楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

ことば (4)起承転結と三つの法則

2012-07-18 14:19:34 | 人間
起承転結と三つの法則
斉藤氏の指摘の中で、これまで私たちが教えられ、また文章を構成する時に使って来た「起承転結」にこだわることはなく、むしろ「3つの法則」を使う方がよろしいとの指摘は参考になる。
 自然科学の分析ベースのレター論文は、Introduction(はじめに:目的と意義をかく), method(方法), result(結果), discussion(議論)として、いわば起承転結を明確にした構成を取る事がほとんどである。そして分野によっては、分析の対象を変える事で、大量に論文が生産される。
 科学論文は、事実と論理を如何に明確に示しきれるかが問われる。私たちの分野でも最近では日本語で論文を書く事はほとんどなくなり英語で記す。人間の感情的な事柄を完全に排除する事実記載や論理的文章を記すには英語の方が向いているかもしれない。ただ、地質学のように、事実記載に数値的情報としての物理化学的や数学的情報のみならず言葉としての記載を含まざるを得ない場合は、正確に読者に情報を伝えるための表現の仕方が大事であり、難しい。
 斉藤氏の指摘する「3つ」の法則とは、最初に結論を述べてしまい、その根拠として三つ挙げる、そして最後に再びその結論の意義のように構成しなさい、ということである。あるいは、最初に目的と意義を記し、事実もしくは根拠を3つあげ、最後に結論を記すという示唆である。
いわば、五部構成のすすめである。
 起承転結は、中国の漢詩に見られるように、中国語のことば構成に関する古典的示唆なのであり、日本語の文章構成を考える時にそれにこだわる必要はないという。賛成である。論文でも、地質学の場合には、Introductionとmethodの間にsetting (位置づけ)という地球のどこのどのような場に相当するところという項目が入り、discussionの後にconclusionもしくはsummaryとする場合が多いし、私はそうしている。五部構成なのだ。
 そういえば、俳句・川柳は五七五の三部構成、短歌は五七五七七の五分構成だなと思い出す。文章の構成をどのようにするのかは、恐らくそれぞれの言葉の持つリズムや、論理構成を反映しているに違いない。また、文章を読ませる対象や目的によってもこれらの構成は変わるのであろうと思う。“無味乾燥”の科学論文であろうと、何がしかのメッセージを人に伝えたい文章であろうと、変わりはないのだと思う。
 人に伝えるいい文章を書こうとする時、エッセイがいいという。私は、ブログを日本語練習台として修行することにした。

(つづく)
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ことば (3)斉藤孝の文章術

2012-07-17 23:33:05 | 読書
原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)
クリエーター情報なし
大和書房



 この人の本で私の書棚にあるものを拾い上げてみると、読書力(岩波新書二〇〇二)、原稿用紙一〇枚を書く力(だいわ文庫二〇〇七)、誰も教えてくれない人を動かす文章術(講談社現代新書、二〇一〇)がある。その他にも教育に関する本や歴史に関するものもある。マスコミにも登場する有名人でもあり、一般向けのブログをはじめた時に本のタイトルに惹かれて、書店で思わず買ってしまったものだ。氏の記す文章の書き方に関する示唆は、ほとんど英語でしか書かない論文の執筆にも十分通ずる。そのことは後でまた記すとしよう。
 斉藤氏の示唆は、学界などで書かねばならないメッセージやレジュメ、大学における会議のための文書、科学研究費の申請書などの全てに通ずるので大変参考になる。時々、読み返してはいまでも参考にさせていただいている。
 氏の示唆に従って、私が前記の文章術三部作から使わせていただいている3つのことがらについて記そう。
 まず前提として、文章の説得性は、その技巧ではなく中身であり、独創のメッセージがそこにあるかどうかによるという。当たり前のようであるのだが、日本語のへたくそな私としては大変勇気を与えられる。
 技巧ではなく中身重視は、絵画世界において、フランス印象派がそれまでの写実世界を打ち破ったことに似ており、印象派の絵を当時の常識的な絵画技巧の世界では誰もうまいとは認めなかったことと同じだと言うのだ。なんとも小気味好く勇気づけられる一言だろうか。
 結論は、「文章は3の法則」ということだ(書く力,だいわ文庫)。
 本を読む時は、その本から3つの事柄を引き出し、それらの関連を整理しておく。書く時も3つの部、3つの章、3つの節と階層を作り、エッセイ程度のものから大著に至るまで貫く。
 文章は、3つのキーコンセプト(キーワード)をつなぐ3つの関係を整理すると必ずオリジナルな読書エッセイや、独創的なメッセージとなる。
そして著者の文章を特徴づける「文体」は、その文章を書く立ち位置によって決まるというのだ(「読書力」:岩波書店)。
つづく
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ことば (2)日本語をうまく書きたい

2012-07-17 14:12:00 | 生活
日本語をうまく書きたい
 今の自分、日本語がうまく出来ているかどうか、いまだに自信がない。この秋、出版予定で入院中に書き上げた原稿も出版社の担当者の添削にかかると間違いだらけだ。「てにをは」や句点の置き方は実に難しいのだ。
 振り返ると子供の頃から「国語」が大の苦手であった。今更ながら考えると、それはその科目が苦手とか嫌いとかいうことよりも、コミュニケーションを自由に取る事が苦手だったのだろうと思える。特に自分の思いや要求を相手にうまく伝える事に、である。
 直接的に日本語を上手になりたいと思ったのは、二〇〇六年、学生にそそのかされて始めたこのブログが要因である。専門論文以外についての文章を公に記すことなど全くない人生を歩んで来た。しかし、若者たちは文系だ、理系だなどという区分なしにブログという新しいツールで容易にメッセージの交換をしている。もちろん電子メールはすでに随分と前から普及している。かつて、「書く」という作業によるコミュニケーションは、電報等の文章になっていないものを除いては、手紙でのみあったのだから、それに比べたら文章を書いてコミュニケーションを取るということがはるかに日常化していたわけである。
 電子メールは、送付先をミスして大混乱、ひんしゅくを買う等という事故も時々勃発していた。それらの社会におけるコミュニケーション手段、情報流通の大変革の中で、より上手な言葉を求められるようになったことは間違いがない。
 「日本語をうまく書きたい」がために、そのスキルのためのハウツーものとおぼしきものも乱読してみると、なかなか面白いのである。

(つづく)
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ことば (1)

2012-07-15 09:24:37 | 人間
ことば (1)はじめに

命の再設計を考えて、人生に残された時間を自ら10年と見ることにした。
そして、残せるものは、メッセージしかないと強く感じている。
10年というのは、アッと言う間だ。その時間を長いと思えるのは10代の時だけかもしれない。
その限られた時間と衰えゆく体力のせめぎ合いの中で、メッセージすなわち「ことば」を紡いでいこうということだ。

職業としての科学のことは、論文で。それは英語。
生きてきた様は、日本語で。

時間を考えると、それをどう配分しきるかがもう一つの知恵。
そして、それは一日一日をどう使うかということに尽きるのである。

しかし、全てをメッセージ作成作業、すなわち執筆時間という訳にはいかない。それは最後のメッセージの結晶化のための時間。
日常生活の維持管理のためをはじめ、社会的動物たる人間は、多くの時間をその人間関係をはじめとする生きる環境の整備維持のために費やしている。

その整備維持からメッセージを結晶化するまでの作業をすすめるのは「ことば」だ。
そうやって自分の頭の中も「ことば」で整理をして、本棚を見渡すと、あるある、10冊は下らない。
英語をうまくなろうと読んだ本も実に多い。

今の自分、日本語がうまく出来ているかどうか、いまだに自信がない。この秋、出版予定で入院中に書き上げた原稿も出版社の担当者の添削にかかると間違いだらけ。
「てにをは」や点、○の置き方に至っては実に難しい。

振り返ると子供の頃から「国語」が大の苦手であった。今更ながら考えると、それはその科目が苦手とか嫌いとかいうことよりも、コミュニケーションを自由に取る事が苦手だったのだろうと思える。特に自分の思いや要求を相手にうまく伝える事に。そこで、この「ことば」について連載型で記してみようと思う。

記したように、生活の中で時間配分が大問題だ。だからこのシリーズもどの程度続くのかも分からないし、すぐに終わるかもしれない。予定なき船出っだね。max10年!?

(つづく)
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命の再設計(3)/書棚の整理

2012-07-12 21:52:16 | 読書
命の再設計(3)/書棚の整理

残された命の設計の中心を、やはりメッセージとして残すべきものと置く時に、その中身と方法が問題となるのはいうまでもない。
その発信基地として、10年は使うHP全面再構築に置くことに、前回整理をしたが。
サイエンス関連はイメージし易いとしても(それもちゃんと練り直さねばならないが)、その他に興味に任せて、あるいは頼まれるに任せて読んで来たもの、考えて来たもの、書いて来たものがあり、それらを整理しておかねばならない。
sudden deathから救っていただいたことへの恩返しだ。

そこで、まず、書棚の整理をし、自分の頭の中の整理をしなければならない。
専門はさておいて、特に40代半ば以降乱読気味の本の山がある。引っ越しの度ごとに古本屋へ売り飛ばしてはきたが、それでも溢れている。
40代半ばに、しがない教授となり、責任が生まれた。それまでの放漫人生では生きられない、人間を知らなければ生きられない。しかし知らない!本を読みながら実行するしかない人生だったのでいろんなことに関する物が散乱している。

それらを整理しながら、メッセージとして残すべきもの(対象も課題だが)が、ありやなしやを考えたい。
書棚の整理はよしとして、どこでどう進めるか。このブログは、最近数年は読書ブログにしてきたが、最近はfacebookブクレコなんてのもあり、そちらもやっている。

このブログにもカテゴリーやジャンルという方法で整理できるようになっているが、そのように書棚を分類するのもね~、図書館じゃあるまいし。
でもやっぱりあるね~。
歴史(世界、日本)、歴史物語。
科学、科学論、科学哲学、哲学

最近の文庫本氾濫。知らんうちに一杯だね。玉石混交。
それらはやっぱり、facebookブクレコにレビューつき、で整理して行くしかないか。
書店閲覧などの新しい本の買うのを抑制して、書棚整理、自分の頭整理だね、しばらくは。乱読衝動買いは抑制気味に。

書棚整理って、いいね。こころが落ち着く。


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