GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「北極星を探せ!」

2012年01月31日 | Weblog
関東エリアの「人気の街(駅)」ランキング(「HOME'S」調べ)

1位「池袋」(東京都)
2位「川崎」(神奈川県)
3位「高円寺」(東京都)
4位「三軒茶屋」(東京都)
5位「荻窪」(東京都)
6位「恵比寿」(東京都)
7位「目黒」(東京都)
8位「葛西」(東京都)
9位「高田馬場」(東京都)
10位「大宮」(埼玉)

何だか、懐かしい駅名が並んでいたので、つい見入ってしまいました。
 1977年までの4年間私は、池袋から赤羽線でひと駅先の板橋で学生生活を送りました。高円寺も三軒茶屋も恵比寿も目黒も先輩たちや友人たちが借りていたアパートがあった場所です。数年前、首都高速の上から池袋付近を眺めましたが、記憶しているビルの街並みがかなりの変貌を見せているようでした。一位に選ばれた池袋は、30年以上前は決して人気のある街ではありませんでした。しかし、私は新宿駅、東京駅についで便利なターミナル駅だと見定めました。落っこちましたが、早稲田を受験していたので高田馬場駅の付近の周旋屋で紹介され、北区板橋の滝野川で新築中のアパートを選びました。六畳一間、ガス・水道付き、トイレ(共同)、風呂なしで家賃は16,000円でした。(4年生の時に17,000円にアップ) 
 高校時代から読んでいた『青春の門』は、五木寛之が1969年から週刊誌に書き始めた大河小説で、主人公の伊吹信介とヒロインの牧織江の思春期を描いた『筑豊編』は、今も私の心のバイブルの一つです。『青春の門』は早稲田大学の先輩である尾崎士郎の『人生劇場』に倣って五木氏が書き始めたと云われています。私の東京志向は、信介に共感して自分に重ねて合わせていたことが影響してかもしれません。

 

 大学ではフォークソング同好会に入部して早々に山梨県出身の山本君(今は宮崎県在住)とデュオグループを組みました。赤羽線で板橋の一つ先の十条駅を降りて十条銀座という商店街近くにクラブの部長のアパートがありました。部長のスタイルは細身で流行のロングヘアー、スソが広がった薄い色のブルージーンズがとても似合う人でした。ギターも歌も大変才能がある人で、私たちはすぐに心酔してしまい、部長の住む十条の部屋を一度訪ねることになりました。入ってみて驚きました。古くて汚くて散らかり放題でイメージが随分損なわれました。部屋の隅に少年マガジンが数冊重ねてあり、一番上の表紙に「男おいどん」のキャラクターが印刷されていました。そのマンガのキャラクターと部長が似てもないのに何故かとてもマッチングして、私たちのグループ名が急きょ<おいどん>に決定してしまいました。外食する金もなかったのでインスタントラーメンか何かでお腹を満たしたあと、部長は四畳半の片隅に追いやられていたギターを手に取りました。「俺がユージの作曲で一番好きなのは『かざぐるま』だな」と云って突然歌い始めた。

 
            
   私は小さな かざぐるま
   時おり過ぎる風に
   カラカラ 音をたてて
   泣くこともできないの

   私は可愛い かざぐるま
   気まぐれ風に まどわされ
   たえきれない 心で
   泣くこともできないの

   風を待つ 私に
   あなたは 振り向きもしない
   ほんの少しでいいの
   暖かい風がほしい

   私は淋しい かざぐるま
   いつもの静けさの中で
   次の風が 吹くのを
   じっと 待ってるの…

                          作詞:チー
                          作曲:ユージ

 私たちは凍り付いたように聞き入いりました。私たちが歌い込んできた「かざくるま」ではありませんでした。私が作った曲ではなく全く別の曲のように聞こえてきました。声の質は山本君とは違ってもっと陽水のように高くて艶があり、片思いの女性の哀しい心が沁みてくるような歌声と歌唱力でした。(これが才能なんだ)単純な私は改めて部長の才能に惚れ込みました。同時に私にはそんな才能がないことをつくづく知らされた瞬間でもありました。
 最近、他人のヒット曲を歌ってCD化する歌手がいますが、オリジナルの歌手以上の歌唱力がなければ、やってはいけない危険な行為と云えます。歌声と歌唱力はその人がもつ才能であり、オリジナリティです。だからアーティストと呼ばれるのです。

 山手線のJRの駅名を見ながら草原が輝くような季節を思い出しました。知識や経験が足りないために人は恐れを知らずに育ちます。同時に感性のままに生きようとします。だから輝くのでしょう。しかし、残念ながら感性(=本能)のままでは生きていけないことを学ばされます。

 心理学者の岸田秀氏は、生まれてすぐに本能によって立ち上がるような動物に対して本質的に、未熟児として生まれてくる「人間は本能の壊れた動物である」としました。そもそも本能とは何か。岸田氏は「動物がこの現実の世界に生きてゆくのに適合した行動形式」だとする。要するに、動物の場合は生殖や子育てなど全てが本能に従っている限り現実・自然に密着し、適合して生きていけるのである。本能=自然に適合した行動様式・形式と考えて良いだろう。さらに、岸田は本能を二つの要因で考える。一つは行動形式。一つはエネルギーである。二つ目の生命のエネルギー(欲求)は人間も含めて、生物全てが持っている。しかし、例えば、性欲=エネルギーは、動物の場合、種族保存と繋がる「行動形式」・本能の指示にしたがって欲求とその満足が矛盾しない。ところが、「行動形式」・本能が壊れた人間は満足を知らず大変な事になる。そもそも、「生殖の為の性交」がどれほどあるだろう。暴力他も全て同様である。「本能が壊れた」という場合、二つの要因のうちの「行動形式」即ち、エネルギー(欲求)の「発現する」自然の「水路」が壊れたと言っている訳で、「水」が枯れたと言っているのでない。しかし、生命のエネルギー(欲求)は生物に共通なので、あえて本能(=「行動形式」)が壊れたと言ってもかまわないと思う。要は、「欠陥生物」=未熟児として生まれた人間は、自然との間に「すきま」を宿命的・絶対的に抱える存在であり、その「すきま」を埋めるものこそ「文化」=言語なのであるとしました。(http://blog.livedoor.jp/haruhouse/archives/5512497.html)

 上記の記述をきっと多くの人が共感できると思います。私たち人間の本能は決して消滅したのではなく、「行動形式」によってその回路が複雑になったためにショートし、ストレスを抱え込み、暴力や犯罪まで犯してしまうと云っているのです。年を重ねるほど、その回路をもっと単純にする作業が大切になってくると私は思います。

「色心不二」感情と精神は二つに分かれていてはいけない、一つであることが自然だと仏教でも教えています。しかし、思春期を迎える頃から分かれていくのは誰もが経験する道です。その事をしっかりと意識しながら「行動形式」をより単純化していくスタンスを持たねばなりません。そうしなけれな情に棹を差しては流され、方向転換を余儀なくされ、ストレスを溜め込んでくのです。そして、岸田氏が語る「本能がこわれた動物」に成り果てるのです。

 東京での4年間は私にとって輝かしい季節でした。その4年間があったからこそ、今私はここにいるように思います。感性のままに音楽に浸り、恋をし、クラブという組織の一構成員になりました。そして、3年生の時、責任ある役職を任されたことが間違いなく今の礎になっているように思うのです。
 1977年から数えると35年が過ぎました。東京も大阪の繁華街も大きく変貌し、社会もまたOA化が進みコンピーターとネットが融合してグローバルな世界が広がりつつあります。岸田氏が語る「壊れた動物」と呼ばれる人々が今後もどんどん生まれてくるように思います。個が集団と接する時、個は複雑な対処を要求されます。この時回路がショートしてしまうのです。私の輝かしい季節は個だけではありませんでした。たった2名ですが、<おいどん>というグループを組んでいました。そして、クラブ組織でコンサートマスターという役職で集団にいたことが私にとって後々大きな財産になったように思います。集団の中でもオリジナルティを追求し、個を埋没させることなく、クラブのために全力で取り組んだからです。

 

 個と集団を同一線上に置くことができたスタンスが、その後を生き抜く信念になっていったように思います。個のために一生懸命になるのは本能(=感情)であり、当たり前の行為ですが、集団や組織にために誠意を尽くすのは、動物ではできないきわめて人間的行為、精神が司る高尚な行為です。この経験が私の礎となったのです。だからこそ、あの4年間が今も輝くような季節として私の心の中で光を放っているのです。それは北極星と同じ役目をしてくれています。大海原で迷ったときは船乗りのように北極星を捜せばいいのですから。 

        

「全豪オープンテニス2012」(下)

2012年01月30日 | Weblog
 男子セミファイナルは、ナダル対フェデラーの試合です。二人の試合は、何度見ても特別な試合に思います。まるでサッカーのレアル対バルサのクラシコを彷彿させますが、違うのは二人がお互いを称え合い尊敬し合う特別な関係です。ナダルのフェデラーへ尊敬心は、口では言い表せないほど高貴なものを感じます。そんなフェデラーに勝つためにナダルは必死にハードな練習を積み重ね、2008年、ナダルは初めて世界ランキング1位の座につき、フェデラーが保持してきた世界ランキング1位連続保持の世界最長記録を「237週」で止めたのです。

 この2年、なかなかファイナルに勝ち残れないフェデラーはナダル対策を十分に練ってきたように感じました。第1セットは7-6(5)で競り勝ちます。しかし、両サイドを攻めるフェデラーの攻撃的テニスは、ナダルの奇跡のようなランニングショットの前に徐々にファーストサーブの成功率を弱めていきました。連続2本もダブルフォルトを犯すフェデラーを見たことがありません。素晴らしい試合でしたが、驚異的なナダルのディフェンス力の前にフェデラーの攻撃的戦略は屈したのです。その後は2-6、6-7(5)、4-6。今大会で最高の試合になるだろうと思いました。

 

 この試合を超える壮絶とも云えるとんでもないロングラリーの試合が待っていました。もう一つの男子セミファイナル、ジョコビッチ対マレーの試合です。

 この試合こそ、死闘と呼べる壮絶な試合でした。世界1位ノバク・ジョコビッチと4位アンディ・マレーの24歳同士の対決は、まさしく4時間50分の大激闘となりました。昨年の決勝戦の雪辱を果たすために対ジョコビッチ戦の為のハードな練習と戦略を携えて、マレーは自信に溢れているように感じました。マレーはセンターからほとんど動かず、ストローク戦から王者ジョコビッチを左右に振ってウイナーを決める戦略、この効果は十分あると思えました。頻繁に主導権を握るマレーですが、ジョコビッチのミスは少なく、返ってくるボールは常に厳しいコースをついてきました。体勢がどんなに崩れても、返すショットは深く、スピードがあり、マレーに流れを与えないのです。王者の風格を感じました。
  
 第1セット、マレーは3-6で失いましたが、徐々に盛り返し自分の戦略に自信を得て第2セットは 6-3で勝ち、続く第3セットはタイブレイクにもつれ込んだが7-6で制しました。すでに3時間20分を過ぎていました。マレーに流れが傾いたかに見えました。しかし、昨年あれほどの強さを見せつけたジョコビッチの強さは、ここからが真骨頂でした。第4セットすぐにブレイクされたマレーはこのセットを捨て、ファイナルセット体力を温存したように見えました。ジョコビッチはわずか28分でこのセットを勝ち、勝負は第5セットにもつれ込みました。
 マレーの戦いぶりは、まだ自らの戦略に絶対の自信を持っているかに見えました。第6ゲームをブレークしたジョコビッチが5-2とリードを広げる。今度はマレーが執念の3ゲーム連取で追い付きます。勝負を分けたのは次のゲームでした。ジョコビッチのサービスゲームで3度握ったブレークポイントを生かせなかったです。特に印象に残ったのは0-30で迎えたジョコビッチのサーブ。ファーストをミスしながらも、セカンドで178km/hのサーブで攻めたジョコビッチの驚異的な気迫でした。大きなピンチを乗り越えたあとにはビックチャンスがあることを、ジョコビッチは信じていました。次のゲームをあっさりブレークしてマレーの追撃を押し切りました。

アンディ・マレー    3 6 7 1 5
ノバク・ジョコビッチ  6 3 6 6 7

 

 マレーはジョコビッチの首根っこを掴んだときっと確信したように思います。2012年は始まったばかり。ジョコビッチ・ナダルの2強時代からマレーを加えた3強時代の幕開けになる、そんな試合内容でした。


 男子シングルスファイナルは王者となったジョコビッチ対逆襲を誓うナダル。昨年6回もジョコビッチに負けたナダル、雪辱を決意しての今年最初のグランドスラム。フェデラーに完勝して、自信をつけてのファイナルは、グランドスラム史上最長の5時間53分、予想を遥かに越える今大会最高の試合になりました。そして私が記憶する試合の中で、NO.1の試合、体力と技術とメンタルの死闘と呼ぶにふさわしい試合となりました。

ジョコビッチ  5   6   6   6   7
ナダル     7   4   2   7   5
          (80) (66) (45) (88) (74)  (計:353分)

 これまでのグランドスラム決勝での最長記録は、M・ビランデル(スウェーデン)がI・レンドル(アメリカ)を破った1988年のUSオープンでの4時間54分でしたが、その記録を約1時間も超える壮絶な試合となりました。

 昨年のウィンブルドンからグランドスラム3大会連続で同じ顔合わせとなった決勝、第1セット第5ゲームでブレークに成功したナダルが4-2とリードを奪うが、ジョコビッチが第8ゲームでブレークバックに成功する。しかし、第11ゲームで再びナダルがブレークに成功すると、そのまま第1セットを先取する。

 これまでのグランドスラム134試合で第1セットを先取した試合では1度しか敗戦した経験がないナダルであるが、この日は鍛えてきたファーストサーブが次第に入らなくなっていきました。

 第2セットはディンフェンディング・チャンピオンのジョコビッチが第4ゲームでブレークに成功すると、5-3でサービスゲームのチャンスとなる。続く第9ゲームでナダルがブレークバックに成功したが、第10ゲームでジョコビッチが再びブレークに成功し第2セットを奪取する。

 セットカウント1-1で迎えた第2セット、序盤から3-1とリードを奪ったジョコビッチがサービスキープを続け、第8ゲームをラブゲームでブレーク、そのままナダルを押し切り2セット目を奪う。
 このままジョコビッチのペースで試合が進むと思われた第4セットだが、第8ゲームで0-40からサービスキープに成功したナダルが再び勢いを取り戻すと、タイブレークでも3-5から4ポイントを連取。2セットオールに追いつく。

 このままファイナルセットをナダルが押し切ると私には見えた。第6ゲームでブレークしたナダルが先手を取ったものの、ジョコビッチは、昨年の全米オープンで見せた不敵な笑顔を見せる。続く第7ゲームでジョコビッチがブレークバックし試合は再び拮抗する。しかし、フェデラー戦でみせたナダルのダンウン・ザ・ラインへのショットミス、深く入れようとショットするが、次第に浅くなっていきました。ライン際に構えるジョコビッチに比べ、ナダルのレシーブもだんだんとラインから離れ、最後は1m以上離れてレシーブするようになって行きました。当然返すボールは浅くなり、ジョコビッチの激しい反撃を受けることになりました。これらが明暗を分けたのです。

 

 ゲームカウント5-5で迎えた第11ゲーム、ジョコビッチがこの日7度目のブレークに成功すると、6-5として迎えた第12ゲーム、次にブレークしたのはジョコビッチ。ナダルが一度はブレークポイントを握り、最後まで逆転の望みをつないだが、ナダルの攻撃的テニスもそこまでだった。最後はジョコビッチがフォアハンドでこの日57本目のウィナーを決めてゲームセットとなった。そして、コートの上に大の字になって目を見開き、信じられないような死闘を制した自らの勝利を確信した。

 ナダルは最後まで攻撃を緩めなかった。前日のマレーが見せた第5セット1-6のような攻撃を緩めるセットは一度もなかった。マレーのような無念さもきっとないだろう。あのダウン・ザ・ラインショットが入っていればというショットは何本かあった。入るかは入らないかが勝敗を決めていったのは間違いない。あえて勝敗の分かれ目を云うならば、ジョコビッチのレシーブ力とリターン力がナダルよりわずかに上回っていたように見えた。クレーコートで強いナダル、全仏での逆襲を心から願っている。

 2年連続3回目の優勝を果たしたジョコビッチは、試合後、「われわれは今夜、歴史をつくった。1人しか勝者になれないのが残念」とコメントを残した。今後もこの死闘は間違いなく語り継がれるだろう。私はその歴史をしっかりと脳裏に刻んだ。

 

「全豪オープンテニス2012」(上)

2012年01月29日 | Weblog
 WOWOWで放映されている全豪オープンテニスを毎日楽しんでいます。一昨年の秋、生涯グランドスラムを達成して日本の楽天オ-プンに初出場したナダルを直に観戦した頃から、本当にテニス観戦に填ってきました。3時間を超す二人だけの技術と体力と、そして戦略の戦いは、他のどのスポーツにも見あたりません。
 例えが悪いかもしれませんが、相撲の試合で6回先に勝ったほうが1セット勝利し、5セットマッチなので3セット勝った方が勝利者、こんなハード試合がグランドスラム(四大大会)と云えるかもしれません。とにかく非常にハードだと云いたいのです。そして、紳士的なスポーツなのです。自分が打ったボールがコードコートに当たり、死んだボールがポトリと相手コートに入っても、そのゲームを勝ったにも関わらず喜ばず、申し訳ないと手を上げて相手に謝罪するのです。そんな誇り高きテニスに私は填っています。

 さて、今回の注目は日本人最高の24シードで出場した錦織選手の活躍でした。2回戦で、マシュー・エブデンに2セット先取されて、自分の戦略(レシーブ重視でチャンスを待つ → ナダルやマレーの戦略 → ボルグやアガシのストローク・レシーブ重視のテニスの王道)を思いだした。第3セットからその戦略を貫き抜き通してその後の3セット勝ちきった試合は感動ものでした。3回戦は第1セットを落とすものの、第2,第3セットはタイブレイクを制し、相手の戦意をくじいて第4セットを6-3で勝ちきった。大きな自信つけて4回戦を迎え、その相手は第6シードのツォンガでした。またも最初のセット2-6で落とすが、その後6-2、6-1、3-6、6-3で自身の戦略を貫きツォンガのアンフォーストエラーを誘い、見事に勝ちきりました。画面を見ていて何度も大声を上げてしまいました。

           


 ベスト4を選ぶクォータファイナルの相手は、第4シードのアンディー・マレー(錦織選手が目標とする相手)。錦織圭選手は自分の戦略を貫こうとしましたが、マレーは1枚上手でした。ロンゲストラリーはなんと42ショット(今大会最長か?)も続き、打ち勝ったのはマレーでした。試合後、圭はそのラリーの後、もう試合を続けたくないというような気持ちになったとコメントを残すくらいでした。しかし、マレーとの戦いでランキング10位内に入るために自分に何が足りないかを今まで以上に明確になった試合でした。
 この1年間に圭がどのように自分の欠点を分析し、新たな技術を身につけるのか、とても楽しみです。若いにも関わらず、多彩な攻撃をができる圭ですが、10位以内に入るためにはもっと多彩なボールをコントロールできるようにならなければなりません。そして、プレッシャーのかかった時のサービスの正確性とより強靱なメンタルが必要だと私は感じました。

 女子ではマリア・シャラポワのファンです。どこに引かれるのか、それは彼女の最後の最後まで、強気なショットを放つメンタルに惚れ込んでいるのです。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、9歳の頃父親とともに渡米しました。その時持っていた金は数百ドルでした。そんなハングリー精神があの不屈の勇気へと変身したのです。
 次に好きな選手はキム・クライシュテルスです。キムは結婚して母親になって復帰して、ワイルドカードで出場した2009年の全米オープンで優勝しました。彼女の諦めない見事なレシーブと破壊力のある攻撃的な強打に惚れ込んでいます。そんなキムが今年のオリッピックで金メダルを取って引退の花道を飾りたいとコメントしていました。そして順当に勝ち上がってきたセミファイナルの相手は今大会絶好調のアザレンカでした。キムは第1セットを4-6で落とし、アザレンカは自分の攻撃的戦略に自信を持って迎えた第2セット。キムはオリンピックで金メダルを目指しているだけに、このまま負けるわけにはいかない。その強い意志は6-1という大差で勝利をもぎ取ります。アゼレンカの心の動揺はゲームに表れていました。必死にボールに食らいつくキムのテニスに自分の攻撃的戦略が通用するのか、そんな動揺が見えました。迎えた最終セット。アゼレンカは途中で自分の戦略に立ち戻ります。そして、キムのレシーブ力に真っ向勝負に出ました。この決意の変化、こんな場面を見られる、これこそがテニス観戦の醍醐味です。他のスポーツ観戦では見ることができません。
 キムも必死に食らいつきました。まるでファイナルのような中身の濃いゲームとなりました。勝利したのは、気持ちを切り替え戦略通り左右に振って強気で攻めきったアザレンカでした。とてもいい試合でした。今大会の女子シングルスでは最高の試合でした。

 

 マリア・シャラポワは苦手なサーブを克服し(いつもダブルフォルトで崩れていく)、強打の一辺倒のショットも抑えながらも、女子の中でもNO.1の勇気ある攻撃的テニスは健在でした。セカンドサーブの強打も健在でした。0-30でもガンガン打っていくサーブとショット。見ていていつも冷や冷やします。ゴルフで言い換えると、どんなことがあってもカップに届かないパットは打たない勇気です。私はそんな勇気に惚れたのです。ファイナルまで勝ち残ったマリアのインタビューで「的確なショットで…」という意外な言葉を述べた。これまでの彼女はどんな時でも攻撃的フルショットを最大の武器としていた、だからその言葉には驚きました。しかし、今大会の彼女のショットは今までにない緩急を初めて感じさせてくれました。
「的確なショット」はマリアが初めて立てた戦略だったに違いありません。18歳で初めてグランドスラムで優勝した自分を彷彿させるようなアザレンカの攻撃的テニスに対して、シャラポワはしっかりした戦略を貫けるか。ただファイナル出場がしばらくないシャラポワとファイナル出場が初めてのアザレンカ、どんな展開になるかとても楽しみでした。しかし、昨日のファイナルの結果はがっかりするものでした。アザレンカの強打にシャラポワは真っ向勝負してしまったのです。シャラポワは自らの戦略「的確なショット」を完全に忘れたのです。しかも2歳若いアザレンカの技術力はベテランのシャラポワを凌いでいました。コースの切り替えやボールの緩急は見事でした。シャラポワは振り回され、強打のミスを連発しました。ダウン・ザ・ラインのショットはことごとく外れました。
 最後まで強打で攻めた彼女の勇気は、いつ見ても拍手を送りたいですが、的確なショットを放つ技術力をもっと磨かねばなりません。野球で云えば剛速球投手が多彩なボールを覚え、コントロール重視の変化球投手へ変貌した例は何人も見てきました。剛速球もそんなとき、輝きを見せるのです。この惨敗をきっかけにシャラポワはステップアップするために新たな技術を身に付けて欲しいと心から願っています。

             
              
 メンタルの弱さや強打ばかりの一本調子のテニスと批判されてきたビクトリア・アザレンカ。グランドスラムでは長く準々決勝の壁を超えられなかったが、自分らしさの強打を保ちながらを経験とともに「賢さ」と強いメンタルを身につけ、今大会でそれを証明して見せたのだ。13歳でのプロ転向からほぼ9年、はい上がるために時間を要したかもしれない。しかし、勝ち方をしっかりと学んだはず。これが今後のテニス人生に<自信>という大きな財産になるでしょう。私は天才よりもこんな頑張りやさんが大好きです。全仏でのキム・クライスシュテルス、マリア・シャラポワとの対戦が俄然楽しみになってきました。フランスに行って直に観戦したくなりました。(つづく)

「熱き想い」

2012年01月27日 | Weblog
人は大きなバックを持って生まれてくる
そのバッグにどんどん欲しいモノ 
必要だと思うモノを入れていく

いずれそのその重みに堪えかねるようになる
そして どうしようもなくて立ち止まり 
満杯になったバッグからモノを捨てざるをえなくなる
自分の限界を知って 泣きながら道ばたに捨てていく

何を残さなければならないか
感情だけでは決められないものを背負い込んだことに気づく
今まで大切なものと思っていた価値観の変化に初めて気づく
その時 人は子供から大人になっていくのではないか

自分の限界 限られた体力 限られた時間 
限られた金に愕然としながら
死という到着点に向かうしかないことを知る
そして 哀しみや無常を感じながら 現実を受け入れる
大人になることは 現実を受け入れ 立ち位置を知ることかもしれない

想いは深刻になった時 鉛のように重くなる
しかし 想いが次元を越えたとき
膨大なエネルギーに昇華する

暗黒でしかも沈黙の世界で まるで獣のように徘徊していたヘレン・ケラー
「奇跡の人」アニー・サリバン家庭教師を出会い 初めて現実の世界の住人となる
三重苦という現実を知り そのハンディの大きさに愕然としながらも
モノには名前がある 水はWATERと知ったことから
自分だけの世界から飛び出した
知的世界を探求したいという熱き想いは
膨大なエネルギーとなって 彼女を天高く押し上げた

想いは負のエネルギーにも姿を変える
心のあり方によって姿を変えるのだ
「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーのように暗黒の世界を引き寄せる

武田晴信が山本勘助に云った
「復讐だけでは無意味なモノとなる」 
同じ意味だ

大人には守らなければならないものがある
バッグの中には捨てがたいものが存在する
しかし 本当に大切なものは手でつかむことも目にも見えない
バックにも入りきれないものだ

「想いは無限」
「想いはエネルギー」

「熱き想い」を胸に 
限りある人生を行く
この気持ちを忘れずに生きて行きたい



「Rainy Blue20周年記念ライブ」

2012年01月23日 | Weblog

  あの頃 私たちには 
  愛する人がそばにいなかったが 
  毎日が楽しく 不安の一欠片もなかった
  きっと親たちがたくさんの愛を注いでくれたいたおかげだろう
  そんなふうに思っていた

  あれから学校を出て社会人となり
  愛する人と出会い家庭を築いてきた私たち
  しかし 今 毎日が楽しくて
  一欠片の不安もないなどと云える人は一人もいないだろう
  
  愛することは責任を背負い込む
  あの頃の私たちには責任の一欠片もなかった
  だから毎日が楽しく 不安の一欠片もなかったのだ

  愛を知ったおかげで周囲の出来事や
  聞こえてくる音楽 心揺さぶる詩のフレーズ
  小説に登場する人々の決意や呟き 
  スポーツで汗や涙を流すその瞬間が 
  輝くような暖かい色を伴って感じられる
  
  愛があるからこそ
  愛を知ったからこそ
  苦しみや悲しみ 
  喜びや楽しみが深まることを学んだのだ


 

 20日の夜は、連れ添いを伴い、私の中・高同期のO君と中学同期のY君も誘って、Rainy Blue20周年記念ライブ(心斎橋劇場)に行って来ました。
(*Rainy Blueとは、http://www.rainy-blue.com/:高校のクラブの大先輩あいらんど氏が率いるアマチュアの有名なモダンフォークグループ。私の親友で同期のハッピースプリング氏や私の幼なじみのS君の弟が参加している。30年以上続いている8月のラブアップルコンサート(http://www.love-apple.net/)はこのグループが中心になって開催されている)
        
MC担当の高校同期のハッピースプリング君がこんなことを語っていました。
「もしもRainy Blueに参加していなければ、どんなにつまらない人生だったろうか」
同期としては、嫉妬したくなるような言葉でしたが、彼の人間性を感じる暖かい言葉でした。高校入学時、入部したフォークソングクラブでハッピー氏とあいらんど氏(2歳上、学年では3年上)に出会いました(あいらんど氏が在学中に創立)。あいらんど氏は大学生になっており、後輩たちの指導で放課後毎日のように部室に顔を出されていました。ギターでのピッキング奏法やコーラスのイロハを教えて戴きました。
 2年生の時、あの頃若者たちの間で絶大の人気を誇ったABCラジオ「ヤングリクエスト」に出演することになりました。「キダタローのスタジオ貸します!」と云うコーナーでアマチュアバンドがキダタローの前で歌って聞かせて、毒舌を聞くという内容でした。私とS君、そして今や売れっ子のジャズシンガーになりつつなるノーちゃんと恵ちゃんの4人で<四暗刻>(スーアンコ:麻雀の役満の名称)というグル-プ名での出演でした。この時、あいらんど氏が私たちにPPMの「AII MY TRIALS」(私の試練)という曲を選曲し、指導して下さいました。千里丘にあった毎日放送のスタジオで録音したのですが、当日ハッピー氏も応援に駆けつけてくれました。放送されたテープをMDにして、今でも車の中でちょくちょく聞いています。その縁がいまだに続いているのです。まさに奇跡のような関係です。録音を聞くたびに<人の絆>の暖かさ感じています。

            
               
 Rainy Blue20周年記念のライブ会場は、大丸百貨店北館14Fにある20周年にふさわしい心斎橋劇場で開催されました。全席満席で始終温かい拍手や声援に包まれていました。いつもとは違うファンや格調高い会場にハッピースプリング氏の語りも若干緊張を感じましたが、流暢な語りは会場を何度も沸かせていました。あいらんど氏は運悪く風邪を引かれて38℃の高熱にも関わらず点滴を打っての出演だったそうですが、ステージでは微塵もそんな様子は感じませんでした。さすがです。リ-ダーのあいらんど氏は会社社長、他のメンバー4名もそれぞれに重責ある仕事をこなしながらの20周年、本当に素晴らしい絆だと思います。

 ライブ終了後、4人で岸里の「かごの屋」で楽しい食事会を開催しました。その後Y君を帝塚山の自宅前で降ろし、小雨降る中、O君の城山台の豪邸に向かいました。到着した時刻は何と真夜中を過ぎていました。そのまま帰ろうとしたのですが、O君がどうしても上がっていけというので、図々しくも夫婦揃って20㎡以上もある豪華なリビングに上がり込みました。

 深夜にも関わらず、奥様はお風呂上がりの美しい髪をなびかせてコーヒーを入れて下さいました。とても美味しいコーヒーでした。コーヒーの味にうるさい私が云うのですからホントです。奥様とは電話では幾度かお話したことがありましたが、初対面にも関わらず素晴らしい笑顔で応対して頂きました。とても気さくで優しい方だったので、思わず長居してしまいました。Y君の奥さんの真理子さん(O君の実の妹)から一緒に住むO君の実のお母様が「居場所がなくなるほど仲のいい夫婦」と話していると聞いていましたが、間近で仲睦まじいご夫婦を見て本当に納得しました。仲のいい夫婦を見る何故かととても心が安まります。好きな相手と一緒になるわけですから、人間関係の基本もそこにあると思っているせいかもしれません。
 0君が退職したら4人でゴルフ場を回ろうなどと話が盛り上がり、豪邸を出たのはなんと深夜の1時を過ぎていました。(奥様、本当に申し訳ございませんでした) しかし、とても有意義で楽しい1日となりました。
 

「マイウェイ 12,000キロの真実」

2012年01月18日 | Weblog
 

 カン・ジェギュ監督は「マイウェイ 12,000キロの真実」を、戦争の悲劇を描くのではなく、「人間が希望を探し、過酷な状況の中、国籍も境遇も異なる人間を理解し、好きになる、そして失っていた夢を取り戻す」映画だと語る。

 映画「マイウェイ」ではアジアからノルマンディーまでを生き抜いた二人の男の数奇な運命が描かれている。このストーリーは実際のノルマンディー上陸作戦時に撮影された、ドイツ軍の軍服を着た東洋人の写真にインスピレーションを受けて書き上げたそうだ。

      

 「写真では一人しか写っていませんが、(実際の調査の)結論として、朝鮮人と日本人が多かったことが分かっています。互いに複雑な国民感情を抱きながらも、長い旅の果てにきっとお互いを許し合ったと思うんです。そこに凄く惹かれた」
「日本と韓国はとても近い国ですが、もっと心を開いて近づく必要があると思います。夢を捨てずに変わらない男と、旅の中で変化していく男を対比させるのは、当初は意図していなかったことですが、この映画をきっかけにして、お互いをもっと変えていかなければいけないと考えてもらえるとうれしいです」
「戦争というのは、誰かが仕掛け、一方で被害を受けた人たちがいる。そして最後は勝者と敗者が残るわけですが、その末路は、誰もが心に傷を負った敗者なのではないでしょうか」もちろんこの映画も、戦争の加害者と被害者を主人公に物語が出発します。しかし、物語が進むにつれて、それは何も意味がないことだと分かってくると思います。この映画の中に私の戦争への見解はありません。両国どちらかの見解で描くのではなく、それ以上にもっと成熟した映画にしなければならないと考えているからです。人間を理解し、その良さを発見していく過程を描いた映画なので、誰かを非難することに焦点を当ててはいません。日韓の問題は度々起こりますが、未来では友好関係を結ばなければならないと思っています」(カン・ジェギュ)

      

「シュリ」 (1999 監督/脚本)では恋愛を通して、「ブラザーフッド」(2004 監督/脚本)では兄弟愛を通して、南北に別れた朝鮮半島の悲劇を描いた。だが今回の「マイウェイ」では友情というさらに一段上の人間愛を謳い上げた。映画の前半、見ていて日本人としてとても居心地が悪かったが、最後は涙なくして見られない展開となった。二人が極限の状態を何度もくぐり抜けることによって、民族間の激しい憎しみをも昇華していくカン・ジェギュの脚本と演出力に脱帽。監督の熱いメッセージがしっかり伝わってきた。こんなに監督自身のメッセージが伝わる映画は初めてかもしれない。過去の戦争映画では決して得られなかった至高のプレゼントを戴いたような気持ちになったことを最後にご報告しておきます。素晴らしい作品をありがとうございました[m:76]

●グッドラック感動のお奨め度:(96点)←これは歴代最高点!
 ・重要(メッセージ性)×感動面積<10×9=95点>

1)オリジナリティーあふれるストーリーと意外な展開は説得力があり、
  しかも様々な愛と哀愁・切なさが含まれている。(20点満点-20)

2)考え抜かれた自然なセリフ(脚本)に何度も胸を打つ(10点満点-9)

3)今までにない主演者の演技とストーリー展開での登場人物の成長・変貌
  ・怒り・悲しみに胸を打つ(10点満点-10)

4)助演者・脇役らに存在感があり、各シーンに溶け込み表情
  ・セリフを自分ものにしている(10点満点-9)

5)動と静の音楽が各シーンの感動を増幅させて、メインテーマは心に残る(10点満点-8)

6)撮影が新鮮で記憶に残るシーンが随所にある(10点満点-10)

7)テンポのいい編集は心地よい緊張と緩和を生み、
  感動のラストシーンへ導いていく(10点満点-10)

8)違和感のない特殊効果は映画の質を落とさずリアリティーを感じる or
  凝った美術・衣装・時代考証は違和感がなく自然で美しい (10点満点-10)

9)総合点:この映画・DVD・ビデオを見てもがっかりしない、満足度、お奨め度(10点満点-10)

「アラブの春」の余波

2012年01月17日 | Weblog
シリア、強まる軍事介入論 
アラブで初の言及 カタール「殺戮止めるには軍隊」


              産経新聞 1月16日(月)7時55分配信【カイロ=大内清】

『バッシャール・アサド政権による市民弾圧が続くシリアに対し、外国による軍事介入の必要性を指摘する声が強まっている。同政権に批判的なカタールのハマド首長は15日までに、アラブの元首としては初めて、アラブ諸国からの軍隊派遣の可能性に言及。シリア反体制派の多くも武力介入を求め始めており、米欧が今後、どう反応するかが焦点となっている。「このような状況で殺戮を止めるには、軍隊が行くしかない」
 米CBSテレビ(電子版)によると、ハマド首長は同テレビのインタビュー番組でこう述べ、シリアでの弾圧が一向にやむ気配がないことへのいらだちをあらわにした。
 アサド政権からの離反兵らで作る反体制派武装組織「自由シリア軍」はすでに、武力が「政権打倒への唯一の道」(幹部)だとして明確に米欧などの軍事介入を要求、今後はカタールが同軍への支援を強化する可能性もある。ただ、軍事介入までのハードルは高い。現実的には、介入には国連安全保障理事会の決議が必要となるが、拒否権を持つロシアなどは政権寄りの姿勢を崩しておらず、「安保理に提起されても、結論が出るには数カ月はかかる」(外交筋)との見方が一般的だ。
 エジプトの首都カイロに滞在する反体制派グループ幹部によれば、シリアでは現在もデモは拡大している。自由シリア軍による政権側へのゲリラ戦も衰えておらず、両者の戦闘が泥沼化する懸念は強い』

 昨年初頭から始まった<アラブの春>は、周辺諸国へと飛び火しながらも旧政権の激しい武力行使によって沈静化をみせていたが、突然シリア問題が沸き上がってきた。ここにきてシリアに隣接するトルコ共和国が微妙な存在として気になってきた。アラブ諸国の中で1930年代、いち早く欧米化に着手し、トルコの父と呼ばれたケマル・アタテュルク大統領の偉業を少し述べたい。

 
 初代トルコ共和国大統領ムスタファ・ケマル・アタテュクル


『1931年に度量衡の改正があり、西欧式の「メートル法」が取り入れられた。1932年に入ると、休日が従来の金曜日から日曜日に改められた。この結果、官公庁は土曜日の午後から月曜日の朝まで休館となる。また、年の初めは、イスラム式の7月16日(マホメッドがメディナに移住した日)から西欧式の1月1日に改められた。1日の始まりは、太陽が昇った時ではなく、午前0時になった。これらの改革は、言うまでもなく、欧米や日本と円滑な商取引を進め、外交関係を打ち立てて行く上で大きく貢献したのである。次に大きな目玉になったのが、「創姓法」である。1934年6月、トルコに住む全ての国民が、「姓」を持つことを義務付けられたのだ。当時のトルコ人は姓を持っていなかった。親から貰った名前に「あだ名」が付くだけだったのである。これでは戸籍や納税台帳が出鱈目になりやすく、近代国家としては不備である。そこでケマルは、国民の識字率が十分に高まったこの年に、全国民に一気に「創姓」を義務付けた。トルコ共和国のケマル大統領は共和人民党のマニフェストに乗っ取って、イスラムの因習を嫌う「男女同権」を早くから主張していた。実は、イスラム教はもともと男女の平等を謳っている。しかし「女性は夫や親以外の男性に素顔を見せてはならない」という戒律の存在が、結果的に女性の社会進出を大きく制限し、イスラム圏の女性たちの多くは、いつしか専業主婦に収まることを余儀なくされていた。ケマルは、このような状況を打破したいと願っていた。
 1930年代のトルコでは、女性の社会進出が続いた。イスラムの桎梏から解放された女性たちは、今では洋服を着こなし、工場やオフィスで男顔負けの仕事振りを見せているのである。女性が軍人になっても少しもおかしくない空気が醸成されていたのだ。

 トルコ議会では、かつて自由共和党が提唱した「婦人参政権」に関する議論が盛んになっていた。それだけではなく、女性に公務員や弁護士といったあらゆる職業を自由に選べる権利を付与しようというのである。この議論の最も強力な提唱者は、他ならぬケマル大統領だった。女性の力を認める彼は、女性を男性と完全に対等の地位まで引き上げようと志したのだ。

「進歩に飢えている国民は、その人口の半分を放っておくわけにはいきません。トルコ人は強い国民になろうと誓いました。我々の妻や娘たちは、我々が国に尽くし国の運命を導くのを助けることでしょう。トルコの安全と名誉は、彼女たちに委ねられているのです」
こう語ったケマル・大統領は、1934年12月、全国の女性に、完全な婦人参政権と職業選択の自由が与えられたのである。たちまち2人の女性がアンカラ家庭裁判所の判事となり、4人の女性がイスタンブール市議会の議員に選出された。続いて、1935年の選挙で17名の女性国会議員が誕生した。これは、実は世界史的な偉業なのである。この当時、日本はもちろん、スイスでもフランスでも、婦人参政権は様々な形で制限されていた。日本などは、第二次大戦が終わって戦後時代を迎えるまで、女は男に隷属する存在としか思っていなかったのである』(http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/ataturk28.htmより)

 さて、アラブ諸国の中で唯一欧米化に成功し、力をつけてきたトルコ共和国は、アラブの旗手だったサウジから権力奪回を目指している。長い間、トルコはイスラエルと同盟関係にあったが、2011年9月18日、トルコはイスラエルの大使を追放し、イスラエルとの軍事同盟を破棄した。(それは米国との決別を意味するのではないか) 現在、トルコとイスラエルの関係は、最悪の状態にある。中東での米国の影響力が失われてきた背景が根底にある。トルコはイスラエルばかりでなく、アサドのシリアとムバラクのエジプトとも同盟関係にあった。このNATOのメンバーであるトルコが結んでいる2つの同盟は、米国の中東における最も重要な支配の柱であったのだ。今それが大きく揺らいでいる。

 トルコとイスラエルは、ともに中東では非アラブの外様として、同盟を結んできたが、現在、まさに外交政策において、隔たっている。イスラエルは西(米国)を向き、トルコは東(EU)を向いている。トルコはNATOのメンバーであるにもかかわらず、ヨーロッパに拒否され(長年EUに参加できないでいる)、今、アラブ諸国に接近している。当然この動きに米国は危険視している。

          
     アラブの春

『「アラブの春」に対するトルコの反応はすばやかった。これまでのトルコとイスラエル・シリアとの関係は、エジプトとの関係強化に取って代わった。これは、中東における新しい秩序の確立につながる。トルコの外交が、イスラム圏での重要なプレイヤーに仕立てたのは、ダブトグル外相である。ニューヨークで、国連総会を前にして、彼は、「中東は現在、変革の只中にあり、トルコはその中心的役割を果たしている」と語った。同外相は、「イスラエルはトルコとの外交悪化の責任がある。シリア大統領は、一刻も早く反政府派に対する野蛮な弾圧をやめるべきだ」と述べた。
 トルコとエジプトは、ともに軍事的に強大であり、人口も多く、影響力を持っている。中東での米国の影響力が失われている今、トルコとエジプトは新しい枢軸勢力となる。ダブトクル外相は、ムバラク退陣後、すでに5回もカイロを訪問している。「この枢軸は、イスラエルやイランを敵にするものではない。これは中東の2つの大国による民主主義の枢軸である。これは、黒海からナイル川にいたる広大な地域をカバーする枢軸である」と語った』(http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2011/new_alliance_in_middle_east.htmより)

1991年12月25日、ソビエト連邦の大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、これを受けて各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体された。
あれから米国の没落が始まったと云える。そしてグローバルパワーのバランスが変わってきたのだ。
 冒頭のシリア問題に戻るが、カタールのハマド首長は15日までに、アラブの元首としては初めて、アラブ諸国からの軍隊派遣の必要性を語ったが、実際にこのようなことが起これば、中東の軍事バランスは大きく変わってくる。中東の油田という大きな資源を必要とする欧米先進諸国、特に米国は、イスラエルやサウジを使って大きな圧力を加えるに違いない。「アラブの春」は形を変えてアメリカにプレッシャーを与え始めたのだ。オバマ大統領は没落目前のEUをしりめに『アジア太平洋地域は、アメリカにとっても最優先地域だ』と強調しているが、決して容易には視線を変えられない状況となってきた。

 軍事力を備えて台頭する中国、安定するかどうか微妙な北朝鮮の世代交代、TPPは決して米国の勢力保持には結びつかず諸刃の剣の様相を呈してきているように思う。石油の倉庫地帯として中東和平に力を注いできた米国は、「アラブの春」によって新しい戦略の構築し直しを余儀なくされている。経済破綻寸前のEU諸国問題にも注目せざるを得ない今、世界のリーダーシップは誰の手に委ねられるのか。自由主義経済は世にも恐ろしい<市場>を作り出した。大量に流がすお金の操作、マネーゲームによって、大河が逆流するようなことが頻繁になってきたのだ。その根底にながれているのは人間の欲望でしかなく、グローバル化はその流れを促進しているように思えてならない。

 かつてトルコの父と呼ばれたケマル・アタテュルのような崇高な理念に基づいた行為は消滅したかに思える。欲望の前に崇高な理念は、大海を浮かぶ枯れ葉となってしまったのか。今の日本の状況もその渦中にある。
 私は忘れてはならないのはもの作りだと思う。たとえ大河の流れが逆流しようとも、いいものを作り続けることが日本が混沌としてきた時代を切り抜ける突破口になるように思う。いいものを作るという理念はどの時代にも適応し、人々を健全な道に戻してくれるように思うからだ。日本の生き残る道もこの理念の中にあるように思う。<イノベーション>この言葉には、永遠の輝きを放つ力を感じる。 

映画「哀しき獣」

2012年01月14日 | Weblog
 

 今年最初に選んだ映画鑑賞は「哀しき獣」。「チェイサー」で世界中の度肝を抜いたナ・ホジン監督の2作品目だ。大阪では梅田と心斎橋でしか放映されておらず、私は心斎橋シネマートをチョイス。この映画館は韓国映画の「義兄弟」を見たとき以来。アメリカ村にあるビッグステップ4Fのこぢんまりした素敵な映画館。これからの上映予定としては「ラブ・ストーリー」のソン・イェジン主演の韓国版「白夜行 白い闇の中を歩く」(東野圭吾原作をどのように作り変えるかが楽しみ)、クァク・キョンテク監督(「タイフーン」「友へ チング」)のクォン・サンウと組んでのハードなラブ・ロマンス「痛み」が予定されている。この2本も必ず見ます。

さて、少しだけ映画の内容を。
 北朝鮮とロシアに接する中国領「延辺朝鮮族自治州」に住む朝鮮族男性が、必死に生きようとしながらも、貧困のために出口の見えない深い闇に呑み込まれていく。その哀しみを前回同様に息も付けないようなリアルなバイオレンス描写で描き尽くす。気の弱い方には不向きな映画だが、一度観たら忘れられないシーンの連続に驚愕しながらも、根底に流れる<差別と貧困の闇>に胸を鷲掴みにされるにちがいない。そして、改めて日本という国に生まれてきたことを感謝せざるをえないだろう。

 主演は「チェイサー」に続いて、ハ・ジョンウとキム・ユンソク。早くも「チェイサー」同様米国メジャーが映画権を獲得したとのこと。しかし、韓国特有の斧や包丁を使ってのリアルな暴力、寒さを伴った湿った暗さを描けるかというとかなり難しいのではないかと思う。

  

「延辺朝鮮族自治州」(全人口のうち漢族が過半数以上の59%を占め、朝鮮族39%が支配させている)は、古代の高句麗、渤海の故地であり、中華人民共和国吉林省に位置する地域。ここでもウイグル自治州と漢民族が朝鮮族を支配している。文化大革命時期には州長であった朱徳海(朝鮮族)が「地方民族主義の金持ち」として紅衛兵に迫害され、以降は朝鮮族が減少傾向にある。中国の人口13億人のうち、漢族は絶対多数の92%を占める。55の少数民族は全体の8%(約1億4000万人)を占めるにすぎない。しかし、わずか8%の少数民族の居住地帯は新疆ウイグル、チベット、雲南、延辺朝鮮族自治州、など中国の国土面積(957万平方キロ)の73%に達する。この広大な地域には天然ガス、石油、各種鉱物資源が豊富にあり、中国としては放棄できない地域。だからこそ、独立させず支配力は強い。

『チベットでは、大多数の政府その他の公共役人たちは、中国人または中国政府によって直接選ばれた者であり、チベットの寺や尼寺に置かれた「工作隊」は、中国政府及び「民主公安委員会」によって設定された者であり、それを構成する各個人は、中国権力者の直接選択からなっている。自治区全域で、チベット人労働者の権利はひどく迫害を受けている。中国自身も、「チベット自治区」以外の他のすべての地域で、チベット人が最低賃金で働かされていることを認めている。 

 

 中国本土では都市戸籍と農村戸籍があり、農村戸籍の人は移動や職業選択の自由がない、事実上の「身分差別制度」と云われている。男女差別以上に貧富の差や都市と農村の社会格差の方が大きい。女性でも、権力やお金を持つ人は圧倒的に強い。例えば、農村から出稼ぎにきた男性が都市の富裕層の女性と恋をして結婚するという例はほとんどない。改革開放の1980~90年代は、富める人が少なく、みんなが平等に貧しかった。そこから法の網の目をかいくぐってのし上がった人や権力を持った人たちは、貧しい人は貧しいままで利用するために法律を整備していくのだから、貧富の差が縮まることはない』
(http://www.cyzowoman.com/2011/04/post_3465.htmlより)

 日本もまた貧しい過去があった。そして、その貧しさを喰らって生き延びようとしたヤクザが庶民のすぐ側で巣を作っていた時代だ。貧困に喘ぐ実家に金を送るため、そして食い扶持を減らすために身を売った時代。紡績工場での重労働が描かれた『女工哀史』の時代。映画を観ながらそんな過去の日本が甦ってきた。日本の場合はその後の産業の発達が大都市から周辺の都市部へと移り、中産階級と呼ばれる層が生まれ、日本の大発展を支えた。しかし、今も差別と貧困、単一民族による支配が続く地域では、日本のような発展は望めない。生産・収入の平等を目指した社会主義なるイデオロギーは、既得権者の欲望の前に完全に消滅した。

 

 映画「哀しき獣」は、避けようのないような不幸が男たちを獣に変えていく様子が描かれている。拳銃ではなく包丁や斧という武器が、恐怖よりもより情念の深さを引き出し、リアルな暴力として心を凍り付かせる。優しさや温もりは獣には不必要なもの。もし、そんな不確かなものを求めれば、たちまち死を招きかねない。それこそが獣の掟だ。貧困と差別、獣に受け入れられるはずない。その哀しい不幸は映画館を出ても、家に帰り着いても身体や心に染み込んだままだった。久しぶり映画を一人で観た私は、そんな心と身体を暖めるために熱い風呂を準備した。ナ・ホジン監督、やはり彼はただ者ではない。

 

「凧揚げ」

2012年01月09日 | Weblog


         
    容易きものを掴んでも喜びは生じない
    だから 多少難儀なものに挑戦しよう
    失敗はつきもの 恐れることなし
    ただ失敗の原因は探ろう
    
    自分にとって難儀にも関わらず
    何度も再挑戦したくなるものが必ずある
    失敗はつきもの その失敗をむしろ楽しめ
    うまくできないことのストレスを楽しもう

    勇気を持とう
    失敗の中にこそ 価値あるものがある
    失敗の中にこそ エネルギーがある
    生きるために 勇気が必要になる 
    その勇気が生じたとき 生きていることに気づくだろう

    自分にとって難儀なものに挑戦する勇気を持とう
    その勇気の中にストレスを解消できるものがある
    その勇気の中に価値あるものがある
    その勇気の中にエネルギーがある

   

 昨日の昼は風が強く、芝生広場で凧上げをしている親子連れと出会いました。男の子の兄弟と父親が3つの凧を楽しそうに上げていました。私は近づいて50m以上伸びた凧糸を捕まらせてもらいました。あの手応えに久しぶりに感動しました。まるで生きている50cm以上の魚を釣っているような手応えでした。

 

 文明は間違いなく進化しています。しかし、多くの人がその進化についていけず、ストレスを溜め込み、刺激や快楽を求めジャングル徘徊する獣へと退化しているように思えます。本能(=感情)に身を任せる方がストレスを感じず、心地良いからです。人間が作り上げた愛情や絆、道徳、学問や規律に縛られる方がストレスを溜め込みます。人間性の向上にはストレスが生じる。しかし、アゲンストの風(=ストレス)を浮力に変えられるか、そこに音楽やスポーツ、本や映画の世界が触媒となるような気がしています。

 

 自分を守るために誰かを誹謗したり、誰かを貶めるのは容易い。水が低きに流れるように人は易きに傾く。幼なければ幼いほどその傾向が高まる。これらは自分を守ろうとする本能。しかし、獣への退化と共に孤独が影のようにつきまとう。それを振り払うために無関心、無感動に装っていく。どんなものでも学ぼうとするとき、苦痛や辛抱を伴う。


「初詣&もんじゃ焼き」

2012年01月06日 | Weblog
 

2012年 1月4日、住吉大社に初詣に行きました。
住吉さんは、実家から歩いて10分もかからない場所にあります。
近くにある住吉公園と共に、幼い頃隅々まで探検した最高の遊び場でした。
境内はとても埃っぽく、気温は7℃でしたが、風が強くとても寒く感じました。

   

名物の太鼓橋を渡ると右手に根も露わな大木があります。
幼い頃、その根の中に入ったり、かくれんぼしたものでしたが、
今見るとよくそんなことができたなというくらい小さな割れ目でしかなく、
思い出がウソのように思えました。

     
 

 
人は自分が大きくなったことになかなか気づかないものです。
小学校の校庭も小さく見えるのもそのためです。
しかし、身体は大きくなっても心の中はぜんぜん変わっていないように思ってしまうのは、
何故なんだろうかと考えてしまいました。

 
 
 
 
 
  
お参り後、毎年恒例のおみくじをしました。
連れ添いは2年連続の大吉、私は昨年凶でしいたが、
今年は小吉だったので、少しほっとしました。
また1年、財布の中にしまっておくつもりです。

       

 帰りは南海電車の高架下付近にあったお好み焼き屋に入りました。
のれんにもんじゃ焼きと書いてあったのが決めてでした。
生まれて初めてのもんじゃ焼き、小さなコテで楽しみながら食べました。
味は中身の柔らかいタコ焼き風で、小麦粉はほとんど感じないくらいで、
食べ終わってもお好み焼きのようにお腹がもたれることはありませんでした。


 

   

 この店はB級グルメで優勝した富士宮焼きそばの公認店だったので、その焼きそば(大)も頼みました。
麺は固めで歯ごたえがありましたが、関西のコッテリソースに慣れた人には少し、
薄味に感じるかもしれません。
いわしのけずり粉が振りかけられていて、その味が微妙に反映していました。
関西人が審査員なら優勝は難しかったかもしれませんね。
二人で食べてちょうどいいくらいの量でした。

  

    
まだまだ生まれて初めての体験が残っているんだな、
そんなことを思うとこれからの1年も、
そしてこれからの日々も楽しく思えてきました。


「2011年の出来事」

2012年01月02日 | Weblog
(1月)
・オーストラリア 大洪水
・ブラジル 大洪水
               
・インド 大寒波
・アラブの春
               
・エジプト エジプト騒乱
・リビア  リビア騒乱


(2月)
・ニュージーランド 大地震

(3月)
・日本 東北地方太平洋沖地震
・日本 原子力事故
                             

(4月)
・ソニー 個人情報流出(過去最大)

(5月)
・ウサマ・ビンラディン殺害
               
・アイスランド 火山噴火
・ドイツ アウトブレイク(ある限定された領域の中で感染症にかかる)
               
(6月)
・ チリ 火山噴火

(7月)
・新国家「南スーダン」独立
・ノルウェー 連続テロ
               
・アメリカ 米国債デフォルト危機
・欧州債務問題
・イタリア 国債急落
・ギリシャ 事実上のデフォルト

(8月)
・アメリカ 米国債格下げ
・イギリス 暴動拡大
               
・ソマリア 飢饉深刻化   
・アメリカ東部 地震 原発2基停止
・アメリカ北東部 ハリケーン(25年ぶり)

(9月)
・日本 台風12号
・フランス 原発で爆発事故
・パキスタン 昨年に続く洪水
・日本 台風15号

(10月)
・フィリピン 2つの台風直撃
・タイ 洪水被害拡大
               
・アメリカ ウォール街デモ拡大へ
・スティーブ・ジョブズ死去
・リビア カダフィ大佐 死亡
                   
・トルコ地震

(11月)
(12月)
・フィリピン 台風被害拡大
・北朝鮮 金正日総書記死去
              

 本当に昨年はいろいろとありました。しかも人類の生活向上を阻害するような自然災害や大事故、事件が多発したような年に思えてなりません。そのせいか私の信条であった性悪説が性善説にとって変わってしまいました。これは自分自身にとって、とても重要なことだと自覚しています。それはDoing志向からBeing志向となって受け入れることで心の動揺を抑えているように感じるからです。無理矢理穏やかな気持ちになろうとしていることは、決していい傾向ではありません。
 レーンンの革命も結局は人間の欲望の前にひれ伏すしかなかったように、理想を求めて新大陸でアメリカという国家が樹立したかに見えたが、実は市場経済を目指した人々の思惑の結果ではなかったか。リンカーンの高き理想までも汚れて見えてきました。

 2011年は、荒れ狂う市場経済が大自然をも怒らせた年ではなかったか。そして、民主主義に限界を感じてしまった1年でした。だからとは云いたくはありませんが、信条を変化せざるをえなかったように感じています。やるべきことを諦めきれないとき、やりたいことが出来ないとき、人はストレスを溜めます。私はそのことを学んで、やりたいこととすべきことを同一方向に置くことによってストレスを解消してきました。しかし、残念ながらそれもまた難しくなったと感じた1年でした。とても残念に思っています。

さて、今年はどんな1年になるのか、
私のような凡人には想像もできませんが、良い年になりますようにと願う気持ちが生涯で一番大きいような気がしています。