▼時々新聞で幼児・子どもの虐待死などのトンデモナイ親の話題が紙面を賑わす。当然問題視されてしかるべきだが、そういう事件は例外だから紙面を飾るということもある。実際はほとんどの親は我が子のために絶えず最善の方法を模索している。あまり自覚されていないが、親が子どもに求めるものは不動ではない。いつも時代や社会の求めるものに大きく左右される。
たとえば、欧米と日本等のアジア圏では大きく違うし、イスラム圏等とはさらに違うのではないだろうか。日本に限っても、貴族や武士が歴史の表舞台に登場していた時代と近現代ではまるで別の国のことではないかと思うくらい大きく違うのではないか。それは子育ての理想モデルというものが、いつも時代や社会の求めるものに大きく依存しているからであろう。
▼かつて欧米文化を第一と考え、「ザンギリ頭を叩けば文明開化の音がする」とか「末は博士か大臣か」と囃された時代があった。やがて国家が設定した近代主義教育の流れに沿って人々の子弟はこぞって勉学に励むことを良しとするようになった。そして、その過程でそれまでかなりの成熟を遂げていた庶民文化をあっさりと捨て去り武士道的な価値観を教育の背骨とすることとなった。
それには、接木であれなんであれ、欧米文化を積極的に取り入れると共に列強の植民地とならずそれに追いつき追い越すことを国家目標と掲げたことと密接な関係があった。とにかく良きにつけ悪しきにつけ、明治以後の子育ての目標はここに定まった。そして、これは太平洋戦争後の日本においても基本的には変わりはない。だから、今の子育て・教育の主流はどこにあるかを知りたければ、現実に今行われている子育て風景をつぶさに見ることに尽きる。何も女性週刊誌の特集やそれらしい単行本を紐解くことはない。
▼知る人ぞ知るで、「ぱいでぃあ」のあるJR南浦和駅周辺はターミナル駅ということもあって県内有数の塾銀座である。学習・進学塾の有名どころはほぼ場を構えている。だから、夕方ともなるとそれらしい親子の送迎で賑わう。この光景は、従来の年功序列や終身雇用のシステムが崩壊し、日本の教育が大きな曲がり角に来たと言われるようになってからも、基本的に変わらない。PISA等の国際学力テストの比較データで日本型教育の限界が指摘されようと表面上は大きく変わってはいない(もちろん、塾業界の統廃合はあるが、それは基本的に生徒側の問題ではない)。
ところが、では、そういう学齢期にある子どもたちの家庭では本当にその教育システムを最善と考えて進学塾等に通わせているのかというと、必ずしもそうとばからいは言えないようだ。
(つづく)
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