僕の机の上にある筆入れに、ボールペンが何本あるか数えてみた。
9本もある。そのうち水性ボールペンが3本。ちなみにシャープペンシルは3本。他の部屋にも何本かあるので、我が家には相当の数のボールペンやシャープペンシルが存在する。
僕は事務的な仕事もするので、筆記用具は欠かせない。しかしここ10数年来、筆記用具を買った記憶はない。けれども時が経てば経つほど、ボールペンやシャープペンシルは増えていく。カール・マルクスの資本論ではないが、筆記用具というものは自己増殖するのだろうか?答えは「否!」である。朝起きていたら、三菱ボールペンが子どもを生んでいたという場面に出くわしたことはない。それでは、サンタクロースや家族がプレゼントをしてくれたのであろうか?この答えも「否!」である。2年前、次女が誕生日に1本シャープペンシルをプレゼントしてくれたが、それ以外は記憶にない。
それでは、なぜボールペンやシャープペンシルが知らない間に増えていくのであろうか。それは、僕がものすごい田舎に住んでいるからだ。なぜものすごい田舎に住んでいるとボールペンやシャープペンシルが増えるのかというと、葬式が多いからである。
若干、論理が飛躍したようなので、もう少し丁寧に説明しよう。わが国において、ものすごい田舎といえば、犬も歩けば年寄り当たるほどの超高齢化社会を意味する。だから毎月、地域で何人かのお年寄りが亡くなる。田舎のすごいところは、顔と名前がほぼ一致する。とくに、我が家ではしっかりものの母が健在なので、僕や妻が知らない人でも、母にとってみれば知っている人だ。それから、またまた田舎のすごいところは仕事よりも葬式が大事ということである。だからお葬式にはきっちり出席するか、参加できない場合は人に頼んで香典をわたす。すると当然香典返しが来る。少し前までは、香典返しとして、ハンドタオルとか香典袋(数枚入りセット)とかが多かったが、香典返しに香典袋を貰っても、たまる一方である。いったい何人葬式をすればなくなるかと言いたいぐらいたまる。そこで、最近は香典返しに、ちょっと洒落たボールペンやシャープペンシルをつつむ人が多くなった。ということで、ものすごい田舎では知らず知らずのうちにボールペンやシャープペンシルが増えるという、いわゆる「過疎地における筆記用具の増殖過程」を無事説明することができた。
ところで、ボールペンはペンの先端が小さなボールで、それが回転してインクを適量出すのだということを知ったとき、あなたは感動しなかっただろうか?僕は「おおっ!」と少し感動した。しかし、ボールペンで記述しているとき先端のボールがくるくると回転していると感じる人がいるのだろうか。ほとんどの人が普通のボールペンだと、まず感じることはできないであろう。地球がものすごいスペードで回転しているのに、それを感じることができないことと同様である?人間の感覚は、きわめて限定された範囲でしか機能しないのだ。ところが、僕の場合、お気に入りのボールペンで書いているとき、それを感じることができる・・・ような・・・気がする。そのボールペンとは「三菱ユニLakubo 100」である。僕は三菱ボールペンには何の義理もないが、このボールペンは非常に書きやすい。このポールペンだと字がうまく書けるような気がする。大事な書類を書くときは必ず「三菱ユニ」を使う。ゆえに僕の筆記用具の中では、「三菱ユニLakubo 100」がNO1と思われるかもしれないが、実は違う。心を込めて書く手紙などは、パソコンで印刷したものよりも、直筆で書きたいものだ。その場合「三菱ユニLakubo 100」ではなく、えんじ色の光沢が美しいパイロット万年筆「ECRINO」を使う。この万年筆を使うと、さらに字がうまく書けるような気がする。筆記用具は奥が深い。
さてボールペン、万年筆について述べてきたが、それではシャープペンシルはどのように使っているのか。シャープペンシルはビジネス手帳でメモするときに使う。メモなので、字の体裁にはこだわらない。こだわらないというよりは、どきどき何て書いてあるかわからないくらい汚い。愛用のシャープペンシルは「赤い羽根募金 共同募金」(ピンク色)もらい物である。蛇足ではあるが、シャープペンシルは行政の外郭団体の名前で、やたらもらってきた記憶があるが、最近は財政逼迫のあおりを受けて、その機会が減ってきたような印象を受ける。残念だ。
ここ数年、文書処理はパソコンを使うことが多くなってきたが、やはり日本は紙の文化である。日本人なら紙に字を書け!なのだ。そこで、今年の正月の年賀状、少しは筆で書くべしと筆ペンをとったが、あまりの字の下手さに1枚でやめてしまった。筆記用具に愛着があっても、字が下手だと彼らに申し訳ない気もしないでもない。
9本もある。そのうち水性ボールペンが3本。ちなみにシャープペンシルは3本。他の部屋にも何本かあるので、我が家には相当の数のボールペンやシャープペンシルが存在する。
僕は事務的な仕事もするので、筆記用具は欠かせない。しかしここ10数年来、筆記用具を買った記憶はない。けれども時が経てば経つほど、ボールペンやシャープペンシルは増えていく。カール・マルクスの資本論ではないが、筆記用具というものは自己増殖するのだろうか?答えは「否!」である。朝起きていたら、三菱ボールペンが子どもを生んでいたという場面に出くわしたことはない。それでは、サンタクロースや家族がプレゼントをしてくれたのであろうか?この答えも「否!」である。2年前、次女が誕生日に1本シャープペンシルをプレゼントしてくれたが、それ以外は記憶にない。
それでは、なぜボールペンやシャープペンシルが知らない間に増えていくのであろうか。それは、僕がものすごい田舎に住んでいるからだ。なぜものすごい田舎に住んでいるとボールペンやシャープペンシルが増えるのかというと、葬式が多いからである。
若干、論理が飛躍したようなので、もう少し丁寧に説明しよう。わが国において、ものすごい田舎といえば、犬も歩けば年寄り当たるほどの超高齢化社会を意味する。だから毎月、地域で何人かのお年寄りが亡くなる。田舎のすごいところは、顔と名前がほぼ一致する。とくに、我が家ではしっかりものの母が健在なので、僕や妻が知らない人でも、母にとってみれば知っている人だ。それから、またまた田舎のすごいところは仕事よりも葬式が大事ということである。だからお葬式にはきっちり出席するか、参加できない場合は人に頼んで香典をわたす。すると当然香典返しが来る。少し前までは、香典返しとして、ハンドタオルとか香典袋(数枚入りセット)とかが多かったが、香典返しに香典袋を貰っても、たまる一方である。いったい何人葬式をすればなくなるかと言いたいぐらいたまる。そこで、最近は香典返しに、ちょっと洒落たボールペンやシャープペンシルをつつむ人が多くなった。ということで、ものすごい田舎では知らず知らずのうちにボールペンやシャープペンシルが増えるという、いわゆる「過疎地における筆記用具の増殖過程」を無事説明することができた。
ところで、ボールペンはペンの先端が小さなボールで、それが回転してインクを適量出すのだということを知ったとき、あなたは感動しなかっただろうか?僕は「おおっ!」と少し感動した。しかし、ボールペンで記述しているとき先端のボールがくるくると回転していると感じる人がいるのだろうか。ほとんどの人が普通のボールペンだと、まず感じることはできないであろう。地球がものすごいスペードで回転しているのに、それを感じることができないことと同様である?人間の感覚は、きわめて限定された範囲でしか機能しないのだ。ところが、僕の場合、お気に入りのボールペンで書いているとき、それを感じることができる・・・ような・・・気がする。そのボールペンとは「三菱ユニLakubo 100」である。僕は三菱ボールペンには何の義理もないが、このボールペンは非常に書きやすい。このポールペンだと字がうまく書けるような気がする。大事な書類を書くときは必ず「三菱ユニ」を使う。ゆえに僕の筆記用具の中では、「三菱ユニLakubo 100」がNO1と思われるかもしれないが、実は違う。心を込めて書く手紙などは、パソコンで印刷したものよりも、直筆で書きたいものだ。その場合「三菱ユニLakubo 100」ではなく、えんじ色の光沢が美しいパイロット万年筆「ECRINO」を使う。この万年筆を使うと、さらに字がうまく書けるような気がする。筆記用具は奥が深い。
さてボールペン、万年筆について述べてきたが、それではシャープペンシルはどのように使っているのか。シャープペンシルはビジネス手帳でメモするときに使う。メモなので、字の体裁にはこだわらない。こだわらないというよりは、どきどき何て書いてあるかわからないくらい汚い。愛用のシャープペンシルは「赤い羽根募金 共同募金」(ピンク色)もらい物である。蛇足ではあるが、シャープペンシルは行政の外郭団体の名前で、やたらもらってきた記憶があるが、最近は財政逼迫のあおりを受けて、その機会が減ってきたような印象を受ける。残念だ。
ここ数年、文書処理はパソコンを使うことが多くなってきたが、やはり日本は紙の文化である。日本人なら紙に字を書け!なのだ。そこで、今年の正月の年賀状、少しは筆で書くべしと筆ペンをとったが、あまりの字の下手さに1枚でやめてしまった。筆記用具に愛着があっても、字が下手だと彼らに申し訳ない気もしないでもない。