むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「24」 ③

2024年12月21日 09時00分47秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・兄の致信(むねのぶ)の、
もたらす情報も面白かった

「何しろお前、
お輿入れのお道具と、
それから諸国の受領どもが続々、
お祝いを届けてくるんだ
お邸のどの蔵もいっぱいで、
はちきれんばかりだ
物騒な世の中だから、
警護も厳重でな

おれたちも昼夜、
気の休まるひまはありゃしない
盗人と火つけにそなえて、
交代で寝ずの番だよ」

とまるで自分の邸のようにいう

兄はむろん、
左大臣邸にお仕えする、
保昌の殿のそのまた輩下、
なのだけれど、
昔から左大臣どのを、

(ウチの親方)

と呼んで自慢し、
頼っているようである

「でもいくら盗人だって、
大臣家をねらうはずは、
ないでしょう?」

「わかるもんか、
いまおれたちの間じゃ、
大盗人の『袴垂』が、
都へもぐりこんでいるという
こいつの息のかかった手の者は、
どのお邸にもいるって、話だ

このあいだ、
ウチのお邸の西の対の廊下に、
火矢が投げ込まれたのも、
どうやら袴垂の一味のしわざ、
だそうだ
袴垂という奴は神出鬼没で、
検非違使も手を焼いているが、
こりゃだめだ、
とても捕えるなんてこと、
出来ない」

「どうして?」

「上とツーツーだからだ、
役人の動きはいつも奴らには、
つつぬけなんだ
袴垂と役人が結託してるんじゃ、
どうにもならない
しかしウチの親分あたりは、
案外袴垂なんかもうまくものにして、
取り込んでいなさるかもしれんが、
でも、油断ならない、
何しろ、いまウチのお邸の蔵には、
お輿入れの財宝がぎっしりだ

砂金だってお前、
何百袋あるか見当もつかない

日本中の盗人は、
続々京へ上ってきて、
左大臣家のお邸を八方から、
ねらってる、という噂だ」

「大げさなこと・・・」

「何をいう、
当り前じゃないか、
京中の富はいや、日本中の富は、
いまんところ、
左大臣家に集中しているんだから」

兄のもたらす情報は、
私の認識の埒外であるが、
彰子姫のお輿入れを、
別の角度から見ることも、
私に教えた

「何たってこれからは、
彰子姫の時代だ、
お前、いまからでも、
おそくはない、
馬を乗りかえたほうがいい、
お前のひいきする中宮さまは、
ともかく後見がたよりないから、
先細りは目に見えている」

そして兄は、
後見の伊周(これちか)の君の、
悪口をいった

伊周の君は、
配流先の筑紫から召しかえされは、
しなすったけれども、
まだ表立って公的な場に出られない、
無位無官の身でいられる

私たちはもとのままに、
「帥の大臣」と、
呼びならわしているが、
罪人ではいらっしゃらないものの、
まだ元の身分に復ってはいられない、
宙ぶらりんの処遇だった

そして帥の大臣は、
お邸でけんめいに精進し、
祈念をこらしていられるという

高二位ゆずりというか、
この頃の伊周の君は、
昔、私がはじめて参内した時にみた、
あの大らかな貴公子ぶりを失われて、
祈祷念呪にうちこむ人に、
よくある狷介な隈を面輪に、
まつわらせられるように、
なっていられる

私はそう思って、
心を痛めているのであるが、
それを兄のように、

「後見がたよりないから、
先細りは目に見えている」

などとむきつけにいわれると、
たちまち腹を立てずにいられない

「あたしのことは、
抛っておいてください
兄さんはお邸のお宝を守って、
せいぜい袴垂に気をつけていれば、
いいじゃないの」

「怒ったのか、
袴垂はともかく、
盗人に入られたりしたら、
おれにいってこい
おれが口を利いてやる
もっとも、手数料はいるがね」

兄はそんなことをいう時、
いちばん嬉しそうである

兄もずいぶん老けた

荒々しい生活のせいか、
酒のせいか、
何となく無残な老け方だった

「おうっ、疲れた、
ちょっと休ませてくれ
寒いな、何か被るものはないか?」

といいつつ、
手枕で横になってしまう

そうすると、
その昔、
老いた父が昼寝をしていた、
その姿をほうふつとさせる

私は無頼の兄が老いる、
という姿を見たくなくて、
目をそらせる

こういう姿を、
棟世に見せたくないので、
なるたけ、棟世と兄のつきあいを、
さえぎろうとしていた

私と棟世の仲に、
身内の存在さえ投影させたくない

彰子姫の入内準備で、
世の中まで騒がしく、
浮き立っているというのに、
中宮のいられる登華殿では、
そんなことにかかわりなく、
日も夜も面白いことがあって、
のんびりしていられる

中宮大夫の惟仲に、
私はなぜか反感を持っている

これはほんとか嘘か、
よくわからないのだけれど、
私たちの間でささやかれる噂

あの伊周の君が、
母御の貴子の上の病が、
重いと聞かれて、
配流先の播磨から、
夜の闇にまぎれて、
駆けもどってこられたときの、
伊周の君の帰京は、
ひたかくしにされていたが、
密告者があって、
たちまち検非違使がお邸を取り囲み、
伊周の君を引っ立て、
即日、判決通りに筑紫へ送ってしまった

その密告者の一人に、
中宮大夫・惟仲の弟がいるという

しかもその弟・生昌(なりまさ)は、
中宮職の大進である

なんという無残な仕打ちを、
するのだろう

そういう暗い噂に包まれ、
目に見えぬ中宮方の反感を、
惟仲も察しているせいか、
私たちに会うときは、
いつも緊張しているようだ

ま、それはともかく、
五十五・六のおっさんの顔を、
見ていると、

(腕一本で成りあがった、
自信満々の野心家)

の臭味が鼻をついて、
そこから女性蔑視が臭う

すべていまはもう、
中宮を中心にしか、
私は考えられなくなっている

何か月先は、
どうなるかわからない、
しかしいまの中宮と主上の、
おん仲のめでたさだけを、
信じたい

主上はいまはもう、
夜の御殿へは登華殿の、
中宮しかお召しにならない

お二方のご愛情が、
花咲いたというのか、
うれしい知らせが春とともに、
やってきた

中宮、二度目のご懐妊






          


(次回へ)

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