1月15日は小正月といって、この15日までが松の内であったときも会ったらしいが、すでに私の小さい時は7日までが松の内と教えられていた。今は三が日が過ぎると仕事始めになるいわゆる暦どおり、7日七草というのがかろうじて残っているのだろうか。女正月ともいい、暮れから正月のねぎらいに(また赤を忌み正月から避けていた小豆をつかう)、朝小豆かゆを食べる習慣があったそうだ。この小豆かゆも私の生家ではしなかった。
もう過ぎてしまったけれど、昨日の献立は小豆かゆを入れてみた。参加した生徒の中に、『そういえば、小さい時に甘くない小豆が沢山入ったものを母が作って、食べろ食べろといったが、それが嫌で嫌で仕方なかったけれど、あれは小豆かゆだったのだろうかしら』といっていた。まだ生活の中で行事食が生きているところもあるのかもしれない。柔らかくゆでた小豆と餅(粥柱という)をお粥に入れて、好みで砂糖を振りながら、塩をかけていただく。赤飯にごま塩を振るのを思えば塩を振っていただくのもさっぱりしている。「お粥に砂糖?」と恐る恐る砂糖を少し振り口に含むと、案外美味しくてもっと砂糖を振りたくなりもう一口、そしてされに砂糖を入れる。みんなの反応を見ていると、砂糖と小豆に相性に私達がなれているのだと改めて思う。
他にはかにの黄身酢和え、中に使ったうどの皮のきんぴら、ほうれん草の胡麻浸し(胡麻和えではない、おひたしの変型判、ただ胡麻を振り掛けるのでもない)
うどの桂むきとか、黄身酢を作る稽古になったが難しい献立ではなかった。喜んでいただけて感謝。
もう過ぎてしまったけれど、昨日の献立は小豆かゆを入れてみた。参加した生徒の中に、『そういえば、小さい時に甘くない小豆が沢山入ったものを母が作って、食べろ食べろといったが、それが嫌で嫌で仕方なかったけれど、あれは小豆かゆだったのだろうかしら』といっていた。まだ生活の中で行事食が生きているところもあるのかもしれない。柔らかくゆでた小豆と餅(粥柱という)をお粥に入れて、好みで砂糖を振りながら、塩をかけていただく。赤飯にごま塩を振るのを思えば塩を振っていただくのもさっぱりしている。「お粥に砂糖?」と恐る恐る砂糖を少し振り口に含むと、案外美味しくてもっと砂糖を振りたくなりもう一口、そしてされに砂糖を入れる。みんなの反応を見ていると、砂糖と小豆に相性に私達がなれているのだと改めて思う。
他にはかにの黄身酢和え、中に使ったうどの皮のきんぴら、ほうれん草の胡麻浸し(胡麻和えではない、おひたしの変型判、ただ胡麻を振り掛けるのでもない)
うどの桂むきとか、黄身酢を作る稽古になったが難しい献立ではなかった。喜んでいただけて感謝。