地球温暖化のせいか、随分紅葉の時期が遅れているようだ。初冠雪の便りは聞くが紅葉の便りは今ひとつ迫力がない。
スクールでは毎年恒例の行事として、紅葉狩り遠足を行っている。昨年はライン下りと岩畳で有名な秩父の長瀞に行ったが宝登山の上でもまだ少し紅葉の盛りの時期には早かった。そこで今回は時期を一週間遅らせ、今年の3月まで秩父から片道2時間半をかけて毎日スクールに通い、今は高校生となっている秩父の生徒に現地の様子を尋ねたところ、ミューズ・パーク(375.0haというから東京ディズニーランドの何倍だろうか)の銀杏が見所ということで出かけた。
現地ではその生徒と母親が高校と会社経営の仕事を休んで待っていた。また、スクール開設当初に通ってきた一期生の生徒(もう成人している)も仕事を休んで、共にガイドさん役をかってでてくれた。
私はてっきりアミューズ[メント]・パークだと思っていたら、ある生徒の親の指摘でミューズ・パークだと知って、「全然意味が違うね!」とその生徒と大笑い。
ともかく、スクールの生徒たちを伴って朝8時にJRの改札口に集合しゴウ!一路秩父へと向かった。当初は秩父三峰口を想定していたが、現地の人たちの意見に従い(今年最後のロープウェイの運行はもう終わり、紅葉もさほど見事ではない)、秩父のミューズ・パークに変更したのは正解であった。
ミューズ・パークの一面は見事なコウヨウ(黄葉)で、どこまでも続く銀杏並木の黄葉がはらはらと散り行くさまは圧巻であった。もちろん楓や桜、ツツジ、蔦などの赤や臙脂色の紅葉も見事であり、黄葉に見事なアクセントを加えていた。よく芸能人が訪れるという音楽寺や23番札所などの伝統を感じさせる名所旧跡がある一方、ギリシャ風のミューズの噴水や野外音楽堂、森のコテージなど現代的な建造物が広大な長尾根の丘陵に広がり、芸術・文化施設を擁したミューズ・パーク全体が季節の花々や紅葉など、四季折々の自然を満喫できる施設となっていた。
教室を一歩出ると、生徒たちは教室だけの行動からは知ることの出来なかった様々な側面を見せてくれる。そしてそこには必ずハプニングも待っている。教科書やペーパーだけの学びでは人は決して「人」にはなれない。それは頭で理解するものではなく、身体を通して感覚・感性で感じ取るものであるからである。
だから、野外学習や遠足の後には必ず振り返り学習が欠かせない。そうやってヘマをやり、失敗を繰り返し、時には見知らぬ人に注意を受けながら(もっと子どもを注意する大人がいて欲しいな)彼らは成長していく。社会化していくのだ。これもスクールでの重要な学びのひとつである。 フレネ教育の創始者・セレスタン・フレネもそうやって子どもたちを自然や町に連れて行ったのである。
スクールでは毎年恒例の行事として、紅葉狩り遠足を行っている。昨年はライン下りと岩畳で有名な秩父の長瀞に行ったが宝登山の上でもまだ少し紅葉の盛りの時期には早かった。そこで今回は時期を一週間遅らせ、今年の3月まで秩父から片道2時間半をかけて毎日スクールに通い、今は高校生となっている秩父の生徒に現地の様子を尋ねたところ、ミューズ・パーク(375.0haというから東京ディズニーランドの何倍だろうか)の銀杏が見所ということで出かけた。
現地ではその生徒と母親が高校と会社経営の仕事を休んで待っていた。また、スクール開設当初に通ってきた一期生の生徒(もう成人している)も仕事を休んで、共にガイドさん役をかってでてくれた。
私はてっきりアミューズ[メント]・パークだと思っていたら、ある生徒の親の指摘でミューズ・パークだと知って、「全然意味が違うね!」とその生徒と大笑い。
ともかく、スクールの生徒たちを伴って朝8時にJRの改札口に集合しゴウ!一路秩父へと向かった。当初は秩父三峰口を想定していたが、現地の人たちの意見に従い(今年最後のロープウェイの運行はもう終わり、紅葉もさほど見事ではない)、秩父のミューズ・パークに変更したのは正解であった。
ミューズ・パークの一面は見事なコウヨウ(黄葉)で、どこまでも続く銀杏並木の黄葉がはらはらと散り行くさまは圧巻であった。もちろん楓や桜、ツツジ、蔦などの赤や臙脂色の紅葉も見事であり、黄葉に見事なアクセントを加えていた。よく芸能人が訪れるという音楽寺や23番札所などの伝統を感じさせる名所旧跡がある一方、ギリシャ風のミューズの噴水や野外音楽堂、森のコテージなど現代的な建造物が広大な長尾根の丘陵に広がり、芸術・文化施設を擁したミューズ・パーク全体が季節の花々や紅葉など、四季折々の自然を満喫できる施設となっていた。
教室を一歩出ると、生徒たちは教室だけの行動からは知ることの出来なかった様々な側面を見せてくれる。そしてそこには必ずハプニングも待っている。教科書やペーパーだけの学びでは人は決して「人」にはなれない。それは頭で理解するものではなく、身体を通して感覚・感性で感じ取るものであるからである。
だから、野外学習や遠足の後には必ず振り返り学習が欠かせない。そうやってヘマをやり、失敗を繰り返し、時には見知らぬ人に注意を受けながら(もっと子どもを注意する大人がいて欲しいな)彼らは成長していく。社会化していくのだ。これもスクールでの重要な学びのひとつである。 フレネ教育の創始者・セレスタン・フレネもそうやって子どもたちを自然や町に連れて行ったのである。