楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

終活(15) 老人の夢

2021-03-02 03:30:50 | 人間

終活(15) 老人の夢

また夕食後寝入って、深夜に目が覚めた。久々に夢を見た。忘れないうちにここへ記しておこう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追い詰められた下水道。必死に逃げいている私。私は少々行き遅れ気味の女(20代半ば?)。

後ろから水を弾く足音が迫ってくる。私は握りしめた包みを投げ出す。

するとその包みは破れ、薄青いゼリーの中身が薄灯に照らされた水面に浮かび上がる。

 

 

「あ〜!もうダメだ!この中身にもやられた!」

これで追手どもも一蓮托生だ。

中身は、ウィルスだったか、核物質だったか? 

ABC兵器のうちのどれかだったはずだが? え、覚えていない!!?

でも、もうそんなことどちらでも良い。どうせ死ぬのだ。

 

 

と前を見ると出口を示す一筋の光

必死に走って走って走り抜けた。出口を出ると森の中。

そこも走って走って走る抜けた。森の中に空から光の当たる一軒の家がある。恐る恐る近づいた。

 

 

窓が開け放たれ、カーテンが揺れている。白髪頭のおばあさんの姿。洗濯物を干すのが見える。

離れもある。

その離れに恐る恐る忍び込んだ。そして3階まで音を立てずに上がり込んだ。

 

そこに無造作に散らかったベッドがあった。

横に冷蔵庫がある。開けると飲み物と食べ物、餓鬼のように貪った。

泥だらけの我が身も気にせず、泥のようにベッドに倒れ、眠り込んだ。

 

 

目が覚めて、母屋の開け放たれた窓を眼下に見ると、多くの老婆が涼しげな姿で畳の部屋に横たわっている。

「え?ここは何、ここはどこ?」

すると階の下から声がする。

「拓哉、起きたか〜い?」「食事ができたから上がっていくよ〜」

 

 

焦る。離れの住人拓哉もどこかにいる?

焦って隠れる場所はないかを探す。ドア、押し入れ、タンス、空間を探す。

そして、開けた一部屋のドアの向こうに、すね毛のある男の足があり、ムクっと起きた。

 

 

「入れ」

そして、男は私に毛布を掛けた。

私はひょっとして救われるかもしれない、と言う不思議な安堵が生まれた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

というところで目が覚めてしまった。何故か後味の良い夢。

夢の続きを見たいーー!

と思いつつ、諸々の過ぎた締め切りに終われるリアルな深夜になった。

続きを見たら、また、記します。

 

 

 

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終活(14)母の家計簿・日記

2021-02-16 03:25:10 | 人間

終活(14)母の家計簿・日記

自分の終活もさることながら、残された母の50年分の家計簿とそこにメモとして記されたわずかな記録を整理している。

どれほど苦労しながら家計のやりくりをしていたのか

そんなことなど気にもかけず小遣いを無心に求めた自分

少々渋りながらもくれた母

小さな花が咲いたと喜ぶ母

雨が上がって爽やかな朝と記す母

老いていく祖父母を毎日、見舞う母

突然に、いや分かっていたけれど、訪れる望まない悲しい別れ

そんなことが満載の母の家計簿と日記

目が霞む

捨てたくはない!

でも自分らの始末の終活のためには、実物を残す余裕はない。

せめて、スキャンし、画像ファイルとして記録、遺産画像として息子、娘らへ、あるいは孫らへ残すしかない

 

断捨離

彼らも、必ず人生、先祖を振り返る時が訪れる。

その時、秘密のベールが剥がされると信じて

 

終活継続

 

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朝ドラ「澪つくし」と家父長社会

2021-02-12 06:51:24 | 人間

朝ドラ「澪つくし」と家父長社会と森喜朗

NHK BSで1985年の朝ドラ「澪つくし」の再放送が毎朝の始まり。

舞台は、大正時代末期から第二次世界大戦後にかけての千葉県銚子市を舞台に、醤油屋の旧家の娘であるヒロインと漁師の網元の長男との純愛(Wikipediaより)

家父長社会とその完全男社会の人間模様を描く。ロシア革命の影響も入ってきた大正デモクラシーの最中でもある。社会の矛盾に対して左右から過激に平等の理想が色濃く入ってくる。

その時代に生きる苦しみと喜びが描かれている、と多くの視聴者が思ったから、特に主婦層が思ったから50%を超える視聴率を得たのであろうか。

森喜朗の不規則発言、「女は〜」は結局、現在最も時代のそぐわない一言だったのだろう。

桜田淳子と沢口靖子、加賀まりこ。

全てが個性的な人生を歩んでいるね。

 

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終活(11) 居酒屋兆治

2021-02-08 03:59:08 | 人間

終活(11) 居酒屋兆治

終活と言うわけではないが、人の死様を見つめるという意味では、終活と位置付けて見た。

昭和58年(1983年)の映画。大原麗子はデビュー時からファンでいいなと思っていたので、見たはずだが大原麗子の最後の死の場面が悲しすぎてどのような話の筋だったのかは記憶に残らなかった。見て思い出した。

後に大原麗子本人の孤独な死(2009年62歳)がこの場面とあまりにも重なったことが話題にもなった。

多くの俳優、高倉健も伊丹十三も皆、鬼籍に入った。

見直そうと思ったのは、昨年末高倉健と大原麗子のドラマチロルの挽歌を見てこのドラマの最後の場面と重なったからである。幸せの黄色いハンカチも見直した。

生きると言う事は理不尽の連続であり、我慢の連続である。瞬間的に堪忍の尾が切れることもある。世の常識を逸脱することもある。そのために穏やかな死とならないこともある。

酒を飲む事は、人間にとってその堪忍のやりとりなのかもしれない。

北海道では人が死ぬと通夜は徹底して飲み明かすと言う習慣がある。場面では草原での野辺送り。人の死を痛み、生きる勇気をもらうための知恵である。

最後に流れる高倉健の鎮魂歌が心を打つ。

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終活(9) 5人分の人生整理

2021-02-03 15:38:09 | 人間

終活(9)  5人分の人生整理

 終末活動とは、実に大変。その時までに終えなければならない作業は、自分のためではない。

整理したもの、ことを次へ送り作業のことだ。当たり前のことではあるが。

 

 それをやり遂げて逝ける人はすごい。

多分、即身成仏に挑んだ仏教僧、あるいは姥捨山の運命を受け入れ、その年まで整理をする人、などか。

私の周りの親兄弟、友人は、癌で告知を受けた人、病床の母以外は、皆、自分ではまだ生きると思っていた。

そこで逝った人の後始末が覆い被さってくる。

 

 私を採用してくれた教授は、53歳の時、壇上で倒れそのまま逝った。その時にゴミ屋敷のような研究室を整理するのにまる一年かかった。そのようにはなりたくない。

私は、大病をして一度、死んでいたはずであり、父兄の逝った年まで残りわずかなので、終活をしっかりやりたい、と思っている。

しかし、祖父、父母、兄の4人分の終えた人生を整理し、自分の分も含めると五人分。ほとんど無限に整理すべきことがある。

それは途方にくれるような量ではあるが、ぼやいても仕方がないし、やめた瞬間、未整理で多くが打ち捨てられる運命となる。

これまで記した3分類で、何を誰に整理して送っておくか、その作業の蓄積しかない。

即身成仏や涅槃のようにはなりそうにないね(笑い)

さ、やろう! でもその前に仕事(すなわち研究と公務の残務)

 

 

 

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