GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

死闘!「2009年全豪男子準決勝」(ナダル対ベルダスコ)

2009年01月31日 | Weblog
2009年全豪オープン男子シングルス準決勝は、ナダルがベルダスコとの死闘を制した。

 第1シードのラファエル・ナダルが第14シードのフェルナンド・ベルダスコとスペイン勢対決した。6-7(4)6-4 7-6(2) 6-7(1) 6-4で競り勝ち、初の決勝進出を果たした。■( )内の数字はタイブレイク(7点先取、6点同士なら2点差の8点で勝利)での負けた相手のポイントのこと。

 まさに死闘という言葉がふさわしい。かつてこのような一歩も引かないガチンコ勝負を見たことがない。5時間14分の試合時間は、1991年B・ベッカーとO・Camporeseとのマラソンマッチ5時間11分を超える全豪オープン最長試合となった。

 ベルダスコはショットではナダルを完全に上回っていた。高く弾むエッグボールを打てばライジング気味のファアのフルショット放たれた。しかも200kmを越えるファインサーブの成功率も70%を下回らない。拾いまくるナダルは防戦一方に見えたが、左右に振られながら鋭いリターンやサイド攻撃を連発。第1セットは互いに1ゲームも落とさず、タイブレークに突入。(これは凄い試合になる予感がした…。 本当にその通りになった…。)

 たとえ左右に振られようが、拾いまくるテニスはナダルの真骨頂。しかも困難な姿勢からのスーパーショットこそ勝利の女神を呼び込むと信じるナダル。これは彼の信念に違いない。相手が決めようとしたショットを奇跡のようなファインショットによって相手の勇気を挫くとを信じて疑わない。きわどいダウン・ザ・ラインショットで何度もゲームが中断。ナダルのボールがINする画面が何度も写り、ベルダスコの苦笑いまで誘った。しかし、第2セット以外、ベルダスコの闘志は最後の最後まで衰えなかった。

 第1セットを取ったにも関わらず、ナダルに第2、第3セットを連取され、まさに背水陣で迎えた第4セット。ベルダスコの角度のあるフォアのスーパーショット、左右への切り返し、ナダルが放つ攻撃的な武器へと変貌を遂げたスライスを、冷静沈着にバック、フォアで打ち返した。ナダルがようやくブレイクに成功するが、次のゲームでは反対にナダルのサーブに鋭いリターンを連発、なんと40-0でブレイクバック。

 走りまくり、拾いまくり、奇跡のようなショットでナダルがまたもブレイクに成功。しかし、しかし! まだまだぁー! ナダルの走りまくり、拾いまくりがベルダスコに乗り移ったように動き、そして攻撃的なショット、彼の精神力はまったく途切れない。5時間を超える戦いに観客は二人のファインプレーに総立ちの大声援を送った。しかし、その希にみる強い精神力を持つ同胞ベルダスコも、ついにナダルの前に頭を垂れるときが来た。

 5-4で迎えた第5セット、ベルダスコのサーブに0-40となりマッチポイントを迎えたときだった。ナダルの表情は何故か哀しく見えた。本当にそう思えた。それは「パパ、もう終わりなの?」という父親にもっと遊ぼうよとせがむ子供の表情に思えた。ナダルはいつでも勝てると確信していたのだ。もっとゲームを楽しみたかったのだ。ゲームの勝敗は195勝対195勝、まったくの互角。95本のウィナーを取ったベルダスコ。それに対してナダルはその3分の1。しかし、ナダルのアンフォーストエラーの数はベルダスコの3分の1。ここにナダルの真骨頂がある。ミスが圧倒的に少ないのだ。「強い守りの中から勝利もぎ取る」これがナダルのスタイルだ。相手が先に精神的に負けるのを待っているのだ。

 大会前のインタビューで目標は?との問いに、ナダルは「進化し続けること」と答えている。言い換えれば、目標はフェデラーのような具体的人物ではない。自分が進化し続ける精神力を持つという観念的なものだと云っている。まさにそれはイチローが歩む野球道のようだ。ナダルの態度や言葉にどこか東洋的スピリッツを感じる。チェンジコートの際、どんな格下のプレーヤーでも道を譲るスタイルにそのスピリッツが見える。道を譲る22歳の若者の謙虚な態度こそ<進化し続ける>スピリッツ(=心のスタンス)が象徴されている。私はあの態度に驚きと感動を覚える。

 日本のアニメ「ドラゴンボール」の大ファンの彼。東洋的悟り・観念を学んだか? 昨年までの二の腕を見せたシャツ姿は主人公の悟空を思わせた。宮本武蔵が剣を通して生きる道を捜した修験者のように剣の道を極めていったが、ナダルはラケットを通して<テニス道>を極めようとしているかに見える。自分を律する気持ち(試合中での悪態が若者に関わらず殆どない)にストレスを感じさせない。困難に堪えてこそ己の真の成長があるという東洋的哲学を感じて仕方がない。ナダルはそんな境地を目標に突き進んでいるかのようだ。

 明日、最大の敵フェデラーとの対決が待っている。ようやくここまで来たナダル。昨年ナンバー1シードの称号を得たが、ナダル自身4大グランドスラム大会をフェデラーより先に奪取して初めてその地位につけると思っているはずだ。フェデラーは全仏ローランギャロスのクレーコートだけ一度も勝てていない。すべてナダルが阻止しているのだ。(サンプラスも全仏だけ勝てず)だからこそ、全豪で勝って次の全仏へ弾みをつけたいはすだ。この両者の戦いこそ、2009年全豪最大の見せ物と誰もが感じている。

 昨年以来、まるで静かに流れるような円熟のテニスへと進化したテニスに再びパワーが戻ってきたフェデラー。攻撃的なスライスに緩急を織り交ぜ、さらに成長した鋭いバックと200kmでエースをももぎ取れるほど磨き上げてきたサーブ、これらの武器を身にまとった悟空ことナダル。王者フェデラー対ナンバー1シードナダルの戦いは明日幕を開ける。ナダルに死角は見えない。

昨夜、真夜中の死闘を制したナダルは
「今は疲れより喜びのほうを感じている。
 自分のキャリアの中で最高の試合の1つとなった」と語った。



「感染列島」を見よう!

2009年01月25日 | Weblog
 新型ウイルスの脅威を描いたパニック映画「感染列島」。人の命を必死に守ろうとする医療現場を丹念に描く展開は洋画も含めて初めてではないでしょうか。
 
 新型ウイルスのパニック映画というと、古くは名匠ロバート・ワイズ監督の「アンドロメダ」、ダスティン・ホフマン主演の「アウト・ブレイク」、最近では「28日後…」「28週後…」が記憶にあります。しかし、瞬く間に広がる新型ウイルスによるパンデミック(=感染爆発 感染症や伝染病が世界的に流行することを表す用語)の現場が日本だけに、今までの映画にはない恐怖が身に迫ってきます。そんな医師や看護師も未知のウイルスに冒されていきます。

 このウイルスは、ザイールのエボラ川から発生したエボラウイルスと似ていました。目や口や鼻から血が噴き出すエボラ出血熱はアフリカ大陸で過去10回、突発的に発生・流行し、感染したときの致死率が50~89%と非常に高いものでした。

 主演は「涙そうそう」「どろろ」の妻夫木聡と「武士の一分」「母べえ」の檀れい。監督は「フライング☆ラビッツ」「泪壺」の瀬々敬久。


 いずみ野市立病院の救命救急医・松岡剛(妻夫木聡)のもとにある男性患者が運び込まれてくる。前日松岡自身がインフルエンザではない単なる風邪と診断した患者だった。その患者は高熱に痙攣、吐血を催し、全身感染ともいえる多臓器不全に冒されていた。あらゆるワクチンを投与するも虚しく死亡してしまう。さらに、正体不明のウイルスは医療スタッフや院内患者たちにも感染し、病院がパニック状態に陥ってしまう。事態の究明とウイルスの感染拡大を防ぐため、世界保健機関(WHO)からメディカルオフィサーの小林栄子(壇れい)が派遣されてくる。彼女は以前松岡の医大にいた教授の助手だった…。


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最近医師のヘッドハンティングの話を耳にします。同じ仕事ならより給与の高い方へと病院を変わる話ですが、それでは今までの病院の患者はどうなるのでしょうか? 小児科医や産婦人科医の減少原因は、深夜の緊急医療、医療裁判の多発だそうです。そういった現状を思うとき、医師としての使命感がいつの間にか薄れて行ったかに思えてきます。

「感染列島」を見ながら<医師の使命感>とは何だろうか?と考えてしまいました。黒澤映画の最高傑作「赤ひげ」も<医師の使命感>がテーマでした。若手の医師が貧困と無知がはびこる最悪の医療現場で、医療とはいかなるものかを学んでいく物語でした。

幼い頃、医師や看護師を目指そうと思い描いた人の多くは、病院での尊厳ある医師の言動、白衣に包まれた優しい看護師に憧れたはずです。
「私も人を助けたい」その純粋な気持ちの中には、深夜の緊急医療、医療裁判の損得勘定は微塵もない。高い所得や周囲から尊敬を得る地位への欲望も見あたらない。あるのはダライ・ラマ14世が云う人間の究極の本性 「慈愛と利他の心」です。

この映画の最後に「たとえ明日地球が滅びるとも、今日君はりんごの木を植える」東欧の詩人ゲオルグの詩の一節が引用されます。医師を目指した頃純粋な医学生だった松岡がこの言葉の真の意味に気づく場面で「赤ひげ」で初めて覚えた感動という名の感情がわき上がってきました。

昨年暮れに見た映画「252 生存者あり」とマクロで見ればテーマは同じと云えます。それは<人間愛>です。欲望にまみれて行くうちに人は至高の愛<人間愛>を見失ってしまうのです。

「オバマ氏の大統領就任演説」を聞いて

2009年01月23日 | Weblog
オバマ氏は大統領就任演説の前段でこのように云っています。
『米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。ずっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。』

◆危機への決意◆
我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。

◆国家の偉大さ◆
尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。(これは独立宣言からの引用)

◆米国を作り直そう◆
新規の雇用創出、道路や橋を造り、電線やデジタル通信網を敷き、商業を支え、科学を本来あるべき地位に戻す。医療の質を引き上げながら、そのコストは減らす。太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変える。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。

◆我々の安全とは◆
我々の安全は、大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。我々は、この遺産の番人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる

◆変わる世界◆
我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人による国家だ。我々は信じている。古くからある憎しみはいつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現れることになると。米国が、平和な新しい時代の先駆けの役割を果たさねばならないと。

イスラム世界よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。

貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。

我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。

はるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。

◆新しい責任の時代◆
米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かでこれが市民の代償であり約束なはない運命を形作るよう命じているのだ。

◆自由を未来へ◆
我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう」
アメリカよ。我々自身が共通の脅威に直面している時に、我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。希望と美徳を抱き、このいてつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。
そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。そして、地平線と、神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けたと。』


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 オバマ氏の言葉を振り返ると、そのトーンは200万人という前代未聞の国民を前にしているにも関わらず、選挙キャンペーン中のように群集を鼓舞するものではありませんでした。前段で『指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、(困難を)乗り切ってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。』と述べた。これはジョン・F・ケネディの『国家があなたに何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい。』を言い換えたものでしょう。

 国家のとしての義務と責任と同時に、国民一人一人の義務と責任を改めて考え直して欲しい。そして一致団結してこの困難に立ち向かって欲しい。とても重苦しい演説の出足です。

 国家の偉大さを告げたとき、独立宣言から引用し『すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられる』と述べました。そして最後もまた建国の祖ワシントンの「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう」を引用しました。

 群集を鼓舞するような演説ではなく、大西洋を渡ってきて尊い命を犠牲にして建国した時の理想を思い出し、切々とこの国の危機を一緒に乗り切りましょうと訴えています。寒い中何時間も立ってオバマ氏の希望に溢れる演説を期待していた人々は、あまりにも現実的でリベラルな話の内容にがっかりしながらも、次第に自国の危機をオバマ氏と共に共感し始めたのではないでしょうか。

 <建国の初心に返ろう> オバマ氏は建国の祖に成り代わってこう心から叫んでいました。その気持ちがテレビを通じて私たちの心にまで届きました。人の演説を聴いて涙したのは生まれて初めてでした。

 オバマ氏のことは昨年何度か日記で書いてきましたが、誠実さを全面に出しながらしたたかさをも兼ね備えた人物だと思っています。ポーカーの腕が相当だそうですが、今回の演説ではその沈着冷静なポーカーフェィスが見られました。同盟国日本の国民として、彼のリーダーシップに大いに期待したいと思います。

映画「チェ 28歳の革命」を見て

2009年01月18日 | Weblog
 1955年、メキシコ。南米の貧しい医師ゲバラ(ベネチオ・デル・トロ)は、フィデル・カストロ(デミアン・ビチル)を出会い、革命家としての第一歩を踏み出す。ゲバラに惚れ込んだベニチオは、プロデューサーも兼任。7年間にも及ぶ詳細なリサーチと、25キロもの減量で役に挑んだ。監督は「トラフィック」のスティーヴン・ソダーバーグ。エピソードはすべて史実に基づいており「創作はひとつもない」と断言する。

☆「チェ 28歳の革命」を見る前に知っていて欲しいキューバの歴史。
 キューバは19世紀の前半に他のラテンアメリカ諸国のように独立できず、スペイン領のままでした。スペインは他にカリブ海のプエルトリコ、太平洋のフィリピン・グアムももっていました。砂糖プランテーションでもうけたクリオーリョたちがスペインからの独立を求めてなんども蜂起したものの失敗しました。1895年から再びキューバ独立運動がはじまると、ハバナ港に停泊中のアメリカの軍艦メイン号爆沈という事件がおき、原因不明でありながらスペインがやったことにして合衆国が参戦してきました(アメリカ・スペイン戦争、米西戦争、1898)。10週間で圧倒的なアメリカの勝利となり、キューバの独立をかちとり、スペインからプエルトリコ、フィリピン、グアムをうばいました。キューバの「独立」といっても、実際は外交権を合衆国がにぎり、合衆国の軍事基地がキューバ内に設けられることになったので、合衆国に保護国化されたことになります。キューバはアメリカ合衆国から独立したのでなくスペインから独立し、政治的にも経済的にも合衆国に従属したのです。

 その後、キューバでも1930年代の世界恐慌の嵐のなかで急進改革的な政府がうまれましたが、この急進派にくわわりながら裏切って独裁者になったのがバティスタでした。ほぼ1933~58年のあいだの支配者です。彼のもとでもアメリカにぶらさがるモノカルチャー経済は変わることがなく、それを批判するものを弾圧してきました。

 もともと社会主義者ではなかった弁護士カストロは、反米民族主義者として独裁者を倒し、土地改革を求めていきます。ゲバラと共にメキシコに亡命して武器を用意し、1956年、中古の「グランマ号」という10人用のヨットに82人も乗り込んでキューバの港に上陸したものの、ここで政府軍の襲撃にあい、捕まったものたちは拷問で殺され、生き残ったのはたった12人だけになりました。この後もゲリラ的な活動をつづけ、とうとう1959年、親米的なバティスタ独裁政府を倒すことに成功しました(キューバ革命)。映画「チェ 28歳の革命」はここまでが描かれています。

 バティスタ独裁政権とアメリカ合衆国・大企業との癒着の状況や崩壊直前の堕落し歓楽街ハバナの様子も映画「ゴッドファーザーⅡ」、ロバート・レッドフォードの「ハバナ」で描かれている。パティスタ及び政府高官はアメリカ大企業のドルにまみれ、一般民衆の多くは字も読めず、教育、医療が停滞し貧困に喘いでいました。 この状況はプエルトリコ、フィリピン、グアムも同じでした。

 アメリカの民主化とはこんなものだったのか、民主主義の御旗を掲げながら、実は大企業が無軌道に入り込み利益を貪る道筋を付ける、こんなふうに見えてきます。 大企業の裏にマフィアが暗躍するのはどこの世界でも同じです。都市整備と聞こへはいいですが、裏で動く地上げ屋はほとんどはヤクザ(ギャング=マフィア)達のしわざです。赤狩りや過激派を防ぐのために政府は、裏で右翼やヤクザと手を結び、弱体だった警察権力を補ってきた暗い歴史がある。

 日本もアメリカもまったく同じ経過で現在に至っており、今も根強くその影響力は残っている。アメリカの民主化が進まない堅固なイスラム国家はこれを恐れている。民主主義・市場経済の負の部分を。9.11がこうした背景の中で起こった史上希にみる悲惨で象徴的なテロだった。

 現在のキューバは50年間近く、アメリカの経済制裁を受け続け、1989年のソ連崩壊は、キューバが第一の貿易相手国を損失したことを意味し、教育支出の半減を政権は強いられた。1999年の平均年収は1,700ドルで、西半球で最も貧しい国家のひとつだが、現在のキューバの識字率は、ラテンアメリカ内で最高で、多くの先進国と同等なのだ。 CIAの世界真実報告によれば、2000年で15歳以上のキューバ人のほぼ96%に識字力があり、それは米国人より1%少なく、ハイチの二倍だ。メキシコの識字率は90%以下で、ブラジルはかろうじて83%を越えるだけなのだ。 カストロの1961年の学校キャンペーンは予算が不足しているときでさえ、無料の教育を保証し続けている。

 この映画の中でもゲバラの教育への熱意は随所に描かれてした。山中での農民を集めた軍事訓練の最中にも文字を教え算数を教える教室を開き、大人達の教育を熱心に進めていた。映画の中では確か識字率は35%?と言っていたような気がする。(現在では99%とも言われている)世界の流れは共産主義、計画経済は民主主義、市場経済へと移行しているかに見えるが、キューバや堅固なイスラム国家はそれを拒否している。欲望がどんどん肥大化していく現代、映画「28歳の革命」と通してゲバラ・カストロの生き方、国家のあり方を改めて考え直してみたい。

「天地人」(泣き虫、与六)

2009年01月13日 | Weblog
五歳の頃の記憶?

 思い出してみましょう。どんな遊びが楽しかったのか。何が美味しかったか。どんなオモチャで遊んでいたのか。やはり父より母の想い出の方が多そうです。そうだ、こんな想い出があります。幼稚園の頃、母が音頭をとってヤマハ音楽教室を始めた手前、私も無理矢理生徒として通わされた苦い記憶があります。毎週金曜日に教室が開かれましたが、私にとっては魔の金曜日でしかありませんでした。楽しい、面白くない、美味しい、怖い、寂しい、こんな感情だけの生活だったように思います。

 与六はこんな年頃に、家臣(小姓)として少年のような城主と共に寺での修行に入ったのです。家臣という立場などわかろうはずがありません。母や父から別れた寂しさでいっぱいだったに違いありません。理解できない和尚の話や年上の小姓たちともうまくは行きませんでした。

「わしはこんなとこに来とうはなかった。
 喜平次様の小姓になどになりとうはなかった。」

(先週に続きこの泣かせる名セリフが胸を打つ)
喜平次も又、可愛い奴という想いになったでしょう。

実家に逃げ帰った与六を迎えに来た喜平次が、彼をおぶって寺に帰る時の会話が心に残る。

「わしはそなたが寺に来てくれてほんにうれしかったのだ。」
「与六、この喜平次のそばにいてくれぬか。… いつまでもわしのそばにいよ!」
そうすると与六は思わず「母上~…」と云いながら泣き出した。
(母上、わしはどうすればいいのじゃ…)
胸の中が一杯になって答えようがなかったのです。

「泣き虫だ、与六は…」
(泣きながら)
「涙が出てとまらないのじゃ」

涙を出し切ることで共に母への哀愁が薄くなっていった。

「与六はもう頑張れぬ。頑張るのはもういやじゃ…」
「それで良いのじゃ。どうじゃ、泣くとすっきりするであろう?」

涙は<天からの贈り物>かもしれない。与六は素直な気持ちを取り戻していった。

「じゃあ、喜平次様もお泣きになるのか?」
(この時与六は「お泣きになるのか」という敬語を使う。
 つまり家臣であることを意識した瞬間かもしれない)

「わしは泣かぬ。上に立つものはみだりに泣いてはならぬのじゃ」
(この時与六は喜平次の首もとを抱きしめる。
 与六は泣き虫の自分を戒め、喜平次様はりっぱだと思う)

「喜平次様のおそばにはこの与六がおる。いつもおる。」

5歳の子供にはなかなかしゃべれない言葉。喜平次の心にも突き刺さったはずです。
(こいつとならやっていける。こいつになら何でもしゃべられる)

「では何があってもそなたとわしはいっしょだな」
「はい!」
五歳の与六の覚悟が決まった。
それは母のことは忘れると決めた瞬間かもしれない。

この返事を背中で聞いた喜平次の笑顔がとてもいい。心に残る笑顔でした。

私の五歳の年に日本で何があったのだろうか。
4月5日 - 巨人・長嶋茂雄選手、4打席4三振デビュー
8月25日 - 日清食品がチキンラーメンを発売。世界初のインスタントラーメン。
8月31日 - 早稲田実業の王貞治投手の巨人軍入団決定。
10月14日 - 東京タワー竣工
10月21日 - 巨人・川上哲治選手、引退。
10月21日 - 西鉄、日本一。巨人相手に3連敗から4連勝果たす。
11月1日 - 東海道本線東京~大阪間で国鉄初の電車特急「こだま」が運転開始。
11月27日 - 宮内庁、皇太子・明仁と正田美智子の婚約を発表。
12月1日 - 新1万円札発行。
12月7日 - 東京タワー公開開始
12月23日 - 東京タワー完工式
12月27日 - 国民健康保険法公布

 私の記憶に残っているのはチキンラーメンだけです。売り出されたチキンラーメンを毎日のように食べた記憶が残っている。大阪に生まれた私は長島のことも王のことも、そして東京タワーのことも記憶にありません。初めて口にいれたチキンラーメンが美味しかったことしか記憶には残っていません。

 5歳の頃とは直接触れられるもの、口に入れられる物以外は価値のないものだったのです。同じ5歳の与六は気づいていないですが喜平次への<忠誠心>を持ちます。不安や恐怖や喜び、悲しみや寂しさや母への想い、そして<忠誠心>のような手に上に乗せられない感情と云うものの存在を和尚から聞かされますが分かるはずがありません。

 このときも決して知識としてではありません。気づかぬままに他人への<忠誠心>という曖昧なものですが、間違いなく温かい喜平次背中で、母の温かい胸に抱かれて感じたものとは別の熱い感情を確かに感じたのです。楽しい、面白くない、美味しい、怖い、寂しいと云った幼児的感情ではないものを。

 雪の中必死で母を求めて逃げ帰り、いったんは母の温かい胸に抱きしめられたのに「貴方はもう母の子ではない。越後の子になったのです。」そう言って母は泣きながら戸に閉めてしまいます。5歳の子供に母の気持ちが分かるはずがありません。捨てられたとしか思えないのです。

 母は戸の隙間から迎えに来た喜平次の姿が目に入る。そして自分の背中に与六をおぶる姿を見て、涙を流しながら手を合わせる。
(どうか私の子を宜しくお願いいたします)
喜平次も明かりの漏れた戸の透き間から母の視線を知り、その視線の熱い想いを感じとる。
(はい、必ず与六を大切にします)
喜平次と与六の母は一言も言葉を交わしませんでしたが、二人の心はしっかりとつながったと思います。母は喜平次様のような人で良かった、あのお方なら与六をお任せできると思ったに違いありません。

 与六、喜平次、そして与六の母。この3人の気持ちを見ていて本当に共感できました。こんなことは「篤姫」を全編見ましたが、わずか2,3回しかありませんでした。素晴らしいシーンに感動しました。

 与六と喜平次は互いの身体の温もりを身体で感じ、母や父以外の身体の温もりを感じます。こんなことは滅多に体験できません。そしてお互いのお心の想いを伝えられた事実が二人の絆を今後太くしていくのでしょう。

これからの二人が楽しみです。
ブキ君と一輝君へ成長したので少し残念な気がしますが…。

「いい恋をしよう!」

2009年01月09日 | Weblog
駅の改札口付近で、もめているカップルがいました。
『女の人は唖然としていましたが、彼は改札に着くまでの間、歩いては戻って殴り、を繰り返し、最後蹴られた女の人は倒れ「何で私がこんな事されなきゃいけないの」と泣いていました。』

 カップルであるはずの彼女は「何故、ぶたれるのか」まったく理解できていません。そこには深い絆や愛も感じられません。親が苛立つように子をぶつ。子はそこに愛を感じるはずがありません。愛もなくただ暴力で子供を諫めようとする。子供は恐怖と憎しみしか生まれません。

 最初の人間関係は「親子関係」です。親の愛を子供がどう感じるか、その気持ちが慈しみの心を育てます。「尊敬」という言葉は今や死語になりつつあります。「尊敬」という言葉の意味さえ、理解できない若者が増えつつあるこの現状には目を覆いたくなります。これから父や母になる人たちに、どうか「尊敬」される親を目指して欲しいと心から願います。そのためには、今つき合っている異性や配偶者を「尊敬」することが不可欠です。お互いに尊敬できる関係を築いていくこと大切です。

 親子関係に破綻してしまうとその後の「人間関係の構築」は容易ではありません。そんな人は暴力でそのイラダチを表現してしまいますが、それでも先生や母親の言葉、本や物語で自分の「愛の欠如」を痛感することがあります。しかし、多くの若者は、その機会を自ら放棄しているような気がします。ゲーム等の刺激的なことが氾濫し、映画もまた刺激的な場面や残忍なシーン、恐怖感を煽るシーンが不必要に多すぎるため、情報の過多を遮る自力という防御力が育ちません。これは本人の問題もさることながら、無防備にさらされる環境にも問題があります。

 小さい子供に観させるならジブリの「もののけ姫」「天空の城 ラピュタ」は奨められません。「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」の方を奨めたいです。(「もののけ姫」「天空の城 ラピュタ」も間違いなく名作ですが。)

 愛や情、絆の構築には周囲をはじめ、多くの人の温かい眼差しと多くの時間が不可欠です。幼い頃のまっさらな心の中に豊かな愛を育む物語が熟成されなくてはなりません。幼い頃に残酷なシーンや人間のエゴを見せるのは、愛情豊かな土壌ができてからのほうがいいと思っています。

「人は生まれてから貰ってきた、育ててきた愛でしか、人を愛せない」

今、「愛が欠乏」した人たちの連鎖が続いています。
それを断ち切るには、奇跡のような縁で結ばれたカップルが愛を育み、生まれてくる子供を温かい眼差しで見守れるかどうかにかかっています。

そのためには、どんな恋をするかが私にはスタートに思えてなりません。アルバイトが可能になる年頃からの恋が、将来の夫婦のあり方に大きく影響するような気がします。

「若者は、もう純粋な恋はできなくなってしまったのでしょうか?」

 少し前には、アッシー君やミツグ君、最近ではセフレや1号、2号という言葉をよく耳にします。そこには情や絆は見あたりません。まるで情や絆を怖れるかのように避けて通り、コンビニ(利便性)だけを追求する小賢しい輩が見え隠れします。可愛いものを可愛い、美しいものを美しいと感じる心を持ち合わせながら、多面的な自分を都合よく行き来する小賢しさ。情や絆を感じない爬虫類のような連中は、可愛さを見失うと(=じゃまくさくなると)まるで犬や猫を捨てるように暴力を振るい、捨て去ってしまう。思春期の女の子がお母さんに「どうしてあんな不細工なお父さんと結婚したの。もっとハンサムな人だったら私もカワイイ子に生まれたのに」と云った話を聞いたことがあります。父親が聞くとがっかりする話ですが、その頃の親への想いはそんなものです。親の深い愛情には気づかず、まるで空気のような存在なのかもしれません。

 私自身大阪を離れて誰一人知り合いのいない東京の大学に行って、やっと親の愛情に気づき始めました。そして初めてアルバイトをし、仕送りしてくれるお金の重さや価値を学びました。その気づきは両親が20年近くの時をかけて豊かな心の土壌を作ってくれたおかげです。それからは孤独な心と足りない心の隙間を埋めるように読書やギター、クラブ活動にのめり込みました。そんな時、大恋愛をしました。彼女を通じて生まれて初めて他人への深い想いを学び、自分という人間を見直していったような気がしています。残念ながら彼女とは縁がありませんでしたが、その頃の失恋は誰にとってもまさに人生の大挫折と云えます。そのおかげで今の連れ添いと出会い、見定められたように思っています。恋愛をきっかけに、先輩や後輩、親や肉親への想いも初めて熱い血が通ってきたのです。それまで観念的だった人生観が、実践的へと移行した宝物のような時期だったと云えるかもしれません。

 私は自分の体験から感じています。アルバイトが可能になる頃からの恋愛が、将来の夫婦のあり方や生まれてくる子共たちの育て方にまで大きな影響を与えると。

「どんな恋をするか、しているか、したか」私にはここがスタートだと思えてなりません。

「いい恋をして欲しい!」そう願わずにはいられません。


写真は私の若い頃。白樺湖でのコンサート合宿にて(左が私)

「クラマーズ・ハイ」(今年最初に観た映画)

2009年01月04日 | Weblog
“世界最大の航空機事故”と云われた御巣鷹山日航機墜落事故。当時、地元紙記者としてを取材した作家・横山秀夫が自らの体験を基に、最前線で扱うことになった地方新聞社が異常な昂奮状態に置かれ、社内外で壮絶な軋轢と葛藤を繰り広げていく狂騒の一週間を、極限の臨場感で描き出した傑作群像小説の映画化です。

 遊軍記者でありながら突然、事故取材の全権デスクを命じられた主人公に堤真一。監督は「突入せよ!「あさま山荘」事件」の原田眞人。「篤姫」で家定演じた堺雅人が今までにない迫真の演技を見せています。来年発表の日本アカデミー賞にも10部門がノミネートされています。感動間違いなし、必見のお奨め映画です。

 新聞社の編集部内の群像劇とも云えるこの映画に、好奇心旺盛な私はたまらない魅力を感じました。新聞記者群像劇と言えば、名匠ビリー・ワイルダー監督の「フロント・ページ」がありました。20年代のシカゴを舞台に、特ダネをモノにしようとする新聞社の騒動をコミカルに描いたジャック・レモン、ウォルター・マッソーの息のあったコメディでした。

 もう一本新聞記者物では、敬愛するポール・ニューマン主演、硬派のシドニー・ルメット監督の「スクープ・悪意の不在」という映画が記憶に残っています。こちらは真実を探るための報道が、人を傷つけるというテーマで描いたサスペンスでした。

「クライマーズ・ハイ」でも記者魂と言うべき、事故原因に迫る特ダネ(=スクープ)を、若い女性と堺君が必死に追う場面があります。記者に取って特ダネとは、自分という人間のアイデンティティーの証明に他なりません。物書きであっても、新聞記者であっても、自分が書いたものが価値あるものとして世間に認められなければ、自らの存在意識を見いだせないところに心の葛藤があります。それは彼らにとって生きていく苦しみと云って過言ではありません。そのアイデンティティーを追い過ぎたとき、愛する家族や周囲の人を置き去りにしていきます。この映画でも、「フロント・ページ」でもそのことを感じさせます。新聞記者で在る前に、人間として大切なものをなおざりにしてしまうのです。

本当に大切なものとは? 

 自分のアイデンティティーを必死に追った経験がある人だけが、理解できるものかも知れません。そして、一種の極限状態を経験した人が見極められるものかもしれません。

原作者の横山秀夫氏はこんな事を語っています。
「上毛新聞には12年間勤めて、『ルパンの消息』がサントリーミステリー大賞の最終候補4作に残った段階で辞めてしまった。 多分にうぬぼれていたし、賞をとって本が出れば、あちこちの出版社の編集者が読んでくれて、何本かは執筆依頼も来るだろう。 そんな皮算用をして辞表を出したのだが、結局、『ルパンの消息』は刊行されず、真っ青になった。

 今にして思えば、そこで作家デビューしていなくてよかった。 清張賞を受けるまでの7年間、地べたをはうような生活をして、自分という人間について、働くということについて、真摯に見つめ直す作業をしていなかったら、私はたちまち自滅したに違いない。 中学生のころからさまざまなアルバイトをしてきたので、食べられなくなる恐怖感はなかったが、会社を辞めたとたん、地に足で立っている感覚が希薄になった。 社会の中で居場所がない、必要とされていない。 いわゆる「社会的な死」への焦りと恐怖を味わった。
 
 どんな職業に就いていようとも、経済活動をしている以上、人は悲哀をかこつ。 地位や他人の評価とは無関係に、地に両足をつけて自立できているという自覚さえあれば、人は幸せなのだというフラットな目線を、7年間で養ったように思う。」

 7年間。決して短い期間ではありません。この期間に横山秀夫氏は様々な仕事に就きながら必死に自分のアイデンティティーを求め続け、生きていくことの価値や大切さを学ばれたのでしょう。人は生きることだけに生きるとき、大切なものを見失う傾向があるようです。そのことにもきっと気づかれたのでしょう。

 この人間の思考パターンは様々な場所、場面でも同じことが云えそうです。焦っているときの交通事故などはその典型的な事柄です。普段の運転中は左右後方への注意も怠りませんが、何か考え事をしているときや時間に迫られている時などは、注意視覚は極端に狭まってきます。現場の仕事に夢中になりすぎると、周囲の目や意見、社会の流れをも無視してしまいます。これではいい結果は望めません。反対に周囲の目や意見、社会の流れだけに目を向けすぎると創造的な仕事もできません。大切なことはそんな自分に気づくことでありそのバランスの大切さに気づくことにあります。そして両極端の存在自体を自覚する客観性だと思っています。

 7年間を省みて横山氏は、作品に様々な出来事や感情、出逢ってきた人達を織り込めることができたからこそ、その7年を価値あるものとして見出せたのでしょう。集団の中の自分、様々な職業の価値、社会の流れ、人の感情の流れ、そんな中での自分を客観しし続けたのでしょう。作家にとって大切なことは自分を含めた人間観察以外の何ものでもないような気がしてなりません。

 最近私は、職場での人間観察、組織での自分の位置、やるべき事の決断、それぞれのアイデンティティーを意識して仕事をしています。50歳を過ぎてようやく客観的に自分を含めて俯瞰できるようになってきたと感じています。現場に長時間いることで自らをマスターベーションしていたかもしれません。今年初めて見た映画「クラマーズ・ハイ」を見て、そのことをようやく自覚できたように思います。

 若い時には若い人なりのやるべきことがあります。今やるべき事に夢中になってすべてに優先して下さい。それは決して貴方のやりたいこととは違っているかもしれません。しかし、今しかできないことがあるのです。本当にやりたいことはその後に見えてくるものです。スーパースターのイチローやタイガー・ウッズのようになりたいと思っても、彼らが若い頃、一心にバットやクラブ降り続けたことに近づこうともせず、ただあのようになりたいと思うだけでは意味のないことです。

 クラブ活動で起こる出来事に夢中になって対処して下さい。与えられた職場で必死になっていい仕事、いい結果を目指して下さい。そして様々な人と出会い、トラブッて下さい。それらがすべて将来の人間力となって蓄積されます。

 この映画の主人公のように突然、新聞記事の全権デスクに命じられた時、花開くことが社会や組織の中ではあるのです。「ここ一番」そんな人生の場面が必ず一度はやってきます。その日のために、その日を信じて若い頃にやるべき事を意識して夢中になってやり抜いて下さい。

2009年を有意義に過ごしていただければと心から祈っています。

「飲むと脳が萎縮する?」

2009年01月02日 | Weblog
明けましておめでとうございます!
今年も皆様にとって素晴らしい年でありますようにお祈り申し上げます。

 さて、昨年驚くべき記事を読みました。今年最初の日記にこの記事のことを書くのはどうかと思いますが、お正月ということでアルコールの摂取量が年末・年始にかけて年間で最も多くなる時期なので敢えてご紹介致します。

「アルコール、飲むほどに脳が縮小」 =米研究 (ロイター - 10月14日)

 10月14日、米研究チームがアルコールは飲むほどに脳が縮小すると発表。アルコールを飲めば飲むほど脳が縮小するという研究結果が13日、明らかになった。米マサチューセッツ州のウェルズリー大学のキャロル・アン・ポール氏が率いる研究チームが、神経学の専門誌「Archives of Neurology」で発表した。

 研究チームでは、適量のアルコールにより加齢によって進む脳容積の減少を食い止めることが可能かを検証しようとしたが、結果は不可能だったという。

 同研究によると、生涯にわたって酒を飲まなかった人々が最も脳容積の減少が少なかった。続いて、過去に飲酒していたが今は飲まない人々、現在適度な飲酒をする人々、現在大量に飲酒する人々の順で、脳容量の減少の割合が少なかった。


 私はアルコールは一滴も飲みません。理由は簡単、「美味しくない」ただそれだけです。タバコは一日10本程度吸います。食後や風呂上がり、また考え事が煮詰まったとき、ベランダや外にでての一本は本当に美味しいと思います。また精神が高揚して眠れないときの一服も、とてもホッとして眠りにつきやすくなります。当然お酒と同じように個人差がありますが…。

 今の会社に異動する前、1992年に40坪ほどのカウンターしゃぶしゃぶの店をオープンさせたことがあります。その時常連になったお客様が、転勤後2年ぶりに来店されたとき、「何だか印象が違うな」と思ったことがあります。初めて店に来られてとき、ビールや酒の飲む量が半端じゃなかったのでいっぺんにお顔とお名前を覚えました。

 この記事を読んだとき、あの人の顔が浮かんできました。以前の顔と較べ、締まりがなくなってぼやけて見えたのです。そう言えば実家の商店街でも、朝からでも冷や酒を飲んでいた店主にも同じような表情が見られたことを思い出します。極度のアルコール摂取は「ボケ顔になってくる」。あの記事を読んでそんな印象を改めて認識致しました。

 私の親友の一人に歌う百貨店と自称するHS君がいます。彼は我が社と親戚関係になった百貨店の人事部で偉いさんをしていますが、彼の酒豪ぶりも半端ではありません。先日35年来の高校時代のフォークソングクラブの同窓会をイタリアンディナー付きカラオケ店で開催(飲み放題で3時間一人6千円)。仲間の中には幼稚園も同じノンちゃんがいて、そうすると50年以上の友人ということになります。(この事実は一昨年、初めて知ったのですが…。)

 一時間ほど遅れて参加した彼は、少し大きめのグラスビールwo
あっという間に数杯飲み干し、手をつけていない女性のビールも平らげ、3度ほど追加しました。しかも、ワインまで注文してガンガン飲みながら大声で歌い、しかも酔いを感じさせません。未だかつて私は彼が悪酔いした姿を見たことがありません。私は仕事上、多くの人以上に酔っぱらいの男女を見てきましたが、HS君は最上級の良い酒を飲みます。正真正銘の酒豪です。それだけにこんな記事を読むと心配でなりません。

 35年続いているラブ・アップルコンサート(http://www.love-apple.net/)に、私が参加(初期の頃と15年ほど前に4回?ほど参加)するまで「頑張って続けるよ!」と今回もうれしい事を云ってくれましたが、脳の萎縮や肝臓の具合やメタボなど心配はつきません。仲間の健康な姿はとてもうれしいものですが、この世は<無常>がつきまといます。健康を維持するためにはそれ相応の対処が必要です。

 12月30日、住吉大社に少し早めの初詣?に行って参りました。大晦日からの出店や境内での準備が進行していました。実家から7,8分の距離にあるこの「住吉っさん」(「えべっさん」と比較して地元ではこのように呼ばれている)で、家族と大切な仲間たちの健康を祈って参りました。今年はマイミクの方々のご健康も100円のお賽銭ですが、お祈りして参りました。わずかな額で沢山のお願いですが、幼い頃からの私の遊びの庭のような「住吉っさん」ならきっとお聞きとどけて下さると信じています。皆様もどうか2009年、<無常>を意識してご健康に過ごし下さいませ。



以下はご参照の為に。

 タバコを吸ったときニコチンが血液を巡る瞬間、血管を収縮させ精神の高揚が抑えられる自覚があります。きっとアドレナリン(ストレス反応の中心的役割を果たし、血中に放出されると心拍数や血圧を上げ、瞳孔を開きブドウ糖の血中濃度(血糖値)を上げる作用などがある)の分泌を抑制するのでしょう。喫煙の主体的問題点を挙げておきましょう。

(喫煙によって現れる症状)
①目 視力低下・白内障
②口 口臭
③歯 黄ばみ・歯石
④心臓 動悸
⑤気管支 咳・たん・声がれ・息切れ
⑥胃 胃痛・食欲減退
⑦手足 しびれ
⑧つめ 黄ばみ
⑨肌 血行不足による肌荒れ・黒ずみ・シミ

(喫煙によるビタミンCの不足)
タバコを1本吸うことでビタミンCが約70mg 破壊されると言われて
います。成人の1日における所要量は50mg とされていますがタバ
コ1本で1日の必要量のビタミンCが失われてしまうことになります。
ます。ビタミンCが不足することで体内に過酸化脂質が増えること
になり、臓器への負担や体臭の発生にもつながります。
http://www.bl.mmtr.or.jp/~shinjou/tabako.htmより

以下はアルコールの気になる問題点を挙げておきます。

(不治の疾患)
アルコール依存症になったものが元の機会飲酒者に戻る事は殆ど不可能であるとされている。たとえ身体的に回復し、数年にわたる断酒を続けていた者であっても、一口でも飲酒をすることによって再び元の強迫的飲酒状態に戻ってしまう可能性が非常に高い。そして、進行性の病気であるためにさらに症状は悪化していく。つまり、悪くなることはあっても、決して良くなることはない病気であり、寛解の状態で再発つまり再飲酒をどう防ぐかが治療の重要な点となる。
(死に至る疾患)
適切な対処をしなければ、内臓疾患あるいは極度の精神ストレスなどによる自殺・事故死など、何等かの形で死に至る。アルコール依存症者の予後10年の死亡率は3~4割と非常に高く、節酒を試みた患者と通常に飲酒した患者とでは死亡率に差が見られず、断酒することによってのみ生存率が高まる。
(機能不全家族の形成要因)
飲酒による問題行動により、その家族は常にストレスに苛まれる事になる。家族は常に飲酒を辞めさせる事ばかり考えるようになり、家族まで精神疾患を罹患してしまうケースも少なくない。家族との信頼関係の亀裂に始まり、別居や離婚へと発展して家族が崩壊する原因となったりする。
アダルトチルドレン(AC、Adult Children of Alcoholics アルコール依存症の親のもとで育ち、成人した人々)の語源となっているように、アルコール依存症者のいる家庭での家族に与える影響は多大なものであり、とくに親から子へアルコール依存などの嗜癖問題が世代間で伝播する現象がよく見られる。そのため、アルコール依存症は患者本人だけの問題ではなく、家族全体を巻き込み、特に機能不全家族の形成を助長する。
(ウィキペディアより抜粋)