グループホームに務めていたとき、グループホームといっても建物一棟がグループホームなわけではなくて、アパートの4部屋だけが入居スペースだった。そんなわけで他の部屋は健常者もいれば、精神科に通院している方が混在しているところだった。
Nさんという六十過ぎの男性がグループホームの一室に入居していた。その方は統合失調症で、いつも夢想と現実を彷徨っているような人だった。Nさんの隣部屋の三十代の女性Jさんはグループホーム入居者ではなかったが、統合失調症当事者だった。Nさんの日中の生活に関して職員は介入せず、夕食と服薬確認、部屋の清掃、相談相手、金銭管理が主な仕事だった。後にNさんとJさんはどうやらお互いの部屋を行き来して、Nさんは朝食をJさんと共に摂っているらしい。いわゆる「老いらくの恋」というやつ。恋人のJさんはどのような気持ちなのか量りかねていたが、私としてはグループホームが介入するような事では無いと思っていた…。当時、私は毎日グループホームに入っているわけでは無かったので、当日勤務が同じ人から「経過」を聞いていて、同時に夕食中やその後に「問わず語り」をNさんから聞いて現状を把握していた。それも夢想か現実かこちらが神経を張り巡らせて聞く必要があったので大変骨が折れた。
そんな事が続いて、定例である月一度のスタッフミーティングがあった。そこで施設長が「これまでの経過を観て、Jさんの親御さんとも相談をして、Nさんとの関係を絶ってもらうためにNさんから身を引いてもらうか、もしくはNさんがこのアパートから転居してもらうかということで話しをして了解を得ました。私は「Jさんの了解は得たのですか?」という問いに.施設長は「いえ、親御さんとは話が出来たので」という当事者排除の物言いで、おおよそ施設長であり、精神保健福祉士(PSW)のものの言いようではなかった。その後も喰い下がったがのらりくだりの返答で、そのまま通ってしまった。そのまま通してしまった私にも責任の一端はあると思う。
結局、女性のJさんは親に言われるままに引っ越してしまった。Nさんは落胆の体で過ごすことになって、そののち妄想が激しくなって老年ということもあって、同法人の障害者高齢施設へ移った。その時は私はグループホームの職から離れていたが同輩の職員から逐一話しを聞いていたのでわかっていたが残念に思い、自責の念もあった。それから二年後にNさんはその施設で亡くなったことを法人の電子カルテで知ることとなった。