生前に天皇の位を譲る「生前退位」の意向を天皇陛下が示した。宮内庁が負担軽減を進めるなか、自身の葬儀のあり方についても言及してきた天皇陛下。長い間前例のない手順に、関係者の間には驚きが広がった。皇室典範改正の議論が改めて浮上する可能性もある。

 「年齢というものを感じることも多くなりました」。昨年12月、82歳の誕生日を前にした記者会見で天皇陛下はこう語った。「行事の時に間違えることもありました」。同年8月の全国戦没者追悼式でお言葉のタイミングを誤ったことなどが念頭にあったとみられる。

 天皇陛下の体調を気遣い、宮内庁は近年、公務を少しずつ減らしてきた。大きな節目となったのは、2012年2月に天皇陛下が受けた心臓の冠動脈バイパス手術だ。手術後、宮内庁次長(当時)は公務について、「快復具合やご年齢も考慮し、医師の意見を聞き、両陛下とご相談のうえ、何か対応が必要か見きわめたい」と述べた。

 ログイン前の続き周囲の配慮に天皇陛下の心中は複雑だったようだ。同12月の記者会見で天皇陛下は「負担の軽減は、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません」と述べた。

 公務の中には戦争の傷痕を残す内外への訪問や、被災地での激励など、天皇、皇后両陛下がライフワークとして育んできたものもある。内閣総理大臣の任命といった国事行為もある。この会見で天皇陛下は「わたしが病気になったときには、皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから心強く思っています」とも語った。

 一方、宮内庁は13年11月、両陛下の気持ちを受け、逝去の際の葬儀や墓にあたる陵についての方針をまとめ、公表した。陵は昭和天皇陵より小さくし、土葬ではなく火葬とするなどの内容だった。翌12月の記者会見で、天皇陛下は「年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたい」とし、「(学校や高齢者施設訪問について)再来年からは若い世代に譲ることが望ましい」とも語った。

 こうした天皇陛下の意向を受けて14年、「こどもの日」や「敬老の日」にちなんで続けてきた施設訪問を終えた。翌年からは、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻に引き継がれた。今年2~3月、インフルエンザで静養した後、皇居で警察本部長らからあいさつを受ける「拝謁(はいえつ)」をとりやめるなど、さらに公務を軽減することになった。

 宮内庁関係者によると、天皇陛下は周囲に「天皇は、こなすべき公務をすべて果たさなければならない」との気持ちを伝えていたという。宮内庁関係者は生前退位の意向について「公務を減らすのであれば天皇の地位にとどまるべきではない、とお考えになったのかも知れない」と推し量る。一方、生前退位の規定が皇室典範にないことから、「天皇陛下もすぐに実現できるとは思っていないのでは」という。

■法改正巡り波紋広がる

 天皇陛下が生前退位の意向を周辺に示したとの情報は13日、政府・与党内で波紋を呼んだ。生前退位には皇室典範の改正が必要となる。ただ、女性天皇などをめぐる皇室典範改正問題はこれまで有識者会議などで議論されてきたが、いずれも結論は先送りされてきた。今回の陛下の意向を受けて、政権内で有識者会議の設置などが改めて検討される可能性もある。

 政府高官は13日夜、陛下の意向について「まったく承知していない。陛下の内心の問題なので、周りがとやかく推し量っても仕方がない」と語った。与党幹部からも「まったく聞いていない」との声が相次いだ。

 皇位継承のあり方は、近年の政権で大きな課題となってきた。

 小泉純一郎元首相は皇室典範の改正に強い意欲を示した。2005年1月に私的諮問機関皇室典範に関する有識者会議」を設置。会議は同年11月、世襲による継承を安定的に維持することをめざし、「女性天皇」や母方だけに天皇の血筋を引く「女系天皇」を認め、皇位継承順位は男女を問わない「第1子優先」とする報告書を提出した。

 小泉氏は皇室典範改正に向けた法案提出をめざしたが、06年2月に秋篠宮妃紀子さまの懐妊が明らかになると自民党内に慎重論が広がり、法案提出は見送りとなった。

 民主党の野田政権は11年11月、女性皇族が結婚しても皇族の身分にとどまれるようにする「女性宮家」の創設を検討課題とする考えを表明。12年10月に「女性宮家」創設案と、皇籍を離れて国家公務員として皇室活動を続ける案を併記した論点整理を公表した。

 しかし、12年末の衆院選自民党が政権を奪還して安倍政権が誕生すると議論は下火に。安倍晋三首相は女性宮家創設の検討についてこれまで、「男系でつむいできた皇室の歴史と伝統の根本原理が崩れる危険性はないか、心配する」との考えを示している。

 安倍内閣の閣僚の一人は「陛下からそうした(生前退位の)お言葉があれば、政府としてきちんと対応しなければならない。反対する理由はない」と語った。また、公明党幹部は「天皇陛下のご意向に沿った話であれば皇室典範の改正に進むだろう。ただ、有識者会議を設置するなどして、慎重に手続きを踏まないといけない」と述べた。

■摂政おく方法も

 原武史放送大学教授(日本政治思想史)の話 生前退位は年齢的な理由だけではなく、どうすれば憲法に見合った天皇制がつくれるかを模索した天皇の集大成のようなご決断ではないか。皇居や御用邸を一部開放するなど、天皇が前例にないことを次々に行ってきたのは、権力が集中した明治以降の天皇家の残滓(ざんし)を消し去り、現代にふさわしい皇室のあり方を模索、実践しようとした天皇のお考えの表れだろう。また、生前の退位で、次の代の天皇制を一歩ひいたところから見守りたいとのお考えもあるのかもしれない。

■集大成の決断か

 百地章・日大教授(憲法)の話 明治の皇室典範をつくるときにこれまでの皇室のことを詳しく調べ、生前退位のメリット、デメリットを熟考したうえで最終的に生前譲位の否定となった。その判断は重い。生前譲位を否定した代わりに摂政の制度をより重要なものに位置づけた。

 そうした明治以降の伝統を尊重すれば譲位ではなくて摂政をおくことが、陛下のお気持ちも大切にするし、今考えられる一番いい方法ではないか。譲位制度の可否という、国会と内閣にたいへん重い宿題を出されたことになると思う。