楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

命の再設計(3)/書棚の整理

2012-07-12 21:52:16 | 読書
命の再設計(3)/書棚の整理

残された命の設計の中心を、やはりメッセージとして残すべきものと置く時に、その中身と方法が問題となるのはいうまでもない。
その発信基地として、10年は使うHP全面再構築に置くことに、前回整理をしたが。
サイエンス関連はイメージし易いとしても(それもちゃんと練り直さねばならないが)、その他に興味に任せて、あるいは頼まれるに任せて読んで来たもの、考えて来たもの、書いて来たものがあり、それらを整理しておかねばならない。
sudden deathから救っていただいたことへの恩返しだ。

そこで、まず、書棚の整理をし、自分の頭の中の整理をしなければならない。
専門はさておいて、特に40代半ば以降乱読気味の本の山がある。引っ越しの度ごとに古本屋へ売り飛ばしてはきたが、それでも溢れている。
40代半ばに、しがない教授となり、責任が生まれた。それまでの放漫人生では生きられない、人間を知らなければ生きられない。しかし知らない!本を読みながら実行するしかない人生だったのでいろんなことに関する物が散乱している。

それらを整理しながら、メッセージとして残すべきもの(対象も課題だが)が、ありやなしやを考えたい。
書棚の整理はよしとして、どこでどう進めるか。このブログは、最近数年は読書ブログにしてきたが、最近はfacebookブクレコなんてのもあり、そちらもやっている。

このブログにもカテゴリーやジャンルという方法で整理できるようになっているが、そのように書棚を分類するのもね~、図書館じゃあるまいし。
でもやっぱりあるね~。
歴史(世界、日本)、歴史物語。
科学、科学論、科学哲学、哲学

最近の文庫本氾濫。知らんうちに一杯だね。玉石混交。
それらはやっぱり、facebookブクレコにレビューつき、で整理して行くしかないか。
書店閲覧などの新しい本の買うのを抑制して、書棚整理、自分の頭整理だね、しばらくは。乱読衝動買いは抑制気味に。

書棚整理って、いいね。こころが落ち着く。


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八日目の蝉

2008-11-01 07:43:13 | 読書
八日目の蝉
角田 光代
中央公論新社

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10月31日、NHK-BS 朝8時からはじまった「私の1冊」で紹介された。
『お!これは読みたい!」と思い、今日帰りにでも買おうと、出勤の準備をはじめた。
ふと本棚を見ると、そこにあるではないか!
私が買ったのではない。妻が買って読んでいたのだ。
セーフ!
二人して読書が趣味なので、同じ本のダブってしまうことがしばしば。
そこで、読み終わったらカバーをはずし、本棚に最新のものは見えるところへ置く、とルールにしてあったのだ。
ラッキー!
というので早速、電車の中と帰りの喫茶店の寄り道で読んだ。
エッセンスは、
「7日で死ぬよりも、八日目に生き残った蝉のほうがかなしいって、あんた言ったよね。ーー」「それは違うかもね。八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけれど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどひどいものばかりでもないと、私は思うよ」角田光代著 「八日目の蝉」(中央公論新社2007)の中で千草に言わせたことば。
である。

私はこの小説を読みながら、今は亡き三浦綾子が、人生の中で相次ぎ病気に襲われながら、それは神が与えた、他の人には経験できない人生なのだと最後の最後まで筆を執りつづけたメッセージを思い出していた。
もちろん私は神など信じないが、人を恨まず、世を恨まず、生きる事が如何にむずかしいか。
その葛藤を、極端な人生を選んで小説となっているが、その一般メッセージを描ききった見事な小説だと思う。
このような小説が絶賛される社会は、病んでいるのであろうか、健全なのであろうか?
後者と信じたい。



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地球と生物の対話

2008-10-18 06:48:55 | 読書
地球と生物との対話 (1982年)
井尻 正二,湊 正雄
築地書館

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自宅の本棚の奥で昔の本を探していたら、この本が出て来た。
大昔出た時に買ったものだ。
当時、さっと、読んで極めて不愉快になったのでしまってあったものだ。

改めて読んでみて、やはりひどい。とにかく粗暴である。
当時より一層、そう思う。そして、なぜあのときこの本が出たのか、と改めて考えてしまった。

なぜか?

時代背景:この本が発行されたのは1982年。時は日本の地質学界で放散虫革命が進行し、プレートテクトニクスに基づく付加体の仮説に基づく時代予測が、放散虫による年代決定という新たなデータによって次々と検証されている最中である。

著者:井尻正二氏は、第二次大戦後地学団体研究会を組織した指導者であり、一貫してその理論的支柱であった人だ。
そして、湊正雄氏は北海道大学を代表し、これまた日本の地質学界を代表する研究者であった人だ。
この二人が対談という形で議論を展開している。それを星野通平氏という、まだご存命だが、強烈にプレートテクトニクスに反対する人の司会で進行した対談をまとめたものだ。中身はプレートテクトニクスに関する事ばかりではなく、この二人の出会いから生物の進化、日本人の起源等、多岐にわたっている。しかし、当時の科学の流れを考えると、この本発行の意図は下記の1点のみが意味のあることであった。

本の意図:プレートテクトニクス理論が、放散虫革命によって急速に地質学界に受け入れられ、それに反対する論が急速に劣勢になっていく中で、戦後一貫して地質学界をリードして来たこの二人が対談し、それを徹底的にこき下ろすことによって巻き返しを図ったもの、と見る事ができる。書店は、築地書館であり、それまで地学団体研究会や井尻正二氏の多くの著作を出して来たところである。

中身:湊氏は、さすがに良く勉強していたんだろう。動揺の様子が見える。しかし、井尻氏ははっきりと言い切るのである。
(本はすでに手に入らない可能性が大きいので以下引用)
「私はプレート説について、言うべき点が三点あるのです。第1点は、プレート説で何か地下資源が見つかったかどうか、という点です。この実績なくて、何の新学説か、という気がします。第二点は、地震と火山です。もし、プレート説が正しければ、プレート(岩板)が大陸の下にもぐりこむのですから、地震の震源地は、点ではなくて必ず線か面にならなくてはならない、と思います。同様に、火山もみんな線(割れ目)にならなくてはならないはずです。火山がポツンポツンと点になるのはおかしいと思うのです。第三番目は、プレート説というのは、まだ法則(真理)ではなくて、一種の仮説だと思います。それが実証されて、法則というにふさわしくなるためには、第1に指摘したように、プレート説で地下資源がうんと見つかるということが絶対必要です。」(92ページ)

そして、三人による、こきおろしがつづく。

湊氏は、最初は動揺していた様子であるのに、どんどん悪のりをはじめて、ドイツでのエピソードを披露する。

「ウェゲナーはいまどんなふうに評価されているのか」と問われて、
「「ドイツ国民が、なぜヒットラー伍長のもとで戦争をしたんだ。われわれはそのまねをしたばかりにえらい目に会った。」
「たぶんヒットラーのような運命をたどるのではないでしょうか、ウェゲナーの理論は」(95~96ページ)
と、強烈な歴史をそこに投影させるのである。

彼らをすばらしい研究者と思って尊敬している人がこれを読んだらどう思うだろうか?
特に、第二次世界大戦て手痛い経験をし、「もう二度と戦争は嫌だ!」と思い、かつ戦後の激しい左右対立という政治状況の中で、アメリカは最大の敵「アメリカ帝国主義」と思っている人が読んだら。

言うまでもない。

プレートテクトニクスは、敵のアメリカで生まれた、まだ本当かどうか分からない「仮説」であり、それを提唱したウェゲナーを信じる事はヒットラーを信じるようなものだ、と思うだろう。

このようにして、彼らは科学を巡る議論の中に、極めて乱暴に政治を持ち込んでいたのである。

井尻氏の指摘する3つの点の第二点は、当時ですらほとんど彼の無知から出ているが、第1点と第3点は、彼独特の科学方法論から出ている。

私は常日頃、日本の地質学界がたどった戦後の歴史をきちんと整理する必要があると思っている。
その根底にあるのは、井尻正二氏が、彼の科学方法論や科学運動論によってこの学界を長く翻弄させ、学界の中にも多くの追随者を生み出したことだ。

井尻正二氏はすでに亡いが、哲学的考察まで踏み込んで彼の科学方法論や科学運動論を批判的に検討した著作は極めて少ない。
いずれ機会を見て、私の見解を展開したいと思っている。




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時が滲む朝

2008-10-04 22:32:37 | 読書
時が滲む朝
楊 逸
文藝春秋

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この本は、芥川賞受賞後すぐに買って読んだのだが、ここに書く暇もなく過ぎていた。

内容は(NHK週刊ブックレニューで今朝やっていたので、そこから以下パクリ)
天安門事件で挫折した、若者たちの半生を描いた物語です。
1988年、中国西北部の名門大学に合格した幼なじみの梁浩遠と謝志強。学問と愛国心に燃える二人は、情熱に突き動かされるまま、民主化運動に身を投じてゆきます。
天安門事件での敗北感と大学から下された退学処分、そして友の裏切り…。政治や経済の激しい変化に主人公の紆余曲折を重ねながら、理想と夢をくじかれた中国の若者の痛みと希望を力強く描き上げました。

時と場所と情景は全く異なるが、先に記した「望みは何と訊かれたら」(小池真理子)と空気は似ている。特に、脇役として登場し、消息不明となっていた恋人の女性のさっそうとした姿との再会は、突然、小説をスイッチしてもいいものかもしれない。

もっと長編にして、もっとこころの機微をえぐり出せば、圧倒的な小説になった気もする。小池真理子と比べるとちょっと物足りないか。


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あの戦争から遠くはなれて

2008-06-28 17:57:56 | 読書
あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅
城戸 久枝
情報センター出版局

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東京駅の書店、ドキュメントコーナーで手にした。大宅賞作品。
第二次大戦の評価をめぐって揺れ動く昨今、そこに生きた人間がいた、いや、まだまだ生きていることを置き去りにした、ヒステリックな単純化された議論が展開されている。そのようなありようはどこか変だと、思えてならない。

この著作は、残留日本人孤児を父とした娘が、その父の物語を追いかけ、歴史と国とに翻弄されながら前を向いて生きている確かな足取りを記している。そしてそれを受け継ぐ自分の生きる道を強いメッセージとして伝える。強い感動とさわやかな生きる勇気を与え、余韻の強く残る作品である。このような著作を書き記した著者とその意義を高く評価した大宅賞審査委員の識見に敬意を表するばかりである。

なぜ私はこの本を書店で手にしたか。
それは次の経験があったからである。

私は今から20年前、1986年と1987年、実は中国の旧満州、中国の研究者らとともに、当時はまだ外国人立ち入りが禁止されていた吉林省、遼寧省、黒竜江省へ行った事がある。学術的に中国大陸の大地の変動調査するのが目的であった。
私たちは外国人であり、北京からの研究者とともに、それぞれの村の招待所に宿泊したので、そこに住む人々の実際の生活など知る由もなかった。しかし、調査中にかいま見える人々の様子は、春秋戦国時代や三国志の時代と何も変わらないのではないか、と強烈に思わせるものであった。しかし、岩石などの調査対象、自然の風景以外の一切の撮影は同行した共産党の人によって制止された。

道はどろんこであり、水たまりはゴミ捨て場であり、それを大きな黒い豚が食していた。

そのとき私は思った。

戦前、同じように激しく貧しかった日本の農村から、「満州に楽園あり」との作られた宣伝によって、100万を超える多くの人が移り住み、壮大な悲劇へ突き進んだ。
そして、1986年にはもう既に風化してはいたが、小さな農村のレンガ作りの家の壁に残る「毛沢東万歳!」の文字。
それは、1960年代末から70年代、中国内部で吹き荒れた嵐であり、やはり多くの悲劇を生んだ、と伝えられる。
<ああ、こんな小さな村にも文化大革命は吹き荒れたのか!>と。

そこが、残留孤児問題の舞台であったことを後に知ることとなったからである。その現場に調査に出かけた時には<専門馬鹿>であった私には知る由もなかった。そして、そこは今、また政治と歴史に翻弄されている北朝鮮からの脱出の場である。

<先週、20年ぶりに北京に仕事で出かけ、一昨日帰国したが、驚くべき変化に目を見張った!>。


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