GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

漫画「MONSTER」

2012年05月31日 | Weblog

 私が頸椎のリハビリに通っている近隣のクリニックには、たくさんのコミックや雑誌が置いてある。待ち時間が結構長いので最初に手に取ったのは『JIN-仁-』(村上もとか)、そして『傷追い人』(小池一夫原作・池上遼一作画)だった。次に選んだのが『MONSTER』(浦沢直樹作)だった。

『MONSTER』のテーマは、「冤罪、猟奇殺人、医療倫理、病院内での権力闘争、家族の在り方(親子愛、兄弟愛)、人間愛、児童虐待、アダルトチルドレン、トラウマ、東西冷戦構造、ベルリンの壁崩壊の以前以後のドイツ社会」などとウィキペディアに書かれていたが、グッドラック流に一言で言えば

「子供の成長は、すべて育てる大人にかかっている」(●メンター)  

               

 幼い頃からたくさんの漫画を読んできたが、こんなに良くできた漫画に出逢えたのは久しぶりだ。『風の谷のナウシカ』以来だ。クリニックの中だけでは読み足らず、「Book Off」まで行って全巻購入してきてしまった。息子が転勤を伴う会社に就職したので、家を出るときに持って行かせたいと思ったからだ。小説になっている『ANOTHER MONSTER』も同時に購入した。(これは現在読書中)

 毎日のように行くリハビリでは、低周波マッサージ、首つり、マッサージの3つを行うが、どの場所にも読みかけの『MONSTER』を持って行くので、医員達は、「『JIN-仁』の次は、『MONSTER』ですか?」などど話しかけてくれる。9巻目を読んでいた時「とても良くできているね、とうとう欲しくなって「Book Off」で買ってきてしまったよ」と言うと、横でマッサージしていた医員が『デス・ノート』も良くできていますよ」と話しかけてきた。私は内容を知っていたので、思わず声を荒げ気味に「あんな漫画を書いてはいけない。あんなのがいいと言ってては幼稚過ぎる」と言い返してしまった。そして、こう付け加えた。「子供たちが読むには過激過ぎる」と。

                

 以前職場にいた好青年のS君にどんな漫画が好きなのか尋ねてことがある。彼は『ワンピース』と『デス・ノート』の二つを挙げた。持っているというので読ませて貰った。確かに『ワンピース』はとても良く出来ていた。そこには子供達に必要な「愛と冒険心」が詰まっていた。しかし、『デス・ノート』は悪意に満ち溢れてた。大切な愛も描かれていたが、大義にはほど遠い悪意の前に、愛はひれ伏しているように私には思えた。

 S君に「『デス・ノート』のような漫画はいけない」というと、
「何故ですか?」と突っ込んできたので、彼の顔をのぞき込み、目を見据えてこう言った。
「お前に子供ができて、『デス・ノート』を読ませたいか?」 
彼は目を伏せて沈黙した。

かなり強引な説得だったが、「<悪意の連鎖>が人の心を蝕む」(●メンター)と付け加えた。

               

 子供達が読む漫画や本には、<愛><冒険心><夢><希望><成長><努力><悲しみ>この7つが大切だと私は思っている。『ワンピース』や『ドラゴンボール』にはそれらが溢れている。『MONSTER』は幼い子にはかなり難しいコミックだが、「悪意」よりも「愛」が明らかに勝っている。
 人の心は環境や指導方法によってコントロールできることを知った大人達は、完全無欠な指導者、情や愛に惑わされない獣のような軍人を作り上げるために様々な方法を用いて教育を行ってきた。ナチズムやそれを真似た隣国の集団思想教育、また、爆弾を抱いたまま旅客機でビルに突っ込むような人間爆弾は、幼い頃から親元から離され、愛や情が入り込んでこない環境下で、徹底した管理教育によって作り上げられる。<大義や志>のためには、愛や情、恐怖心をも払拭できるような強靱な心を作り上げるのだ。

「大義とは何なのか?」幼い子供達に分別など出来るはずがない。「これが大義だ」と幼い頃から刷り込まれてきた子供達には、自立心も生じなければ、肉親への愛でさえ、大義の前ではただのホコリにしか思えないだろう。

<大義>や<志>が薄れてきて<私>ばかりを追う連中が充満している。インターネットの急速な普及は、それを一気に押し上げたかもしれない。子供達が<愛><冒険心><夢><希望><成長><努力><悲しみ>を学ぶ前に、悪意や欲望を知ってしまいかねない。
『デス・ノート』のような呆れ果てたコミックが3,000万部も売れてしまうこの国の若い連中の事が心配でならない。杞憂であればよいのだが。

                 

 以前、このブログで書いたが、<愛>を学ぶには時間がかかる。本能ではないからだ。反対に悪意や欲望を教えるのは容易である。それらは本能に直結しているからだ。<愛>を学ぶためには<自立心・自律心>を身につけなければならないと私は思っている。自立して初めて親の愛やありがたみに気づく。だからそれには時間がかかる。親元に長く居すぎると、ますますその傾向は強くなるだろう。

とにかく、『MONSTER』、まだ読んだことがない方には是非読んで欲しい作品だ。
たまには、大人も漫画を読みふけることがあってもいいのでは?!

 

* 『MONSTER』
・1999年、第3回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞
・2000年、第46回小学館漫画賞青年一般部門を受賞


映画「スリー・デイズ」と「ラ・マンチャの男」

2012年05月29日 | Weblog

 退職したくせに、非常に忙しかった5月もそろそろ終わりです。一番の趣味の映画も弱冠本数が減少しつつありますが、お奨め映画を一本ご紹介します。*他の秀作(「トランジット」)、「復活の日」(小松左京原作の旧作日本映画ですが、とても良くできていました)

 TSUTAYAでレンタルしてきたポール・ハギス監督の「スリー・デイズ」です。状況証拠から殺人犯として結審されてしまった妻を、大学教授の夫(脱ラッセル・クロウ)が、無実だという妻の言葉を信じ、脱獄不可能と言われてる刑務所から見事に脱獄成功するサスペンス映画物語です。

            

 映画の中で大学の授業でセルバンスが1605年の出版した『ドン・キホーテ』の話が出てきます。(この映画のテーマにもなっている)「善を信じることは、善そのものそのものより重要である」というテーマが、映画の根底にも流れています。さらに映画の授業では、新たなテーマが語られます。「理性的な考えが心を破壊する。理性を失うことで、それに打ち勝つ。私たちは世界秩序を構築し時計やカレンダーに従い、天気も予測する。だが、人生を自分で支配できているか?」と。映画もまさにこの展開となります。このあたりが脚本家で名を上げたポール・ハギスの真骨頂と云えます。私は彼が脚本を書いたクリント・イーストウッド監督の最高傑作「ミリオンダラー・ベイビー」以降、彼が関わるすべての作品を追い続けています。大ファンと言っていいですね。

*ポール・ハギスが脚本家・監督・として名を連なる映画を紹介しておきます。
「007/慰めの報酬」 (2008)
「告発のとき」 (2007)
「硫黄島からの手紙」 (2006)
「007/カジノ・ロワイヤル」 (2006)
「父親たちの星条旗」 (2006)
「クラッシュ」 (2004)

 

 この映画からまったく離れてしまいますが、お気を悪くしないで下さい。これがGOODLUCK流なので、どうかお許しを。高校3年生の頃、アーサー・ヒラー監督作品「ラ・マンチャの男」(絶対がっかりしない名作です。主演ピーター・オトゥール、共演ソフィア・ローレン)を見て、難波駅から自宅まで泣きながら帰ってきたことがあります。ミュージカル映画は苦手な私ですが、この作品は、最も印象に残っているミュージカル映画の一つです。(一番好きなミュージカルは「マイ・フェア・レディ」) 
『ドン・キホーテ』(「ラ・マンチャの男」の別名)を書いたセルバンテスが、神を冒涜すると刑務所に入れられます。暇な囚人達は、刑務所に入れられるほどの本の内容なのか、改めて刑務所内で裁判を行います。囚人を物語の登場人物役にしたてて、『ドン・キホーテ』を演じ始めるという展開に仰天しました。今以上に天然だった私は映画館でしばらく席を立てませんでした。自宅に帰って4歳上の大学生の兄に「とても感動した」と話すと、兄もすぐに見に行きました。そして、私にこう云ったのを良く覚えています。「どこがおもろいねん!」と怒られてしまったからです。

 原作の『ドン・キホーテ』は、聖書の次に世界的に出版されており、正真正銘のベストセラー小説・ロングセラー小説でもある。2002年5月8日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で1位を獲得した。主人公の自意識や人間的な成長などの「個」の視点を盛り込むなど、それまでの物語とは大きく異なる技法や視点(メタフィクション)が導入されていることから、最初の近代小説ともいわれる。(ウキペディアより)

○五木寛之原作の『親鸞』の中で「信じること」をこのように語られています。
 『信じるというのは、はっきりした証拠を見せられて納得することではない。
 信じるのは物事ではなく、人です。
 その人を信じるがゆえに、その言葉を信じるのです』(●メンター)

               
 私は「ラ・マンチャの男」を見て、すぐに映画の「フーテンの寅さん」を思い出しました。シリーズ全編、寅さんの天然的言動に、ヒロイン以外の誰もがバカにしているのですが、最後には寅さんの100%の純粋さに周囲のすべての人が心を動かされる内容です。だからまさに帝釈天のドン・キホーテです。山田洋次監督も私の言い分を決して否定しないと思っています。

 私自身も天然を自認しています。周囲の知人の中には、とても残念ですが、それを蔑みに近い視線を送ってくる人も存在します。天然人の右脳的言動は幼い頃から、いまだに変わりません。比較的いい言葉を用いて<天然>を形容すると、「一所懸命」、「熱し易い」、「夢中になりやすい」が当てはまりそうです。知り合ってから35年目に突入した連れ添いにも同じ波動を感じました。だから一緒になったように今では分析しています。 

 彼女は私との結婚生活をいまだに「何だかクラブの合宿生活みたい」と形容しています。夫として最大限の褒め言葉として感じている私は、改めて天然だと自覚せざるを得ないようです。(苦笑)

                


「私の今の日常」(晴耕雨読的生活)

2012年05月27日 | Weblog

「育てる」「作る」という行為は、以前からとても人間的行為だと思っていた。学生時代は、コンビニや病院(内科小児科・歯医者、眼科等)、食品スーパーがすぐ近くにある「利便性の高い都会のマンションに住みたい」と思っていた。今まさにそんなマンションに23年前から住んでいる。しかし、野菜や好きな果物を育て、それらを朝の散歩途中で、取って来て朝食の膳に乗せる。そんな自給自足の生活、晴耕雨読的生活に心のどこかで惹かれているのも事実だ。都会のマンションと自給自足の生活、この2つの想いには大きな矛盾があると思っていた。

 今までの私の仕事は、人に料理を作り、サービスと心地よい時間と空間を提供して喜んで貰って糧を得ることだった。他の仕事以上に多くの人達と接することになるため、人間性を磨くには最も適してる職業ではないか、苦しい時、そんなスタンスで乗り越えようと努力した。大病にはならなかったが、37歳の時、阪神電鉄に中途入社し、翌年、初めての健康診断のレントゲン検査で引っかかった。初めて胃カメラを飲まされた時は、肉体的にも精神的にもかなり参ってしまった。デニーズ時代も検査をしていたはずだが、何故見つからなかったのだろうか。検査の結果、胃潰瘍や十二指腸潰瘍跡と判明した。デニースの頃のストレスが原因に間違いない。「人間性を高める仕事」と本気で思いこんではいたが、若い頃はそんなスタンスも構築できておらず、苦しい思いから、人里離れた田舎で自己完結できる、自給自足の晴耕雨読的生活に憧れたに違いないと自己分析していた。

  

 3月末に35年のサラリーマン生活に終止符を打ち、今までの人生スタンスを見つめ直し、もう一度、仕事をするならどんな仕事がいいのか、何をやりたいのか、今、じっくり考えている。阿倍野ハローワークの就職支援カウンセラーの方と面談しながらも、40を切るための大好きなゴルフ練習やジムに通って汗を流して筋力アップに心がけようとしている。

 自宅にいるときは、朝からブログを更新したり、好きな映画を見、録画したwowowやBSのスポーツ番組を見ている。先日頸椎リハビリのクリニックでふと読み出したコミックの内容に大きな感銘を受け、どうしても所有したくなった。息子に就職プレゼントの一つに加えたく思ったのだ。『MONSTAR』浦沢直樹作、全巻BookOffで購入(1,890円)した。すでに電子辞書をプレゼント済みだが、彼が家を出るときに持たせたいのだ。

 8月のコンサート出演が決まり、詞を書き、曲を作り・アレンジ・コーラスを考えるというかつてないストレスのない自分と向き合う新しい時間が生まれた。そんな中で最も大切にしているのが<直感>だ。食べたいときに食べ、欲しいものを買う生活に、理解力にあるはずの連れ添いも戸惑い、最初はいらだちを見せていたが、最近は開き直ったような対応を見せ始めてくれている。

 欲しい物といっても、衣類のようなものではなく、例えば、コンサートに出演することが決まったので、ギタースタンドや譜面台、コンビニで売っているゼリーと白桃のデザートやガリガリ君のようなものだ。毎日、ほとんど一食しか食べず、あっとう間に5kg、体重が減少した。決してジム通いが要因ではない。4月以降5回ほどしか、行く暇がないのだ。それだけジムの優先順位は低いということだ。あれだけ好きだったナッツ類も一切口にしなくなった。炭酸類もほとんど飲まなくなった。胃が欲っしない、だから食べたい、飲みたいと思わない。「自分の胃に尋ねる」こんなスタンスで毎日を送っている。
 

                                           

 新曲のオリジナルを一人でギターでつま弾きながら歌い、それをデジカメでムービー録画し、それを何度も聞きながらアレンジを考え、ある程度決まると、PCにその録画を落とし、卓上の小型スピーカーから流す。その音源に向かって考えたハモを歌ったり、リードギターを付けたりして、再びデジカメでムービー録画する。これがグッドラック式二重録音だ。これが非常に楽しい時間となっている。飽きるとゴルフの打ちっ放しに出かけ、一汗かいて帰ってくるという、まさしく至高の時を過ごしている。

 作った歌をモノにするには、必ず歌い込みが必要だ。何ヶ月も、何年も歌い続けてやっと人様の前で聞かせられる曲となる。大学時代このことをしっかし学んだ。YouTubeにアップした恭央とのDUO初作品の「春を待ち」は、3年間歌い続けたが、今聞いてもがっかりする。この行為が、作物の苗を植え、また種を蒔いてしっかりと水や肥料を与え、しかも、虫がつかないように注意し続ける行為と似ているような気がしてならないのだ。

 何だか私の取り留めない日常を語ってきたが、ここで最初の矛盾の話とつながる。世界中何処をさがしても同じものが存在しないものを作り出す作業(自家菜園の野菜、詩や俳句、写真、曲作りのようなオリジナル作品)は、本当に心の滋養となることを伝えたかった。都会のマンションで、心の奥底願っていた晴耕雨読的生活を実は今、ようやく手に入れたのではないか。だから決して矛盾していないのではないか。

 私の<直感>がそれは正しいよと言ってくれている。本当にそう思うからこそ、もう人里離れた田舎に移住することなど、まったく考えることはなくなった。

 簡単な朝食でも、詩や俳句や曲でもいいのだ。自家菜園の野菜で、手料理して食べている、今東京に済む知人のMさんの手料理写真を何度も見てきた。自分は本当は何が好きなのか、どういう生活を送りたいのかをしっかり見つめること。そしてその本質に近づこうとする強い意志を持つこと。
 たった一度のオリジナル人生を、私は様々なオリジナル作品をちりばめて逝きたいと今、強く感じている。何かを作り出せば、心を耕すことにつながるように思えてならない。私はまるで箍が外れたような心理状態で、やりたいことを何でも片っ端から夢中で進めている。退職してからの時間が楽しくてたまらない。退屈な時などただの一度もない。

 8月のコンサートでDOUグループ名<ボタンダウン>として発表する「天からの贈り物」という曲は、こんな詞のをサビに用いている。15年前、息子が高校入学時に、彼に捧げた曲だ。

   「やりたいことをやるのではなく やるべきことをやり抜こう 
    涙はそのさびしさをいやしてくれる天からの贈り物」

  私はやるべきことを35年間やり抜いてきたつもりだ。やり残したことなど皆無だ。だからこそ、これからは、やりたいこと以外は、もう何もやりたくない。<直感>の赴くままに残された時を、夢中で生きてゆきたいと思っている。

 

                                            


「メンターを探せ!」(9)「幸福を招く人生のキーワード <誠実>と<素直>」(下)

2012年05月20日 | Weblog
(手紙の続き)

話を戻しましょう。
 大学を卒業してデニーズレストランに就職し、外食産業で働くうちにデニーズという会社の将来に限界感じ(誠実さがなくなったと感じた)、退職しました。そして、関東から実家の大阪に帰って来ました。息子(現在29歳)が小学校入学の年でした。しばらくして、阪神電鉄から声がかかり、係長として入社することが決まりました。私を誘って戴いた人がリゾ鳴尾浜を設立した方(元デニーズの関西の店舗開発部長)でした。1990年の10月15日の途中入社でした。

 最初の業務は阪神電車高架下施設の直営店舗(お好み焼き屋1店、喫茶店3店、靴下専門店1店、コンビニ1店)の運営・管理責任者の部長(本社では係長)でした。2年後、出向先の会社社長の信頼を得て、12,000千円かけて赤字続きのお好み焼き屋を閉店し、カウンターしゃぶしゃぶの店に作り変えました。
阪神本社の社長室で本人を前にしてプレゼンテーションし、「12,000千でできるなら安い!やりたまえ!」と言って戴きました。あの日の感動は生涯忘れられません。
 私は京大出の大社長を前に上がることなく、自分の熱意を伝えることができました。

「プレゼンは文字は少なくし、必ず数字を多用したシートを作り、
  しかも、決してそれを読みながらしゃべるな! 
  説得する相手の目を見て自分の熱い想いを伝えろ!」
(●グッドラックメンター)

 1992年10月4日(リゾ鳴尾浜のオープンと2日違い)にオープンしました。この店は繁盛し、私は阪神電車の高架下施設に、この店のチェーン展開を考え始めました。その会社(阪神本線の高架下施設・ショッピングセンター管理が主たる業務。現在は阪神○動産に吸収)では、創立以来、直営部門は一度も黒字になったことはありませんでした。プレゼンした本社の社長も部長職の頃、この会社で数年間社長をされていた時期があったことを後に知って、私に運が向いてきたように感じました。そのしゃぶしゃぶ店の赤字がほんのわずかになり、直営部は喫茶店の利益のおかげで、初めて赤字から脱却することができました。その業績を認められ、入社2年半で本社課長に昇格できたのです。当然給与がおどろくほど上昇しました。 直属の社長の人事評価のおかげでした。(私の大切な●メンターの一人)

1998年10月、突然リゾ鳴尾浜に異動になりました。それまでの料飲部長がお客様(○宮市の重要人物)と責任者としての応対トラブルが原因で、不定期な異動が発令され、私が呼ばれました。私の夢(カウンターしゃぶしゃぶのチェーン展開)は、ここで消滅しました。しかし、そんなセンチなことを思っている暇など、リゾではありませんでした。毎日9:30に出勤し、ここでの業務は、料飲部長兼企画部長としてプールのイベントを計画し、またフィットネスの会員募集チラシも異動してきたばかりの私が業者と打ち合わせをして作りました。特にフィットネスは大手のチェーンの進出が激しく、徹底した当社のような単独店では明確な差別化戦略が必要でした。プールもすぐ傍にグループの甲子園プール(その後閉鎖)があり、イベントも差別化が必要でした。広告宣伝の専門家チームを外部から呼び、今までにないチラシ、いままでとは違うイベントを企画していきました。突然の異動、しかも飲食部の他に屋台骨であるレジャー施設(天然温泉とプール・フィットネスクラブ)の販促を任されたのです。任務の重圧はありましたが、一度はやってみたい企画部長という立場を、最大限楽しめました。企画とはまさしく<オリジナル>以外の何ものでもなく、本当に夢中で時間が過ぎていきましあた。

       

 ランチタイムやディナータイムは4階のフレンチ&イタリンアンレストランに上がり、紺のダブルのスーツに着替えネクタイをつけて支配人として動き回り、ピークが終わると、過去の業績分析と会社全体の販促計画の立案が待っていました。4Fレストランの閉店時間は22時、帰りは全館のセコムをかけて帰る日々が5年ほど続きました。夏は誰もが行きたがらない灼熱の屋外バーベキューの改善から手をつけました。もっとも苦情が多い飲食部門だったからです。 (屋外バーベキューあなたに「ウサギとカメ」の話をしましたね) 

 私はアルバイト達に存在感示す必要がありました。アルバイトは社員のように上下関係で動くのではなく、一緒に動き回る後ろ姿を示してこそ、初めて上司として認めることを、ファミレス時代に痛感してきました。そんな経験のおかげ部長として人心の掌握は容易に獲得できました。前部長はただウロウロするだけの方だったのが、私のアイデンティティ構築を早めてくれたのでしょう。これもまた私の運を運んでくれたのです。

 バーベキューの全メニューを作り替え、肉の業者も西宮の肉問屋から、社長を次々呼び出し、私の話を理解できる誠実で小回りが効く会社社長を探し出しました。そして、一回の面談で<直感>で決めました。、それが現在の肉の但○屋さんです。

 
          
     今は廃業した懐かしの4Fのフレンチ&イタリアンレストラン

 1Fのレストランメニューもすべて私が作り替え、写真も自分撮って、パウチしてレジ後ろの壁に現在のように貼りました。素直でとても誠実なS君(後に父の仕事を手伝うために退職)は、短期間に私のすべてを教えることができました。彼は非常に優秀な社員でした。そんな新部長の姿を見て、すべてアルバイト、リゾ鳴尾浜の全社員、他部門のスタッフも私を新部長として認めるに至りました。約2年を要しました。その頃、私の給与は、本社課長職では最高額に達していました。それは、直属の上司の信頼を得られたことを意味します。

「人事評価は、直属の上司がするもの、つまり給与の上下はその人が握っている」
(●グッドラックメンター)


 しかし、その後、本社から異動になってきた新専務は、前にいた会社で一緒に仕事をしたことがある方でした。私はその方の考え方・指導方法に反発し、大げんかになり、当時の出向先の社長は冷静に判断し、私を指示してくれました。その方は、1年少しで本社に返されました。会社のすべての現場を混乱させたからです。そのために氏は部長に昇格するのが3年遅れたと周囲から聞きました。

 そんな人が今度は現場の最上位である専務職でリゾ鳴尾浜に異動して来たのです。当然私とソリが合うはずもなく、他の部長を味方に付けて、私に激しいプレッシャーをかけてきました。私の給与は課長職の最下位まで落ち込みました。(2,000千円以上降下) 今考えればあの4年間が、人生で最も辛い4年間でした。今だから話せますが、その頃、胸のポケットには辞表が入っていました。怒りと我慢が限界を超えたとき、氏にたたきつけるつもりでした。

 何度もそんな瞬間がありました。氏も役員室に私を呼び、何度も「辞めてしまえ!」と罵倒したのは、2度や3度ではありませんでした。連れ添いにもその時は諦めてくれ、と言い渡していました。しかし、息子はまだ中学生になったばかり、マンションのローンもたくさん残っていました。自分一人の怒りで、家族を路頭に迷わせるわけにはいかなかったのです。こんなとき、周囲の人は誰も味方しないのが世の常です。相手は最上位だからです。私は「お前に採用されたわけじゃない!私は請われて阪神にきたのだ!」と心の内で叫び続けました。

 新しい専務との諍いというよりは、内なる自分との戦いの毎日でした。そんな時、プールで幼い女の子が溺れて死亡した悲しいな事件が起こりました。私は救急車がきたとき、少女を抱き上げ担架に乗せました。私の部内の事故ではありませんでしたが、常務と共に、少女の自宅まで行き、畳に頭をすりつけて謝罪しました。常務一人で行かせられなかったのです。

 専務はその責任を取らされて、阪神○動産に異動になり、その後に現職の中○専務が来られました。専務の信頼を得るのは容易でした。私の後ろ姿ろしっかり、見ていて下さったからです。また、運が向いてきたのです。給与も毎年上昇し始めました。しかし、最下位に一気下げるのは簡単ですが、最上位まで一気とは行かないというのが会社組織なのです。

(●メンター「信頼は一日で築くことはできないが、一日で失うことはできる」) 

 異動になった専務は異動先で、ヒラの取締役に降格され、社長とケンカしてとうとう50歳を過ぎているにも関わらず、阪神電鉄を退職しました。しばらくして、突然、私に会いに来てこう云いました。「サラリ-マン生活が嫌になったよ」と。私は返す言葉がありませんでした。「ただ、もったない」と呟くのが背一杯でした。そして、哀れにも感じてしまいました。私よりもっといい大学を出て、いい会社に就職し、最上位の部長職に就いたのに、人を見誤りその対応を誤り、人生を棒に振ったのです。

★話が長くなりましたが、要約すると

・対人間関係のスタンスは、人によって態度を変えたり、
 もしくは好き嫌いで応対を変えるようなことは、決してしない事。(=誰にでも誠実に接すること)
  *これにはバカな輩に足を引っ張られないようにする意味もある。
・大切な人(=自分を成長させてくれる人)を判断できなければ、有意義な人生を見過ごしてしまう。
・若い頃は、相手がどんな人なのか、敵か味方か、大切な人なのか、わからないもの。
 だからこそ、誰にでも誠実に接すること。
・約束・時間は必ず守り、しかも清潔感がある服装をする事。

 (「動物は清潔感を出せないグッドラック●メンター)

 (●メンター「景観は心を表す」(茶道の言葉)

上記のことをあなたに伝えたかったのです。
人生を無駄に送らないためのキーワードは「誠実」と「素直」です。自分自身が誰に対しても同じように誠実に接し続けるうちに、誠実な人、不誠実な人が見分けがつくようになります。しかし、自分が不誠実の場合は、正しい判断ができなくなってしまうことを、決して忘れないように。

 そして、いつまでも「素直」であること。「素直」というのは自分が未完成な人間であることを常に自覚していることを意味します。地位が上がったり、金持ちになろうが、「素直さ」を忘れない限り、人は成長し続けることができます。高い山に登れば登るほど、視野が広まり、様々なことが目に入ってきて気づかされることも多くなります。仕事の質も変わってきます。


 これが「心を強くする」ことにつながります。その強い心さえあれば、愛するファミリーを守ることができるのです。そんな男性になって下さい。

 それでは、これでお別れですが、私たちの人間関係はこれからも続きます。いい別れ方をすれば、またいい出会いに続きます。私の最後の職場は本当に素晴らしい仲間に囲まれた13年半でした。あなたのお母さんとももう少しお話ししたかったことが、唯一の心残りとなりましたが…。
 
 T君、君の前途は大きく広がっています。このまま「誠実に」、そして両親から受け継いだ「素直さ」を持ち続ければきっと幸せは向こうの方からやってくるでしょう。
 
 幸せは探すものではなく、また掴むものでもありません。向こうからやってくるものだというこを、これからの長い人生をかけて学んでください。

 私とはいい別れ方ができましたよ、T君! GOOD LUCK! 』

「メンターを探せ!」(9)「幸福を招く人生のキーワード <誠実>と<素直>」(上)

2012年05月20日 | Weblog
 最後の職場に高校生で、海上保安庁や地方公務員(警官)を目指しているとても清々しい少年が入ってきました。私は今時珍しい硬派のT君がとても好感を持ちました。彼の進路を聞いていたので、持論の新解釈「ウサギとカメ」の話を理解できるようにじっくり2回も話しました。夢のようなことを考える前に、少し努力をすれば達成できる目標を立て、達成し続ける自律力を磨く大切さを指導してきました。私の言葉が今、100%理解できなくても30歳を過ぎて大人の仕事を始めた頃、真の意味がわかってくれると信じられる若者だと思っていました。

 その彼に日本の弱腰外交や、米国の51州目と言われる日本、中国の脅威等を背景にした沖縄を舞台にした超硬派物語、福井晴敏の『トゥエルブY.O』(第44回江戸川乱歩賞受賞作)という大好きな本を貸したのです。
 沖縄から米国海兵隊を撤退させた、たった一人の日本人テロリストとの攻防を描く、読んでいて今まで経験したことがないほど熱くなった作品でした。日本の国やこの国を守るとする仕事を目指す、彼に読んで欲しかったのです。貸したのは退職を決める前の事でした。ところが、T君はその本を一年かかっても私に返そうとしないかったのです。同じ作家の『亡国のイージズ』を読めた彼だから決して難解で読めない本ではないと私は判断していました。
 
 私は「読んだか?」「そろそろ返せよ!」と10数回、彼に返却を迫りました。しかし、彼は「試験が近いので…」「まだ、最後まで読んでないので…」等の返答で、私が数ある本の中から何故、あの作品を選んだのか、その誠意を読み取ってはくれませんでした。それは読まなかったためだと判断しています。送別会にも彼は来てくれましたが、本の返却はありませんでした。
 退職日にも、「ありがとうどございました!」と言って返してもくれるものだと思っていましたが完全に裏切られました。
「彼に読ませたい」という私の一人よがり(=誠意の押しつけ)だと自覚していましたが、少なくとも少しは尊敬されていると判断していた私の驕りが、判断ミスをしたのです。読もうとしていない本を(無理矢理)手渡されたことが起因してことが今回の発端だと私なりに反省もしています。しかし、今までに何人か有望な少年・少女にきっと気に入ってもらえるだろうと、古本屋やネットで探し、ない場合は新刊を買って貸して、裏切られた思いは一度もありませんでした。それだけに今回の私の落胆は、非常に大きかったのです。

 私は高校生だった頃から彼の性格を分析できていると自認していた。しかし、結果として完全に裏切られてしまったのは、T君が予想していた以上に子供だったのです。私は冷静に戦略を練った。そして、私の怒りに対してT君が恐怖心を覚えるほど、罵倒したメール送りました。
 そして、最後に「お前のメールや携帯電話にはでるつもりはない! お母さんから私に電話してくれるように、メールを見せて私の怒り心頭状態を伝えろ!」とメールで送りました。

 しかし、お母さんかも連絡はありませんでした。お母さんは私が責任者をしてた料飲部門ではないが、同じ会社のフィットネス部門で現在も働いています。私は元会社に電話を入れ、彼女の携帯番号を教えて貰おうとしました。
 電話を取ったのは運良く、何度かぶつかって泣かせたこともありますが、女性社員の中では最も私を理解してくれていると信じているM子さんでした。以前から最も忙しい仕事を背負っている彼女は、それでも時間を割いて私の話をじっくり聞いてくれた。私は何としてもT君に大切な誠実さを理解させたいがためのカラ怒りだと説明しました。
 するとM子さんはお母さんから私とT君の異常な状態を聞いていたらしく、お母さんは、「今後の対応は西岡部長と、息子の問題です。私は関係がない。息子に最後まで対処させます」と話したということでした。

 私はその言葉を聞いて、携帯を手にしながらニンマリしてしまいました。あの子をあそこまで育ててきたお母さん、しっかりしたお母さんだという最初からの直感は間違いではなかったと思わず、微笑んでしまったのです。
 お母さんは私の直接の部下ではなかったので、じっくり話したことはありませんでした。しかし、「うちの子、部長の下でちゃんと働いていますか?」と尋ねる不安で真摯な気持ちは、豊かな母心と共に十分私に伝わっていました。
「はい、大丈夫ですよ。お母さんが思っている以上に彼はしっかりやってますよ、安心して下さい!」
こんな会話は何度か立ち話していました。(現場の楽しさはこんな時、感じるものです)

  
 私はT君からの本と謝罪文が添えて返されてくるのをワクワクしながら待つだけでした。翌日、本と謝罪文が届きました。
「誠実さを示すときは、素早さが大切だ」(グッドラッック●メンター) 

 謝罪文は見事すぎるほど誠意ある文面でした。私もあれだけの内容を書けないかもしれない、と思わせるくらい、手書きの見事な文章でした。当然彼一人で書いたとは思えません。90%親がかりに違いない。お母さんは、きっと何度も彼に書き直させたに違いありません。T君もネットを使って謝罪文の例文を参考に書いたのでしょう。私はとても満足したので下記の内容で、彼の努力を慰労しました。

 「子供の成長は、すべて育てる大人にかかっている」
                       (●メンター コミック浦沢直樹作「MONSTAR」より)

               
   1年以上たって、帰ってきた私の愛書


以下はT君にあてた手紙の一部です。

『人はあらゆるところで人を判断しなくてはなりません。わかりやすくいえば、「自分の味方か、敵かという判断」。違う表現をすれば、「誠実な人か、不誠実な人なのか」という判断です。この判断力が大海原を航海する水夫の羅針盤となるのです。このことをあなたにどうしてもわかってもらいたかったのです。だからあんな激しい怒りのメールを送ったのです。

 自分の部のスタッフは社員のFさんやYさんも含め、私のファミリーと同様に愛を込めて、応対してきたつもりです。実の息子もあなたと同じように親として、そして、人として接してきました。以前、S君やF君と何度もボーリングしたのですが、その時、いつも私は息子にもメールを入れて「来ないか?」と誘いました。来れるときは彼は喜んでやってきました。 大切なことは、「ボーリングが好きかどうか」であって、親父の会社の人間とはボーリングをしたくないなどと余計なことを考えるようでは、大切なことを見失ってしまうのです。でもそんな心配は危惧でした。

「大好きなボーリングに、親父がわざわざ誘ってくれている」それだけの単純な話を、様々な用件(恥ずかしい、初対面…)が頭に浮かび、考えた末、「NO!」というような若者が世間には多いのです。そういう意味では息子は上手く育ってくれたとホッとしています。

                                 (下)に続く  

「メンターを探せ!」(8)「これぞ、真のリニュアル! くら寿司編」(下)

2012年05月19日 | Weblog

     

     

    
 

★さてさて、リニュアル後の観察・分析結果は?
1)新液晶ボードで注文を入れると、一番離れている席でも直線的に約2,3秒で届けられる。このスピードに驚愕した。(●メンター) (今まではUの字のラインで回っているために、ラストの席の場合、ぐるっと一回りして届けられていた。当然自分たちが注文した皿を他の客が間違って取る場合が多発していたと思われる)縦の客席列は3本、左右に計10台づつ設置されているので、新規に30台、カウンター席を合わせると約35の液晶新ボード交換。(予想:35台×20万=7,000千円)
2)新ボード液晶画面がとても美しく、料理写真も鮮明に写っており素晴らしい。
 ・ボードに注文履歴が追加された。(これが素晴らしい)(●メンター)
  注文しても来ない場合、ボードが0となったままなので待てる余裕ができる。
  厨房内でオーダーの取り漏れが皆無になる。(厨房内にも同じようなボードがあるはずだ)。
  (直線的に料理が自分たちのテーブル来るために、取り間違いもなくなるだろう)
 ・食べた皿の数は、注文履歴を確認してテーフルの隅にある穴に落として、その時点の  会計を食事中に金額確認できる。
 ・ボードに只今の(注文→提供)時間も確認できる。
3)会計がボードを見ながら客側も確認でき、とても明確になった。
 (今まではスタッフが席まできて、皿の数を確認。ミスや客のゴマカシもなくなるはず)
4)入口最も近いブースが障害者も容易に利用できる背の高い移動式椅子に変更された。
5)デザートやサイドオーダーのオリジナル性を強く感じる。(「バニラとストロベリー  シャーベットを混ぜて食べて下さい」という営業トークで私は思わず追加したが、絶  妙の味だった。混ぜ合わせるという行為が子供達に受けるに違いない。。
6)エコに協力する会社の姿勢も明確になった。(ポスター)

 これらはすべて「お客様側にとっての利便性やエコの啓蒙姿勢を追求したリニュアルだ」(●メンター)いずれ、割り箸もなくなり、使い回しができる高級感のある硬化プラスティック製にないように思う。席数を増やしたり、例えばスタッフの数を減らしてお客が混乱するするようなケチなシステム改造(バーミ○ン・サイ○ェリア・ガ○ト)は皆無だった。このお客様側にたったリニュアルこそ、真のリニュアルであると強く感じた。

 一店舗当たりのランニングコストを削減するためのリニュアルが多いが、「くら」コーポレーションの会社姿勢を改めて学ばせてもらった。本当に素晴らしい会社だと再確認できた。今後もきっと発展するに違いない。(今日のくらコーポレーションの株価終値:1,036円)

*PS:百貨店の将来
 百貨店は、最新の消費財が溢れる「モダン・ライフ」の象徴だったが、社会や消費者が変わる中で、百貨店はその変遷に追いつけず時代遅れとなっていった。スペシャリティ・ストア=専門店の時代がやってきて、デパートメントストア=百貨店の存在感が薄れたの
だ。売上が伸びないために、年中セールをしていては、誰も定価で買わなくなる。怖いのは、従業員のモラルやモチベーションが低下することだ。
 日本の百貨店が生き残るには、やはり「明確な差別化」ではないか、と私は思う。その店にしかないオリジナルなブランドや商品を提供すること。ここに来なければ買えないものを提供する。高すぎる価格に対して、年齢層の高い方の中には、いまだに百貨店信仰者がいるのは確かだ。しかし、日本の消費者もとっくにそのことに気づいている。価格=差別化だった時代は終ったことは確かだ。(●メンター)だからこそ、新たな差別化を早急に模索しなければならない。海外の高級路線のサックス・フィフス・アヴェニュー、ニーマン・マーカス、バーニーズは、高所得者層の顧客獲得に成功している。その謎を追うことが急務ではないかと私は思う。私が歩んできた分野とは、あまりにかけ離れており、これ以上のことは今は分析できない。

「メンターを探せ!」(8)「これぞ、真のリニュアル! くら寿司編」(中)

2012年05月19日 | Weblog
さて、いよいよ<これが、真のリニュアルだ!>の話に移る。

 リニュアルの基本は、老朽化した店舗の改造だが、殆ど客席数を増加させ、売上増を図るものだ。百貨店なら売場面積を増床することを意味する。古びた通路や壁、トイレを改装することが主流となる。以前ならシステム変更(POSレジへの変更やバーコード入力、レジの液晶画面への変更等が多かった。下降し始めた売上を右肩上がりにするためには、店舗を大きくすることがやはりメインと云えるだろう。近鉄や阪急百貨店で、いまそのリニュアルが進められている。私が予想する改装には、すべての男性トイレにもオムツを替えられるベッド、各階に授乳室・歩きやすい通路、医務室の充実、禁煙対策、エコ対策、東日本大震災への援助活動、年配者や障害者の方が歩き疲れて際、ゆったりできる優しいブースやチェアーが通路のサイドの設置されるに違いない。けばけばしい照明もなくなるだろう。そのためにも増床は避けられない。そして膨大な投資が損益分岐点売上を上げ、百貨店の首を締めていく。人件費の削減に力を入れれば、サービスレベルは必ず落ちる。商品説明をお客様のベレルに合わせて優しく伝えてくれる百貨店の命(私はそう感じている)が薄れていく。それは自らの血を垂れ流すことと同意だ。海外旅行に明け暮れた裕福な人たちの目は最も厳しい。最近オープンしているイオンモール等を見ると、特に専門店街は百貨店と違いがどんどんなくなってきている。店舗スタッフのレベルまでは数回の訪問ではチェックしようがなかったが。

「くら」のリニュアルを一言で言えば、「心憎いほど顧客の心を捉えたニュアル」(●メンター)これまでのアンケートや苦情を真摯に受け止め、それらの改善に最低で30,000千円以上(私の予想)をかけて、増床もなく顧客の満足に徹したリニュアルしたことが非常に明確だった。飲食店のリニュアルでこれだけ、お客様の要望、快適さだけに集中した改良は非常にまれだ。いや、D社での経験も含めて一度もない。今までの他社のリニュアルは、スタッフ削減のためのシステム改良や、経費削減が見え見えの場合が非常に多いのだ。回転寿司チェーンの上位を行く後発組の「かっぱ寿司」「スシロー」との差別化戦略を今まで以上に明確にし、頂上目指したトップの並々ならぬトップの強い決意、社運を懸けた姿勢を感じた。

       

今までの長所)
1)30分以上の経過したらバーコード(皿の下)で判別して自動的に破棄。(業界初)
2)デジタル式のウエイティングボードをお客が記入。(これも業界初)
  近辺の同じ「くら」寿司店の待ち時間情報も把握できた。
3)無添加を強調し、産地名を出して季節の旬を頻繁に変えて提供。(私はこれが楽しみだった)
4)少し前に各皿を取ると蓋があく、鮮度を保つふた付き皿を使用した。(片手で皿を取れる、利便性の追求)
5)ややデザート数に他店と劣るところがあるが、寿司の味・茶碗蒸しの味、うどん類(特に出汁の味がいい)は、一番だと私は思う。
6)6人掛けが30席近くあり、カウンター席は10席程度(家族連れが別テーブルになることが少ない)
7)最近の商品、揚げたてのエビ・イカ・オニオンリングがとても美味しい。
 (まるで職人技としか思えないほどの味なので100%食べる)
●この7点が今まで観察しての他店舗との差別化戦略
                                                 (下)に続く

「メンターを探せ!」(8)「これぞ、真のリニュアル! くら寿司編」(上)

2012年05月17日 | Weblog
 5月15日、堺CCでの初のABCクラス合同月例に参加した帰り、連れ添いを誘って夕飯はリニュアルしたばかりの回転寿司チェーン「くら」に行ってきた。当家の外食では「くら」での食事が一番多い。私も連れ添いも寿司好きなのが一番の理由。入店して席に着く。どこをリニュアルしたのか、席に座ってチェックする。観察・分析能力を今も持続できているか、仕事柄(飲食業)実践してしまう習性は、生涯つきまとうのだろうか。
 回転寿司チェーンでは「くら」が一番美味しいと思っている。他店も当然興味があったので、すべての店を食べ歩いた後の結論だ。
 そもそも「くら」のような寿司チェーンが何故、短期間に今日の興隆を築き上げることができたのか? 原価率(原材料費÷純売上)50%以上の100円寿司がどうして商売になるのか、ここから話を始める必要がある。
 「くら」や「スシロー」「かっぱ寿司」のようなや大型店舗が乱立するまえに、3,40坪で50名も入れば満席になる回転寿司チェーンがあったことを覚えていると思う。私はすぐにこんな店はつぶれると分析し予想していた。何故そう思ったのか?



(私の分析)
 月商4,000千円(場所にもよるが、これくらいが平均売上ではないかと予想)、原価率50%(食材費計2,000千円)、最初の頃は1,2名の職人が円の中央で寿司を握っていた。アルバイトを含めると、3,40坪の店で、人件費は職人2名付帯人件費を含めて600千円、アルバイト人件費は、予想で1日最低でも6名、平均5時間×800円で30日営業とすると720千円になる。社員・アルバイトの人件費合計は1,320千円、人件費比率は33%となる。FLコスト率(フードコスト+レーバーコスト)50%+33%=88%にもなる。これでは4,000千円×(1-0.88)=480千円。ここから家賃や水道高熱費や販促費を引けば決して残らない。平均で毎月5,000千円以上売らなければ、会社として成り立たない。駐車場も殆どない小規模店舗でチェーン展開を考えたのか、経営者の頭脳を私は疑った。案の定、小規模店舗は殆ど消滅した。

 そんな業界に何故、「くら」は進出してきたのか。どんな勝算があったのか。まだ会社に在籍していた頃だったので、分析好きの私はこの謎を追った。

●「仮に200席もある大店舗(店99坪・駐車場含めて平均400坪)、売上予算20,000千円とする」
(*20,000千円はファミリーレストランの繁盛店基準売上)
ここにその答えがあった!
(●メンター:損益分岐点を求めてみる)(損益分岐点売上=固定費÷(1-変動率))

「くら」の損益分岐点売上を独自に計算してみる。
固定費:総人件費 (5,000千円・25%):役員報酬・社員・パート・諸手当含む)
水道光熱費(600千円・3%)
賃借料  (1,600千円・8%)(*私がいた繁盛店は1,800~2,000千円)
消耗品  (500千円・2.5%)
    広告宣伝費・減価償却&その他(2,000千円・10%)
固定費合計:9,700千円
食材原価:10,000千円(50%)
●損益分岐点売上:9,700千円÷(1-0.5)=19,400千円
 20,000千円の売上で600千円の利益が上がる事になる。

●小規模寿司チェーンの損益分岐点売上
(客席数から考えて、5,000千円以上が繁盛店と仮に判断する)
固定費:総人件費 (1,800千円・36%):役員報酬・社員・パート・諸手当含む)
水道光熱費(150千円・3%)
賃借料  (400千円・8%)
消耗品  (125千円・2.5%)
    広告宣伝費・減価償却&その他(500千円・10%)
固定費合計:2,975千円
食材原価 :2,500千円(50%)
●損益分岐点売上:2,420千円÷(1-0.5)=5,950千円 (5,000千円でも赤字となる)

★(結論)
5,000千円でも利益はでない。しかし、これ以上の売上は客席数を考えても、かなり難しいと思う。職人の数を減らしていったはずだ。寿司マシーンもそうした業界の要望から生まれた。大型店舗にして20,000千円を目指す方が商売としての勝算があると考えたに違いない。この判断力、先見性、勇気を私は賞賛したい。
 ちなみに、各店舗の「くら」には調理師という専門職はいないはず。(本部の開発室にはいるだろう) 調理師を使わないで高卒・大卒を集めてファミレスは急展開できた。調理師を使うことは初めから想定外で、高・大の新卒(安価で素直)を使うことで、初めてチェーン展開に成功した。回転寿司チェーンもこれを模倣した。(●メンター:チェーン展開に職人は必要ない)



■日本のマクドナルドの原価率は、H22年度は79.1%。モスバーガーはH22年度52.8%。
 ファミレスの32%と比較して欲しい。原価率が79.0%で商売可能な飲食職業があるのは、
 巨大な売上あっての事と理解できるだろう。
 (H22.年度:マクドナルド総売上323,799,000千円、モスバーガー総売上63,175,000千円)

■回転寿司チェーンベスト3
・カッパ・クリエイト総売上 (2月決算):87,968,200千円
・あきんどスシロー総売上 (9月決算):81,917,420千円
・くらコーポレーション    (10月決算):70,778,257千円

 *いずれ「くら」が業界トップになるであろうと私は推測している。
  その要因を(下)のリニュアルで紹介したいと思っている   

「メンターを探せ!」(7)「職業の選択」編(下)

2012年05月14日 | Weblog
<先生>、<消防士>への夢は大学中に消滅した。何故なのか? 

<先生>とは聖なる職務だと知ったからだ。映画「奇跡の人」のアニー・サリバン先生(●メンター)の話を用いると一番良く理解して貰えるだろう。小学6年生のとき、母と家の近くにあった映画館「ピカデリー」で見た記憶が残っている。母は「三重苦を克服し偉大な人となったヘレン・ケラーこそ、奇跡の人だよ」と見終わって私に説明した。しかし、私は「違うよ! 奇跡の人は、アニー・サリバン先生だよ!」と言い返したことを良く覚えている。あの時から母の溺愛に気づき始めたのかもしれない。高校生の頃、英語がわかるようになって、改めてこの映画を見たとき、原題を見て私が正しかったと初めて知った。映画「奇跡の人」は大学生になり職業の選択を迫られる4年生になっても私の心にしっかりと残っていた。そして、こう思った。ほとんど人生経験もない自己中心の愚かな若者が先生になどなれるはずがない。なってはいけないのだ。先生とは生徒の能力を見いだし伸ばしてあげなければならない職務だ。まさに聖なる職務だ。今の私、いや数年先でさえ、とてもできそうにないと思った。私の愚かな指導が他人の運命に大きく影響してしまうのだ。命を預かる「医者」と同じような重大な職務を全うするなど、絶対にできないと考えてしまった。 

 
(原題:「the MIRACLE WORKER」)  

<消防士>
 この目標は、実は今まで母にも長く連れ添った妻にも告げたことはない。先日ケビン・コスナー主演の米国沿岸救助隊の救難士を描いた映画「守護神」を見た。3回目だ。<救難士>のような職業など知るはずのなかった私は、その時初めて<消防士>と<救難士>を重ね合わせることができた。
 映画「守護神」で、指導官だったK・コスナーが、自ら鍛え上げてきた若き救難士に質問される会話シーンが私の心を捉えた。

若き救難士「もし現場に到着して、すべての人が助けられないと思えたとき、
        あなたはどのように行動しますか?」

K・コスナー「一番近くの人から助ける。…… または最も弱い人から助ける」

               
 その時、ふとマザー・テレサ(●メンター)の言葉を思い出した。1981年4月、初来日の際、おっしゃった言葉だ。「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」

 私はこの言葉の中の「手近なところ」とK・コスナーの「一番近くの人から助ける」とうセリフが重なり反応したのだ。それは家族を指すのではないか。慈善活動に従事している人たちの家族も温かい恩恵を本当に受けているのだろうか、もしそうでなければ、偽善者以外の何者でもない、という気持ちになってしまった。
もっと端的に言えば、マザー・テレサの言葉は、
「世界平和は、まず自分の足下の家族、部下、生徒からだろう」(●メンター)と進化し、私の哲学へと昇華した。

 突然、昔の記憶が蘇った。大学生の頃<消防士>についても<先生>と同様に考えたことを。火災が発生し、消防車が着いた先は自分の家族がいる集合住宅だった。我が家にも炎が届こうとしていることを知る。しかし、隣の家はもっと燃えさかっている。そんな時、自分は家族よりも、隣の家族を助けに行くことができるだろうか、そんな自問自答した記憶だ。「できない! そんな状態で、家族よりも他の家族を優先して助けることなど、俺にはできない」それが突き詰めたあとの答えだった。そんな考えの持ち主が<消防士>になる資格などないと判断するしかなかった。

                  

 そして、私は苦肉の策として、日本で最も伸びるであろう業界を分析し、外食産業に身を投じることにした。そして、最も早く一部上場できるであろう会社で選び履歴書を送ったのだ。

 まさか、ファミリ-レストランの現場で自ら部下の前で先生を演じ、また指導官を演じ、ヤクザの前では「NO!」と言い続けることになるとは。そして、怪我した部下や、急病のお客様に対して救難士的な職務を果たし、何度も、部下やお客様と救急車に同乗してきたことか。部下を守るために役員や上司と戦う<弁護士>役もやれば、部下を育てる<先生>役もやってきた。店長時代は<防火管理者>となって施設を守ってきた。その後、防火管理者資格のことも阪神へ提出した履歴書には書いたが、一度も要求されたことはなかったので、選任されることはなかった。



 そんな私ですが、連れ添いが自宅マンションの「防火管理者」に勝手に手を挙げていたことに非常に驚きました。連れ添いも真の私の驚きには気づいていないに違いありません。でもこのブログをアップすれば私の驚きをきっと理解してくれるだろうと思っています。
 こうして、予想もしませんでしたが、部下を守る<弁護士>、部下を育てる<先生>、近隣住民を守る<防火管理士>を見事に全うできることになりました。(ただし、防火管理者選任期間中に大きな火災がないことを祈るが…) 
 5月20日、マンションの理事会が開催されます。その日から私はマンションの防火管理者に選任されることになります。実はワクワクしている自分を感じています。この職務も見事に果たしたいからです。50歳を過ぎて、今まで苦渋の選択だったと思い込んでいた外食産業が幸運を運んできてくれたと一人感動を味わいました。だから自らを<グッドラック>と命名したのです。最後に連れ添いにこの場を借りて、「防火管理者」志願してくれたことに対して感謝したいと思っています。

「メンターを探せ!」(7)「職業の選択」編(上)

2012年05月14日 | Weblog
メンタ-(mentor)
1)ギリシャ神話メントル(オデイッセイの息子の忠実な助言者)
2)(賢明で信頼のおける)助言者、教師、指導者、師、(大学の)指導教官 

 今振り返ると吉川英治の『宮本武蔵』(●至高メンター)を読み出した中学1年生の頃から、必死でメンターを探していたように思えてなりません。

 『宮本武蔵』に登場する<又八>(武蔵の幼なじみ)の人間的弱さが自分自身の中にもあると強く感じたのです。そして、溺愛する又八の母親が、自分の母と重なってならなかったのです。決して又八のような男にはなりたくない。武蔵のように生きる目標(武蔵:剣の道を究める)を持ち、強く生きていきたいと心に誓いました。そのためには温かすぎる親元から離れ、一人で生きていく必要があると考えはじめました。
 吉川英治の作品を殆ど読破し、次は司馬遼太郎作品に自然に手が向いていました。読破後、山本周五郎、松本清張、城山三郎、アーサー・ヘイリー(●メンター)へと趣向は変化していきました。映画にも夢中になり、難波の映画館で朝から晩まで6本も見た記憶が残っています。まるでその姿は又八にはなりたくない、だから本の登場人物、映画の登場人物からも「メンターを探したい」という強迫観念にかられていたように思えてなりません。

                   

*「武蔵と又八」の関係を少し話しておきます。
 関ヶ原の戦いで<武蔵>と<又八>は、西軍側に味方し立身出世を求めて農家から飛び出した。しかし、家康の東軍に負けて敗走することになる。何とか生き延びた二人は戦死者から刀や兜を奪って売り歩く母親と若い娘に出会う。故郷には許嫁の<お通>がいるにも関わらず、又八はその母親の色香に惑われ彼女らと行動を共にし、武蔵と袂をわけてしまう。武蔵は必死で又八を止めるが、甘美な肉体関係に溺れた又八に、武蔵の言葉は届かなかった。武蔵は故郷に戻り、又八がまだ生きていることを知らせようとするが、東軍の落ち武者狩りが故郷の宮本村(美作国:現在の岡山県)にまで迫っていた。捉えられた武蔵は、色香に迷って出奔した又八のことを伝えたお通に助けられ、二人で出奔する。しかし、沢庵和尚(●武蔵のメンター)は「今、武蔵と一緒になっても幸せにはなれない」とお通を説得する。和尚と懇意だった姫路城主は、武蔵を姫路城の天守閣にある開かずの間に幽閉させる。クワと木刀しか持ったことがなかった武蔵は、初めて書物に触れることになる。そして3年間、開かずの間にあった万巻の書を読みふけることになった。
 これらはすべて、武蔵という若者の本質を見抜いていた沢庵和尚の計画だった。3年後、武蔵は自分の人生の目標を明確にしていた。剣の道を志すということだ。だからどうしても武者修行にお通を連れて行くわけにはいかないと考えていた。武蔵は花田橋の茶屋で待つお通と顔を合わすが、旅の支度をしてくるお通を待てるはずがなかった。「許してたもれ、許してたもれ」と桟橋に小刀で書き置きを残してそっと去る武蔵。お通は生涯を懸けて武蔵を追いかけることになる。その後又八は様々な悪事に手を染める。最後には天下随一と謳われた剣豪佐々木小次郎の名を語り、豪遊するような堕落した男になりさがてしまった……。

       

 若者2人の対照的な生き方を通して、私は決して<又八>●反面教師メンター)にはなるまいと自分に固く誓った。吉川英治は『宮本武蔵』で多くの人物を登場させたが、今私自身の今までの出会いを思い返すと、あの人は彼と似ている、彼女はあの人の性格にそっくりだと思い当たる人たちがたくさん存在する。氏の素晴らしい人間観察眼に心底感嘆する。私が逝くときは必ず『宮本武蔵』を棺桶の中に入れて欲しいと、最大の協力者で最大の理解者である我が連れ添いにすでに遺言している。

 私が真剣に考えた目標に<弁護士>と<先生>と<消防士>という職業があった。しかし、映画や小説の中で、幾度となく「悪徳弁護士」に遭遇した。正義の味方である弁護士には、悪事を働いている輩の弁護を頼まれれば刑を軽くしたり、無罪にまでする力があることを知った。そして、こんなことを考えた。
 結婚し妻子を守る夫となり、貧乏な国選弁護士で金銭的に不遇なとき、人を殺めたヤクザに弁護を頼まれた場合、私はどのような選択をするかまで考えた。きっぱりと「NO!」という自信はなかった。そんな人間が弁護士になるべきではないという結論に至った。弁護士になるための学習能力欠如も大きな要因だが、私の<直感>が無理だと叫んでいた。高校を卒業するころには<弁護士>への夢は完全に消滅していた。しかし、両親にそんなことを告げられるはずはない。特に母は弁護士になる私を夢見ていたからだ。大学はすべて法学部だけを受験したが、弁護士になるためではなく、文学部や経営学部よりは就職するにはつぶしがきくと自分なりの苦渋の判断だった。

                                                      (下に続く)

「メンターを探せ!」(6)「親友夫婦&ハローワーク」編

2012年05月13日 | Weblog
 今日の堺CCでのラウンドも記憶に残る凄いゴルフとなった。最初の驚愕は、ご一緒に回った女性のYさん(3/7に初めてラウンドした当会員の女性)のチップインバーディーだ。ロングホールの4打目を直接カップインさせた。打ち上げだったので誰もカップに入った瞬間を見ていない。グリーンまで130ヤードの登り。Yサンはウッドを持ち、打ったボールは少しトップ気味になった。しかし、その分転がりが良くグリーンまで駆け上がり、ピンに絡んだように見えた。4人がグリーンに上がったがYさんのボールが見あたらず、グリーン奥まで探したがやはり見あたらない。O君が「入ってるんちゃうか?」と途方もないことを言い出した。Yさんはグリーン奥から急いで、ピンまで近づいた。カップをのぞき込んで「入ってるー!」と叫んだ。私たち3人も飛び上がって喜んだ。
 次の驚愕は私の2回のチップインパー。グリーンエッジからの15、20ヤードの距離をなんと2回も入れたのだ。前回のようなトップでピンに当たって入るようなまぐれではない。3人の目の前で、落としどころにキッチリ落とし、登りのラインをと少し下りのスライスライン読み切ってイメージ通りに放り込めた。これで堺CCでのラウンドは5回目だが6回もチップインパーができたのだ。こんなにラッキーが続くことはない。練習の賜物だ、強くそう感じた。

(メンター●「練習は裏切らない」)

<結果報告>
 私:95(47.48)、O君:121(59.62)、O君の細君:102(53.49)、Yさん:99(45.54)
 *Yさんは生まれて初めて100を切り、
  99という生涯で最高のスコアを記録したことも付け加えておく。

    

    

 O君とは中学2年時、同級になり友達になった。3年も同じクラス。その後同じ高校に進学し、3年間同じクラスだった。互いに浪人したが、最も長く一緒に時間を過ごし親友となった。彼の性格を2文字で表現すると「堅実」だ。私のような好奇心旺盛でキョロキョロするような男ではなく、新しいことに飛びつくような人間でもない。 最大の長所は、付き合えば引き合うほど優しさが沁みいってくる、そんな誠実な性格だ。

 アリストテレスは「性格は宿命」(●メンター)と語っているが、一緒にゴルフをやってみて、アリストテレスの言葉が正しいことを改めて確認した。私の助言を素直に聞く耳を持っていた。あの素直さは、中学の頃から全然変わらない。だから吸収合併・リストラという激戦の金融業界で、上司に気に入られ、生き残って来られたのだと思う。素直である限り、人は伸び続けることが可能なのだ。そして誠実さは人に必ず伝わる。きっと、彼は今、そのことを実感しているに違いない。

先日ハローワークの若い担当者の方が、どれも欠かせない「採用の3拍子」を語った。
1)人柄 2)能力 3)体力(健康)(●メンター)

O君にこの3拍子を当てはめると、
1)人柄(10点満点)、
2)能力(9点 堅実で誠実な性格は銀行マン、特に信用金庫には絶対に欠かせない)
3)体力(8点)
某事務所に勤める奥さんのMさんにも当てはめてみる。
1)人柄(12点の満点以上)頭が良く素直で優しく包容力もある。
2)能力(10点 事務所の所長がきっと手離さないはず)
3)体力(11点 今日のゴルフで200ヤードショットを連発。私も驚愕した。
     あとは寄せとパットを練習すれば、すぐに平均100切りは確実)

 ハーフ後の食事タイム、プレー終了後のゴルフ談義で、私は<グッドラック節>を炸裂させてしまった。あんなに饒舌になったことは殆ど記憶にない。Yさんもとても素直な方で、私の話に耳を傾けてくれた。3人の素直な聞き手が、私を饒舌にさせた。最高の聞き手、つまり聞く耳を持つ能力の持ち主だったのだ。そして、彼等も様々なことを語ってくれた。まさしく久闊に叙する時となった。

「聞き上手な素直さを相手に示せ。
  そうすれば相手は自分の本音を勝手に語り出す」

                                             (グッドラック●メンター)

「メンターを探せ!」(5)「ゴルフ」編

2012年05月12日 | Weblog
 今日はとても良いことがあった。
 頸椎のリハビリに行った後、打ちっ放しの練習に行った。明日、中学以来の親友とその奥さんと、堺CCに行くからだ。良いことは練習場での出来事だった。いつものように脇目も触らず、黙々とスイング完成を目指し練習していた。すると、目の前の打席にいる70歳位の男性の打球音が耳から入ってきて、どうしても聞き逃せなかった。「キシッ!」とボールの芯を打つ音が途切れない。今まで何百回も練習に来ているが、こんないい音を続ける人と出会ったのは初めてだ。私の直感が騒ぎだした。(この名人に、ワンポントレッスンを頼んでみろ!)と直感が叫びだしたのだ。生まれて初めて、練習場で赤の他人に声をかけた。

               

「練習中なのに、突然で申しわけありませんが、今スイングで悩んでいます。ワンポイントレッスンしていただけませんか?」
「ああ、いいですよ」と、即座ににこやかな笑顔が返ってきた。(紳士だ、この方は!)
「私は今、頸椎を痛め、リハビリ中で左手の握力が右手の半分しかありません。だから飛ばなくなってもしかたがないのですが、あなたの打球音に魅了されました。もう少し距離が欲しい。でもそれを臨めば安定しない。これが私の悩みです。宜しくお願いします!」と帽子を取って最敬礼した。
「じゃー、何球か打ってみて下さい!」彼の言葉はとても温かく聞こえた。
 緊張せずに、体重を左足からあまり移動させないスイングでボールを振り抜いた。真っ直ぐ飛んだが、200ヤードのネットまで、ワンバウンドを要した。つまりキャリーで200ヤード以下ということだ。
 彼の打球は、ゆうに200ヤードネットにキャリーで当たっていた。ランが良ければ250ヤードまで転がるに違いない。
 私のスイングを数回見て、そのゴルフ紳士がゆっくりとしゃべり出した。

「重心が左足過ぎる。(私の1年半かかって作り上げてきたスイングを見事に看破した!)もっと飛ばしたいなら、基本通りスイングのスタートから右足重心でトップまで上げること。そして今のあなたのスイングは左肩の回しが不十分です!」明快だった。

 すべて理解できた。以前はそのように練習していたからだ。しかし、青木やタイガーから「左足はベタ足にし、膝やカカトを上げずに打った方が、ボールを捉えやすい」という言葉を何度も耳にしていた。つまり体重移動が必要以上になると、ボールを取らえ難くなる、不必要な頭の上下動も生じる、というのがベタ足打法を勧める根拠だ。
 そこで私は現在タイガー・ウッズが身につけようとしているスイング(私の方が少し早くスタートしたが)を目指して1年半、ようやく身についてきていたところだった。筋力低下が最大の原因だろうが、距離よりも安定打法に変更したのは事実だった。(挑戦を辞めて、逃げたことを指摘されたのだ)

                    

 ゴルフでの靄がスーっと消滅していくのを実感した。ゴルフ紳士の前で何球も打った。ミスもしたが、今までにない打球もあった。しかもゴルフ紳士と同じ所まで飛び、ネットを揺らしたのだ。(これは、いける! 私の<直感>叫んでいた)
 怪我していても、あそこまで飛んだのだ。ゴルフ紳士には、私の喜びようが初めて自転車に乗れるようになって大はしゃぎする子供のように見えたに違いない。頭を下げお礼を言った。そして、ボールを1カゴ出して彼の打席に持って行き、再度感謝の気持ちを伝えた。
 その後も時々、私のスイングを見に来て下さり、自分で上手く打てたと感じたとき、すかさず「ナイスショット!」と声をかけてくれた。(この方は真のゴルフメンターだ!)

「親や上司、先生の最大の役目は自信をつけさすこと」(●メンター)

 私は自分の作ったあの名刺を手渡し、お名前を尋ねた。メンターは言った。
「ホリです!」そのにこやかな表情と言葉は、まさしくゴルフ紳士だった。その後メンターの周りに練習に行くと何度も目にするゴルフ好きの人たちが集まってきた。ホリ氏は、ここでは有名人のようだった。今まで来られていたのかもしれないが、騒がしい人ではなく、だから見覚えはなかった。彼のボールが無くなってきたので、私は自分のボール差し出しだした。「これを使ってください」この一言で私は彼等の仲間入りを果たすこともできたのだ。

 良いこととはゴルフメンター(ホリ氏)との出会い、ゴルフ好きの仲間ができたこと、そして、練習の目標が明確になったことだ。彼等には名刺は渡さなかったが、名前だけは告げた。そして「これからも皆さん、宜しくお願いします!」と挨拶して練習場を後にした。<直感>が正しかったことを実感しながら。

「メンターを探せ!」(4)映画「草原の輝き」編

2012年05月11日 | Weblog
 15年振りにできたオリジナル曲<恋は恋>の完成にホッとしてる私です。37年間心に留め置いてきた大好きなワーズワースの詩の一節を、詞に挿入することができたことが嬉しいのです。名匠エリア・カザン監督の映画「草原の輝き」の中でこの詩の一節を知りました。


     …… 草の輝くとき 花美しく咲くとき
        ふたたび戻らずとも 嘆くなかれ
        その奥に秘めたりし力を見いだすべし
 …… (●メンター) 

ウィリアム・ワーズワース
(イギリスの代表的なロマン派詩人であり、純朴であると共に 情熱を秘めた自然讃美の詩を書く)


                   



 当時大学2年生の私は北国出身の色白で美しい女性と恋いに落ちたばかりでした。そして、「今がその草の輝く時だ」と強く実感していました。そして、いつか時が過ぎてこの時期を懐かしむに違いないと確信していました。

「奥に秘めたりし力」とは<生命力>を意味しています。人が誰かに恋することも生命力の一つですが、毎年花を美しく咲かせる生命力の方がもっと力強いものだとワーズワースは言っているのではないかと思います。若いときもいい加減ではなく一所懸命に恋をし、その後、歳を重ね若さを失っても嘆くことなく今を生きていることを感謝できるように一所懸命に生きなければならないと思います。

 
 

恋は恋

                                     作詞・作曲:グッドラック (2012.5.2)
桜の花びら 風に乗ってゆく
君の黒髪に触れ そのまま落ちずに 髪飾りとなって

去りゆく春は 君の笑顔まで
静かに持ち去って ボクだけおきざり 思い出残して

もう昔のような 恋はできないと
君はボクに告げたけど 嘆く ことはない
いつまでも 恋は恋 
いつまでも 恋は恋


あれから二十年 ボクは今も一人 
君は母となった まちがっていたのは ボクのほうだったのか

夢を追いかける ボクとの恋を捨てて 
一児の母となった君 知っている笑顔より はるかに輝いてた

草の輝くとき 花美しく咲くとき
ふたたび戻らずとも 嘆くことはない
いつまでも 恋は恋 
いつまでも 恋は恋

その奥に秘めたりし 力を見い出せ
いつまでも 恋は恋 
いつまでも 恋は恋


                                 

グループ名:『ボタンダウン』で完成したら、YouTubeにアップさせますので、乞うご期待!

『メンターを探せ!』(3)「プラダを着た悪魔」編

2012年05月08日 | Weblog
メリル・ストリーブの名演が見事に輝いた作品です。この表情の変化でアカデミー主演女優賞を獲得したのではないかと思えるほどです。この15カットを撮るためにはコンデジカメラで連写機能を使い100枚以上の中から30分以上かけてchooseしたカットです。

                      
(アンの後ろ姿をながめながら)若さは何よりも尊い…  私にもあんな頃があったのよね
 
                     
もう思い出せないほど時が過ぎてしまったけど…     あの頃は…

                     
すべてが輝いていた…                    恋を思い出すと切なくなってくるわ…

                     
感傷に浸っている暇はないわ                そろそろ今の自分に戻らなくちゃ

                    
「GO!」と運転手に告げる                 ええーと、今から会う人は誰と‥

                    
誰だったかな…                       何を伝えなくてはならなかったかな?

                    
そうだ!                            あれとあれは必ず伝えなくちゃ

                    
漏れはないかしら?                     よし! (戦闘モードに入る)


(●メンター) 
「人は何を求め、必要としているかを超え、自分の為に、決断できる」
You can see beyond what people want.、and what they need . . .
and you can choose for yourself.


「他人が何を求め、必要としているかを理解した上で、
自分自身のために良かれと思うことを決断できる能力」→あなたはサバイバル能力がある

 この台詞は車の中でアン・ハサウェイに伝えた言葉です。(あなたも私と同類よ)とメリルは云い放ちますが、アンは自分はそうでないと言い切ります。しかし、聡明なメリルは、過去のアンの言動をするどく指摘します。そして、アンは自分の奥底にも確かにそんな自分がいることを確認し、愕然となります。車は目的地に到着し、二人は一緒に降りますが、助手のアンはいつものように上司のメリルについて行かず決別します。メリルのいるきらびやかなファッション界が、常に誰かに蹴落とされないように疑心暗鬼にならずにはいられないような世界であることに初めて気づいたのです。


choose  選ぶ → 直感的 → サバイバル能力(自己防衛能力) → 強い男
select  注意深く選ぶ → 理性的 →人間性を高める生き方 → 芸術性を構築 → 繊細で弱い男

 あなたが結婚相手を選ぼうとしている年頃の女性なら、人より女心がわかる繊細で優しい感性の持ち主に絶対に惚れてはいけません。例えば、太宰治のような繊細過ぎる男は優しくて魅力的に感じるかも知れないが、生活能力は低く、誰にでも優し過ぎて一番大切なものを見失ってしまうのです。何故なら、いつの間にか情に流されてしまい、一番大切なこと、つまり<自分を最後まで守ってくれる人>ではないからです。女性は、この<直感力>を身につけていなければ、きっと不幸になるような気がする。 ご用心、ご用心!

(●メンター)「木を見て森を見ず」

『メンターを探せ!』(2)「東京ラブストーリー」編(下)

2012年05月06日 | Weblog
   

   


 周囲の人たちを観察していれば、時にこんな表情を発見することがある。写真は人が作ったドラマの中のワンシーン(3話の終わり)だが実生活で、人が、自分と話しているときではなく、友人や上司や部下、お客様、全くの他人と話している時、友人と何か楽しいことや共同作業してるときの表情を見逃すな。人の本性が現れているからだ。
●メンター『人の心はわからない、でも本性は行動に出る』「バットマンビギンズ」より

 私の初恋相手は中学2年の時、同じクラスになった圭子ちゃんだ。あの頃の私はコクることなど決してできない小心ものだった。そしてその恋は人生最大の片思いとなった。2階の窓から彼女が運動場でバレーボールをしていた姿や表情をずっと眺めていた。また教室で同性の友人や男の子と話している表情をそっと眺めていた記憶が残っている。(いい子だ、こんな子が好きだ、こんな子とずっと過ごしたい)心からそう思った。しかし、圭子ちゃんの表情を間近で見るまで、みどりという女の子が好きだった。1年生の時に他のクラスにいたみどりちゃんに一目惚れした。そして、友人にそのことを告げていた。しかし、2年生の時、みどりちゃんも同じクラスになった。話しかけることなどできない私は、当然のように彼女を観察し始めた。そしていっぺんに熱が冷めてしまった。人によって話す表情が全然違ったのだ。その1点で私の想いは瞬間氷結してしまったのだ。

 同じクラスに誰にでも同じ表情で愛らしく話す頭のいい圭子ちゃんを発見した。彼女と一緒に下校したことが一度だけあった。彼女は住吉大社の前を通る阪堺線を通学に使っていた。二駅ほど歩いて住吉大社に向かった。太鼓橋の上から池を覗くと、二人の姿が映っていた。私はそれだけで最高に幸せだった。そして、やっと告白っぽいことを告げた。しかし、彼女はこう云った。「みどりちゃんが好きなんでしょ」と。すでにみどりちゃんへの想いは瞬間凍結したのに、噂が圭子ちゃんに伝わっていたのだ。
 過ぎた時間は絶対に取り戻せない。(違うよ、今は圭子ちゃんが好きなんだ、なんて云えるはずがなないのだ)今の私ならいろんな言葉を駆使して、きっとその誤解を解くことが可能だろう。欠如していた言葉や説得力を身につけたのだから。しかし、あの頃の私は経験も言葉も勇気もすべて欠如していた。だからできるはずがなかったのだ。

●メンター
 サマセット・モームは好きな作家の一人だ。つまり大切なメンターの一人だ。
 彼の作品は共感できたので殆ど読んだが、最高作品は『月と六ペンス』だ。
 この小説の序文に「この小説はポール・ゴーギャンの生涯に暗示をうけたものである」と
 妙な表現を書いている。

・モ-ムの言葉で、メンターとなった言葉。
『恋愛は種の保存のために私たちに仕掛けられた罠だ』
『もっとも永くつづく愛は、報われぬ愛である』


               



こんな言葉を今までに聞いたことがあるだろう。
『人は人生で必ず会うべき人に会っている』(●メンター)

 大切なのはその人との出会いやその瞬間を見逃さないことだ。その人との関係は、瞬間であったり、数ヶ月、数年間にも渡ることがある。しかし、気がつかないことが多いのだ。今、ある程度自分の立っている地位や位置に少なからず満足している人なら私の言うことにきっと共感してもらえるはずだ。恩師と呼べる人の存在を否定できないだろう。また、反面教師となって影響を与えてくれる人もいる。その人たちのおかげで、今自分はここに立っていられる。そういう人たちに心から感謝したい。(まさしくメンターと呼べる人たちのことだ)

 会った瞬間はその赤い糸に人は気づかないものだ。赤い糸と呼ばれるのは恋愛だけに使用するものではない。歩いてきた道を振り返った時に感じると思っておいて方がいい。若い時期<直感>ほど、危ないものはない。3,4歳までの<直感>は、動物に近い分100%正解だろう(動物的自己防衛本能)。だから記憶にない幼い頃の自分の言動を母から聞くことの重要性を強調したい。自分の本質を知ることにつながるからだ。私の体験からのメンター的な熱い言葉として伝えておく。

 人と接するとき、誠実に接していなければ、メンターに気づくことはできないだろう。私はこのことを会社に入った頃から<直感>でそう感じ始めた。東京での独りぽっちの生活の中で自分の味方になる人をきっと探していたからに違いない。これが、<自己防衛本能>の熟成がスタートだった。だから人は18歳を過ぎたら親元から少々の時間や多少の金では帰れない距離を保って生活する必要があると強く感じている。一人でなければ、<直感>を磨くことが難しいからである。それは、親元にいると親の目を通して世界や社会を見聞きしてしまうからだ。