GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「大切なのは誰と人生を歩むか」

2015年08月25日 | Weblog

      

   

 今年収穫した朝顔の種です。蒔いた50粒と比べるとその何十倍もの収穫量です。しかし、過去2回の量と比較すると、異常な暑さが祟ったのか、今年は半分ほどしかありません。それでも何十倍です。身をすり減らすような努力をしても、なかなか報われない人の世とは随分かけ離れているかもしれません。でも30年も前に一緒に働いたレストランスタッフの同窓会が存在する、こんなことがあるのも人の世ならではありませんか。

  

 

『ウサギとカメ』のカメ君は、始めからウサギに勝とうなんてきっと思っていなかったはず。ウサちゃんがカメ君が行こうとしていた目的地をゴールにしてくれたから勝負を受けたのでしょう。ゴールには少し早く着いたかもしれないけど、カメ君は退屈で長い道のりをウサちゃんと一緒に歩むことができたことをきっと喜んでいたはず。

 同窓会に参加したスタッフのほとんどが50歳前後。その50年の人生のわずか数年間、数ヶ月一緒に働いた仲間と会いたいと思う熱い気持ちによって実現した同窓会でした。私はまさに奇跡と呼びたい。彼らは青春の真っ直中で共感し合い、喜び合ったその実感が今もしっかりと胸に残っているからこそ、遠い所からも集まることができたのでしょう。私にとっても輝くような2年間でしたが、スタッフのみんなにとっては青春のかけがえのない1ページだったに違いありません。人生は誰かとの勝負ではなく、長いようで短い人生を誰と歩むのかが大切なのではないか、と最近つくづく思っています。


「奇跡のような同窓会」

2015年08月25日 | Weblog

デニー○大阪1号店だった上住吉店の同窓会参加レポートです。名古屋から、和歌山から、東京から、茨城から、なんと総勢24名の方々が集まりました。1981年~1996年の15年間営業したファミリーレストランのスタッフの同窓会が行われること自体希なことだと思います。それだけに幹事の方々のご苦労は並大抵ではなかったはずです。探し出すのに大変なご苦労様があったに違いありません。この場を借りて御礼申し上げます。「本当にありがとございました」

    

            

    

    

さて、30年ぶりの再会になったスタッフの皆さんの顔と名前がなかなか一致しませんでした。私の店長時代の2年間(1983~1984)、手を焼いたスタッフや意思疎通ができたスタッフのことは、さすがに覚えていてとても懐かしく当時のことを想い出されました。私がヤクザのベンツに乗せられて強請られた話や捕まったヤクザが刑務所から出てきてお礼参りがあったことなど、懐かしい話が飛び交いました。大学時代のフォークソンクラブでコンサートマスターの重責をまっとうしたとき、「スタッフと共感できる仕事を選ぼう」という夢が芽生えました。その夢の達成店がこのD上住吉店でした。12年間で13店舗の異動がありましたが、最も思い入れがあった店でした。私の後の岡地店長も名古屋から参加してくれ、私のS-YAIRIギターをとても気に入ってくれました。あの頃は音楽の話をすることなど皆無な猛烈社員時代でした。お互いに音楽好きだったことなど知るよしもありませんでした。私のライブなどそっちのけで懐かしい話が盛り上がりました。8月生まれの方が2名いたので、みんなで二人の誕生日を祝いました。このときだけは私のギターが役立ったようです。楽しい夢のような、いや奇跡のような同窓会でした。

         

 私が一番年上ですが、一番うれしそうな表情をしているように見えますネ。ほとんどが私の店長時代を支えてくれた大切な仲間たちです。社員やアルバイトの隔たりは私にはありませんでした。特に社員は自分の思いとは無関係に異動がありましたから、大切なのは地元のアルバイトスタッフだと私は常に思っていました。休みでも店に寄りたくなるような楽しい店作りが私の基本スタンスでした。スタッフが働いていてつまらない店にお客様がくるわけがないというのが私の信念でした。だから人不足で苦労した記憶は、店長時代一度もありませんでした。