今年も卸町春のふれあい市
は賑わっていた
学校榴ケ岡校舎を仙台市榴ケ岡に設置。校長は月浦利雄が兼任。 | |
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学院榴ヶ岡校舎とは
昭和34年(59年)に我々第一期生が入学した。
45人のクラスが三つ。計135人だった。
榴ヶ岡にある米軍宿舎跡をそのまま使った。
平屋のバラックだった。
月浦利雄校長の入学式での挨拶が忘れられない。
「自分から進んでこの学校に来た人は誰もいないだろう。
その悔しい思いをバネに3年間、死んだ気で勉強し、
大学に合格してほしい」。まるで予備校の入学式のようだ.
「あたりまえだのクラッカー」 懐かしの
フレーズなど昭和の看板がずらり
「当たり前だよ」って言う代わりに「当たり前田のクラッカー」って言ってるだけですよ。
てなもんや三度笠(てなもんやさんどがさ)は、1962年5月6日~1968年3月31日に
朝日放送・TBS系で放送された人気テレビ番組。殆どの時期が白黒だが、
末期はカラー放送になった(1967年12月7日の第294話から)。
全309回放送。提供は菓子メーカーの前田製菓。時代劇風なコメディ。
公開録画で作成。ただし番組初期の時代にはビデオに録画して
放送する技術がまだ確立していなかったため、
生放送で制作されていた。スタジオに組まれたセットの中で
スピーディーに展開する物語を生本番でミスなく演じる出演者と
、それを支えるスタッフの姿はまさに職人芸と言えるものであったらしい。
「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」や
、「ヒッジョウニ、キビシ~ッ!」などの流行語も作る。
水路の上に設けられた「川端」と呼ばれる
小さな小屋の洗い場であるが、
今でも使われているもので、横川集落の特徴を現す風景である
野菜や生活の道具等 洗い場は便利
やっと春の山歩きを楽しんだ
蔵王連峰の南のはしに不忘山があり
その裾野に蛤山は対峙している
好天に恵まれた 残雪歩き
仙台から車で2時間
ここから登山道に入る
林道が約2キロ続く
ネコヤナギが青空に待ちわびたように顔を出す
頂上近くにも巨木があり
不忘山がすばらしい
頂上の祠があった
青空を包んで白樺雪の上
冬眠から抜けた熊のように
全身から春のエネルギーを感じた
イチリンソウあなたは何を感じているの
蛤山を説明
蔵王連峰の南端、不忘山からさらに南へ数km、脊梁山脈から東に派生する尾根上の山で、
蔵王連峰とは横川(南蔵王渓谷)を挟んで対峙する。山頂には葉山神社があり、
昭和の初期まで盛大な祭礼を行っていたが、現在は地元の人の登拝も少ない。
南麓を通る七ヶ宿街道は、山中の7つの宿場を通る古い幹線道路で、
出羽の諸大名の参勤交代や、出羽三山詣での人々で賑わったという。
今も旧街道らしい面影が随所に残り、そのひとつ、関宿付近から北にこの山を望むと、
山頂部がハマグリの殻頂のように見える。
地形図には980.7mの三角点に「蛤山」の表示があるが、その北の1010mピークが山頂で、
老杉の大木と葉山神社の石祠がある。最高点はさらに北の1014m地点だ。
青少年旅行村南の登山口から山頂まで1時間30分。不忘山の姿は絶品である。