GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「最後までよく頑張った、奈良くるみ!」(全米女子3回戦)

2013年08月31日 | Weblog

 奈良くるみの3回戦はかつてのナンバーワン、今大会第9シードのエレナ・ヤンコビッチ。この日も奈良選手は立ち上がりから2回戦と同様攻撃的なテニスを見せてくれた。
 第1セットの第3ゲームを先にブレーク。第4ゲームにすぐブレークバックされたが、奈良は冷静に持久戦に持ち込んで焦りを引き出した。本当に惜しかったのは3-3からの第7ゲーム。15-30から反撃して2本のブレークポイントを握ったが攻めきれなかった。
 それでもヤッコビッチ相手に巧みなドロップショットを見せるなど奈良の攻撃的テニスに何度も拍手を送った。簡単なアンフォーストエラーが少ないのも見ていてうれしい。フットワークを駆使しながら取りまくる奈良、ループを混ぜて緩急を付けながらガンガン打ち込んでいく攻撃的テニスに観客はきっと魅了されたに違いない。2回戦を見ても思ったが、相手の嫌がることを平気でやり抜いていくタフさは圭のテニスと同質のものを感じた。残念ながら第10ゲームをブレークされ第一セットを失った。

    

    

 第2セットに入っても奈良の攻撃的テニスは変わらなかった。ヤンコビッチは自分のペースをつかめず、終始いら立ちを隠せず、長いラリーに入れば防戦一方となった。第1ゲームから奈良は小気味のいいブレークをして順調なスタートを切った。TV画面を見ながら奈良の小気味のいいテニスに何度も拍手を送った。ヤンコビッチから2ブレークを取り、2-5と追い詰めた。しかし、さすがにもと世界No.1、ブレークされてもブレークする力を持っていた。ここからヤンコビッチのなりふり構わない攻撃が始まった。奈良にはエースが取れるようなサーブ力のない。これは日本の全選手の欠点でもある。ブレークしてもサービスをキープできない。伊達選手も圭も同じだ。
 第10ゲームにセットポイントがあったが、ここを叩かれ追いつかれた。第12ゲームをブレークされ、タイブレークにもつれ込んだ。タイブレークではサーブ力の差が明確に出る。テニスでは勝っていたのにサーブと経験の差で負けてしまったように見えた。奈良選手は間違いなく自分のテニスに自信をつけたはずだ。

     

 全国中学生テニス選手権大会女子シングルス部門で優勝、全日本ジュニアテニス選手権18歳以下シングルで優勝など輝かしい経歴を持っている奈良くるみ。この全米オープンで元世界No.1のヤンコビッチに大きな冷や汗(4回のブレーク&3度も決めたドロップショット)をかかせた経験は、彼女を大きく飛躍させるだろう。
 くるみちゃん、オイラもファンになったよ!

     


「リベンジ! ライオンズCC」(2013 8.28)

2013年08月28日 | Weblog

     

     

 最もリラックスできる仲間とのゴルフラウンド。このメンバーで今までに何回ラウンドしてきたでしょうか。年間20回としても10年で200回。間違いなく250回近くラウンドしてきたに違いありません。本当に最高に楽しいメンバーです。さて、ライオンズCCでは7月にラウンドして今年最高のグリーン・フェアウェイを堪能したので、帰りがけに8/28の予約を入れたほどでした。この夏の猛暑をいかにしてくぐり抜けたのか、芝やグリーンを管理したスタッフの皆様に尋ねてみたくなるほど、素晴らしいコンディションでした。フェアウェイを歩いていてもまるでフカフカの絨毯をあるいているようでした。一カ所だけグリーン周りのバンカーの砂が少なかったように思えた箇所がありましたが、それは少ないのではなく、私の腕の問題だったかもしれませんね。
 さて、結果です。7月度は同じレッドとホワイトコースを回って46.47の93(34)でしたが、今回は47.44の91(36)でした。結果的に見れば2打だけリベンジできたました。3人の勝負は前半西田氏が2つのショートホールをニアピンをゲットし、スコアもトップ。後半は私がショートホール2つのニアピンをゲットしてスコアもトップ。結局西田氏とはチャラで川田氏からニアピン2つのチョコレート2枚をゲットしました。

     

    

 今回私は2つのOBを出してしまいましたが、5番アイアンでのセカンドで、つま先下がりのため、ショット後、右に大きくプッシュアウトしたように思ったのですが、実際はスタンスが大きく右を向いていたようでした。もう一つのOBはアプローチウエッジでの寄せでした。グリーンまでの84Yをアプローチウエッジでショットして少し引っかかり、グリーン左の土手に当たって大きくはねて崖下OBでした。ピン近くに寄せたいという気持ちが強過ぎて、力が入り引っ張ってしまいました。藍ちゃんのゆっくりスイングができなかった悔しいショットでした。
 うれしかったのは残り191Yの上りのセカンドを、3Wで見事2オンに成功したショットでした。ところがバーディパットミスして、「お先に!」の返しのパットを、人のパットのラインを踏んでしまうことを気にしておかしなスタンスで打ち、60cmのパーパット外してボギーにしてしまいました。せっかくの3Wのスパーショットを台無しにしてしまいました。これにはさすがに意気消沈してしまいましたが、その後もなんとか堪え忍ぶことができました。

    

    

   

 収穫は1WのOBがなかったことです。今までと一番の違いはすべてのティーショットを右のスタートマークの50cm手前の下にティーアップして打ったことです。今までは左のスタートマーク側にティーアップしていました。先日の堺CCの月例でOBを打ってから、半分やけ気味に始めことですが、左肩の開きを押さえることができるようになりました。今日もこのティーアップのおかげでティーショット完璧に近いショット連発できました。3Wのショット、ティーショット位置、夏最後のゴルフは収穫の多いラウンドとなりました。ラウンド後のティータイム、長くラウンドしてくれた二人に感謝の意味をかねて、昨日北海道富良野から送られてきたサニーショコラとホワイトショコラをプレゼントしました。次回は9/11、ロータリーGCでのラウンドです。次回も宜しく!


ある休日(2013 8.22)

2013年08月22日 | Weblog

      

  

 今日の休みはゴルフ住之江で久しぶりのゴルフ練習。宮里藍ちゃんのようにどのクラブもゆっくり振る練習に集中しようとするが、だんだんと力が入ってくる。これが即ミスショットにつながる。強く振ってもゆっくり振ってもヘッドスピードは42~43、飛距離は230~240Yだ。ところが同じように振っても250Yの時もある。つまりミート率こそが重要ということだ。ヘッドを来た道に戻してあげる、そのためのスイングはやはりゆっくりしかない。

 練習後は<鎌倉パスタ>から誕生日カードが届いていたのでお誘いに乗りました。連れ添いの誕生日は8/3、この日はラブアップルコンサートの日だったので、今日までお祝いディナーが延びてしまった。
 好きな作家の五木寛之氏は妻のことを配偶者と書いていましたが、私はいつも連れ添いと書いている。人生が旅に似通っていると思っているからだ。どのような連れ添いを見つけ、出会った知人たちといかなる旅をするか、これが人生だと私は思っている。昨夜、高倉健主演の「あなたへ」というロードムービーを見たが、旅とさすらいの違いは目的地があるか、ないかだというセリフがあった。

では「人生に目的地があるか」この質問に人はなんと答えるだろう。

    

   

 私は長い間この答えを考えていた。そして60歳になって、『論語』の中の孔子の言葉が答えに導いてくれた。
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり 」

 意味はご存じのように、 朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、夕方に死んでも後悔はないということ。
 60歳を過ぎてようやくたどりついた答えは、大切なのは日頃の生き方であって、目的地ではないということだ。かつて人生の目的は幸せになることだと思っていた時期がある。今ではそんな不安定で不確かな状態を目的にすることなど愚の骨頂だと知った。この20年間私はやるべきことの延長線にやりたいことが見つかると信じてやり通してきた。今やこの二つに大きな差がない状態にまでレベルが上がってきたと感じている。

    

「色心不ニ」この言葉は、人の心は元々一つだというお釈迦様の教えだ。心の中には感情と理性が常に押し合いへし合いしているが、これを一つにしていく生き方こそ、私が60歳で悟った生き方だ。こんな生き方を誰かから教わったわけではない。ストレスを感じない生き方を模索していたに過ぎない。「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり 」も「色心不ニ」も昨日今日知った言葉でもない。これらが自然に解け合い時間をかけて熟成し、「人生に目的地など必要ない。大切なのは道を知るかどうかだ」へとたどり着いたのだ。常に上達するための近道などない。悟りもまた同じ。

 昨年11月息子が奈良に転勤したので私はすぐに息子の部屋を我が書斎兼寝室にした。結婚以来初めて書斎を持った。息子への牽制の意味もある。男がいったん家を出た限り再び帰ろうなどとは思うなというアピールでもある。親の最大の役目は子供を自立させることだ。その意味ではようやく完了したかに思えるが、この先のことは誰にも判らない。しかし、自立の二文字の意味は教えられたと信じている。朝に道を聞いたので、これからは思いのままに、そしてシンプルに生きていくだけだ。


<若錦会> 今宮高等学校24期生(第6回)

2013年08月18日 | Weblog

     

          <日航ホテル大阪32Fからの展望> 

還暦を迎える大阪府立今宮高等学校24期生。<若錦会>

42年ぶりに再会した奥出君、松野君、東君、白石君、本当に懐かしかったなあ。

特に奥出君とは小学校の低学年からの大親友だったので、声をかけられたときは本当に驚きました。

私が若い頃3年ほど住んでいた神奈川県の藤沢に現在居を構えてると聞いたときも、驚きました。

今度大阪に帰ってきたときは、ゴルフをやりたいね。

東君や松野君とはまたマージャンをしたいなあと話がはずみました。  

    

   

    

    

    

    

   草の輝くとき 花美しく咲くとき  

   再び戻らずとも嘆くなかれ  

   その奥に秘めたりし力をみいだすべし

    

   

  

24期生の内、すでに他界した仲間が10名もいたと聞いて、しばし言葉を失ってしまいました。

60歳を迎えられないなんて、早すぎる死というほかありません。

ここに集まった仲間の元気な笑顔を眺めながら、健康でいられることに心から感謝しました。

 

       

 隆成君、42年ぶりの再会だね。声をかけられたとき、一瞬「誰っ!?」と思いました。本当にずっと会いたかったったんだ。どうしているのだろうとずっと気になっていました。隆成くんとの最大の思い出は、やはり小学校最後の夏、放課後、粉浜小学校のプールに内緒で入り1kmの遠泳に挑戦したことかな。小学4年生のとき、浜寺の海での水練学校に入校し、翌年にはお互いもう水泳選手だったもんね。あの日は小雨の降る少し肌寒い日でしたが、二人で泳いだから1kmも泳げたんだと思っています。忘れられない思い出です。

<671-8183>この電話番号覚えてますか?小学校頃、毎日のようにあなたの家に電話を入れていたので、未だに脳裏に残っています。たぶん一番最初に覚えた友人宅の電話番号です。日曜日はバットを自転車のサドルの下にひっかけて住吉公園で毎週野球をしましたね。住吉公園中を走り回り、隅々まで熟知していましたね。<ピンポンダッシュ>のイタズラも隆成君とやったっけ。 藤沢と大阪、離れているかもしれないけど、お互いに健康そうなので、これから会える機会はきっとたくさんあるはず。必ずゴルフしましょう!


「朝顔のDNA」

2013年08月15日 | Weblog
 4月にコーナンで買ってきた朝顔の種。その種が発芽し、花を咲かせて種を作った。そのDNAを持った種が私の手のひらの上にある。心が洗われるような感動とはこんなことか。私はしばしこの真っ黒い朝顔の種に見入ってしまった。

 

 今私がこの現代に生きているということは、私の祖先は間違いなく、卑弥呼が支配したといわれる大和朝廷の頃もこの日本で生きていたはず。聖徳太子の時代やその後の奈良時代、魑魅魍魎が跋扈した平安末期にも、そして織田信長の時代、家康の時代、資源を求めて中国や東南アジアに乗り込んでいった昭和初期にもしぶとく生き残ってきたからこそ、平成の今、私は生きている。大和の頃、奈良や平安の頃、戦国時代、私の祖先は何をして暮らしを立てていたのだろうか。
 母方の祖父は7つも職を変えて、最後は家を建てる材木で財をなした。父方の祖父は泉州で百姓をしていた。だから3男坊の父が粉浜商店街で店を持ったとき、店名を「泉屋」と名付けた。あの「イズミヤ」より名付けは早かったと父は言っていた。
 私の血の中には大和の時代、奈良・平安の時代、戦国時代、江戸時代を生き抜いてきたDNAが組み込まれている。私の血が騒ぎ出すのは「何かを作り出すとき」「前人未踏の地を切り開くとき」「ある箱の中に大勢の人たちと一緒に放り込まれたとき」「牛や馬、人の集団を引き連れて旅するとき」この4つだ。60年も生きてくると、自分が何に反応するか、さずがに把握している。

「何が自分の血を騒がすのか」若い人でもすでに気づいている人も多かろうと思うが、人は自分のことが一番判らないと思っておいた方がいい。60年生きてきて本当にそう思うのだから年寄りの忠告は覚えておいて欲しい。
 生涯の仕事を選ぶとき、自分の血が騒ぐ仕事を選ぶべきだと思う。そうすれば、他の人がその職を離れたいと思っても自分だけは居残ることができる。そうすれば、それ相応の金や地位を得る確率が高まるだろう。それは生き延びることを意味する。

     

我が息子を含めた若い人たちに言っておきたい。朝顔の種を何度蒔いても、朝顔にしかならない。朝顔と同じように人もどこまで行っても人に違いないが、自分のDNAの奥底を流れる本流をしっかりと見つめ直し、今いる場所の必然性を見出すことができたなら、新たなスタンスでより力強く、よりしぶとく生きる残ることができるのではないか。
 他の仕事をしてみたいと思い悩むことが誰だって一度は考えるのではないか。でもそのとき、その仕事が自分のDNAの本流に添っていると気づくことができれば、きっと何かが変わってくるに違いない。嫌気がさす今の仕事が、実は天職だったという可能性もあるのだ。
 朝顔の種を見つめながら、自らの祖先のことを考えた。私の祖先たちの時代は、今以上に生き残ることが困難な時代だったはず。時代の激しい流れ、貧困と病気、天災地変など自分の力だけではどうにもならことがもっと数多くあったはずだ。しかし、生き残ったのだ。それは決して単なる幸運だけではなく、きっと自分の血を流れる本流に添ったこと(=仕事)をしていたに違いない。だから生き残れたと私は思っている。最後にヒントを授けておこう。自分の血を流れる深くて力強い本流に気づくには、過去の輝かしい自分、晴れ晴れしい出来事を思い出すがいい。その中に答えは潜んでいる。
 

「高知・四万十市で国内最高41.0度を記録!」

2013年08月12日 | Weblog

「高知・四万十市で国内最高41.0度を記録!」
私も送迎の中で車の室外温度が38度になっているのを確認しました。
<体温より2度も高い!>今日は大阪も信じられない暑さでした。

昨日ブラピのゾンビ映画「ワ-ルド・ウォーZ」を見てきました。
本当に身も心も凍り付くようなパニック・ホラーでしたが、2002年製作のイギリス映画『28日後...』(ダニー・ボイル監督、アレックス・ガーランド脚本)の二番煎じとしか、私には思えず、少しがっかかりしました。




ブラピが「マネー・ゲーム」同様に等身大の父親を演じています。
彼の映画をほとんど見てきただけに、ここにも減点が…。
ブラピの映画の中では
「レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い」
「ジョー・ブラックをよろしく」
「ファイト・クラブ」がベスト3かな。

今週は1年で一番暑い週になりそうです。
身も心も凍り付きたいなら、冷房の効いている映画館で「ワールド・ウォーZ」、
もしくは自宅の部屋をギンギンに冷やして
「28日後…」を鑑賞するのもいいかもしれませんよ。
でもどちらも後味はかなり悪いですが…。

「猛暑、ウエストワンズカンツリー倶楽部」(2013 8.7)

2013年08月07日 | Weblog

 いやー、今日の暑さは凄かったな。ウエストワンズCCでの1.5Rの挑戦はスルーで回っての食事後、3人ともギブアップしてしまいました。私も右の腰を痛めていたようです。しっかり回せないことをプレー中に気づきました。いつも腰と脹ら脛のサポーターをしているのですが、しばらくして腰を庇いながらのスイングに気づいたのです。スコアもひどいものでした。INスタートでショートホールの2つだけニアピンのパー、2OB、1ペナ、20パターで53、OUTは2パー、19パットで45。合計が98(39)でした。

    

    

    

    

 本日一番のショットが後半の8番ホール、セカンドがラフからグリーンセンターまで198Yありました。上りだったので210Yは必要。ボールはラフでしたが、しっかり見えていました。右はOBだったので「左からフェードを攻めたい」と思いました。無理にアウトサイドインに振ろうとせず、ヒールに当てて自然なフェードを打とうと思いました。3Wを抜いたとは「危険!危険!」が左脳が警鐘を鳴らしていました。他の二人はグリーン手前に刻みました。
 本来右脳人間の私は今回は警鐘を無視して果敢に挑戦しました。打ったボールは低く飛び出し、見事なインテンショナルフェード(?)がかかってグリーン方向に飛んで行きました。上りなのでグリーンに乗ったかどうかわかりません。他の二人は私の冒険には気づかずショットも見ていなかったようです。上り道をカートに乗って上っていくと私のオレンジのボールがピン手前4mにナイスオンしているのを見つけました。
「この一球だけで今日は満足!」と思えるほどでした。本当に今までに一度も打って成功したことがないスーパーショットでした。バーディーパットはミスりましたが、パーはもぎ取れました。ハンデ5(18ホールで5番目に難しいホール)でした。OUTのもう一つのパーはハンデ1のホールでセカンドを188Yを5Wで2オンに成功してパーを獲得しました。スコアはひどいものでしたが、3Wと5Wが成功率が非常にアップしてきました。60歳を超え、今後も飛距離はどんどん落ちていくでしょう。しかし、3Wや5Wを磨いていくことは、80歳までゴルフを目指す私には不可欠な武器です。頑張ります、70台を目指して!

     

 

(●右脳人間の特徴:「ひらめきがどんどん湧くような人間、過去に捕らわれず、先進的な物事に挑戦する」幸せな感情を常に持ち、パワフルな創造性を発揮する右脳人間は夢を描き、その夢を実現しようとする努力を惜しみなく続けている人である)


「ラブアップルコンサート 40周年2013」

2013年08月04日 | Weblog

     

 今年でラブアップルコンサートは40周年を迎えることが出来ました。本当にうれしく思います。24期の卒業生が今高軽音楽部同窓会コンサートとして、24期の部長だった野田拓君が発起人となり(沢井君や私もいたのですが)面倒見のいい彼が一所懸命に動いてくれて、そして小島大先輩のおかげで開催できました。あれから私は東京の大学に行ってしまいましたが、その後も延々とラブアップルを開催し続けてくれました。

    

    

    

  東京で就職した会社を12年後に退職し、大阪に帰ってきた後、阪神電鉄に2度目の就職を果たしました。翌年、<三暗刻>として再びラブップルのステージ立つことができました。その後20年以上、新たな会社で懸命に働き続け、その後は一度もラブアップルには出演できませんでした。昨年の3月末、無事定年退職することができました。

    

    

    

    

    

    

 ようやく誰に後ろ指差されることなくラブアップルに参加できると胸が膨らみました。そして、同期の沢井の弟、俊男くんを強引に口説き落とし<ボタンダウン>を結成して出演することができたのです。ラブアップのために貯め置いてきたオリジナル曲を4曲もご披露することができました。本当にうれしく思います。

 拓君や小島大先輩、そして33期のような強力後輩メンバーがいたからこそ、40年もの長きに渡って延々とラブアップルコンサートを継続してこれたのです。昨年、20年ぶりに出演を果たした時、ステージでも感謝の弁を述べましたが、この場を借りまして、もう一度、今まで継続するにあたってご協力して下さったすべての関係者の皆様に厚く御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

    

    

    

コンサートでもこの順で歌いました。

●「500マイル」(youtubeへ)

●「シャボン玉」(youtubeへ)

●「恋は恋」(youtubeへ)

●「生きる」(youtubeへ)

●「生きる」(スライドショー+4重録音バージョン)(youtubeへ)


「生きる」(恭央に捧げる)

2013年08月01日 | Weblog

 この曲はもう随分前に作りました。今年31歳になる息子がまだ小学校高学年の頃ですから17,8年前です。宮崎に住んでいる大学時代の親友から突然電話が入りました。長く勤めた会社を辞めたいというのです。愚痴をいうようなヤワは男ではなかったのですが、よほど苦しかったのでしょう。私は辞めたらとは言えず、かといって頑張れよという安易な言葉も言えませんでした。そして、1週間でこの曲を作り送りました。

 「人が泣きながら生まれてくるのは、

 生きていく苦しみを生まれながらに知っているから」

という意味のセリフがシェイクスピアの『リア王』の中で見つけました。このモチーフをずっと心に貯めていたのですが、経理責任者としてリストラを実行しようとしていた彼のことを想っていたらこの言葉を浮かんできて曲が生まれました。

  

 その後、彼は傾きかけた会社を立て直し、ブロイラー業界では宮崎県で一番の会社に育て上げました。宮崎県で一番ということは日本一ということです。しかし、その重責はもともと心優しかった彼の体をむしばんでいきました。そして昨年の3月すい臓ガンで亡くなりました。一昨年の秋宮崎で32年ぶりの再会を果たし、昨年の2月には夫婦で長崎旅行まで一緒に行きました。その一ヶ月後に亡くなったのです。私は思いっきり胸を締め付けられました。まだ墓参りもできす、今も引きずっています。3回忌には宮崎に行って墓参りしようと思っています。

 今まで人のために作った曲が3曲あります。一番最初は兄の結婚の際、兄嫁に捧げる曲(「今私は嫁いでゆく」)でした。2番目がこの曲です。3番目は息子が高校生になったときに作った「天からの贈り物」という曲です。今回のアップで全曲Youtubeにアップできました。(「春を待ち」は愛犬ハッピーに捧げた曲のなので省きます) 

●「生きる」(youtubeへ)


  <生きる>

人は泣きながら  生まれてくる
生きる苦しみを  知っているのか
人は多くのことを 学びながら
何故か人を傷つけ 涙まで失う

人の群れの中で 心に羅針盤を
人の群れの中で 花に心奪われ
人の群れの中で 哀れを知り我を知る


人は悲しみながら  心を深くする
生きている喜びを  じっと噛み締めながら
人は笑いながら   心を育てる
過ぎ行く時の流れを そっと惜しみながら

人の群れの中で 心に羅針盤を
人の群れの中で 花に心奪われ
人の群れの中で 哀れを知り我を知る