展開はどうなるのか?
本当に目が離せない。

 そして、一人だけ残った日本の星、杉山選手も体調は万全のようだ。
いい試合を見せてくれている。グランドスラム連続出場を史上対の55試合と延ばし、次回のウィンブルドンで56回となり歴史に名を残すことになる。また、全豪でのダブルスだけタイトルがない。今回でそれをクリアーできるか、楽しみは尽きない。頑張れ、杉山選手!

「ニュー・シネマ・パラダイス」と私心

2008年01月15日 | Weblog
 ローマで映画監督として成功したサルバトーレが、幼い頃慕っていた映画技師アルフレードの訃報を聞き、30年ぶりに故郷に帰ってくる。シチリアの小さな村にある映画館パラダイスには、トトと呼ばれていた少年時代、青年時代の思い出が詰まっている。サルバトーレが受け取ったアルフレードの形見にも映画への溢れるような愛が詰まっていた……。

 幼い頃からトトは無類の映画好き。映画技師のアルフレードに映写技術を教えてとせがみますが、アルフレードは教えようとはしませんでした。無限の可能性のある少年に映写技術の様な小さな世界を教えることは将来性を閉ざしてしまうことになる、そして自分のような文字も読めない貧乏な職人になってしまうことを恐れていたからです。しかし、アルフレードが小学校の卒業試験を受けた際、解答が出来ずトトに答えを教わるかわりに映写技術を教えることを約束させられることになります。(トトが頭の良さが光ります)
 こうしてトトは自分の大好きな映画に今まで以上に入り込む事になります。そして映写室で火事が起こり、盲目になった彼の替わりにニューシネマパラダイスの映写技師に昇格します。トトに技術を教える楽しさの中に子供のないアルフレードは、父親代わりとしての喜びを見出します。高まるトトへの愛情は、可能性に満ちた将来を自分が摘み取ってしまったのではないだろうかという不安につながっていきます。
 
 この彼の思いはエレナが約束の時間に来なかったと聞かされ、傷心のままトトがローマに旅立つ時、強い言葉になって表されます。「二度と帰ってくるな。こんな田舎に帰ってきてもおまえの為になるようなことは一つもない」と言う意味のことを耳元で伝えます。故郷を捨て背水の陣で頑張れ(俺が果たせなかった夢をつかめ)と云いたかったのでしょう。トトに彼女は来なかったとウソをつき通す事は彼の揺るぎない信念であり、トトに対し二度と犯してはならないという深い愛情に満ちた父親的行為だったのです。その後30年間家族の前でトトの話ばかりしますが、決して会いたい、帰ってきて欲しいとは漏らさなかった。トトの作った映画やニュースは欠かさず読んでもらい楽しみにしていた。しかし、たとえ私が死んでもトトには連絡するなといって亡くなります。大監督となって帰郷したサルバトーレはこの話を聞いて胸を詰まらせます。あなたのおかげで映画界で成功しましたよと伝えたかったでしょう。
 
 アルフレードの果たせなかった夢や想いが、サルバトーレに幸せをもたらしたのかどうかははなはだ疑問です。人間にとって何が幸せなのか、人それそれに環境が異なり、価値観が異なり、それぞれの幸せがあるからです。しかし、親といえど子供の心は覗けません。親子や家族間の悲しい事件が毎日のように新聞やテレビで報道され、映画「バベル」でも言語の違いによるコミュニケーションの難しさ嘆かれています。作家の五木寛之氏も資本主義の最終型「個人主義」に突入した現代をこう嘆きます。「人が集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ」
 
 子供にとって良いことだと親は思ってもその想いが子供を押しつぶしてしてしまうことがあります。発生している事件の要因の一つだと思います。こういった時、私はいつも映画「リトル・ブッダ」でブッダが悟りを開いたときの言葉を思い出します。
 
 「琴の弦は張らなければ音が鳴らない。しかし、張りすぎると弦は切れてしまう」

 この微妙な張り(バランス)こそ、親と子に、先生と生徒に、国と国民にあるべき張りだと思うのです。私はこの張りのことを自分が従事してきたレストラン業務の中で学びました。店舗内の従業員の数とサービスの向上は比例しないことを知りました。人時生産性を確認しながら従業員が少ないくらいの方が、自分の役割分担が明確になり、チームワークが生まれ、質の向上や、協調性の向上に役に立ち、共同の行為における達成感を得られると学んだのです。人が分かり合える困難さは、夫婦でも、家族間でも、学校でも、会社でも、世界の国々間でもまったく同様です。いい親や優秀と呼ばれる管理者・指導者は、この絶妙の張り、バランスを体感して理解した上で周囲にその環境を構築できる人のことを云います。

 
 
 アルフレードは自宅で母親と初めてじっくりと話し、母の大きくて包み込むような愛情を知ります。私は改めて子を持つ父親と母親のスタンスの違いに気がつきました。エレナと30年ぶりに再会して二人はアルフレードのウソによって重なり会わない人生をたどったことに気づきます。サルバトーレは「アルフレードのヤツ!」と腹を立てますが、二人の子を持つエレナは、
「私と一緒になっていたら、あなたは映画作りができなかった」(今の成功はななかったのよ)
「アルフレードはあなたの一番の理解者よ」(憎んじゃあだめよ)と諭します。

 いまだ孤独を癒せないサルバトーレは、これからのことをエレナにせがもうとしますが、大人のエレナはきっぱりと「終わったことよ」(私には夫の二人の子供もいるのよ、分からないの!)と拒絶します。
そして、結婚もしないで映画が作りに専念してきた少年のままのようなサルバトーレを、エレナはまるで聖母のように抱きしめながら慰め身を委ねるのでした……。


 ローマに帰って自分が作った映画が賞を獲得したことを伝えられても喜びが沸いてこないサルバトーレ。
(エレナへの想いをバネにして俺は映画作りに人生のすべてを賭けてきた。今はむなしさだけが込み上げてくる。もっと必死になってエレナを探していたら、俺のそばにはエレナがいたはずだ。悔いても悔いても悔やみきれない……)

アルフレードの形見は映画フィルムだった。
傷心のサルバトーレは、一人映写室でその映像を見つめた。

 スクリーンに映し出されたものは、アルフレードが昔、カトリック神父の検閲を受けてカットしてきたキスシーンや熱い抱擁の連続だった。クーパーやチャップリン、フリン、ゲーブル、ギャバン達の素晴らしいキスシーンのオンパレードだった。 

サルバトーレは身を乗り出すようにスクリーンに釘付けにになった。
輝くような瞳からこぼれ落ちた涙はエレナへのものではなかった。

アルフレードの溢れるような映画への愛、トトへの愛のメッセージを受け取った証だった……。


 この映画は、もう一度生きたくても一度しかないという無常感、些細なことによって左右される人の運命、誤解のまま過ごしてきた人生に、母や家族の愛に気づかなく育った若い頃を想い、胸を締め付けられるような切なさを強く感じさせます。これがこの映画の名作たる所以、多くの人の涙を誘う所以なのでしょう。モリコーネの素朴なメロディが哀愁を誘い心に残リます。

「ジョー・ブラック」と母との関係

2008年01月12日 | Weblog
 アル・パチーノにオスカーをもたらした「セントオブウーマン」のマーティン・ブレストが、製作・監督したファンタジー。ブラッド・ピットとアンソニー・ホプキンスの関係がとても良くできており、荒唐無稽のストーリーであるにも関わらず、見出したら最後まで見入ってしまうお奨めの映画です。

 B・ピットが死神(ジョー・ブラック)としてA・ホプキンス演じる大会社の老社長(ビル)を迎えにくるストーリー。老社長には若くて恋愛中の女医のスーザンがいる。そのスーザンがコーヒー・ショップで誠実な好青年と出会いお互いに一目惚れするが、別れたあとすぐに彼は、街角で車にはねられ即死。しかし、スーザンは知らない…。(え、どうなるの? 冬ソナみたい?)

 老社長のビルは体の異変を感じるが、まだ何の前触れか分からない。しかし、耳元でささやく声が聞こえる。その正体こそ迎えに来た死神。ようやく見せた姿は街角で即死した彼の肉体を借りていた。
「あの世へ連れて行く前に、関心あるこの世界を見学したい」と余命と引換えにビルに案内役をさせる。夕食会でみんなの前で<ジョー・ブラックをよろしく>と紹介するがビルとの関係は話せない。スーザンは驚きの表情を見せ、二人の距離は急速に狭まっていく。ビルの会社の若くてやり手取締役がスーザンの恋人。彼は突然現れた不思議な青年ジョーに当然ながら不快感を持つ。会社の取締役会までジョーを引きつれて来るビルにも不快感を持つ。死神のジョーは、とてもキュートでしかも、品格がある。(が、ピーナツバターが大好きでスプーンを舐めるブラピには閉口したが……)

 料理や愛、友情、セックスを知らなかった死神ジョーが、スーザンとの愛、ビルや家族との信頼関係などに触れながら人間愛の素晴らしさを知り、だんだんと心をゆすぶられていく。この辺りの展開がとても良くできている。「ターミネーター2」でターミネーターが少年と過ごすうちに人間の感情を理解していく展開や「アンドリューNDR114」のアンドリューが200年にわたって人間の心を育んでゆく物語を彷彿させる。今回は若いハンサムな死神が人間世界で様々な出来事に遭遇し、最後に愛するスーザンの真の幸せを考え、ビルと共にあの世へ去って逝く。<恋愛を通じて人は成長する>という私の持論にも通じる素晴らしい心の成長物語、そして、とても切ない結末に感動させずにはいられない。

 ビルは、娘に相手の富や条件よりも、情熱的な愛を一番大切にして欲しい、人生の基盤、家庭の基盤は愛だと、教えます。

 人のいい姉の夫は、「妻は俺の嫌なところを全て知った上で許してくれる。お互いの全てを、愛して受け入れることが出来れば、何も怖いものはないのだよ…」と熱く語ります。

 病院で死を待つ黒人の老婆がジョー云います。「運のいい人だけが、素晴らしい思い出を持って天国に行ける」しかし、まだジョーにはこの意味が分からない。

 死神ジョーは、「愛しているから、スーザンも連れて行く」と言いますが、ビルから「好きなものを、ただ奪うことは愛とは言わない。愛の本質とは生涯を懸けて相手への信頼と責任を全うすること、そして愛する相手を傷つけぬこと」と教わります。「あの娘を幸せにできるのは、共に手に手をとって美しい人生を一緒に生きていける男性だけだ」と言われます。心に残る名セリフです。

 今、現実に愛人と呼ばれる人やそういう関係を持つ人に、ビルが語る<愛の本質>をもう一度噛みしめて欲しい。人の人生は決してそんなに軽くはない。支えきれないくらい重いものだ。愛の本質を知って初めてその重さを感じ、支えきれるもの。自らの心の渇きを癒すために人を愛するものではものではない。

 ラストの花火のシーンは、素晴らしい人生のように美しくてしかも切ない。死神ジョーは、美しい光景と人間世界との別れに涙を流します。深い友情と信頼で結ばれたジョーとビル。「別れはつらい…、それが生きた証だ…」ほんのわずかな時間だったが死神ジョーは、素晴らしい体験をしたのだ。ビルもまた自らの人生を振り返り、家族全員に感謝し別れのつらさ、切なさを感じながら去っていきます。

     ………… ………… ………… …………

 昨年5月、母が亡くなったが、その数年前、腰骨を骨折して今までのように歩けなくなってしまった。痛くて辛い日々を嘆く母をどう慰めたらいいのか私は戸惑った。そんな時、この映画の老女の言葉を思い出した。「運のいい人だけが、素晴らしい思い出を持って天国に行ける」死を待つ母と向かうスタンスをようやく見つけたのだ。

「なにを嘆いているんだよ。もっと痛くて毎日寝られない人が世の中にいっぱいいるんだよ。今まで母さんほど好きなことして、好きなところに行っていた人が周囲にいるかい? 日本中行きたいところに旅行しただろ、俺が香港に連れて行ってからも世界中、行きたいところに行って来ただろ。着たい服や着物もタンスにいっぱい詰まっている。カバンも幾つあるか数え切れないよ。その上、兄貴や俺をりっぱに育ててきてくれたじゃないか。嫁にして孫達もみんな問題なく幸せに育っているだろ。みんなお母さんのおかげだよ。こんな素晴らしい思い出をいっぱい持っている人が何を嘆くことがあるんだ?自分の人生に悔いなどないはずだろう?」

 実家に帰った時はいつもこのように母と接した。それからしばらくしてからだった。死の床につく二年前くらいから「我が人生に悔いなし」と豪語し始めた。母は心の整理をようやくつけたのだろう。でも体調が悪い日はいつも弱気になっていた。電話でそう感じた時は会社帰りに寄っていつものように元気づけた。

 人が生きてきた証とは、別れがつらくなるような人生を心から喜ぶこと、そしてその無常を受け入れることではないだろうか。母や人の心根の奥など覗けるはずがない。ただ父や兄や私は間違いなく母に感謝し、母と共に生きた人生を喜び悔いなど微塵もないはずだ。母もそうであって欲しいと願うしかない。そうだったと信じている。

米大統領選と映画「パトリオット・ゲーム」

2008年01月06日 | Weblog

 2008年大統領選は「変化」への熱い思いで幕を開けた。全米に先駆けて3日、中西部アイオワ州で行われた党員集会は、ともにブッシュ政権のリセットと「希望」を掲げた民主党のオバマ上院議員、共和党のハッカビー前アーカンソー州知事が勝利を収めた。参加者数も予想を大きく上回り、米国を変えたいという草の根の意思が伝わってきた。(asahi.com)

このニュースを読んで私は思わず、ゾクッとした。

・クリントン陣地には高齢者、オバマ陣地には若者が目立つ。
・州全体で民主党の党員集会には23万人以上が参加。過去最高レベルだった前回04年のほぼ倍で、30歳以下の参加率は3倍
・アイオワ大学のコビントン准教授は「オバマ氏が勝ったのは、新たな票の掘り起こしに成功したから。肯定的なメッセージが人々を集会に向かわせた」と分析
・「女性としてクリントン陣営からの働きかけもあったけれど、彼女は言葉がきついし、ワシントンの政界に入りすぎている」【クリスティナ・ソラウェツさん(22)】
・「『現状』が敗退し、『変化』が勝利を収めた」。この日の党員集会の意義は、エドワーズ元上院議員が語ったこの言葉に尽きるといえる。
・共和党で勝ったのも「ブッシュ批判」と「変化」を前面に掲げたハッカビー氏だった。(同じ党の候補が現職大統領を批判するのは前代未聞)
・「この7年で多くのアメリカンドリームが失われた。他の誰よりオバマはそれを取り戻してくれる」【ジム・コンガーさん(67)】

次は8日のニューハンプシャー州での予備選、そして3月のスーパーチューズデーを迎える。アイオワ州の結果がこの後の予備選にどう影響するか予断を許さないが、共和党の結果を見ても分かるように、米国の政治の現状に対する不満と、変化を求める思いが党派を超えてはっきりと示されたと思う。

 以前も書いたが、映画「スパイダーマン3」での<復讐の連鎖を断ち切る>内容は現政権の過ちを暗示しており、当初圧倒的だと思われたヒラリー候補の減速とアイオワ州での結果がどこか符合しているように思えてならない。そして2004年の大統領選で全国一般投票では共和党候補ジョージ・W・ブッシュより得票数で上回った民主党のゴア氏のライフワークとなった地球温暖化問題について世界的な啓発活動、ドキュメンタリー化した『不都合な真実』の存在も大きなフォローの風を呼び込んだ。(余談だが彼の企画した情報スーパーハイウェイ構想に刺激されて、インターネットが爆発的に普及したことは有名である。また、クリントン政権の末期にナノテクノロジーに興味を示し、この研究に対して資金援助した。これが、ナノテクノロジーが世界的に注目されるきっかけになった)

 これも余談だが、最大票数を獲得したにも関わらずブッシュに負けたゴア氏が大統領になっていたら、イラク攻撃や9.11がなかったかもしれない。そして地球温暖化問題にアメリカが先頭を切っていたかもしれないと考えると、2000年の米大統領選の結果が残念でなりません。

 映画「キングダム 見えざる敵」のラストも<復讐の連鎖を断ち切る>内容を匂わせていた。9.11以降アメリカは強大な権力を行使して、世界の警察という大切なスタンスを越えて復讐に走ってしまった。いまだ混迷を続けるイラク問題を始め、最近の原油価格の高騰も米国市民にとって日本と同様に大きな問題になってきた。2003年以降下がり続けた失業率も2007年当初より悪化に転じ9月4.7%、12月5%とさらに上昇を見せている。

 1992年公開のトム・クランシー原作映画「パトリオット・ゲーム」は、テロに立ち向かうストーリーだった。イギリスで講演旅行中のジャック・ライアンは偶然、テロ攻撃された王室のファミリーを助けたが、その銃撃戦でテロ首謀者の弟を射殺してしまう。首謀者の兄は捕らえられ裁判で有罪判決を受けるが、その後脱走してライアン一家にテロという政治的理念?を忘れて復讐に走っていった……。アメリカではあまりにリアルなテロ映画は、「ブラック・サンデー」のように公開中止になる。よって映画の内容は、テロ首謀者が殺された弟の復讐に走る人間的な展開にすり替えられた。(ハリソン・フォードを食ったショーン・ビーンの熱演が光る)しかし、テロに対するアメリカの姿勢は十分伺える。この辺りは映画「キングダム」と同様だが、結末のメッセージは全然違う。「復讐の連鎖を断ち切るべきだ」と昨年公開された映画をはっきりとメッセージを残しているからだ。声高々と世界の警察と言い放っていた時代から明らかに世界情勢や環境の変化、国内情勢も変化し、米国民は新たなスタンスを持たなければいけないと思い始めている。

 米国44代大統領を決める選挙戦は始まったばかりだが、アイオワ州の結果だけから見れば、エドワーズ元上院議員が語った「『現状』が敗退し、『変化』が勝利を収めた」この言葉通りでしょう。大統領選はオバマ氏はとヒラリー女史の一騎打ちになるだろうが、二人とも弁護士経験を持ち、リベラルな思想の持ち主であることは経歴を見れば明らかだ。お互いにプロテスタントで、共和党から鞍替えしたヒラリー、8親等だがチェイニー副大統領(リチャード・ニクソン政権で大統領次席法律顧問を務め、ジェラルド・フォード政権で史上最年少のアメリカ合衆国大統領首席補佐官、ロナルド・レーガン政権時には共和党下院院内幹事を務め、ジョージ・ブッシュ政権では国防長官として湾岸戦争を主導した)の親戚という二人の共和党がらみも見逃せない。つまり共和党の手の内(長所・欠点)を知った骨太の民主党員であることは共通している。


 アメリカン・ドリームを失った共和党から大統領が選出されることはまずないだろう。国内保護政策を優先する民主党政権が過去の政策から見ても日本にとって決してフォローの風になるとは思えない。そういった観点からオバマ、ヒラリーの今後の言動には意識してニュースを読んでいきたいと思う。そして日本のようなスキャンダラスな選挙戦ではなく、弁護士経験を持つ二人が、リベラルな政策論争で戦い、政治スタンスの違いや先見性・決断力の違いを米市民に主張し合うそんな素晴らしい選挙戦を期待したい。

 それはスポーツの正々堂々と戦うスタンスとまったく同じだ。そして彼らの見事な戦いが今後の日本の選挙にきっといい影響を与えるはずだと信じたい。オバマ、ヒラリーの向こうに私はジョン・F・ケネディの姿が見えて仕方がない。昨夜まったくの偶然だが映画「パトリオット・ゲーム」のDVDを選んで見ました。ハリソン・フォード扮するジャック・ライアンがいる部屋の壁にケネディの写真がかかっていました。彼が生きていたら今のアメリカをどう思ったのか?今の世界情勢をどう思ったのか?彼の寂しそうな眼差しがその答えを物語っているように思えてならなかった。

          ……………

<二人の経歴>

●ヒラリー・ローダム・クリントン
 高校時代1964年の大統領選では共和党のバリー・ゴールドウォーター候補を応援するゴールドウォーターガールを務めた。1965年にマサチューセッツ州の名門女子大であるウェルズリー大学に入学、1年生の時、学内青年共和党の党首に選ばれるが、ベトナム戦争や公民権に関する共和党の政策に疑問を持ち始め、その後辞任。1968年の大統領予備選では、ベトナム介入反対を掲げる民主党のユージーン・マッカーシー候補を支持した。1969年、ヒラリーはイェール大学ロースクールに進み、そこでビル・クリントンと出会う。1974年には下院司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に参加。1993年から8年間、アメリカ合衆国のファーストレディーとなり、アメリカでは初の院卒のファーストレディー、初の弁護士のファーストレディー、かつて国連代表を務めたエレノア・ルーズベルトと並ぶ「最強のファーストレディー」と云われた。就任後早々、ビルはヒラリーを医療保険改革問題特別専門委員会 (Task Force on National Health Care Reform) の委員長に任命した。同委員会は、国主導型の健康保険制度導入を視野に入れた「クリントン医療保険計画」を答申したが (アメリカには日本の国民健康保険制度のような制度がない)、アメリカ医療保険制度の抜本的改革となりかねないこの計画は、保険会社や製薬会社、中小企業などによる大規模な反対活動にあい、民主党多数議会をもってしても支持を得ることができず、結局翌1994年に廃案となってしまった。もし彼女が大統領に就任すればこの医療保険改革に着手する可能性が高いと思われる。過去に児童防衛基金の活動やアーカンソー州の教育制度改革を目的とした教育水準委員会の委員長を務めており、この辺りの改革にも積極的な政策を執るものと思われる。

●バラック・フセイン・オバマ
 ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒であり、母親はアメリカカンザス州出身のスウェーデン系白人労働者一家の生まれである。したがって、「奴隷の子孫」としてのアフリカ系アメリカ人の血は引いていない。本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)である。コロンビア大学を卒業後にシカゴに渡りNPOに勤務した後、ハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として史上初の「Harvard Law Review」の編集長を務めた。卒業後シカゴに戻り、有権者登録活動に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され2004年まで務めた。2004年のアメリカ大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン人のアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」。「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」との基調スピーチを行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。2007年の出馬の演説で彼は「ここ6年間の政府決定や放置されてきた諸問題は、われわれの国を不安定な状態にしている」と述べ、医療保険制度や年金制度、大学授業料、石油への依存度を、取り組みが必要な問題として挙げた。グローバル資本主義に懐疑的であり、大量の失業者を生んだ新自由主義経済政策のNAFTAに反対し国内労働者の保護を訴えるなど、ヒラリー・クリントンよりもリベラルな政治姿勢で知られている。(ウィキペディアより)


続・試合「三崎対秋山」

2008年01月04日 | Weblog
 本来、柔道や空手を含めスポーツのすべての本質は、肉体と精神の健全なる向上を目指したものだと私は思っています。そして肉体には限界がありますが、精神の向上には天井がありません。高い域に至った師範・師匠と呼ばれる人は後輩達に礼儀や忍耐力を覚えさせ、強い精神力、集中力を育てようと心がけます。技や術を教えながら自信をつけさせ人を成長させることが彼らの目標なのです。

 プライドの試合はK1と比較して、ガチンコ勝負が数多く見られました。柔道をやっていた経験がある私は、手に汗握るグランドシーンから、間接技への長い熱の入った移行に、吸った息を何度も吐けずにいました。特に桜庭がボコボコになりながら十字を決めたときなどはあの精神力に最敬礼したくなるほどでした。

 映画「グラディエーター」ではローマ帝政に不満を持つ民衆の感情を逸らすためコロッセオ(フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから「フラウィウス闘技場」が本来の名前)で、命を賭けて奴隷達を戦わせました。また実際にキリスト教徒が迫害され殉教した死刑場でもありました。そんな場面に古代ローマの民衆は熱狂したと伝えられています。コロッセオはキリスト教徒にとって聖地となり取り壊されることなく現在に至っています。
 
 1997年10月11日、東京ドームの『高田vsヒクソン』戦で産声をあげた『PRIDE』は、たちまち日本中に空前の総合格闘技ブームを巻き起こし、桜庭vsホイス戦や、ヒョードル(世界最強)・ノゲイラ・ミルコを輩出しました。こうして『PRIDE』はどんどんコロッセオ化していったのです。どこかショー的要素がかいま見えるK1に飽き足りない民衆の熱とも云えます。視聴率の上昇は、多額の出演料・賞金に姿を変えて行きました。残念ながら前社長の自殺(?)や黒い疑惑もあってかフジテレビが撤退するという経営的な逆風があったり、米資産家のロレンゾ・フェティータ氏の買収まで発表されるに至りました。ここには過激化する格闘技ブームにどこか政治的動き、もしくは他力が感じられてなりません。

 試合というよりは「殺試合」(ころしあい)的シーンに人は当然釘付けになります。本当にあんなシーンをTVで幼い子供達まで見るゴールデンタイムに公開していいのでしょうか? 剣道や空手の試合は防具をつけて竹刀や寸止めで行われます。防具をつけないで木刀で寸止めなしに行われる『PRIDE』やK1の試合。後発の『PRIDE』ルールがより<何でもあり>に近づいていくのは当然ですが、試合としてTV放送する限り、そしてスポーツ選手として出場する限り、尊敬できる人であって欲しいと望むのは私だけでしょうか?崩れ落ちる敗者に完全に息の根を止めるような顔面への蹴りは私のスタンスでは反則としか云えないのです。

 ボクシング元世界王者のチェ・ヨンスと対戦した魔裟斗の試合は『PRIDE』ファンからすれば「歯がゆい、もっとやれんのかい!」ということになるでしょう。私のスタンスから云えばあれでいいと思ってしまいます。人それぞれに価値観が違うわけですから判断も違ってくるのは当たり前だと思います。『PRIDE』に対する熱い思いのファンにどうこうというのではありません。K1ルール、総合ルールに対して反則だというのでもないのです。あくまで私のスポーツに対するスタンス、人に対するスタンスから判断してあの蹴りはないと云いたいだけのです。

あの試合の勝負は秋山の負けです。
秋山が自分の口で「反則だ!」と云ったらそれこそ<プライドを捨てた>ことになるでしょう。

 試合後、谷川氏が「さいたまの試合が一番だった」と云いましたが、その翌日には「三崎対秋山」の試合は反則だったと叫びだした。私は、民衆を煽るのは「いいかげんにしろ!」と云いたい。血や肉が飛び散る衝撃的なシーンではなく、心から感動する、後輩達の人格形成に役立つ試合を見せて欲しいのです。2007年度は野球においても、サッカーのおいてもゴルフやテニス界でも素晴らしい感動を呼ぶ試合が多々ありました。2008年度も少年少女が私もあんな試合に出られるような選手になりたい、そう思わせる試合に遭遇したいと思っています。

 
 私が今まで最も感動した試合を紹介しておきましょう。これを書いていて偶然ウィキペディアで発見したのです。読んで見て下さい。(読みながらまた泣いてしまいました)

 1984年のロサンゼルスオリンピックで金メダルと取った柔道家山下泰裕氏。オリンピックはメダルだけで賞金がない(最近はそうでもないですが……)、しかも見せ物でもない、4年に一回のスポーツの祭典です。そんな試合と「プライド」や「K1」の試合と比較するのがナンセンスと云われるかもしれませんが、私はどんな試合も同じスタンスで見ています。K1ルールや総合ルールも私にはないのです。比較的、K1に出場した選手を壊させないよう必死で止めに入る審判の姿勢に、ほっとするオジンであること認めざるを得ませんが……。

(以下は転記)
 2回戦は「送り襟絞め」で勝利を収め、試合後控え室に引き返すまでの間、山下は肉離れを決して悟られまいと平然に振舞って普通に歩いたつもりが、誰にもわかってしまうほど明らかに足を引きずってしまっていた。その映像もはっきりと流れた。山下が控え室に戻るなり、コーチ陣に慌てた表情で問い正された事で、自分の肉離れが全て悟られてしまった事に気がついた。
 山下は一旦は落ち込むが、次の試合時刻が迫ってくる中開き直り、足を引きずってもいいから相手を見据えて胸を張っていけ、と自身に言い聞かせ準決勝に臨んだ。準決勝の相手はフランスのデル・コロンボ。過去の対戦からやりやすい相手と山下は考えていたが、軸足の肉離れのため、体がいつものように素早く反応しなかったからか、開始30秒で大外刈りを喰らい効果を取られてしまう。投げられた直後は動揺したものの、直ぐに我に返り、激しく自身を鼓舞して、守りに入ったコロンボ選手を大外刈りと横四方固めの合わせ技で逆転した。

(決勝)エジプトのモハメド・ラシュワンとの決勝戦前、山下は金メダルを取り表彰台の中央で観客に満面の笑顔で応える山下と、タオルを被って号泣してうつむく山下の両方のイメージが交互に浮かんだ。師匠の佐藤先生は「投げられても一本取られなければいい、寝技に持ち込んで勝つ方法もある」と冷静にアドバイスする。一方山下も、同じ広い控え室で試合直前のラシュワンが気合を入れて調整をしている姿を見て、意図してにっこり微笑みかけた。ラシュワンは山下と目が合い笑顔で応じた。ラシュワンの笑顔で彼の緊張が解けた瞬間を見て、山下は勝機を感じていた。

 ラシュワンの指導者は「初めの一分間は我慢して攻めないように」とラシュワンに指示したが、ラシュワンはそのアドバイスを忘れたかのように強気で攻め始める。冷静な山下はラシュワンの攻めに無意識に反応し、ラシュワンが体勢を崩した瞬間をすかさず捉えて押さえ込みに持っていき、横四方固め、一本を伝えるブザーが鳴った瞬間、山下は畳に両手を力強く突いて立ち上がり、涙でくしゃくしゃになった表情を隠そうとせずに喜びを表現した。この表情は繰り返し放送され山下の決して平坦ではなかった道のりを示す名場面となっている。

 全て一本勝ちでの金メダルである。 表彰台の中央に上ろうとする山下に、ラシュワンは山下の足を気遣って手を差し伸べ、友情の証として世界から評価された。またラシュワンも、山下の右足を狙わなかったと述べたことから、そのフェアプレーの精神を称えられた。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E6%B3%B0%E8%A3%95ウィキペディアより)


●ノーサイド
ラグビーにおける試合終了の事。試合後は敵味方の区別がつかなくなる事に由来。いわゆる「ノーサイドの精神」より。
試合相手とこんな関係こそ、理想ですね。




試合「三崎対秋山」

2008年01月03日 | Weblog
●大晦日、印象に残ったのは「三崎対秋山」の試合だった。

異様なほどのブーイングの嵐、
秋山はそのアゲイストの風を反対に力に変え、
三崎に対して堂々とプレッシャーを与えていた。

三崎の方が、負けられない用心さが目立った。
秋山にもう失うものはない。

コーナーで秋山がマウントの大チャンスを作った。

突然わき起こる三崎コール。
今までの秋山ならあのままボコボコしたはずだった。

しかし、若干の優位を感じていた秋山はマウントを解いたように見えた。
「何故?」 私にはそう見えた。

スタンドで勝負をつけたかったのか。
圧倒的勝利を得て大復活したかったのか。
それだけ辛い一年だったのだろう。

その瞬間だった。
わずかなスキ・油断が生じた。

三崎の必死の左フックが顔面を捕らえた。
グラッときた顔面に三崎の容赦ない反則的なキックが炸裂した。

カウンター気味のフック一発でノックアウトだった。
(秋山は鼻骨骨折および足幅じん帯損傷の疑いで病院へ直行)


私は秋山のファンでも三崎のファンでもない。
野球でもサッカーでもテニス、ゴルフでもすべてのスポーツ観戦スタンスは同じだ。

『いい試合を見たい』それだけだ。

そのスタンスで見ると三崎のあの蹴りは反則だろう。
しかし、あの瞬間三崎に蹴りを止められただろうか?
そんな余裕はなかったように思える。

ノックアウト後、
リングで高田師匠と抱き合う三崎の安堵と喜びの涙が
三崎の余裕のなさ、秋山有利を証明したように見えた。


若い頃、良く麻雀をしたが、
負け込んでいる奴のロンパイを見逃した瞬間から
自分のツキが突然影をひそめ、
最後にはボコボコにされてしまった。
そんな事をたびたび経験して
麻雀の勝負は、4人の上をゆっくり巡っている<ツキの女神>を
いかに自分に引き寄せるかが勝負だと思うようになった。

野球でも同じだ。
1)ダブルプレー
2)エラー
3)中継ぎピッチャーの不出来
4)バンドミス
この4つが野球の女神を失うのだ。


三崎と秋山の試合を見ながら<勝負の境目>を見た。

二人の差は決して圧倒的なものではなかった。
わずか、ほんのわずかだったと思う。


◆「負けられない三崎の執念が、秋山の一瞬の油断を突いた勝利」に見えた。