私にとって<感情移入>これが傑作と判断するキーワードだ。例えば「羊たちの沈黙」。映画はFBIアカデミー訓練生クラリス・スターリング(ジョディー・フォスター)が林の中をランニングするシーンから始まる。彼女の息づかいの中に何かに怯えるものが感じられた。この不安を感じさせる息づかいは作品の根底を流れ続け、いずれ恐怖へと移っていく。ガラス越しとはいえ、近づくのも怖いレクター博士との面談シーン。クラリスの恐怖が観客にのり移り始める。レクターによって触れられたくない幼い頃の記憶が引き出されていく。気丈夫を装うクラリスだが、彼女の怯えがだんだん観客に感情移入していく。ラストシーン、情報収集に向かったある家で、昆虫を見つけた時、クラリスはそこにいた男が犯人であることを確信する。心臓の鼓動は一気に高みに達する。腰からリボルバー(拳銃)を握りしめるが、震えはおさまらない。観客の心は彼女の恐怖と一体になる。暗闇の中、殺人鬼と二人だけの対決が始まる。相手は暗視スコープをつけいてる。ビクビクして手探りのクラリスが犯人に追い回される展開は、映画史上稀に見る傑作シーンだ。恐怖で心臓が破裂しそうになる。彼女の息づかいは、観客としっかりと同調していたはずだ。彼女が放った一発の銃弾で、ようやく観客は感情移入から解き放たれる。アンソニー・ホプキンスの怪演も見逃せない。この種のスリラーとしては珍しくアカデミー賞の作品・監督・主演女優・主演男優賞といった主要部門を独占したのも頷ける。
もう1本、ハラハラドキドキ度、90点越えの映画を紹介しよう。以前も何回か日記で紹介した韓国映画「チェイサー」だ。この映画は実際に起こったユ・ヨンチョル事件をモチーフに製作された。
ユ・ヨンチョル事件・・・ユ・ヨンチョル(柳永哲)は2003年9月から2004年7月までの10ヵ月間に、21人を殺害したとされる。「逮捕されなければ100人以上殺していた」と語った彼を、韓国メディアは「殺人機械」と呼んだ。殺害人数について本人は31人だと主張している。また「自宅で4人の臓器を食べた」とも供述している。2004年7月18日逮捕され、2005年6月死刑判決を言い渡された。死刑を求刑されたとき、ユ・ヨンチョルは「感謝する」と語ったという。
映画「チェイサー」を見た衝撃は、過去に類がない。韓国でのユ・ヨンチョル事件のことなど私は知りもしなかったが、映画の現実感に驚愕した。黒澤明監督の「天国と地獄」、「羊たちの沈黙」をも越える重厚なリアリズムがある。売春婦など誰も真剣に探さないだろうという恐ろしい現実感だ。病的なストーカーに怯える恐怖は、第三者には決して理解できない事と似ている。個人主義時代に突入した資本主義国おいて、他人の孤独や貧困、そして、恐怖を考える余地など皆無になりつつある。そこに重苦しいこの映画のテーマ、「現代の孤独」がある。
殺人鬼は売春婦を殴りつけながら「お前が消えても、誰も探さないさ」と呟く。この言葉は殺人鬼と化した自分にもあてはまることを彼は自覚していた。だからこそ、他人に同じ思いを味合わせたいのだ。口元をくくられ両手両足を縛られて無人の家の浴室に放置された売春婦。「誰か、助けて!」叫んでも声にならない。帰って来ない彼女に何かあったと気づく風俗店経営者の元刑事。幼い娘は一緒に母を探し回る男性(=元刑事)の姿を見て、母親の死を予感しタクシーの中で泣き叫ぶ。音声は聞こえてこない。とても胸に迫ってくるシーンだ。少女の泣き声が頭の中で響いてくるようだった。
"他人の悲しみなど第三者に分かるはずがない。声など聞こえるわけがない"という監督の熱くて重いメッセージが伝わってくる。放置された売春婦の恐怖が、観客にどんどん乗り移っていく。下着一枚の彼女が自力で縄を切って、ようやく脱出したときは喝采したい気持ちたっだ。しかし、その後の展開は誰一人想像できないだろう。こんな結末があっていいのだろうか… この映画の3分の2は現実にあったことだと監督は語っている。
日本と同じように急速な発展を経験した韓国。映画を観ていて、日本と同様の<孤独>という恐怖がはっきりと見えてくる。「羊たちの沈黙」は、非常に良くできた米国ハリウッド作品。怖い映画だが、あくまで作りものとして安心して見ることができる映画だった。しかし、この映画「チェイサー」は違う。作られた映画とは思えないくらいのリアリティを感じるのだ。わが国に最も近い国韓国。見た目や生活様式も大きく違わない。ここにも同調する恐怖が存在する。バブルが弾け経済発展に乗り遅れた人たち。ヤクザの存在を感じる社会。金のかかる福祉に手を焼く政府。救いの手を伸ばす人も友人もいない。他人のことなど気にかけていられない焦りが巷に充満している。落ちこぼれを救おうとする社会力が希薄になっている。ヤクザは彼らからも金や血まで搾り取ろうとする。ヤクザにもなれない孤独な獣たちが街を徘徊する。ここに資本主義社会の闇がある。気の弱い人は、絶対に見てはいけない作品であることを改めて助言しておく。「羊たちの沈黙」の比ではないからだ。しかし、名作であることは間違いない。
もう1本、ハラハラドキドキ度、90点越えの映画を紹介しよう。以前も何回か日記で紹介した韓国映画「チェイサー」だ。この映画は実際に起こったユ・ヨンチョル事件をモチーフに製作された。
ユ・ヨンチョル事件・・・ユ・ヨンチョル(柳永哲)は2003年9月から2004年7月までの10ヵ月間に、21人を殺害したとされる。「逮捕されなければ100人以上殺していた」と語った彼を、韓国メディアは「殺人機械」と呼んだ。殺害人数について本人は31人だと主張している。また「自宅で4人の臓器を食べた」とも供述している。2004年7月18日逮捕され、2005年6月死刑判決を言い渡された。死刑を求刑されたとき、ユ・ヨンチョルは「感謝する」と語ったという。
映画「チェイサー」を見た衝撃は、過去に類がない。韓国でのユ・ヨンチョル事件のことなど私は知りもしなかったが、映画の現実感に驚愕した。黒澤明監督の「天国と地獄」、「羊たちの沈黙」をも越える重厚なリアリズムがある。売春婦など誰も真剣に探さないだろうという恐ろしい現実感だ。病的なストーカーに怯える恐怖は、第三者には決して理解できない事と似ている。個人主義時代に突入した資本主義国おいて、他人の孤独や貧困、そして、恐怖を考える余地など皆無になりつつある。そこに重苦しいこの映画のテーマ、「現代の孤独」がある。
殺人鬼は売春婦を殴りつけながら「お前が消えても、誰も探さないさ」と呟く。この言葉は殺人鬼と化した自分にもあてはまることを彼は自覚していた。だからこそ、他人に同じ思いを味合わせたいのだ。口元をくくられ両手両足を縛られて無人の家の浴室に放置された売春婦。「誰か、助けて!」叫んでも声にならない。帰って来ない彼女に何かあったと気づく風俗店経営者の元刑事。幼い娘は一緒に母を探し回る男性(=元刑事)の姿を見て、母親の死を予感しタクシーの中で泣き叫ぶ。音声は聞こえてこない。とても胸に迫ってくるシーンだ。少女の泣き声が頭の中で響いてくるようだった。
"他人の悲しみなど第三者に分かるはずがない。声など聞こえるわけがない"という監督の熱くて重いメッセージが伝わってくる。放置された売春婦の恐怖が、観客にどんどん乗り移っていく。下着一枚の彼女が自力で縄を切って、ようやく脱出したときは喝采したい気持ちたっだ。しかし、その後の展開は誰一人想像できないだろう。こんな結末があっていいのだろうか… この映画の3分の2は現実にあったことだと監督は語っている。
日本と同じように急速な発展を経験した韓国。映画を観ていて、日本と同様の<孤独>という恐怖がはっきりと見えてくる。「羊たちの沈黙」は、非常に良くできた米国ハリウッド作品。怖い映画だが、あくまで作りものとして安心して見ることができる映画だった。しかし、この映画「チェイサー」は違う。作られた映画とは思えないくらいのリアリティを感じるのだ。わが国に最も近い国韓国。見た目や生活様式も大きく違わない。ここにも同調する恐怖が存在する。バブルが弾け経済発展に乗り遅れた人たち。ヤクザの存在を感じる社会。金のかかる福祉に手を焼く政府。救いの手を伸ばす人も友人もいない。他人のことなど気にかけていられない焦りが巷に充満している。落ちこぼれを救おうとする社会力が希薄になっている。ヤクザは彼らからも金や血まで搾り取ろうとする。ヤクザにもなれない孤独な獣たちが街を徘徊する。ここに資本主義社会の闇がある。気の弱い人は、絶対に見てはいけない作品であることを改めて助言しておく。「羊たちの沈黙」の比ではないからだ。しかし、名作であることは間違いない。