西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

雨が降ると草木が喜ぶ

2009-06-04 16:59:48 | Weblog
 久しぶりにまとまった雨が降った。僕の住む愛媛県では十数年ぶりの大干ばつで水不足になるのではないかと、危惧されている。たしかにダム湖の水位は下がり、池などもかなり水量が減り緑色になっているところもある。大自然の前には人間の力など大したことではないと改めて思う。
 昨日、雨の振る中、車を走らせているといつもと違った風景が目に入ってきた。田んぼや緑の山々に静かに雨が降り注いでいる。なんとなく雪舟の絵を想起させられる情景である。空は灰色の雲に覆われ、雲と地面の間の空間さえ灰色がかっている。そういう世界もたまにはいいものである。
 そして僕は山々の木々を見て感じたのだ。あのたくさんの木々の久しぶりの雨に喜んでいると・・・・・・。
 僕は植物が好きだ。花や木の種類とか名前は詳しくないが、植物に囲まれた空間にいると落ち着く。(日本民族は元来、そんなものかもしれない)とりわけお気に入りなのは神社の周りに生えている(植えられた?)木々たちである。僕の家の近くに小さな神社が高台にあり、そこに大きな樫の木がある。この樫の木は大きな幹が三つくらい寄り合わさって生えているように見える。下から眺めるとその葉は空の大部分を覆っており、威圧感さえある。樹齢は何年かわからないが、長い年月を生き抜いてきたことは間違いない。
 僕はときどきこの木の横に座ってぼーっとする。風が吹くと頭上でさわさわと梢が鳴る。こんなときは何も考えなくていい。木は長生きするとご神木とか呼ばれるが、やはり霊性を獲得するのだろう。この樫の木と接していると、そういったことになんとなく納得する。樫の木はときどきやってくる僕の存在を知っているのではないかとも思う。いろいろややこしいことを考えて、思い悩んでいる僕を受け入れてくれているとさえ感じる。もちろんその樫の木は一言も喋るわけではないが、僕と彼(樫の木)の間には何らかの会話が成立しているように感じる。
 この樫の木のように長く生きていなくても、すべての植物が生存することは僕らにとって大きな意味があるように思えるのだ。ヒトが勝手に雑草と名付けた草たちにも、おそらく。国道沿いに伸びている雑草と呼ばれている草たちは、ヒトの手で刈られている。しかし彼らは何も言わない。時が巡れば、また同じように葉をつけ茎が伸び遠慮がちに花を開かせる。彼らは、そんなことわかりきっていると思っているのかもしれない。
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テレビはなんだかつまらない

2009-06-03 16:26:49 | Weblog
 最近テレビをあまり観ない。いや、あまりというよりほとんど観ない。なぜかというと、おそらく観たい番組がないからである。あたりまえだが・・・・・・。
 以前はプロ野球を熱心に観ていた。僕は30年以上の阪神タイガースファンだ。ところが、客寄せパンダ的なプレーオフ制度が導入されてから観る気がなくなった。ペナントレースの意味がほとんどなくなった気がしたのだ。それと同時にプロ野球中継の放送も激減した。だから当然観る機会も減ってしまった。
 僕はテレビドラマ、情報番組の類はほとんど観ないのだけど、お笑い番組は結構観ていた。しかし最近のお笑い番組はパターン化していて、同じことを何度も見せられている、まるでデジャブーにとらわれてしまったかのようである。僕がときどき行く喫茶店のマスターも(このマスターは70歳を超えているのに、バイクで東日本を制覇した強者である)「最近のテレビはお笑い芸人ばかりが出て、騒いでいてつまらん! 観る番組がない!」とお怒りであった。まったく同感である。僕の奥さんも1時間以上テレビを観ると疲れると言ってスイッチを切る。その気持ちもなんとなくわかる。
 いったいいつから、こんな風になったのだろう。テレビ番組に興味を失ったのは自分自身の変化かと思っていたら、どうもそれだけではないようだ。僕の身近な人たちも、僕と同じように、最近のテレビ番組の質の低下を感じている。
 先日も歌番組を観ていたたら、昔のヒット曲を50歳前の歌手が歌っていた。若い頃の声量はなく高温はファルセットで歌っていた。まあ、それは仕方がないのだが、他の出演者(聴衆役)は「声が太くて、会場中に響いていた」と賛美するのだ。いくらお約束とはいえ、そんな台本はやはり白けてしまう。
 これと同じようなことがお笑い番組にたくさんある。たくさんと言うよりほとんどかもしれない。ある番組など、芸人のネタが面白くもなんともないのに(聞き飽きたのに)「満点大笑いでぇーす!」とか言って、審査員のゲストは無理に大笑いをしている。こんな場面を観ると芸能人やタレントも結構ストレスの溜まる仕事だと思う。だけども視聴者の感覚とあまりにも離れた番組を製作していると、本当にそっぽを向かれてしまうのではないか? と危惧してしまう。 目先の視聴率だけを追うような安易な番組づくりより、地道にこつこつと良質の作品をつくることが可能な環境がマス・メディアの世界でも無くなりつつあるということだろうか?
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