西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

何故、わたくしは夏目漱石を読むのであるか? 

2023-09-12 12:36:48 | Weblog
 わたくしはしばらく前から夏目漱石の読書会に参加している。某カルチャースクールの源氏物語の先生からお誘いを受けたのだ。
 わたくしは夏目漱石・宮沢賢治・村上春樹氏たちは何度も読み返す価値のある作家だと思っている。しかし漱石を特に面白いと感じているわけではない。村上春樹、椎名誠、ドストエフスキーのような中毒性は感じていない。しかし何故か漱石は読まねばならないと自分の深いところが命令するのだ。
 漱石が生きた時代はわたくしが一番分からない日本の時代である。明治維新を経て日本が帝国主義的膨張政策をとり始めた時代だ。この時代のことが知りたくて最近いろんな本を読んでいる。そして一番面白くて興味深い文献を提供してくれているのが、保守思想家の中島岳志氏である。
 中島氏のアジア主義に関する本を読むと1900年頃に東京には1000人くらいの中国の革命家がおったそうな! 日本にも左右の革新的活動家が中国・朝鮮と連帯して欧米の帝国主義国を打つ破るのだぁと気炎を上げて頑張っていたとか・・・。知らんかった。
 世間がわちゃわちゃと騒がしい時に漱石はどういう目で日本を見ていたのか? 半藤一利氏の「日露戦争史1」にこういう記述がある。大まかに言うと日本が日英同盟締結で浮かれ喜んでいる時、漱石は「国際上のことは道義より利益」と言ったとのこと。日本の当時の外交は道義・信頼関係・敵意・などの主観的な思惑で行われている。列強の外交はあくまでも一国の利益で割り切られているとクールに見ている。
 「吾輩は猫である」を書いて、これが大人気を博したわけだけど、当時はロシア戦争の終盤であった。しかしこの作品は当時の世の中の喧騒と関係のないようなユニークな登場人物たちのヘンテコな話ばかりである。わたくしはここに漱石の超然とし立ち位置を感じる。
 モダンジャズで「どんなジャズもモンクを基準に考えればいい」という名言があるが、「どんな社会であるか、漱石を基準に考えればいい」と思ったりする。

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