あの頃チャンネル(2007年12月16日~2007年12月22日)
奇跡の日本犬も6年になる
地犬は世界中にいたと思うが
交配が進み純血種は少ない
あの頃チャンネル(2007年12月16日~2007年12月22日)
奇跡の日本犬も6年になる
地犬は世界中にいたと思うが
交配が進み純血種は少ない
長野県川上村から1月に仙台に来てから7ヶ月にはいる。精悍な面構えがなんともいえない野性味を感じる。
体全体が黒い体毛に覆われている。川上犬でも純血度100%に限りなく近いと思う。日本古来の地犬と呼ばれる種類も純血となるとなかなかむづかしいのではないか。
川上犬は八ヶ岳山麓の孤立した秘境の川上村に飼われたのが幸いして、純血が保たれた。
川上犬のにわか記者として2回目の取材であった。飼い主は永年柴犬を飼い日本犬の特徴を熟知している。
川上犬の特徴を話してくれた。やはり鋭い歯がぜんぜん柴犬とは違う。寒いとき庭に穴を掘る習性があるようだ。尻尾が太くうずまきが鋭く強い。吠え方も特徴があるようだ。今回は啼かなかった。
あの「やんちゃな川上犬」に久しぶりに会った。2月に見てから5ヶ月が経つので楽しみでもあった。
幼犬から立派な川上犬に成長していた。飼い主と躍動感あふれるおもてなしを見せてくれた。
四肢がしっかりしていて、いかにも野性味があり幻の日本犬(地犬)にふさわしい。飼い主と楽しそうに遊んでいる。
ドラマには現川上村長藤原忠彦さんの父、武重さんがいた。昭和28年にその武重さんもなくなる。その後、残った3匹の犬も死んでしまう。「ついに川上犬も絶滅かと思った」と藤原さんは当時を振り返る。
しかし、奇跡は起こった。最後の1頭が死んだ2ヵ月後、突然、一人の老人が藤原家を訪れ、「預かっていた犬を返したい」と申し出たという。撲殺令がだされていた戦時中、武重さんは軍部の目を盗み、川上犬の保存を願って、つがいの川上犬を八ヶ岳山中に住むこの老人に託していたのだった。
老人は、八ヶ岳の山中できこりなどの山仕事をしていた人で、ある日、食料を仕入れに山を下りた。再び山に戻り、品物の一つである乾麺の包みを開いて、何気なく包み紙の新聞紙に目をやった。すると、そこには藤原家に残った犬が死に、川上犬が絶滅の危機に瀕しているとの記事が載っていたのである。老人は、「これは」と思い、急いで藤原家に駆けつけたのだった。
まさに奇跡的な出来事である。もしあの日あの時、八ヶ岳の老人の行動がなければ・・・・。「そのめぐり合わせに川上犬の運の強さを感じ、生きた文化財として血統を守らなければならない使命の重さを知った」と藤原さんは語った。
東北・北海道ではこの「川上犬」1頭だけだろう。たまたま知人が飼うことになった。猛烈に興味がわいた。
大正期に内務省の調査で70頭もの純血種がいたといわれている。その後川上犬は受難の時代を迎えた。小海線開通で森林伐採が進み、伐採した木を運ぶトロッコを引く大型で力の強い洋犬も次々と村に入った。
この結果、川上犬の雑種化も進み、純粋な川上犬は急激に数を減らしていく。そこに追い討ちをかけたのが開戦であった。
折からの食料難による軍の「撲殺令」によって数多くの犬が処分され、絶滅寸前にまで追い込まれた。
終戦後、村内に残った川上犬はわずか3頭だった。
「川上犬」の特徴に大変興味を持った。標準体高は40CMほどと小柄ながら、均整の取れた体格。
寒さや粗食に耐え、帰家性が高く、性格は勇猛果敢で抜群の運動神経をもつ。
野性的な特徴をもっとも強く残す犬だ。川上犬の故郷である川上村は、四方を山に囲まれた、千曲川の源流に位置する。
この陸の孤島が、血統と絶滅の危機から「川上犬」を守った。
2月8日珍しい犬に出会った。まったくの知識不足でこの犬の存在すら知らなかった。天然記念物「川上犬」だった。
前日に写真では見ていたが、生後90日のやんちゃ盛りのメスだった。
川上犬は、長野県南佐久郡川上村を原産地とする小型日本犬の純血種。長野県の天然記念物に指定された貴重な犬である。現在、村内に30数頭、全国でも約300頭しか飼育されておらず、1つの犬種としては非常に数少ない稀少種だ。
もともと狩猟犬として飼育され、村人の生活とともに生き延びてきた川上犬だが、戦後一時は絶滅の危機に瀕した。その復活には、奇跡ともいえるドラマがあった。