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楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

日本最後の石炭と高校生

2006-10-30 12:12:27 | 教育
 今日東京駅丸の内で修学旅行とおぼしき高校生が何やら配布していた。手に取ると「釧路発!!石炭」と書かれた、プラスチックケースに入った石炭である。

そこはついに日本で最後の炭坑となってしまった!この釧路の大地は私が昔、卒論、修論と歩き回ったところでもある。懐かしさが胸に込み上げて来た。霧にむせび、夏でもストーブを焚いた釧路。凍てつく霧氷の朝に乱舞する丹頂。昔、歩き回った釧路湿原の地のメモリーがフラッシュバックした。思わず引率する先生に近づき、しばし話をしてしまった。

 ほおの赤い高校生が一生懸命、「石炭」を配っている姿も感動ものである。彼らのふるさとは釧路湿原という雄大な自然に恵まれている、しかしこれからは厳しい冬に向かう。めげずにふるさとのすばらしさを豊かな人生の糧として未来に羽ばたいて欲しい。すばらしい釧路武修館高校、修学旅行の企画である。感動と思い出をありがとう。

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もういやだ大学院(2) わが体験記

2006-08-27 09:38:22 | 教育
raraさん、コメントありがとうございます。本当に一歩引くって大事ですね。余裕がなくなるとますます負の思考スパイラルになる。さて、「もういやだ大学院、私の体験記」を記してみよう。人のおかれた状況は皆異なり、パターンなどはない。でも人の体験記は参考になる場合もあるかもしれない。
 私は修士時代がもっとも苦しく、追いつめられつらい時代であった。
学部学生時代のことはまた書くとして、大学院へいくべきかどうかはいろいろ悩んだが勇んで進学した。そこでの研究課題は卒業論文の延長であった。その課題は卒論選択の時に悩んだり相談したりした結果として選んだものであった。しかし、卒論は必ずしも納得のいくものではなかった。そして修士の間も、とにかく手足を動かしてデータが蓄積されてくれば何かが見えてくるはずだ、と思いながら続けた。しかし、なかなか見えてこない。見えた!と思ってもすぐその先を考えるとまた行き詰まる。そんなことが2年間つづいた。そしていよいよ修士論文締め切りが近づいてくる。もはや夜も眠られないほどに追いつめられてくる。先輩達は「あいつはもう通らないかもしれない」とうわさしていた、と後で聞いた。最後の年末と正月は本当に不眠不休。実験室と院生の部屋との間の階段を登ったり、降りたり大量のデータの蓄積が進んだ。そして何となく様になるグラフが出来上がった。結果はオーライであり、私は博士課程へすすんだ。
 でも、その後に博士で何をなすべきか、本当にこれでいいのか?こんな苦しいものなのか研究は、と真剣に考えた。そして私は決意した。もう一度ゼロからやり直すと。博士課程の時限は3年。しかし、私は手法を変え、ある意味で専門を変えることとした。そのためには最初から勉強しなければならない。修士課程からやり直すつもりで5年は掛ける、と決意した。先など全く見えない。指導者も近くにいない。当時も博士課程を終えても就職のないオーバードクター問題があった。今ほど深刻ではないが先輩達に取っては深刻な問題としてのしかかっていた。博士にはなっても何の保証もないのである。かれらはただただ研究をしたいという思いだけで生きている、世間的には特殊な人種の集まりであった。<お前もその変人の仲間になるのか?>と自問自答を繰り返したが、<一度しかない人生だ、後で後悔したくない>と思った。
 その当時私にはすでに大学1年のときからつきあっている女性がいた。学部を卒業する時、親に結婚したいといったら一括された。「これから大学院へいこうと言う時に何をいうか!すねかじりの分際で!」その通りだと思った。それからさらに2年経っていた。しかし、今度はさらに5年かける決意をしたのである。もう彼女を待たせる訳にはいかなかった。私も待てなかった。修士の間は、ほとんど親の援助なしに過ごせたので、ついに親もあきらめた。全ての人生のセットアップができあがった。
何も先の見えない、貧乏生活開始の決意であったが、自分で決意したというさわやかさがあった。そして1年、死ぬ気で新しい課題に取り組んだ。そして面白さが見えてきた。それを論文として公表できたときは本当にうれしさがこみ上げた。もう研究生活からは抜けられない、人生を歩み始めていた。そして予定したより1年早く4年目に、博士の学位を余裕を持って、自信をもって発表できるところまで攻め切ることができた。
 私のこの研究の苦しさからの脱却の教訓は、人の振りを見てそれの合わせていると、何をしていいかわからず追いつめられ、閉じ込められる。ぎりぎりまで自分の思いで人生を設計する、そして決意したらすぐに実行に移すことによってのみ道は開かれる、ということであった。若いときの時間は長い、ときには振り返り、時にはゼロからの再出発もいいのである。3年や4年どうということない。急がば回れ、というからね。
 私はいまでも、急がば回れ、をやってる。年とともにだんだんとグルグル同じところを回っているけれどね。それでもいいや、と思っている。先へ行きたい奴は先へ行け、おれはゆくっりがいいや、とね。
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やはり楽学、同名のサイトにいきあたる

2006-07-18 07:02:13 | 教育
 サーフしていたら「楽学」という同名のブログに行き当たりました。そこに「子連れ学生が普通になればいい!」という記事。
なんともうれしくなって、トラックバックをはりました。なぜなら、私のところにも子供二人の親の女子学生がいるからです。子連れで卒業論文をこなし、今は修士の学生です。男子学生を子守役にセミナーをやっています。
私にはまだ孫がいないのですが、そろそろそういう年齢にちかずいています。
それにしても、子供たちはセミナーで見るたびに大きくなり、言葉を次々と覚え、どんどん人間になっていく、というのはすばらしいですね。見ていて勇気をもらえます。
 昨年は、卒業論文の調査に、女子学生親子、男子院生と保母の免許をお持ちの彼のお母さん、などと一緒に出かけ、昼間の調査の間にその子の面倒を男子院生の母君に見ていただき実行するという、なんとも愉快な仕事をしました。その母君には私も食事や飲料(?)でいろいろご指導いただきながら、合宿作業でした。
 私自身も、大昔、学生の時に既に今の妻とは「できていた」(子供はできてませんが)ので、学生同士で結婚したり、子供がいてもなんとも思わず、むしろ微笑ましく、なんとか支援したいとう気になります。
むしろ、本人の方が気を使いすぎることが、大変。
無理をせず、自然に、子育てと、自分の健康の回復と、研究と、一歩ずつ一歩ずつかな、と思っています。

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東大の教養:東大(生)vs爆笑問題

2006-07-16 20:12:46 | 教育
 昨深夜、私が唯一欠かさず見ているドラマ「チャングムの誓い」の後にNHK特集「東大生vs爆笑問題」をみた。
タイトル「東大生」と異なり、主な討論はほとんど東大小林教授と爆笑問題太田のやりとり。私の世代は「東大全共闘vs三島由紀夫」の劇的な討論会が頭にあるので、こんな大学側に組織された討論会にのめのめと出てくるほど自立性を失っているのか!今の東大生は!と愕然とする思いがある。でもそれはそれ、この子達が団塊の世代がいなくなる10年のうちにこの社会の主役になる。その時には気がつくであろう(と期待したい)、彼らが本当のエリートならば。
 大学における教養教育をテーマとして東大の駒場で開かれた討論会である。90年代、日本の東大以外の全ての大学から教養課程あるいは一般教育が、大綱化の名のもとに消えた。その東大で改めて教養を問うている。
しかし、見ていると東大は教養を背負いすぎている。「ねばならない」が強すぎる。そのことを爆笑問題が鋭くついている。
 「東大はエリートでねばならない」という、小宮山学長のメッセージによって東大生の「勝ち組」意識をくすぐり、鼓舞する。そのことに対して爆笑問題太田が強烈に反発する、あるいは東大生をピエロ化する爆笑問題。
東大と一般人との益々の乖離を警告する爆笑問題。
 ここはテーマの教養とはちょっと異なるが面白い。なぜなら東大生は受験戦争を勝ち抜いた「勝ち組」である、と誰しも認める評価と、人生の「勝ち負け」はそんな受験だけで決まるものとは別であるという、これもまた多くが認める事実の、特に後者に関わる東大スタッフ陣の認識のずれへの強烈な反発が見事に現れたからである。ある意味、東大に入った以上は全ての成功者になりたい、あるいはそういう人材を輩出したいという、東大側の願望が見事に丸見えだからである。そう思いたいということは事実はそうなっていないという現実の反映である。だから自らを「エリート」と叫べば叫ぶほど、ピエロとなり、裸の王様となる。そのことを爆笑問題は鋭く突いたのである。
 もっと自然になったらどうか?東大のみなさん。と思った。そんなに気負うことはないでしょう。本当の「エリート」は自然体ではないの?と。
 教養とはなんぞや?これはかなりいい議論であった。ほとんど同意である。
自分で必要と思った時、はじめて身に付く。これは両者の共通した見解であった。そこに大学はどのように手を添えるか?
である。
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熱中・「釣り教授」とよばれて 

2006-07-15 18:47:37 | 教育
 今から十数年前まで、私はとある地方大学にいた。私は日本も世界も実に多くのところに住んだり、旅をしたが、最も楽しかったとこでもある。まだ大学に教鞭の職を得て、さほど年月が過ぎてはいない時である。研究や教育以外で最初に熱中したのが「釣り」。
 北海道から突然、南へ。大学院の学生の時に結婚した妻も私も道産子。スーパーへ行っても魚がわからない!妻はなじみのある鮭の切り身を買ってしまう。高い、まずい。
 赴任した大学で教職員「釣り大会」が行われた。釣れる!釣れる!それも魚屋に並んでいる魚!
「おお!これはなんという魚?どうやって料理するの?」
私は童心に帰り、大興奮。ドッサリ入ったクーラーを持って帰って自慢げに妻へみせた。料理法までとくとくと説明した。それから、週末のスーパーでは二人して地元の魚を買うようになった。
しかし、それらの値段はその釣りのときのえさ代、針代を考えると高い!
「ん、これは自分で釣らねば」と思った。実はそれは仕事以外にのめりこむための表の口実。本当はとにかく楽しかったからである。
 それから、釣り三昧の日々が始まった。最初は週末だけであった。週末が近づくと寝ても覚めても釣りのことを考えている。時間があると本屋で釣りの本。釣り屋でしかけを見て回る。水族館へいって魚の生態を探る。--
徐々に、釣り熱はエスカレート。週末はついにテントで、まだ幼い長男とおなかの大きい妻を伴い、釣りへ出かけるようになった。長女が生まれても赤ん坊を連れて、レジャーは海と釣りと決まっていた。
 釣りは早朝が勝負、おまけに週末の家族のケアも両立させる。その手だてはキャンプ。キャンプは学生のときからの得意技。
釣れるとまた釣りたくなる。釣れない時は、「次は釣ってやるぞ!」となり、無限に続く熱中の連鎖。ついに、週末だけではなく仕事の日々もやるようになった。
 朝、夜明け狙いの朝釣り。朝、汐があがってくる日などはもう我慢できない。朝満づめ(アサマズメとその地では呼んでいる)。大学の講義のある日には8時半まで帰ってこなければならない。
3時起床。1時間車を飛ばし、釣り場へ。
<夜明けが近い!急がねば!> と50km制限を100kmで飛ばし、追い越し。あわや絶体絶命、正面衝突か!てな場面もあった。
2時間釣って、トンボ帰り。そしらぬ顔で講義をする。
「先生、随分日に焼けましたね。運動ですか?」なんて、同僚や学生に言われる。
「まーね、そんなもんだね」
食いついたときの引きで、魚の種類も大きさもだいたい分かるようになった。「キス」の連鎖つりでは、何匹かもわかるようになった。いよいよ挑戦は夏の「チヌ」。あまりにも暑いのと、最高の釣果は夜ということで、夜も釣りをするようになった。
電気浮き、夜のえさ。
釣れに釣れ、1時間で15匹のことも。これを「入れ食い」という。
 この頃大学でも学生の間に知れ渡り、「釣り教授」と呼ばれるようになった。
私は<時間外で自分の趣味としてやっている、なんの問題もない>と心の中で居直りつつ、研究や教育への熱中ではないことに対する心の痛みもあった。
 そこで、いっそのこと、<一緒にしてしまえ!>と思った。
集中合宿セミナーを釣り場に近い海辺で、行うことにした。
朝と夜は釣り、どうせ釣れない昼間は徹底勉強。経費節約のため、合宿は自炊。釣果はおかず。
うまく行けば全てが楽しみなる、釣りにのめり込んでいる後ろめたさも消える。
男子学生に、やはり釣りにはまっている奴もいるので、彼らに学生の釣り大会を組織させる。女子学生や男子学生の中に料理を得意とする奴もいるので、料理係。なんの芸もない学生はセミナーの準備と夜の宴会の準備、などと勝手に役割分担。大宴会つきの寝る暇のないセミナーとなった。
 ヘロヘロ不眠合宿セミナーは毎年の恒例となった。そのセミナーの子達は今、その地で多くが小.中、高の先生になっている。その大学を去る時に、学生達は私に数万円もするカーボンロッドをくれた。私の釣り竿は、いつもバーゲンの安竿であるからと。落涙。
 その時、私の移った大学は海も遠く、本当の教授になってしまったので時間もなく、そのカーボンロッドは一度も使うことなく今でもケースに入ったままである。ごめんなさい。釣りへの熱中はもはや遠い時代の思い出となってしまった。
 しかし、そこでの「釣り」への熱中が私の人生を決定づけることとなった。「釣りと一期一会」、そのうちまた記そう。
 
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