▼元埼玉県教育長の稲葉喜徳氏が花伝社というところから「私たちの教育紀行」というを著書を出されたという。それ自体は教育者にはよくある話で、教育長を務めたとなれば尚更のこと、別段取り立てるほどのことでもない。在任中批判者がなかったわけではないが、概ねそれなりに仕事をされた方ではなかったか。
▼その稲葉氏がその著書の中で、日本の教育をドイツのそれと比較し、日本が企業国家的な社会のあり方から脱却し、ドイツのように教育に十分な予算を配分する国家になる必要性を訴えているらしい。それはそれで意義ある訴えなのだが(なぜ、教育長の時にやらなかった?)、それよりも氏が「子どもたちが下を向き、自信を失っている」と感じているらしいことの方に興味を持った。(読売新聞の記事から)
▼海外からは日本の経済活動は「失われた20年」と評されるが、今回の大地震・大津波そして福島第一原発の大事故も含めて、日本人の我慢強さや粘り強さが驚異の眼差しで賞賛されると同時に「こういう事態になってなぜ日本人は怒らないのか?」という激しい批判ともなって返ってきた。「不思議の国日本」の姿がここでも健在だ。だが、言うなれば、これこそ近代日本国家が営々と築き上げてきた日本の教育の偉大な成果だったのではないか。
▼日本の教育は一貫して権威・権力への忠誠と盲従を子どもたちに説き、教化してきた。まさにそれは和魂洋才の実践であり、日本の学校教育は欧米と向かい合う中で各国に対抗できる良質の部品であると同時に強者には従順な羊である大量の国民を育成することに邁進してきた。日本が今、不如意とはいえ国際社会の競争の中でそれなりに高い位置を占めているのはそのためである。しかし、かつて美徳とされたものが今も通用するとは限らない。国内で良しとされてきたものがそのまま国際社会でも通用するとも言えない。むしろ今ではそれが海外から眺める人には日本固有の奇妙なガラパゴス化現象として映っているのだと言えよう。
▼原発事故を見れば端的に分かるように、それは日本の未来を限りなく暗くし、同時に海外に最悪の厄災をもたらすに至っている。もしそれが結果として教育の招いたものであるならば、我々は今一度教育のあり方を根本から考え直さなければなるまい。そして、そのための実践活動を学校現場が率先して行わなければならない。そうしなければ今後、日本は国際社会の中で居場所を失うことになるのではないか?。もはやOECD主催のPISAのテストでどこがトップであるとか、日本が上がっただの下がっただののレベルではないのである。
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