日本でPTSD(心的外傷後ストレス障害)がメディアに出はじめたのが1995年1月に起きた阪神・淡路大震災。余震や避難場所、その後の日常性を過ごす中で寝ている時や起きていている時もフラッシュバックや不眠、うつなど様々な身体症状に悩まされた。故 中井久夫氏はPTSDの研究や兵庫県こころのケアセンター立ち上げにも尽力されている。そういう所から見ると日本のPTSD、トラウマ研究は非常に遅いと言える。アメリカではベトナム戦争(1954~1975年)の帰還兵の異常な行動などから研究が始まっていることを考えると雲泥の差だ。日本でも第二次世界大戦/太平洋戦争の帰還兵や被災者にPTSDの症状は出ていたが、研究にまでは至らなかった。「戦争神経症」といわれるものである。私の外戚の叔父も大陸で伍長として戦って抑留生活の後、帰還したが寝ている時に大声を出したり、気鬱になったりすることが多かったと聞いた。しかし、昭和二十年代の日本には精神科に通うのは近所の眼もあったし、専門医は皆無であったことから治療することが出来なかったのだと思う。30年ほど前でも地方では精神科病院やクリニックは少なく、ましてやPTSDを診てくれるような医師は居なかった。現在でも都心や大阪などでも診てくれるところは個人医では少なく、大きな病院に行かなくてはならない。以前に取り上げた解離性障害当事者も妥協して、専門医ではない所に通院している人が多い。となると積極的な治療は行われないから寛解までの道は遠く、一生ツラい症状と付き合って行かなければならない。精神障害の年金もPTSDや解離性障害では審査が通りにくい。知識が無いからだ。病院でも詐病を疑われる。弁舌に優れている患者が雄弁にそれも長時間を掛けて説明しないと医師には伝わらない。しかし、そんな患者は当然少ない。この医療の怠慢は患者の苦しみを長くさせる。
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