GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「関西屈指の難コース、パイン・レークGCと休日」

2014年05月29日 | Weblog

  

    

           

     

 今日は兵庫県屈指のパイン・レークGCでのラウンドです。この先にあるゴールデンバレーGCは日本で一番コースレイトが高いゴルフ場ですが、私はPLGCの方が苦手です。私たちはインの一番スタート、素晴らしい青空がスタートを祝ってくれているようでした。私は1番クジを引き、350Yの10ホールでの一打目は今日一番のスーパーショット(低めのまっすぐ)で始まりました。セカンドも登り140Yありましたが、ナイスオンして2パットのパースタートを切りました。一緒の二人はボギー、ダブルボギーのスタート。しかし、インではそのパーが唯一でその後は惨たんたることになってしまいました。クリークに4回入れて、OBも一つ、なんと55、後半のOUTは少し立て直して47でグロス102で終わりました。K氏は101、N氏も100というスコアで終わりました。食事付き7,000円のラウンド券を頂いたので、近いうちに必ずリベンジしたいと思います。

    

    

    

 家に帰ってきてから、昨夜突然私のPC(ビスタ)の画面が真っ黒になり、修理可能かを見てもらうために櫻川にあるPC修理店に家族3人で向かいました。(この入力は旅行用のEPSONの小型PCを使用)その後はくら寿司で夕食し、24日の母の命日に来られなかったので、帝塚山にある墓に行き、3人とも元気にやっていることを報告してきました。

  

    

  


「中之島バラ園」&串カツの<だるま>心斎橋店

2014年05月22日 | Weblog

5月21日、午後からは青空が見え始めたので、facebook仲間の誰かさんの写真に誘われて、初めて中之島公園のバラ園にやって来ました。この中之島公園は、1891(明治24)年、大阪市で初めての都市公園として誕生したそうです現在の中之島公園のバラ園には、約310品種、約3700株のバラを植栽されています。2006年にアジアで初開催された世界バラ会議大阪大会の翌年から市内のバラ園が再整備され、2009年の水都大阪の開催に合わせ一部がオープンし、2010年7月末に全面リニューアルオープンしました。

    

 

    

    

    

    

    

    

    

  

    

    

  

 

気候が良かったせいか年配者を含めた大勢のカップルやお友達連れが来られていました。一眼レフやデジカメをバラに向けてシャッターを切るシーンがより楽しい雰囲気を醸し出していました。枯れ始めたバラも少し見かけましたが、青空と心地よい初夏のの風に3,000株以上のバラが優雅に揺らいでいました。  

   

帰りは心斎橋の<だるま>で串カツ三昧。二人で19本を平らげました。この店は新しい店舗で、くら寿司と同じようにテーブルでの液晶画面で注文し、環状線の電車に乗って串カツが運ばれてきます。そして、その電車が車庫(?)に帰る時、「また、呼んでやー!」の叫びながら帰って行くのです。私たちの席は天王寺で、その後ろの席は新今宮でした。結構笑えました。接客してくれた女性はアンという名前でたぶんフィリピン人かなと思います。とても熱心にサービスしていました。

向こう隣のテーブルではなんと電車の音まで聞こえている音響付きでした。来店の際は左側テーブルを利用してみましょう! パネルを見てのオーダーではスタッフがオーダーを聞いての入力ミスがなくなり、しかも直接テーブルまで料理が届くのでとてもスピーディーです。
 残念ながら電車には15本しか乗っておらず、指摘すると謝罪があって、直ぐに1本だけ環状線に乗ってやって来ました。道頓堀の<だまる>でも、アジア系の人達が一生懸命にサービスしている姿がとても清々しく感じました。

    

 

 


「はなの卒業式」(「花子とアン」)

2014年05月18日 | Weblog

朝の連ドラ、「花子とアン」を楽しく見ています。今朝は主人公のはな(吉高由里子)が寄宿していた女学校を卒業する場面でした。女学校の校長がとても素晴らしい祝辞を述べたのでご紹介します。

   

My girls, Grow old along with me. The best is yet to be.
If some decades later you look back on your time with us here and you feel that these were the happiest days of your life,then I must say your education will have been a failure. Life must improve as it takes its course. Your youth you spend in preparation becouse the best things are never in the past but in the future. I hope that you puesue life,and hold onto you hope and your dream untill the very end of the journey.

わが愛する生徒たちよ、われと共に老いよ。最上のものは、尚あとに来たる。
今から何十年後かに、あなた方がこの学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだった、楽しかったと心の底から感じるのなら、私はこの学校教育が失敗だったと言わなければなりません。人生は進歩です。若い時は、準備のときであり、最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで、希望と理想を持ち続け進んでいくものでありますように。

 

今宮高校の卒業式は残念ながら、東京六大学(東大と慶応を除く)の受験のため欠席しました。もしあの時、校長が上記のような祝辞を述べていたら、そして、60歳を過ぎた今この祝辞をどんな気持ちで振り返っているのか。そう思っていたら胸が締め付けられるような想いと共に、The best is yet to be.(最上のものは、尚あとに来たる)が心の中で木霊していました。私の旅路は第4コーナーを回りましたが、まだ終末を迎えたわけではありません。最後の最後まで希望と理想を持ち続けたいものです。


「続・最後から二番目の恋」(小泉今日子)

2014年05月14日 | Weblog

 

小泉今日子(48歳)ちゃんが 現在の年齢のまま、まさしく等身大の役柄をとっても自然に、そして、とても楽しそうに演じている『続・最後から二番目の恋』をワクワクしながら見ています。そんな彼女がある雑誌でこんなことをしゃべっていました。

私は孤独を前提として生きているんです。孤独は当たり前、心から孤独を追い出すことは絶対にできないと思っている。だからこそ、人と一緒にいる時間が大事に思えてたりする。幼いときからそう感じていました。 私、いい名前を付けてもらったと思うんです。今日しか見えない。昨日はいらない。もう終わったから。明日も明日にならないと自分の気持ちもわからないから、今日ここにいる人と楽しみたい、ここにいる人に誠実でありたいと思う。そういうのを繰り返したら、いつかちゃんと死ねるのかなぁと思います

 

歌手から土台を女優において一から勉強してみようと10年ほどがむしゃらに頑張った時期があったそうです。脇役からいろんな役を経験して、度胸がついてきて恥ずかしさがどこかでなくなり、演技に集中できるようになりました。そして、幽体離脱みたいに、演じている自分からふっと意識が離れ、客観的に演じている自分を見ることができるようになりました。

今日子ちゃんが読売新聞に「あまちゃんを終えて」という題で寄稿していた記事の一部も紹介しておきます。『夢なんかなくても、夢に破れても、何者にもなれなかったとしても、若者はのびのびと元気でいて欲しい。それだけでも私達大人にとっては希望なのだから。明るい光を目指して走り出す二人は美しくて、たくましくて、眩しかった』

 

大人になったキョンキョンこと小泉今日子ちゃん、いや今日子さん、孤独は当たり前と若い頃から気づいていた今日子さん、自分の演技を冷静に客観的に見ることができるようになった今日子さん、これからがとても楽しみの女優になりました。


「人は愛を知らないが故に嘘をついてしまう」(渡辺淳一郎)

2014年05月07日 | Weblog

先日亡くなった渡辺淳一郎氏の『愛の流刑地』にこんな文章があります。
『人は愛するが故に嘘をつく。愛を知らないが故に嘘をついてしまう。この世には嘘をつける人間とつけない人間がいる』

 

 嘘と言えば、今も私の心の深いところに残っている山本周五郎氏の『さぶ』を思い出します。嘘の証言から主人公栄二が石川島の人足寄場に入れらます。人を信じられなくなった彼は、自暴自棄となって心を閉ざしてしまいます。しかし、人足寄場の与力や周囲の人達の力を借りて、徐々に心を開き精神的な成長を遂げていきます。
 多感な中学生時代に読んだこの本をきっかけに、私は自分自身を取り囲む人々の心根を考え始めていくようになりました。
 何故嘘をついてしまったのか、嘘をついた本人はそのとき、愛を知らないが故に嘘をついてしまったのです。人足寄場にいた頃、役人の一人岡安さんが栄二にこんなことを云いました。これがこの小説のテーマだったと今ではよく理解できます。

『おまえは気がつかなくとも、この爽やかな風には木犀の香りが匂っていいる、心をしずめて息を吸えば、おまえにもその花の香が匂うだろう、心をしずめて、自分の運不運をよく考えるんだな、さぶやおすえという娘のいることを忘れるんじゃないぞ』

 少し遅いですが、渡辺淳一郎氏のご冥福を祈りたいと思います。


「見返りを求めるな!」(松山千春)

2014年05月04日 | Weblog

鶴瓶のAスタジオに珍しく松山千春が出演して、印象深い話をしていました。
『決して見返りを求めるな。そうしたら自分のままでいられるから。今の若い人は見返りを求めすぎる。』とAスタジオに来ていた若い連中に熱心に話しかけていました。私は彼の言葉を聞いてアクターズ・スタジオの「ナタリー・ポートマン自らを語る」を思い出しました。

『…生前に良いことをするのは天国に行くためじゃない。天国があるかどうか分からないけど、あるというのはいい考えじゃないわ。すべての行動が自分のためになってしまうから。そういう考え方は人間の心を駄目にすると思う。手段ではなく目的として良いことをしたいの』千春やポートマンの言葉には、自らの成功や慢心を押さえ、自分自身を客観視する自制心を感じます。

今朝この話を連れ添いすると、「私もさっき同じような話を読んだよ」と、糸井重里のほぼ日手帳2014(cousin)の5/31ページを見せてくれました。
『信用されることはとてもよいことだけれど、「信用されようとしちゃぁいけない。つまり自然にあなたがやっていることが、人に信用されているということなのだから。「信用されよう」としてやっていることは、ただの「中身のな
いカタチ」なっちゃうから』

  

若い頃から見返りを求め過ぎると、「自分のままでいられない」「人間の心を駄目にする」「中身のないカタチ」になってしまう。私流に解釈すると、心の畑が卑しくなってしまい、将来何かを耕してもいいものが育たない、まるでツンドラ地帯の凍土のようになってしまう。

いい土壌の心に育てるためには<素直さ>が鍵を握っているように思います。しかし、残念ですが、人間というものは、自己本位にものごとを考えがちになり、それではやはり物事を円滑に運ばないことを学びます。こうした経験を経て、自分の心をいったん外に出して、その取り出した心で自分自身を眺め返してみる、つまり客観的に自分で自分を観察すると<素直さ>を失っていた自分に気づきます。そして、自制心や自律心なくして自分を客観しするのは難しいことにも気づくはず。千春やポートマン、そして重里さんの言葉には、いずれも暖かい愛が根底に流れていると私は感じます。それは自己愛や家族愛や友情を越えたもっと大きな人類愛ではないかと思っています。