姜尚中氏「悩む力」より
現代という時代の最大の特徴としてよく指摘されるのは、「グローバリゼーション」ということです。ここ十年ほどの情報通信技術の発達、とりわけインターネットをはじめとするデジタル技術の発達によって、政治も経済も思想も文化も娯楽も、あらゆるものが国境を越えて行きかうようになりました。
他方、グローバリゼーションと並ぶ現代の特徴は、「自由」の拡大ということです。いまでは誰でもインターネットなどを通じてたくさんの情報を得たり、何かに自由に参加したり、あるいは何かを享受したりすることが容易になりました。その結果、一見すると、自由がいたるところにころがっているように思えます。
しかし、自由の拡大と言われながら、それに見合うだけの幸福感を味わっているでしょうか。満ち足りた気分や安心感を味わっているでしょうか。
幸福度が飛躍的に高まっているという話は聞いたことがありませんし、存外、いつも余裕なく急き立てられて、人と人との関係もパサパサな殺伐とした味気ないものになりつつあるのではないでしょうか。
経済人類学者のカール・ポラニーは、共同体の牧歌的な結びつきを解体していく市場経済を、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの言葉を借りて、「悪魔のひき臼」と呼びました。
ボーダーレスに広がる情報ネットワークと自由でグローバルな市場経済。誰もがその豊かさと利便性に与り、可能性としては多くの夢が約束されているように見えます。
しかし、実際には新しい貧困が広がり、格差は目を覆いたくなるほどに拡大する一方です。
しかも、誰もが新しい情報技術とコミュニケーションを通じてつながっているように見えながら、人と人との関係は、岸辺に寄せては消えていく泡のようにはかないようにも見えます。少なくとも日本や韓国を見る限り、多くの人びとがかつてないほどの孤立感にさいなまれているのではないでしょうか。そうでなければ、これほどの自殺者数の増加はありえないはずです。
人間というのは「不動の価値」を求めようとします。プロ野球の松井秀喜選手の本のタイトル『不動心』ではないですが、たとえば、愛や宗教。しかしそれとても、変化しないとは言いきれません。変化を求めながら、変化しないものをも求める。現代人は相反する欲求に精神を引き裂かれていると言えます。
(http://books.shueisha.co.jp/tameshiyomi/978-4-08-720444-5.htmlより)
ドイツの社会学者(マックス・ウェーバー)と日本の文豪(夏目漱石)には、多くの共通点がある。共に遅れて発展した資本主義国で、19世紀末から20世紀初めに活躍し、<文明が進むほどに、人間が救いがたく孤立していくことを示した>。また、2人とも家庭人としてはうまく振る舞えたと言い難い面がある。漱石は神経衰弱になり、ウェーバーは精神病院に入院したとの説がある。
2人が格闘した近代における人々の孤独が、今はより増幅されているとして、彼らの足跡や著書から生きるヒントを導き出す。各章が繰り返し説くのは、「自我は他者とのつながりの中でしか成立しない」とのテーゼ。「最近、自己啓発本で、他者との関係を断ち切って自分の中の潜在力を見つければいいといったものが多い。それはちょっと、おかしいと思う」
終章だけ、書き方が少し違う。56歳で死んだウェーバーと49歳で他界した漱石より長く生きている57歳の自身を主語に、「いかに老いるか」を論じた。
40代の末ごろ、老いに向かう自分を恐れ、うつ状態に陥ったことがある。肉親や友人の死を乗り越えることで、その悩みから吹っ切れた今、あえて横着に生きよう、との心構えを持てるようになったという。 (【鈴木英生】毎日新聞 2008年5月13日 東京夕刊)
◇◆□■△▲▽▼◇◆□■△▲▽▼
何度か書いてきましたが、五木寛之氏のエッセイの一節と思い出しました。
「集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ。その孤独から逃れるためには共同の行為おいて他にない」
そしてマックス・ウィエーバーのいう<文明が進むほどに、人間が救いがたく孤立していくことを示した>この話も何度か書いてきました。姜尚中氏は「悩む力」の中でお母さんの記憶を引き出しながら「悩む力」が生きていく力、生きる意味を生み出していたことに気づかれたようです。
『「あおい夜空は星の海よー、人の心は悩みの海よー」。溜息をもらしながら、涙声で母(オモニ)が口ずさんでいた「アリラン」の歌詞の一節です。波乱に満ちた悩みの海のような母の一生は、八十年の歳月とともに終わりました。人の世の酷薄さにあれほどまでに悲嘆に暮れることのあった母でしたが、晩年は、悩みの海に漂ういくつもの珠玉のような記憶を拾い集め、その中で微睡んでいるようでした。
今にして思えば、母の抱えていた悩み、その苦悩は、海のように深く、広かったぶん、母は人として生きる価値を見出すことができたのかもしれません。結局、母は悩みの海に沈淪しながらも、生きる意味を問いつづける営みを棄てることはなかったのだと思います。』(「悩む力」)
私も若い頃から多くのことに迷い落胆し、そしてまた、希望してきました。そして生きる意味を絶えず模索してきたように思います。それは姜尚中氏の言葉を借りれば「悩む力」を育ててきたことになるようです。
「何故、あのような無差別殺傷事件を引き起こすのか?」
「何故、文明は孤独感を呼び起こすのか?」
「何故、平家はローマ帝国は、長い期間異宗徒の国を統治でき、そして滅んだのか?」
「何故、コーチングがもてはやされるのか?」
「何故、性善説や性悪説が生まれたのか?」
「何故、男は弱体化し、女は猟奇化してきたのか?」(アッシーorミツグ君)
「何故、人は死を待たないで自ら選ぶのか?」(自殺の増加)
「何故、無常感なるものが心の広がるのか?」
「何故、9・11テロは発生したのか?」
「何故、孤独感は心を蝕むのか?」
「何故、理性は情に負けるのか?」
■若者の傾向
「何故、女子高校生はいきすぎた化粧を好むのか?」
「アルバイトの採用面接時、男子の長髪について注文をつけるとほとんど入社を断るのか?」
「何故、本を読まず、世界史や日本史に関心を持たないのか?」
「何故、算数・数学に弱いのか?」
「何故、言葉遣いを知らないのか?」(尊敬語・謙譲語)
「何故、清潔感の乏しい、だらしない服装を選ぶのか?」
「何故、仲間外れを恐がり、いじめを黙認してしまうのか?」
「何故、親との仲が悪い子が多いのか?」
「何故、マニアックな世界に閉じこもりがちなのか?」
「何故、旅をしたいと思わないのか?」
「何故、恋人や好きな人がいないのか?」
「何故、文章が臨機応変に書けないのか?」(詩を書けない)
「何故、ベルトをしない男性が多いのか?」(ウエストを締め付けられるのが嫌い)
「何故、姿勢が悪いのか?」
「何故、尊敬している人がいないのか?」(尊敬は今や死語?)
「何故、好きなこと以外興味を示さないのか?」
「何故、集中力が続かないのか?」
「何故、トレーニングを嫌うのか?」
「何故、就職迷子が増加しているのか?」
「何故、勝手に絶望するのか?」
「何故、コミュニケーションがうまくできないのか?」
私がこうしたことを悩んできた事実は、ブログを読んでこられた方なら分かっていただけると思います。しかし、この心の軌跡が、自分自身を鍛えることになっていたとは考えもしませんでした。今後もドンドン悩みを打ち明けたいと思います。皆様も周囲を取り巻く環境、出来事を悩んで下さい。そして「悩む力」を鍛え、生き抜く力を身に付けていければ幸いと考えています。
現代という時代の最大の特徴としてよく指摘されるのは、「グローバリゼーション」ということです。ここ十年ほどの情報通信技術の発達、とりわけインターネットをはじめとするデジタル技術の発達によって、政治も経済も思想も文化も娯楽も、あらゆるものが国境を越えて行きかうようになりました。
他方、グローバリゼーションと並ぶ現代の特徴は、「自由」の拡大ということです。いまでは誰でもインターネットなどを通じてたくさんの情報を得たり、何かに自由に参加したり、あるいは何かを享受したりすることが容易になりました。その結果、一見すると、自由がいたるところにころがっているように思えます。
しかし、自由の拡大と言われながら、それに見合うだけの幸福感を味わっているでしょうか。満ち足りた気分や安心感を味わっているでしょうか。
幸福度が飛躍的に高まっているという話は聞いたことがありませんし、存外、いつも余裕なく急き立てられて、人と人との関係もパサパサな殺伐とした味気ないものになりつつあるのではないでしょうか。
経済人類学者のカール・ポラニーは、共同体の牧歌的な結びつきを解体していく市場経済を、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの言葉を借りて、「悪魔のひき臼」と呼びました。
ボーダーレスに広がる情報ネットワークと自由でグローバルな市場経済。誰もがその豊かさと利便性に与り、可能性としては多くの夢が約束されているように見えます。
しかし、実際には新しい貧困が広がり、格差は目を覆いたくなるほどに拡大する一方です。
しかも、誰もが新しい情報技術とコミュニケーションを通じてつながっているように見えながら、人と人との関係は、岸辺に寄せては消えていく泡のようにはかないようにも見えます。少なくとも日本や韓国を見る限り、多くの人びとがかつてないほどの孤立感にさいなまれているのではないでしょうか。そうでなければ、これほどの自殺者数の増加はありえないはずです。
人間というのは「不動の価値」を求めようとします。プロ野球の松井秀喜選手の本のタイトル『不動心』ではないですが、たとえば、愛や宗教。しかしそれとても、変化しないとは言いきれません。変化を求めながら、変化しないものをも求める。現代人は相反する欲求に精神を引き裂かれていると言えます。
(http://books.shueisha.co.jp/tameshiyomi/978-4-08-720444-5.htmlより)
ドイツの社会学者(マックス・ウェーバー)と日本の文豪(夏目漱石)には、多くの共通点がある。共に遅れて発展した資本主義国で、19世紀末から20世紀初めに活躍し、<文明が進むほどに、人間が救いがたく孤立していくことを示した>。また、2人とも家庭人としてはうまく振る舞えたと言い難い面がある。漱石は神経衰弱になり、ウェーバーは精神病院に入院したとの説がある。
2人が格闘した近代における人々の孤独が、今はより増幅されているとして、彼らの足跡や著書から生きるヒントを導き出す。各章が繰り返し説くのは、「自我は他者とのつながりの中でしか成立しない」とのテーゼ。「最近、自己啓発本で、他者との関係を断ち切って自分の中の潜在力を見つければいいといったものが多い。それはちょっと、おかしいと思う」
終章だけ、書き方が少し違う。56歳で死んだウェーバーと49歳で他界した漱石より長く生きている57歳の自身を主語に、「いかに老いるか」を論じた。
40代の末ごろ、老いに向かう自分を恐れ、うつ状態に陥ったことがある。肉親や友人の死を乗り越えることで、その悩みから吹っ切れた今、あえて横着に生きよう、との心構えを持てるようになったという。 (【鈴木英生】毎日新聞 2008年5月13日 東京夕刊)
◇◆□■△▲▽▼◇◆□■△▲▽▼
何度か書いてきましたが、五木寛之氏のエッセイの一節と思い出しました。
「集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ。その孤独から逃れるためには共同の行為おいて他にない」
そしてマックス・ウィエーバーのいう<文明が進むほどに、人間が救いがたく孤立していくことを示した>この話も何度か書いてきました。姜尚中氏は「悩む力」の中でお母さんの記憶を引き出しながら「悩む力」が生きていく力、生きる意味を生み出していたことに気づかれたようです。
『「あおい夜空は星の海よー、人の心は悩みの海よー」。溜息をもらしながら、涙声で母(オモニ)が口ずさんでいた「アリラン」の歌詞の一節です。波乱に満ちた悩みの海のような母の一生は、八十年の歳月とともに終わりました。人の世の酷薄さにあれほどまでに悲嘆に暮れることのあった母でしたが、晩年は、悩みの海に漂ういくつもの珠玉のような記憶を拾い集め、その中で微睡んでいるようでした。
今にして思えば、母の抱えていた悩み、その苦悩は、海のように深く、広かったぶん、母は人として生きる価値を見出すことができたのかもしれません。結局、母は悩みの海に沈淪しながらも、生きる意味を問いつづける営みを棄てることはなかったのだと思います。』(「悩む力」)
私も若い頃から多くのことに迷い落胆し、そしてまた、希望してきました。そして生きる意味を絶えず模索してきたように思います。それは姜尚中氏の言葉を借りれば「悩む力」を育ててきたことになるようです。
「何故、あのような無差別殺傷事件を引き起こすのか?」
「何故、文明は孤独感を呼び起こすのか?」
「何故、平家はローマ帝国は、長い期間異宗徒の国を統治でき、そして滅んだのか?」
「何故、コーチングがもてはやされるのか?」
「何故、性善説や性悪説が生まれたのか?」
「何故、男は弱体化し、女は猟奇化してきたのか?」(アッシーorミツグ君)
「何故、人は死を待たないで自ら選ぶのか?」(自殺の増加)
「何故、無常感なるものが心の広がるのか?」
「何故、9・11テロは発生したのか?」
「何故、孤独感は心を蝕むのか?」
「何故、理性は情に負けるのか?」
■若者の傾向
「何故、女子高校生はいきすぎた化粧を好むのか?」
「アルバイトの採用面接時、男子の長髪について注文をつけるとほとんど入社を断るのか?」
「何故、本を読まず、世界史や日本史に関心を持たないのか?」
「何故、算数・数学に弱いのか?」
「何故、言葉遣いを知らないのか?」(尊敬語・謙譲語)
「何故、清潔感の乏しい、だらしない服装を選ぶのか?」
「何故、仲間外れを恐がり、いじめを黙認してしまうのか?」
「何故、親との仲が悪い子が多いのか?」
「何故、マニアックな世界に閉じこもりがちなのか?」
「何故、旅をしたいと思わないのか?」
「何故、恋人や好きな人がいないのか?」
「何故、文章が臨機応変に書けないのか?」(詩を書けない)
「何故、ベルトをしない男性が多いのか?」(ウエストを締め付けられるのが嫌い)
「何故、姿勢が悪いのか?」
「何故、尊敬している人がいないのか?」(尊敬は今や死語?)
「何故、好きなこと以外興味を示さないのか?」
「何故、集中力が続かないのか?」
「何故、トレーニングを嫌うのか?」
「何故、就職迷子が増加しているのか?」
「何故、勝手に絶望するのか?」
「何故、コミュニケーションがうまくできないのか?」
私がこうしたことを悩んできた事実は、ブログを読んでこられた方なら分かっていただけると思います。しかし、この心の軌跡が、自分自身を鍛えることになっていたとは考えもしませんでした。今後もドンドン悩みを打ち明けたいと思います。皆様も周囲を取り巻く環境、出来事を悩んで下さい。そして「悩む力」を鍛え、生き抜く力を身に付けていければ幸いと考えています。