なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

身についている『ワザ 』でボランティア活動・地域社会とのコミュニケーション、楽しいシルバーライフ目標で有意義に過ごす 。

 小暑(しょうしょ) 

2016年07月07日 09時48分51秒 | ブログ

 小暑(しょうしょ) 

   

七夕が行われる7月7日頃(2016年は7月7日)。
および大暑までの期間。
太陽黄径105度。
夏至から数えて15日目頃。

暑さがどんどん強くなっていくという意味があり、この頃から暑さが本格的になってきますが、梅雨の終わる頃で、集中豪雨が多く発生する時季でもあります。
この頃から暑中見舞いを出し始めます(正式には大暑から)。

梅雨が明け、強い日差しと共に気温が一気に上がる時季のため、体調を崩しやすくなる頃でもあります。天気予報やニュースで「小暑」という言葉を耳にしたら、本格的な夏を迎える合図だと思って下さい。
暑さを乗り切るために、しっかり食べて 体力をつけておきたいですね。

この頃は蓮の花が咲き始める頃でもあります。少し風流に蓮観賞に出掛けてみるのもいいですね。午後には花がしぼんでしまいますので、行かれる時は朝の早い時間に。

暮らしのすべてが夏仕様に変わる頃
小暑を迎えると、衣食住のあらゆるものが夏向きのものに変わります。部屋の模様替えや食器、ファブリックなどを夏用に替えましたか?

奈良)「吹奏楽のまちに」生駒市が楽団を結成 団員募る

2016年07月07日 09時44分22秒 | ブログ

奈良)「吹奏楽のまちに」生駒市が楽団を結成 団員募る

2016年7月7日

 小中学校で吹奏楽の活動が盛んな生駒市で、卒業後も演奏を楽しめるよう市民吹奏楽団が結成される。社会人や大学生中心の仮称「市民バンド」と、主に子育て中の女性の仮称「ママさんブラス」。団員は50~60人程度を想定し、市が7月末まで募集している。

 市民バンドは原則土曜の夜に練習。ママさんブラスは平日午前に練習する。10月から準備に入り、12月ごろまでに正式に発足する予定だ。

 市教委によると、昨年までの5年間で、全日本小学校バンドフェスティバルに3校で金賞4回、銀賞5回を獲得。全日本吹奏楽コンクールでは生駒中が金賞、銀賞を1回ずつ獲得している。市は、吹奏楽を地域芸術の核に位置づけ、「音楽のまち」をアピールするという。

 ログイン前の続き団員は原則、生駒市在住か市内に通学・通勤する18歳以上の吹奏楽経験者。月会費は1500~2千円を予定。オーディションはない。問い合わせは市教委生涯学習課(0743・74・1111内線643)。


王朝時代に始まる「七夕」。貴族達の和歌に詠まれた織姫・彦星の逢瀬の物語

2016年07月07日 08時27分27秒 | ブログ

王朝時代に始まる「七夕」。貴族達の和歌に詠まれた織姫・彦星の逢瀬の物語

 

王朝の御代には、都でもこれくらい美しい星空が見えたのかもしれません

王朝の御代には、都でもこれくらい美しい星空が見えたのかもしれません

明日、七月七日は「七夕」。
先月後半頃から、短冊を掛けた笹の葉を町のあちこちで見かけるようになりました。

織姫と彦星の伝説は、奈良時代に中国から伝わったものです。奈良・平安の王朝貴族達は、この夜、祭壇を作って織姫と彦星に捧げ物をし、和歌や雅楽、蹴鞠などの技芸を手向け、夜がしらじらと明けるまで宴を催したようです。
また、一年に一度だけという男女のせつない逢瀬は、貴族達にとって格好の和歌の題材となり、「万葉集」「古今集」をはじめとする多くの和歌集に、「七夕」を詠んだ歌が幾多も残されています。
貴族達は、織姫、彦星に成り代わって、あるいは自らの恋をこの伝説になぞらえて、恋の歌を詠んだのです。

平安期の七夕の歌を、時の経過を追ってご紹介しながら、そこに見えて来る当時の七夕の姿と、織姫と彦星の心、そして二人がどのようにしてめぐり逢うのかについても、ひもといてゆきます。
 

秋の訪れとともに出逢いを待ち焦がれる織姫

まずは逢瀬の日が近づくのを感じて、ときめく織姫の心を詠んだ歌です。

「秋風の吹きにし日より久方の天の河原に立たぬ日はなし」(古今集 173番)
(秋の風が感じられた日から、間もなくやってくる逢瀬の日が待ち遠しい織姫は、毎日天の川のほとりに立っている)

新暦を生きる私たちにとって、「七夕」と言えば夏の行事。
しかし旧暦を生きた王朝の人々にとって、七月から九月は秋の季節です。秋の涼やかな風を感じたら、もうすぐ七夕!だったのです。
現在のように、梅雨空や蒸し暑さに悩まされる事はありません。彼らは、秋の涼しく澄んだ空をゆっくりと眺めたのでしょう。


「織女(たなばた)はあさひく糸の乱れつつとくとやけふの暮を待つらん」(後拾遺集 240番)
(織姫が朝引いた(麻の)糸が心のように乱れている。そのもつれた糸を解きながら、一刻も早くと、今日が暮れるのを待っている)

「朝」に「麻」、「疾く」に「解く」をかけて、二重の意味が汲み取れる、技巧を凝らした歌です。七日の朝、心乱れて機を織る手もおろそかになる織姫の姿を表わしています。
ちなみに七夕は元来、機織(はたおり)の神である織姫にちなみ、裁縫の上達を祈る日だったそうです。
 

彦星はどうやって織姫に逢いに行く?和歌に詠まれた「天の川を渡る方法」とは?

いよいよ夕暮れとなり、逢瀬の時がやって来ます。

「久方の天の河原のわたしもり君わたりなば楫かくしてよ」(古今集 174番)
(天の川の河原にいる渡し守よ、彦星が川を渡ったら今度は帰れなくなるように船の楫を隠しておくれ)

織姫に成り代わっての歌です。彦星は船に乗って天の川を渡ります。
また、この歌では「船」につきものの「楫」が詠み込まれているのがミソ。「かじ」は読み手に「梶の葉」を想起させています。
梶の葉は当時の七夕の祭壇に欠かせないものでした。飾りとしてだけでなく、直接和歌や願い事が葉の上に書きつけられたそうです。現在、七夕を象徴する笹の葉の飾りは、実は江戸時代から始まったものなのだそうです。

さて、他にはこんな渡り方も…。

「天の川もみぢを橋に渡せばやたなばたづめの秋をしも待つ」(古今集 175番)
(天の川に紅葉の橋が渡されるからだろうか。織姫が秋の季節を待っているのは)

前述した通り、七夕の季節は秋。色づいた紅葉が橋となって天の川に架かるのだそうです。

また、同じ橋でもこのようなものも。

「いかなれば途絶え初めけむ天の川逢ふ瀬に渡すかささぎの橋」(詞花集 87番)
(どうして七夕の夜以外は途絶えてしまったのだろう。天の川に渡されたかささぎの橋は)

つまり、七夕の夜だけは、天の川にカササギの橋が渡る、という歌。
「カササギ」とは、「カチドリ」ともいう白黒の羽を持つ鳥です。この鳥が羽根を広げて連なり、天の川に橋を架けると言うのです。

また、船にも乗らず、橋など渡らず、

「天の川瀬々の白波高けれどただ渡り来ぬ待つに苦しみ」(後撰集 25番)
(天の川の瀬の波は高いけれど、待つことの方が苦しいのでひたすら渡って来ました)

と、浅瀬を踏み分けて天の川を渡る彦星の姿も詠まれています。
ちょっとだけアクティブな彦星。しかしさすがに川に飛び込み泳いで渡る…と詠んだ歌は見あたりませんでした。平安貴族男子はやはり草食系だったのかもしれません!?
カササギです。佐賀では県の鳥に制定されており、スズメよりも良く見かけます。

カササギです。佐賀では県の鳥に制定されており、スズメよりも良く見かけます。

 

いよいよ出逢えた二つの星。しかし、別れの時はすぐにやって来ます

さて、いよいよ川を渡ってめぐり逢う二人。喜びと同時に別れの予感も…。

「恋ひ恋ひてあふ夜はこよひ天の川霧立ちわたりあけずもあらなん」(古今集 176番)
(恋し続けて今宵やっと逢う事が出来ます。天の川よ、川霧の戸を立てて夜が明けないようにしておくれ)


「契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは」(古今集 178番)
(一年に一度という約束は無常な事だ。このはかない逢瀬は逢瀬のうちに入るだろうか)

そして別れの時がやって来ます。

「七日の夜のあかつきに詠める」という詞書(説明書き)があって、
「今はとて別るるときは天の川渡らぬさきに袖ぞひちぬる」(古今集 182番)
(今年はこれ限りと別れる時には、天の川を渡る前から彦星の袖は涙で濡れている)

「八日の日詠める」の詞書があって、
「今日よりはいま来む年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき」(古今集 183番)
(今日からは来年の昨日(七日)を、早く来ないかと待ちつづけるほか無いのでしょうね)

こうして二人は、別れの翌日から、また来年の出逢いを待ち焦がれるのです。
 

千年の時代を隔てても変わらぬ二つの星に寄せる思い

さて、ご紹介した何首かの和歌を見てゆくだけでも、王朝の七夕の宴と、現在私達が行っている七夕祭りとは、随分と様相を違えている事が分かります。
しかし、和歌を読んでゆけば、誰もが織姫と彦星に共感を抱き、少なからずしみじみとした心地になるのではないでしょうか。
七夕の夜、二つの星に寄せる思いは、王朝の昔も今も変わらない筈です。

がん発症率、部位でも地域差 胃は日本海側、肝は西日本

2016年07月07日 08時12分57秒 | ブログ

がん発症率、部位でも地域差 胃は日本海側、肝は西日本

2016年6月30日

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 国立がん研究センターが29日に初めて発表した、47都道府県ごとのがんの発症率では地域差が浮き彫りになった。各部位ごとの傾向も明らかになった。予防対策に独自に取り組む自治体も出ている。

 

 がんと診断された人の割合(発症率)について、全国平均を100とした場合、患者が多い目安の110以上の地域は、胃は男女ともに東北、北陸から山陰地方にかけての日本海側で目立つ。肝がんは男女ともに山梨県や西日本で、肺がんは女性で北海道、近畿、九州北部で多い。大腸がんは男女ともに北東北、近畿、山陰地方で目立った。乳がんは地域的な傾向はないが、東京都をはじめ高い地域が点在していた。

 

 国立がん研究センターによると、胃がんの発症率が高いのは食塩摂取量が多い地域と、肝がん肝炎ウイルスの感染者が多い地域とおおむね一致するという。

 

 ただ、発症率が高くても、がんで死亡した人の割合(死亡率)に差があった。例えば、男性で最も患者数の多い胃がんで110以上の地域は15県あったが、そのうち宮城、福島、福井県などは死亡率は110以下だった。一方、発症率が110以下だった茨城、栃木、大阪の府県では死亡率が110を超える「逆転現象」も起きている。国立がん研究センターの松田智大・全国がん登録室長は「死亡率が下がった地域は医療機関同士の連携が進んでいる可能性が考えられる」と話す。

ログイン前の続き

 2012年に新たにがん(上皮内がんを除く)にかかったのは男女合わせて86万5238人と推計され、過去最高だった。高齢者の増加が原因とみられ、その影響を除くよう補正すると、発症率は前年より少しだけ下がった。

 

 松田さんは、大腸がん乳がんの発症は増えているが、胃がん肝がんの発症が減ったことで全体の発症率が下がったとみる。「胃がんの原因となるピロリ菌や、肝がんに進行する恐れのあるC型肝炎ウイルスの感染者ががんになりやすい世代で少なくなり、新たに発症する人が減った」と指摘する。

 

 各地で様々な取り組みも広がっている。

 

 今回、男女ともにがん死亡率が全国で最も低かった長野県は、保健師の活動を補助する「保健補導員」を住民が交代で担当し、がん検診の呼びかけや生活習慣の改善などに地域ぐるみで取り組んできた。

 

 男性の胃がん発症率の高さが全国有数の新潟県は減塩運動に取り組む。県のホームページによると、08年に11・5グラムだった成人の食塩摂取量は11年には10・8グラムに減少した。