楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

近ずく古希

2019-09-01 06:53:09 | 人間

 

古希の年齢が近ずいている。かつては稀な古き年齢だったという意味だ。今に日本では平均寿命より10歳は若い。でも平均と個別は異なることは統計の基本。

人間の人生などいかに儚いかをまざまざと実感する。この70年は世界の激動とも重なっている。日本も昭和の後半と平成丸ごと。

残り人生は明らかに余生である。

そこで、理系人生だった私には明らかに不足していた人間理解、社会理解。

今更、孔子の「論語」じっくり勉強してみようと思う。

 

 

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この世界の片隅で

2018-07-25 06:06:20 | 人間
終戦記念スペシャルドラマ この世界の片隅に [DVD]
クリエーター情報なし
バップ

日曜劇場ではじまり、はじめて大ブレークした漫画と知る。産経HPで謝辞にクレームありとのことでなんのことかとネットサーフ。なにやら世の中に受け始めるとはじまる「俺が俺は”最初”騒動」のジブリ系versionの内紛の匂い?

それはさておき、まずはビデオを見た。日曜劇場展開とはだいぶん違うようであり、おそらく原作とも違う。

人が死ぬことがあまりにも日常になると、人間、生き抜く本能のために死生観を変える、あるいは「磨く」。

それは生きにくい時代となっても緩やかに起こる。いや今起こっている。だからこのドラマは受けた?

戦争賛美でもなければ戦争反対などという「単純」ことでもない。人はこれを反戦ドラマというだろうか。そうとも言える。だが私はメッセージはより奥深く、人間の生きるための「どうしようもない性」がテーマなのだろうと思う。それを見つめると最期には爽やかな時が訪れると。

 

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春の泡沫読書ー騎士団長殺し

2017-05-06 23:54:40 | 人間

 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
村上 春樹
新潮社
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編
村上 春樹
新潮社

今、最もポピュラーな最新村上本を連休に読んだ。正確に言えば、読むことに流された。

考えねばならぬこと、記さねばならぬことがかつてないほど多いにも関わらず、何故流されたか?

それは、人生この歳に及んで、なお「ねばならないこと」に身を費やす自分、その中で生き長らえようとするジレンマからの逃避があったからだろうと思う。

読んでどうであったか。スッキリ爽やか!

この作の中の具彦(=騎士団長=イデア、と思う)の死に様、「私」の「父」としてのリセット、少女まりえの初期人生の飛躍、それぞれの人生の再生が「騎士団長殺し」というところに鍵があったというパラドックス人生賛歌。

村上は大衆迎合作家と言われながらも根強いファンをもつ秘密を見た気がする。読んでよかった。つけは大きいが。

読書途中で、さる女性教授(同僚というか後輩というか)と、この小説の話をしたら、「私は処女作から村上は読んでいて、もうxx年の付き合い!全部読んでいるわよ」と。

「え!今回は少々エロいのに、どう思う?」と・・、出そうになった言葉を飲み込んだ。

 そう言えば彼女、熱気球とか、ファンタジー溢れる趣味で有名な人でもある。確かに村上春樹に出てくる女性のようだ。

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サイコパス

2017-05-06 05:11:25 | 人間
サイコパス (文春新書)
中野 信子
文藝春秋

サイコパス 今売れている中野信子  

 全ての人間には表と裏があり、その葛藤の中にある。  
 性善説、性悪説 古くからの葛藤がある。  
 近い関係は性善説で、遠い関係は性悪説でがうまくいく、と読める。  
 それを間違うと、人間関係も、社会関係も、国際関係も大火傷。  
 それらを破滅させる無感情冷血人間(サイコパス)が必ず一定存在する。
 
 決めているのは、脳内のやりとり。  理性は前頭葉、感性は小脳原始脳という議論が昔あったな〜、と思い出す。  
 
 カントの感性、悟性、理性も脳の技、ということか。 
 
 サイコパスにも生存理由があったとの挑戦的(?)仮説
 面白いが独裁者合理論、村八分合理論へ繋がる危うさあり(?) 
昔、酒の席で、「私らの頭は湧き出る泉、学生らはそれを受け止め流す河川レセプター、一般人は海」
と平然と言ってのける教授がいて背筋が寒くなった。それまでの尊敬が一気に吹っ飛んだことがあったのを思い出した。
横溝猟奇推理小説にみるサイコパスと社会、などと考え出す者もが出てきそうだ。     
 
 脳の能力は、先天性と後天性の両者が決めるが、先天性が意外と重要と本書。先天の上にちょっと後から味付け。  
 でもこれ気をつけないとDNA優生論になるので不正確な理解は危険と著者自身も警告。
 自らのIQの高さを記しながら述べる自己顕示的著述様式は、Conflict of Interest でいかにもだが、それは本人の意思?  
 それとも出版編集者の意思?  
 
 脳科学って何を考えているのかの片鱗を見た気がした。
 理解を目的とする基礎科学のうちはいいが、「役に立つ」ことをoutcomeとして期待する応用科学としての目的は何?
 善悪判断も人工頭脳にやらせてしまうのが展望?  
 
 最終ボタンは人間に持たせなくて良い。全てを読み込んだ「人工頭脳」
 まるで「2010宇宙の旅」のモノリスだ。
 
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ことば (5)処世術としてのことば技

2012-07-19 05:02:02 | 人間
処世術としてことば技
 大学受験、就職試験のみならず様々な応募において小論文を課すことがほとんどである。私どもの大学院の入学試験でも原稿用紙一~二枚程度の作文を課している。蛇の道はヘビ。それに応じて如何に書くかの処世のための文章技指南のための書もはびこり売れる。


私はめったに批判的書評は書かないのであるが、ちょっと眉をひそめてしまった書が二冊ある。樋口裕一「ホンモノの文章力」―自分を売り込むための技術(集英社新書)と和田秀樹「大人のための文章法」(角川書店)である。

 両者共に受験産業界で名をなした人である。前者は、「文は人なり」の理念とそれをもとにした小論文課題というリトマス試験紙には、「文は自己演出」というアンティテーゼで対応せよ、という提案である。求めに応じ相手にあわせて記せ、ということだ。自己演出を悪く言うと「自己ねつ造」。科学論文では、永久追放対象の文書となる。
 
後者は、東大理科三類という日本受験界最難関突破を売りに、現役東大生の時にその突破術指南本でベストセラーを書いた人である。
彼にも、私にはどうして受け入れられない主張がある。書き続けるためには世間(文章を求める側)にあわせた文章を書けるかどうかが鍵だというメッセージである。


 この両者に共通するのは、その場対応の処世術技としての文章技だ。文章は人生の中で蓄積されて行く。時とともに自然観も人間観も変わって行くものだ。しかしその時々に自分をごまかし、演技としての文章を蓄積しても、その場限りの嘘で塗固めたものとなり、全体としてみれば支離滅裂なものとなることは明白。

 これらの著者が本業でどれだけの仕事をなし、書き残しているか、その余技としての文章指南であるかだけが、文章術においても影響力が生まれるのだと信じたい。数ある文章術本の書評はまだまだ続くが、それらを読む私の視点は、そのことに尽きる。
(つづく)
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