小沢氏、辞意撤回へ 「ぜひ、もう一度がんばりたい」(朝日新聞) - goo ニュース
民主党の小沢党首が辞意を撤回したという。結局こうなるだろうとは見ていたが、何とも釈然としない。
▼ボス交は良くない
この頃、断交という交渉手段をほとんど見なくなったが、ではボス交がいいかというととんでもない。私が若い頃、未組織の労働者を集めて組合を結成したが、まだ未熟ということで労使交渉に馴れたボスに交渉を一任したということがあった。が、結果は我々の望みとはまったく違ったものになって、そのボスをみんなでつるし上げたということがあった。そのころから「ボス交は絶対良くない」というのが私の持論である。 今回福田氏と小沢氏が行ったのは、経営者と労組ではなく政党同士の会談・交渉であったが、いわゆるボス交であることに変わりはなかった。「何でそんなことを勝手に決めて持ち帰ったのか」と民主党は全員一致で色めき立ったということだが、だとすると小沢氏は自分の長年の持論だったかもしれないが民主党内の意見を無視して勝手なことをやったものである。党内のコンセンサスをとるどころか、彼は完全に党内からは浮いていたことになる。
▼虚像と実像
政治というのは私から見てとても奇妙な世界である。かつて我々の世代では若い頃「共同幻想」という言葉が流行ったが(作家・吉本ばななの父君・吉本隆明氏が『共同幻想論』という書物で広めた)、政治家とは良くも悪くもこの共同幻想を身をもって体現する人のことである。つまりは実像としての私人の部分は限りなく小さく、逆に共同幻想としての公人の部分は限りなく大きい。だから、だから公人として世間に身をさらすことでとんでもない羽目になる人も中に入る。 そして今回、小沢氏の場合、この共同幻想=公人としての虚像の価値が著しく低下してしまったのではないだろうか。逆に今の民主党には何が何でも小沢氏は欠かせない人間なのだという印象を強めたという見方もあるかもしれないが、今回の件で国民から見た小沢氏に対する共同幻想としての虚像の価値は大きく揺らいでしまったという気がするのである。 だから、小沢氏が辞意を撤回して再び党首として精力的に振舞ったとしても、一度壊れた幻想は二度と元には戻らないだろう。結局は自民党を土俵際まで追い詰めながら、もう少しで土俵を割るかに見えた自民党は徳俵(とくだわら)にしっかりと足を据え、浮き足立っている民主党の押しをがっちりと受け止め、逆に攻勢に出る条件を整えたようにさえ見える。まったく馬鹿なことをしたものである。小沢氏にもう明日はなくなったかに見える。 あまつさえ、今の民主党には戦える力量に欠けているとまでのたもうたようだ。もはや小沢氏は民主党のトップを司る要件を欠いてしまった。自ら墓穴を掘っただけでなく民主党員、ひいては国民の希望さえ欺く結果となってしまったと言っていいかもしれない。過半数以上の国民はこんな連立を望んではいなかったのだから。彼は解体屋の異名を持つようだが、まさに彼は民主党を解体し、国民の希望を解体したのである。小沢氏らしいと言えば小沢氏らしいと言えるだろうか。どだい民主党を彼に任せっきりにしたのが間違っていたのだ。二大政党制は必要かもしれないが、それはアメリカ流の二大政党制とはかなり違うものなのではないのだろうか。