仙台市街から20キロ、大和町のほぼ真ん中に七ツ森が山群をつくっている。江戸時代は七薬師掛けといって全山を旧4月8日に1日で巡拝するならわしがあった。これを達成してはじめて男子が成人になった証とされた。こんかいは七ツ森湖畔に車を止め、撫倉山・蜂倉山に登った。とくに撫倉山は変化に富んで面白かった。またツツジ・ドウダン・フジなどあと1週間もたてば見ごろになるところだった。
創立100周年を越える、県内有数の伝統校宮城第二女子高が新築建て替えする。
我が家の娘も同窓生だ。縁あってPTAの会長も経験させてもらった。また、ここは子供のころの遊び場だった。よくソフトボール部の試合を見に来ていた。朝早く構内を見たが校門の高名は外されていた。解体寸前のようだ。宮城二女高も二華高になるようだ。
我が家の娘も同窓生だ。縁あってPTAの会長も経験させてもらった。また、ここは子供のころの遊び場だった。よくソフトボール部の試合を見に来ていた。朝早く構内を見たが校門の高名は外されていた。解体寸前のようだ。宮城二女高も二華高になるようだ。
「あやめ草足に結ばんわらじの緒」芭蕉がここに足を運んだ時の句。
天平13年(714年)に創建。1189年源頼朝の奥州攻めで消失。
古来より宮城野と呼ばれ、「古今集」に「宮城野の木荒の小萩露をおもみ風をまつごと君をこそ待て」と宮城野の萩で知られている。
ここは小生が子供の頃随分遊んだ場所で、久しぶりに来て見て懐かしかった。ここの桜も風情がありとてもいい。また、薬師堂の「どんと祭」に裸参りで約10年間お参りしたのはなつかしい思い出だ。
天平13年(714年)に創建。1189年源頼朝の奥州攻めで消失。
古来より宮城野と呼ばれ、「古今集」に「宮城野の木荒の小萩露をおもみ風をまつごと君をこそ待て」と宮城野の萩で知られている。
ここは小生が子供の頃随分遊んだ場所で、久しぶりに来て見て懐かしかった。ここの桜も風情がありとてもいい。また、薬師堂の「どんと祭」に裸参りで約10年間お参りしたのはなつかしい思い出だ。