GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<信じる>

2009年10月27日 | Weblog
今でも時々大河ドラマ「篤姫」を思い出します。
彼女のパワーの源はなんだったろうか?
私は<信じる>力だったように思えてなりません。
母やお菊、斎彬をはじめ、出会ってきた多くの人の真心を信じ、
言葉を信じ、人を信じてきたからこそ、大義を成せたのでしょう。


私は誰かを信じ、誰かを想うことで心の暖炉に火がともるように思います。
その暖かさは、いずれ周囲まで暖めるのではないか、そんなふうに思っています。

しかし、闇雲に信じたり想うわけではありません。
その人の言葉や行動、態度は隠しきれないものがあります。

氷山の一角をみて全体を計るのは難しいことですが、
一対一でのコミュニケーションではなく、
人目を気にしていない何気ない言動の中に、
集団行動での目立たない言動に中に、
人の本質が表れるような気がしています。

私の<信じる>判断基準の一つです。
「誰に対しても、どんな人に対しても同じ応対ができる人」

(友人には笑顔で、知らない人にはぶっちょう面、
 表の顔、裏の顔、二枚舌、上司にはぺこぺこ、
 部下には偉そうに振る舞う人、
 目下にみた話ぶりや接客者に対してお客様ぶる人、
 は好きではありません)

一対一で判断するのは最も危険なような気がします。
逢った瞬間恋に落ちる、俗に言う「一目惚れ」など危険極まりないと思っています。 


誰かを信じて裏切られることを恐れ、恋ができない人がいる。
きっと過去の経験や知識がそうさせるのかもしれません。

「人が人を騙す」

残念ながらあらゆる人間関係で存在します。
詐欺犯罪がその最たるもです。
振り込め詐欺がいまだに横行しています。
本当に悲しい現実です。

このような人々と私たちは一体となって生活していることを
自然体で受け入れることが大切なような気がします。

しかし、人を信じられないで、時を過ごすのではなく、
<信じる>ことは心を暖かくし、
勇気まで与えてくれることを大切にしたいと思います。

酸素や塩も与えすぎれば害となるように
<信じる>も過ぎてはよくはありません。

そのために私は<信じる>基準を心の中に構築して行くべきだと考えています。

喩えがあまりよくありませんが、
ゲームのオセロはルールが簡単で幼い子供達にもすぐプレーできますが、
囲碁や将棋や麻雀はすぐにはできません。
幼い子が独り立ちできないことを似通っています。
囲碁や将棋は攻めと守りが一体となったゲームですが、
麻雀の勝敗は攻めと守りの他に運が大きな要因の一つとなります。
そう言った意味では一番人生と似ているゲームと云えるかもしれません。

一度きりの人生ゲームではゴールは幸せです。
ルールは複雑と思えば複雑と云えますが、基本は<信じる>ことだと思います。
他にも法律や社会規範、昔からの習慣・伝統、親の教えというルールも存在します。
決して後戻りできず、プレータイムが約80年という長期間のゲームです。
だから裏切られたり、ミスの連続でも、数年のロスなど実はどうってことはないのです。
「もう誰も信じない」
これでは決してゴールにはたどり着けません。
だったら<信力>(私の造語)を磨き、人生ゲーム、
いや現実の人生に挑む方が前向きではないでしょうか。

人は人を騙したり、裏切ったり、脅したり、腐敗したり、復讐したり、
そして、許したり、愛したり、励ましたり、信じたりできる生き物です。
そしてそれらは太古の昔から人間の原動力となってきたのです。

私たちは善人でもなければ悪人でもない、その間の何処かにいる生き物。
そしてこれが人間の本質だと思っています。
私たちはは天使や悪魔ではないのですから、
善人であり続けることも、悪人であり続けることもできないように思います。

だからこそ、原動力の一つ<信じる>(信力)を磨くことによって
騙したり、裏切ったり、脅したり、腐敗したり、復讐しないでいたいと強く想っています.

ドラマの「篤姫」が自分の生きる道を見出し、
それを信じ、人を信じきった人生を歩みました。
前には道がありませんでしたが、
振り返れば一本道だったように思います。
信じる力が自らの羅針盤となると信じています。

「共に生きる」<加藤和彦>3

2009年10月25日 | Weblog
自己が存在し人間関係が生じて、初めて孤独が生まれます。
どんなに仲間が沢山いようと、
どんなに温かいファミリーに育てられようと、
人は孤独に陥ることがあります。
ここに人生の哀しみや難しさがあるような気がします。

何度も日記で書いてきましたが、
五木寛之氏の最初のエッセイ「風に吹かれて」の中に、この打開策が示されています。
大学生の頃、読んだ文章ですがいまだに忘れられません。

「人が集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ。
 その孤独から逃れるには、共同の行為おいて他にない」


大学の4年間、クラブでコンサート活動に勤しんできたおかげで、
誰一人知り合いのいない東京で生活してきましたが、
心の芯まで凍てつくような孤独感に蝕まれることはありませんでした。

しかし、今、加藤和彦氏と南田洋子さんの死を前にして、
真の<共同の行為>とは何か、改めて考え直さずにはいられません。
仲間とのクラブ活動に勤しむことでもなく、
仕事関係の人と親好を深めることでもないような気がします。
それらはすべて家族と共に生きる為の演習ではないかと。
そして、真の<共同の行為>とは、
連れ添いと「共に生きる」ことではないかと思えてくるのです。

「共通の趣味を仲間たちと楽しむ」
確かにここには、孤独を感じさせない温かい人の温もりがあります。
加藤氏の死を見て無念さが残るのは、「共に生きたかった人」への想いです。

人は縁があって結婚し、子供を育て、
いづれはその子供達の独立を見送ります。
残るのは配偶者、すなわち血のつながった人ではない共に生きてきた連れ添いです。
人生の道行きで偶然出会い、他の人とは違ったものを感じ、
一緒になりたいと思った連れ添いが最後の同船者となります。

偶然の出会いからお互いの親子関係を基にした新たな人間関係が構築されていきます。
父や母を観て育った人が連れ添い(=配偶者)を選ぶわけですから、
父や母と同じような人を選んだり、二人を反面教師として選ぶのだと思います。

出会った頃は、まだ若くお互いの性格や価値観も把握できず、
それからの二人の将来も想像できなかったはす。
育った環境の違いや性格の違い、
価値観の違いや子供への接し方の違い、
家庭や仕事の優先順位の違い、
それぞれの親への思いの違いなどを克服しながら
家族を育て「共に生きる」のです。これが結婚生活だと思います。

この<克服の道のり>は二人だけの道のりであり、
しかも、オリジナルの道のりです。

そして、この道はストレスを伴い忍耐を必要とします。
ここに深い絆、情というものが生まれていく所以があります。
忍耐がなければ絆や情が生まれるはずがないのです。

<加藤和彦>2

2009年10月20日 | Weblog
19日の朝日新聞朝刊に、フォークルメンバーの親友、きたやまおさむ(精神科医・作詞家)の追悼文が掲載されていました。

『趣味は一流、生き方も一流、ギタープレヤーとしても一流でプレヤーすなわち「あそび手」としても一流。それがゆえに、凡百とのおつきあいの世界は、実に生きにくいものだったろう。加藤和彦が日本の音楽にもたらしたもの、それは「革命」だった。自主制作の「帰ってきたヨッパライ」が300枚作られ、結果的に280万枚を売った半年で日本の音楽の流れが大きく変わったのだ。大先生が作る作品を歌手が歌うという「上から下」の主流に、自作自演のという「下から上」への波が音を立てて流れ込んだのである。その上、新興のシンガー・ソングライター・ブームに対し、加藤の志向は、主にバンドにあり、フォークル、ミカバンド、最近では和幸とソロ中心に偏ることはなかった。私のようなセミプロを傍らに置いてたててくれたのも、バンド志向の優しいリベラリズムであったと思う。

 後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手の届かないところに飛んで行った。戦友としては、その前だけを見る戦いぶりに拍手を贈りたい。しかし、昔話に花を咲かせ共に老後に過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。』

 映画「パッチギ!」で彼の歌が流れてきたとき、涙が溢れて止まりませんでした。「イムジン河」が作られたのが私が15歳、高校一年生の時でした。朝鮮半島分断の悲劇を歌った曲と知ったのはしばらく経ってからでした。日本の現状も世界情勢のことも、そして人の心の痛みも何も分からなかった私でしたが、この美しいメロディーがとても気に入って、ギターで練習したことを良く覚えています。


<イムジン河>

イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る』


『ライフ』誌上で高らかに「アメリカの世紀」を謳いあげたのは1941年。1950年代は希望に満ちた右肩上がりの「豊かさ」の時代。60年代から70年代初頭にかけてアメリカは希にみる激動の時代を迎える。学生運動、マーチン・ルーサー・キングを中心とする市民権運動、婦人権運動、反ベトナム戦争運動、ヒッピー運動は、50年代の「リベラル・コンセンサス」に対して根底的な挑戦となった。1968年は共和党のリチャード・ニクソンが民主党のヒューバート・ハンフリーに辛勝し、この選挙をもって、ケネディに始まるリベラルな改革主義の時代が終焉したとされてる。

 1968年(もしくは1969年)は今までのコンセンサスが大きな変革を見せた年と云えるのかもしれません。親友のきたやま氏が追悼文で書かれたように「上から下」という従来のスタンスが、「下から上」への流れ生まれた。いわば20世紀のルネッサンスと云うべき革命が世界中に沸き上がったのです。その日本の第一人者が加藤和彦氏と云えます。1969年8月に40万人以上集めた<ウッドストック>はその象徴的イベントでした。大好きなバンド、イーグルスも象徴的な1969年を歌っています。


<ホテルカルフォルニア>

暗く寂しいハイウェイ
涼しげな風に髪が揺れる
コリタス草の甘い香りがほのかに漂い
はるか前方には かすかな灯りが見える
頭は重く 視界かすむ
どうやら今夜は休息が必要だ
礼拝の鐘が鳴り
戸口に女が現れた
僕はひそかに問いかける
ここは天国? それとも地獄?
すると 女はローソクに灯を灯し
僕を部屋へと案内した
廊下の向こうから こう囁く声が聞こえる

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
ホテル・カリフォルニアは
数多くのお部屋をご用意して
あなたのお越しをいつでもお待ちしています
ティファニーの宝石のように繊細で
高級車のように優雅なその曲線美
美しいボーイたちはみな
彼女たちに心を奪われている
中庭では香しい汗を流して
ダンスを踊っている人々
思い出を心に刻もうとする者
すべてを忘れるために踊る者

そこで僕は支配人に告げた
「ワインを持ってきてくれないか」
すると彼は「そのようなスピリットは1969年以降一切ございません」
それでも人々が深い眠りについた真夜中でさえ
どこからともなく 声が聞こえてくる

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
どなたもホテルでの人生を楽しんでいらっしゃいます
口実の許すかぎり せいぜいお楽しみください
鏡を張りめぐらせた天井
グラスにはピンクのシャンパン
誰もが自分の意思で囚われの身となった者ばかり
やがて 大広間では祝宴の準備がととのった
人々は 鋭いナイフを突き立てるが
誰ひとり内なる獣を殺せない

気がつくと僕は出口を求めて走りまわっていた
もとの場所に戻る通路を
なんとかして見つけなければ・・・
すると 夜警がいった
「落ち着いて自分の運命を受け入れるのです
チェック・アウトは自由ですが
ここを立ち去ることは永久にできません」

<残り香>(加藤和彦氏に捧げる>

2009年10月18日 | Weblog
<残り香> 


アナウンスが聞こえる 上りの電車がやってきたのだ
下りのプラットホームに立ちながら ボクは近づいてくる電車を眺めていた
向かいのホームからボクを見つめている人がいる
その視線と合ったとき 「あっ」と声を上げた
そして 忘れもしない名を呼んだ


電車がホームに入ってきて 多くの人が乗り込んだ
人混みのため 彼女が乗ったかどうかわからない
30年以上の時を経た偶然の再会に 
ボクの胸は高ぶった
お互いに歳による変貌を感じなかったのだ

ドアが閉まって電車が通り過ぎるまでの時間
短いようでも ボクには永遠の時のように感じた
(乗らないでいて…)と心で叫びながら

今は異なる道を歩む二人 
あの素晴らしい愛の季節を 共に過ごしたのだ

守るべきものなど 何一つなかった若き頃
世界は自分のためにあるとさえ思えた頃
二人は恋に落ちたけど 現実の壁にさらされて別れてしまった

後悔などありはしない 
ただ若かったとしか云いようがない
だからこそ身を焦がすような恋ができたのだ
切ない気持ちだけが 今も胸の奥で静かに横たわっていた



動き出す電車に乗ってしまったのか
必死で彼女を捜そうとするが見つからない
胸の鼓動がどんどん高鳴ってくる
(乗らないでいて…)と心で叫びながら
ホームにいたすべての人を乗せて電車は走り去ったかに思えた

しかし たった一人 静かにたたずむ人がいた
私の胸の鼓動が頂点に達した
(ありがとう)心で叫びながら勢いよく手を振った
彼女はにっこり微笑みを返しながら
(変わらないね)と云ったように思えた

下り電車のアナウンスが聞こえてきた
ボクは焦って(そちらにいくよ)と合図を送る

だけど君は 首を横に振った
そして 両手で胸に×印を作った(だめよ 来ないで!)
ボクの高まった心は突然凍りつき 
そして 一歩も動けなくなった

電車がホームに入ってくる
人混みに押されながら 自分の意志ではないように
ボクは電車の中に運び込まれた
彼女が見える窓側に辿り着き じっと見つめるしかなかった

手のひらをヒラヒラさせながら 
笑顔で(サヨウナラ)と合図を送ってきた
ボクは苦虫をかんだような笑顔を浮かべ
ようやく肩まで右手を挙げた
だけど彼女のように ヒラヒラとは動かせなかった

彼女の笑顔が(私は幸せよ 心配しないで)そう言っていた

凍り付いた心が 少しだけ溶け出していくのを感じた
ようやく笑顔が取り戻せたとき 電車は駅から遠く離れていた


時は戻せないのだ
悲しくて 悲しくて やりきれなくても
一度限りの人生を歩むしかないのだ

過ぎ去った風は 永遠に戻っては来ない
ただ残り香が いつまでも心の中を漂うだけ…


      …………


心からご冥福を祈ります。

<合掌>

<私のヒーロー> 野村克也

2009年10月17日 | Weblog
 小学校の頃、毎週のように他のクラスの仲間を集めて野球の試合をしていた。チーム名は青空チーム。場所は住吉公園のローラスケート場。今は砂場に姿を変えている。

「こんな小さな場所で野球を?」

 今その場所に立つとあまりの小ささに驚く。私のポジションはキャッチャー。ただ一人仲間の顔を見られるポジション。影響を受けたのは南海の野村克也捕手。大阪難波から南海本線で10分足らずの所に住んでいた関係で南海ホークスのファンだった。ファーストやサード、ピッチャーもやったが、一番好きなポジションはキャッチャーだった。

 野村克也選手は、現役時代南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレイし、引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、社会人野球のシダックス野球部監督を務めた。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスで4年間監督を務め、今シーズンを以って退任する。

 今日、マー君が完投しソフトバンクに2連勝してセカンドシリーズを終え、いよいよ日ハムとのリーグ優勝をかけて戦う。弱小チームを率いてまさかの展開。<私のヒーロー>が最後の勇姿を見せてくれている。

野村克也  1935年6月29日生まれ
長島茂雄  1936年2月20日生まれ
王 貞治 1940年5月20日生まれ

野村克也
・通算本塁打657本 捕手としての世界記録。
・捕手として3017試合出場(日本プロ野球記録。捕手としてダントツの大世界記録)


長島茂雄
・公式戦、日本シリーズ、オールスターの全てで通算打率3割以上 ※史上唯一。

王貞治
・通算本塁打:868(世界記録)
・MVP:9回 歴代最多
・本塁打王:15回 歴代最多
・2006年3月「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック」日本を初代チャンピオン(世界一)へと導き、選手・監督として名実共に「世界の王」となる。

 3人の中で最も永く現役選手を経験(26年間)し、今後もきっと誰も破れないだろう世界記録を2つも持っている。しかも監督として今期も現役を続けている。野村再生工場ともてはやされながら、一時は派手な妻の事を騒がれたり、社会人野球の監督も経験して辛酸を舐め、二人より華々しくはなかった野球人生。しかし、今や日本球界で記憶に残る最高の監督となった。全ての選手達に慕われ、地元のファンから大声援を受け、今やほとんどのプロ野球ファン、野球を知らない女性連中からもボヤキが可愛いとエールを受けている。

 日本シリーズ出場をかけて、西武との戦いが始まろうとしているが、高齢74歳にして生涯で最高の年を迎えていることが鳥肌が立つくらい、根っからのファンとしてうれしく思っている。試合後のインタビューでのボヤキ、巨人や相手チームへの悪口など、すべてマスコミに取り上げて貰うためのしたたかな作戦。南海に入団するときもベテラン捕手のいない球団を調べて、ようやく補欠で入団。しかし、結果が出ずに辞めるように云われた時も、自殺すると云って球団を驚かせた選手に、こんな素晴らしい野球人生が待っていようとは誰一人、本人さえ思わなかったはず。「プロはプロセスのプロ」といって結果より過程が大切だと指導してきたのは、能力を努力でカバーしてきた自分の人生経験からきた言葉。

勝つために何が必要なのか。
打つために何が必要なのか。
三振をとるために何が必要なのか。
打たれないためにどんな投球が必要なのか。

「能力がない選手が能力のある選手に勝つために何が必要なのか」
考える野球の原点はここにある。

ID野球とは情報を如何に駆使して勝ち得るか、その手段に過ぎない。
それらはすべて勝とうとするためのプロセスなのだ。


『人間というのは、自分のことは自分が一番よくわかっていると考えがちですが、
 決してそうではない。周囲の人の方が的確に見ているものだし、
 相応の評価をしているものです』 
(野村克也)

『ものの見える人が千人、ものの見えない人が千人いる。
 見ている人は見ているのだから、仕事はいつも一生懸命でなくてはならない』
(野村氏の恩師:草柳大蔵)



PS:山崎選手とのハグ写真。見ただけ胸がキュンとなっちゃいます。
   西武に勝とうが負けようが、
   日本シリーズで勝とうが負けようが、
   野村克也氏は45年以上、私のヒーローであり
   今や生涯のたからものです。

   言いたい放題、今後も続けて下さい。
   それが長島や王とは異なるところ。
   だから脳梗塞や胃ガンという成人病にかからなかったのですから。
   これからも長生きして野球界を楽しくして下さいね。

「神は、人が越えられない試練を与えない」

2009年10月13日 | Weblog
 SANKYOレディースの最終日。初日からトップ続け、安定したゴルフを続けていた韓国の全美貞(ジョン・ミジョン)は、この日、素晴らしいゴルフをみせ、一時は2打差まで猛追した宮里藍のプレッシャーを受け続けた。4アンダーで先にホールアウトした宮里は、トップとは3打差もあり殆ど諦めながら(パターやショットの練習をしていない)、グラブハウスのモニターテレビで全美貞のプレーを観戦していた。

2位の宮里に3打差で迎えた17番。
まさの事が起こった。ボールは右にそれてバンカーに。
しかも目玉(ボールが真上から落ちて半分以上が砂に埋まる状態)。
結局そのホールをダブルボギーにした。
1打差で迎えた18番。
なんと3打目をショートしてボールは池に落ちた。
その時、心ないギャラリーから拍手が起きた。

このことを宮里は後日自らのブログでこう語っている。
「私としてはとてもとても心が痛かったです」
「応援してくれている方にもフェアプレー精神を持ってほしい。私の心からの願いです」

同じようなことが男子ツアーでも起こっている。
8月のサン・クロレラクラシックで、優勝した石川遼と争っていたB・ジョーンズがパットを外した際、一部の観客から拍手がでた。
まだ17歳だった遼君が宮里と同じように嘆いていた。

 相手のミスを喜ぶ気持ちは、自分の心を弱くする。相手のパットを、「外せ、外せ」と願っていて、仮に入ったときの心の動揺が、その後のプレーに影響するからだ。人のミスを待っているか、そんな弱気なことでどうする? こんな自問自答するようではいけません。ゴルフというスポーツはボールを打ち返す野球やテニスとは大きな違いがあり、止まっている自分のボールを打って、いかに少ない打数で上がるかを競うスポーツです。心の動揺が無意識に身体の動きをおかしくし、止まっているボールをクリーンヒット出来なくなるのだ。この呪縛とも云える自分との戦いがゴルフの本質だ。

 この戦いの最中に、全美貞は自分のミスに対して、ゴルフというスポーツをまったく知らない日本の心ないファンの拍手を聴いたのです。折れかけていた心に冷たい水をかけられたのです。その後のアプローチもパットも生彩がありませんでした。私は宮里藍のファンですが、その前のゴルフというスポーツの大ファンでもあります。

 大阪生まれの私は昔の難波球場や甲子園球場に何度も応援に行きました。打たれて交代されるピッチャーやチャンスに打てない4番打者、ピッチャーの交代時期を間違えた監督に対して、子供の私に聴くに堪えない野次、暴言の数々を聴いてきました。
(自分の味方だろ… なんでそこまでいうの…)

 ゴルフには野球のように1塁側・ライト側、3塁側・レフト側のように自分が応援するチーム側の席はありません。しかも、日本で開催されるゴルフツアーで2位が日本選手なら、当然のようにトップを走る外国人には強いアゲィンストの風を受ける。日本で稼ごうと来日してくるプロゴルファーなら当然承知でやって来る。しかし、自分のミスに拍手する観戦者はどこでも皆無に違いない。情けない日本のファン。

折れかけた心を必死で立て直そうと打ったボールが池に落ちる。
その衝撃的と思えるような自分のミスに対して、心ない拍手が耳に入ってくる。
「動揺するな」と云っても無理な話である。

棚からぼた餅的優勝が舞い込んだ今回の優勝劇。
宮里藍は何度も2位で、悔し涙を噛みしめてきた経験がある。
自滅して負けた試合こそ、強い自分を作っていくこと知っている。
最後のパットをバーディーで勝てる強さ。
最終日トップの成績を維持できる強さ。
ミスしても焦らず落ち込まず取り戻せる強さ。切り替えられる強さ。
アゲィンストの風にもアウェーの風にも負けない強さ。
そんな強さを身に付けようと藍をはじめとするすべてのプロゴルファーは練習に励んでいる。
ゴルフの呪縛にかからないように…。


この呪縛はプロゴルフの世界だけに存在するものではない。
小学生たちの教室にも、
クラブ活動の場でも、
社会の職場にも、
日本全体の社会にも、
国際的な場でも数多く存在する。

そんな呪縛や心なき言葉に左右されたくはない。

先日見たTVドラマの中で、こんなセリフがありました。

「神は、人が越えられない試練を与えない」

今回で1億円プレーヤーとなった韓国の全美貞。
彼女と共にこの言葉を噛みしめたい。

「真実の愛は自己犠牲?」

2009年10月08日 | Weblog
 ある方の「真実の愛は自己犠牲」という言葉に共感しながらも、何か引っ掛かるものがありました。今日はその引っ掛かりについて考察して見たいと思います。

 最近見たTVドラマ「黒部の太陽」では、トンネル工事中に香取慎吾演じる親方(映画では石原裕次郎が演じた)の部下が事故で死亡します。彼は父親の反対を押し切って日本一のダム建設に参加したのです。関西電力の黒四建設事務所次長(小林薫:映画では三船敏郎が演じた)が「日本の電力のために、日本の発展のために頑張ってくれ!」と部下を失って苦悩する慎吾親方を励まし熱く語りますが、香取親方は怒りながらこう言い返します。

「俺達は誰かのために掘っているんじゃない。
 死んだ彼も誰かの犠牲になったわけじゃない。
 そんなのあまりに悲しいだろう? 
 俺達穴掘りは、自分の誇りのために穴を掘っているんだ!
 それが仕事だから掘っているんだ!」
          (セリフは少し違っていると思いますが、思い出す限り…)

http://blog.goo.ne.jp/goodluckyuji713/e/40923b48cb2ee6eb071dce8fee041b68より)

「ロッキー・ザ・ファイナル」でロッキーが最後の試合臨むとき、
一人息子の引き留めを振り払い、亡くなったエイドリアンの為でもない、
自分の誇りためにリングに上がろうと決意します。

「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」では退役した盲目の軍人が、
現役時代の軍服にすべての勲章を付けて、その誇りのために自殺しようとします。

「ア・フュー・グッドメン」では百戦錬磨の大佐が、
その誇りのために我を忘れ、若き弁護士の誘導尋問にはまってしまいます。

大河ドラマの「篤姫」では「女の道は一本道。引返すは恥にございます」と
菊本は、 自分の死を持って、篤姫に役割の大切さと女の誇りを教えました。

「ロッキー・ザ・ファイナル」もまたボクサーという職業としての誇りです。

「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」も「ア・フュー・グッドメン」も今での軍役の対しての誇りです。

「篤姫」もまた幼い頃から篤姫を育ててきた菊本の侍女としての誇りです。

これらの<誇り>には何かに向かって明確なスタンスがみられます。
「黒部の太陽」では、死んだ若い部下は、母親の引き留めにも関わらず、請け負った仕事に対してのトンネルマンの誇りの他に、父親以上に信頼し慕っていた親方への愛が存在すると思えたのです。

ボクサーとしての誇りだけではなく、息子への深い愛情があったのではないか、
軍隊に対する誇りだけではなく、自国を愛する気持ちがあったのではないか、
侍女としての誇りだけではなく、篤姫に対する深い愛情があったのではないか、
誇りと共に同格ではなく同種の愛があったのではないかと思ったのです。

誇りにはその対象に対して愛情が欠かせないように思うのです。

一人息子の心臓が止まろうとするなら私は喜んで自分の心臓を提供します。
その気持ちは決して自己犠牲ではなく、我が子への愛、父としての誇りと云えます。
愛と誇りの二つを計りにかけると、同じ質量になります。
愛と誇りは同格ではなく、同種、もしくは一体ではないのか。

 プロ野球選手の投手なら肩を、プログラマーなら視力、イノベーションに命を削る思いで身を捧げた人達、自分の仕事の為に身体を壊してまでその仕事を最後まで貫いた多くの人達がいます。戦後崩壊した日本は、このような人々の仕事に対しての誇り、そして、家族に豊かな生活をさせたいという愛情に支えられて発展してきたはずです。

 しかし、バブルを経験し豊かさを知り、見てきたことによって、誇り無き人々、愛無き人々が増え、安易に個人情報を売ったり、人の年金に手を付けたり、保険金に手を付けたり、詐欺行為を行ったり、機密情報まで売ってしまう自衛官が存在する情けない人達が増えてしまいました。

そんな誇りを失った人々に愛があるとは到底思えない。
自己本位という強い感情だけが浮かんくるのです。

日記「日本は侵略国家だったのか?」
http://blog.goo.ne.jp/goodluckyuji713/e/d46458998095b2b29d9d7653cc93196c
で紹介した航空自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長の論文には、自衛官としての誇りを感じます。同時に国家への濃い愛を感じます。誇りが高ければ高いほどその愛も又濃いものになります。
 日本を守ってきた自衛官としての誇りや自国への愛は、そんなことを露一つ考えもしなかった人々と比較すれば雲泥の差があるでしょう。その差から彼を誹謗するのは間違いだと思います。立場や経験の違いが、思想やスタンスまで大きな差となって現れるのです。意とも簡単に機密情報を売る自衛官に日本を守って欲しいとは、きっと誰も思わないでしょう。

 ただ、愛も誇りも度を超すとその言動は危険なものと化します。酸素や塩を摂取しすぎると身体に悪影響をきたすことと同じです。誇りや愛に人は命をさしだすでしょうが、欲望に執着した連中には悲しいかな、命をかけるべきものが存在しません。そんな哀れな人間にはなりたくない。私は愛と誇りを持って生きていきたいと強く思っています。

「自己犠牲」という言葉に引っ掛かりを感じましたが、結果として第三者は自己犠牲と見るに違いありません。しかし、本人からすれば自己犠牲ではなく愛と誇りの為の行為だと主張したいのではないか、私にはそう思えます。

 映画「グラン・トリノ」のラストシーンは、主人公ウォルトが少年のために残り少ない命を捧げます。ダーティー・ハリーや西部劇のヒーローを演じてきたクリント・イーストウッドのスクリーン最後のヒーローは、悪漢どもを撃ち殺すシーンで終わりませんでした。ここには、彼が今まで演じてきたヒーローと悪漢どもへの鎮魂歌(レクイエム)を感じます。

 悪漢どもを撃ち殺すことも可能だった彼は、無抵抗に銃弾を受けることによって悪漢どもを警察に追われる犯罪者にして、少年を守ろうとしたのです。刑事でもないウォルトが、悪漢どもをたとえ正当防衛で撃ち殺したとしても、少年の未来に良い影響を与えるはずがないのです。そんな解決しかできない人間にはなって欲しくなかったのです。大切な友人タオ少年を、男の誇りを懸けて守ったのです。そこにはタオに対する深い愛が存在します。愛なくしては誇りもまた存在しないのです。


<禁断の恋> 「トワイライト~初恋~」

2009年10月03日 | Weblog
禁断の恋と呼ばれる恋は、この世に存在する。
禁断であればあるほどその恋は燃え上がる。
恋に落ちた二人は離れられない切なさにどんどん身を焦がしていく。
自分たちの行く末や周囲の想いなど、どこ吹く風となる。

夢中で分別をなくすと云うよりは、二人の恋が運命の出会いとまで感じてしまう。
どうしても離れられない切ない想いを一度でも経験した人なら、
あの狂おしいような切ない想いを共感できるはず。

先生と生徒との恋
上司と部下との恋
配偶者のある人との恋
親が禁じた人との恋
結婚が決まった人との恋
親が敵対関係にある人との恋

 禁断の恋と言えば、巨匠スタンリー・クレマーが製作・監督した名作映画「招かれざる客」もその一つと云えるかもしれない。今では珍しくもなくなりましたが、白人女性と黒人男性の結婚を描いた、わずか一日のドタバタ劇。物語はリベラリストとして名高い白人の名家でしかも新聞社社長ドレイトン(「老人と海」のスペンサー・トレシー)のもとに、一人娘のジョーイが婚約者を連れてくる。その相手がジョンと云う名の世界的に有名な黒人医師(シドニー・ポワチエ)と分かって大騒ぎとなる。公開は1968年。その年の第40回アカデミー賞では作品賞を含む10部門の候補となり、キャサリン・ヘプバーンが主演女優賞を、ウィリアム・ローズが脚本賞を受賞。公開を前に亡くなった名優スペンサー・トレイシーの遺作でもある。

 『ライフ』誌上で高らかに「アメリカの世紀」を謳いあげたのは1941年。1950年代は希望に満ちた右肩上がりの「豊かさ」の時代。60年代から70年代初頭にかけてアメリカは希にみる激動の時代を迎える。学生運動、マーチン・ルーサー・キングを中心とする市民権運動、婦人権運動、反ベトナム戦争運動、ヒッピー運動は、50年代の「リベラル・コンセンサス」に対して根底的な挑戦となった。この映画が公開された1968年は共和党のリチャード・ニクソンが民主党のヒューバート・ハンフリーに辛勝し、この選挙をもって、ケネディに始まるリベラルな改革主義の時代が終焉したとされてる。

 1595年頃、ジェイクスピアが上演した「ロミオとジュリエット」(83点)は、親同士が敵対関係にあった男女の悲恋を描いている。家を抜け出すためにジュリエットは、仮死状態になる薬をローレンス神父から手に入れる。しかし、その連絡が悲運にもロミオには届かなかった。ジュリエットはその薬を飲んで自殺を計る。家族は実らぬ恋の為に自殺したとして悲しみに暮れながら墓所に葬る。ロミオはジュリエットが自殺したと思い込み、ナイフを胸に突き刺す。目が覚めたジュリエットはすぐそばに横たわる返らぬロミオの姿に驚愕し、号泣しながら自らもナイフを胸に刺すのでした…。

禁断の恋とは云えないような悲劇だが、親や本人達にとっては間違いなく禁断の恋と云えよう。

 それではこれぞ、禁断の恋という映画を紹介しよう。「トワイライト~初恋~」(72点)です。ティーンエイジャーの女性を中心に世界的ベストセラーとなったステファニー・メイヤーによるヤングアダルト小説シリーズを映画化。本作はその第1作目。

 物語は母親の再婚を機に雨の少ないアリゾナから米国一雨の多いワシントン州フォークスという小さな町に引っ越してきたベラ(クリステン・スチュワート)は、転校した高校でミステリアスな5人の男女と出会うところから始まる。彼らは町医者のカーライルの養子として育てられていた。ベラはその中の一人エドワード(ロバート・パティンソン)に惹かれ始めていく。エドワード自身も周囲に染まらない彼女の魅力と匂いに惹きつけられていく。人間業とは思えないエドワードの不思議な力。ベラは知りたい一心でその謎を追っていく。やがて押さえきれないベラの想いは、彼とその家族がヴァンパイア一族であることを突き止めてしまうことになる。人間との恋はヴァンパイアにとっても犯してはならない禁断の恋だった。

 何百年も今の年で生き続けるヴァンパイアにとって、人間との恋は相手の人生そのものを家族から奪うことになるからだ。愛する人達が年老いて死んでいくにも関わらず、自分は年を取らない切なさ。恋が燃え上がれば燃え上がるほど違った意味でその恋を躊躇させる。血を吸って同じヴァンパイにしてしまえばいいことなのだが、それでは彼女の家族が悲しんでしまう。このような切なさは、トム・クルーズとブラッド・ピット共演の名作「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(85点)や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(79点)でも描かれていた。

 犯罪者とは<究極の自己本位者>である。人は本来動物であり、自己本位な生きものだが、教養を身に付けて自己の悪なる欲望を制御しようとする。しかし犯罪者はその抑制力が育たず、究極の自己本位へと突き進んでいく。自分さえよければいい、この強い思いが他人や肉親までも殺めておのれの欲望を満たしていくのである。ただ、他人と共感しようなどと決して思わないために人を疑い、いつまで経っても犯罪者は孤独から逃れられることはない。自己本位者たちは、いずれ深い孤独の淵に身を投じていくことになる。

 今までのヴァンパイア映画はいつも孤独感が漂っていた。それは犯罪者の孤独感ではなく、人間社会で生き抜くことに苦悩する一匹オオカミ的な孤独感だ。映画「トワイライト~初恋~」に登場するカーライル一家はファミリー思いのヴァンパイア一族である。しかも動物の血だけを求め、人の血を求める気持ちを抑制できる人間社会に適応してきたヴァンパイア。そして人との禁断の恋に身を焦がすヴァンパイアなのである。

 2作目が11月末頃から公開される。禁断の恋の行方、そして凶暴なヴァンパイアとの戦いの行方、楽しみです。ただ、映画としての出来はB級映画の域を脱していない。その点はご承知下さい。