・「嬉しいお心遣い、
ありがとう存じます
そんなにも深くお考え下さいまして、
至らぬわたくしを、
お庇い立て頂きましたこと、
ほんとに嬉しゅうございます
とは申すものの、
やっぱり怨めしゅうございます」
「まだいってますか」
とまたまたあたりは、
笑いの渦がまき、
それは内裏中にどよめきを、
もたらす
「いよいよ考えますと、
わたくしに厳しく、
当たられましたことが、
思い合せられます
あとから降った雪を、
嬉しいと思いましたのに、
『それはだめ、
捨ててもとの雪だけに』
と厳しく仰せられたりして、
おきびしいなあ、
と内心、辛く思ったりしました」
私がいうと主上も、
「どうかして、
少納言の自慢の鼻を、
おっぺしょってやろうという、
お心持だったにちがいない」
とおかしそうに笑われる
「いいえ、
えこひいきなどいたしません
公平にいたしましただけで
でも、どっちかというと、
わたくしも少納言の、
得意顔を見るのは、
ちょっと辟易というところで、
ございました」
中宮は主上に言い放たれる
「そんな・・・
あんまりでございます」
と私が申し上げる呼吸が、
猿楽ごとのかけあいのようだ、
とまたみなしばらく、
笑うこと笑うこと
「さあ、
雪山の歌をお聞かせなさい」
「いいえ、
こうなれば、
もう決して申しあげません
また辟易なさるに、
ちがいないんですもの
ええ、いうものですか」
私が拗ねてみせたので、
またみなは心地よげに笑う
私だから、
みなが心許して笑うのかも、
しれない
これが引っ込み思案の、
泣きべそである小左京の君、
だったりしたら、
こんなに笑われると、
世をはかなんで、
首を吊るかもしれぬ
また意地悪の、
根性の据わった右衛門の君なら、
笑われると、
取り返しのつかない、
恥のように思い、
怨みを深く心に刻み付け、
いつかは仕返しをしようと、
もくろむ恐ろしさがある
しかし私は、
そのどちらの臭味もないのが、
人々によくわかるとみえて、
みんな心おきなく笑う
それと共に私は、
中宮のお気持ちも知った
あんまり一方が、
得意になりすぎると、
怨みを買い、
興がそがれてしまうこと
棟世が、
(人に目立たず、
怨まれないほうがいい
でないと長生きできない)
というのは、
ここのところをいうのかも、
しれない
中宮は美意識から、
そういう卓見を得られ、
棟世は中年まで生きて、
大人の男の知恵で、
そういう見識を持つように、
なっている
中宮が侍をやって、
雪を捨てさせられるという、
その行動力も棟世は、
見抜いていた
雪の歌を、
といわれて私が抗う、
中宮はこんどは、
手をかえ品をかえ、
私を慰撫なさる
私はますます拗ねる
笑い声はなお高まり、
まるで春が来たよう、
長保元年の春
そういえば、
今年は長徳五年(999)であるが、
去年の疫病の狂風を、
一掃するように、
年号が改められ、
今年は長保元年(999)となった
改元による大赦が行われ、
今年こそ去年みたいに、
はやり病や地震、
洪水など起きませぬよう、
と寺々で祈りが捧げられた
噂では、
左大臣・道長の君の姫、
彰子姫はいよいよ十二歳に、
なられるので春には、
裳着の式が行われるそうである
やがて入内のことも、
引き続きあるにちがいなく、
大臣のお邸では、
このところ昼も夜も、
そのご準備にひまがないという
私はそれを、
兵部の君や赤染衛門の君からの、
便りでうすうす知っている
彰子姫が入内なされば、
どういうことになるのか、
しかしどんなことがあっても、
主上の中宮に対する、
ご愛情は誰も奪うことが、
できないであろう
いまはまして、
女一の宮・脩子内親王、
(三つのお可愛いさかりである)
を中にはさまれ、
水いらずの楽しい月日を、
過ごしていられる
内裏へ移られた中宮や、
我々にとって喜ばしかったのは、
もう一つ、
長いあいだ欠員となっていた、
中宮職の長官・中宮大夫が、
決まったことだった
ただ私は、
それが平惟仲であったのが、
意外だった
私は惟仲があまり好きでない
古手の役人で、
いまは中納言に出世しており、
切れ者と噂に高い、
五十五、六のじいさんであるが、
野心家で欲ばりである
私から見ると、
権力欲のかたまりで、
むかし、東三条の大臣が、
惟仲と有国を寵愛されたそうだが、
有国は一時失脚したけれど、
惟仲はうまく泳ぎきり、
いまは有国に負けず劣らず、
左大臣側とツーツーだという
どうして彼が中宮大夫などに、
任じられたのか、
中宮大夫といえば、
中宮を守り立て、
庇い守り、
中宮のために挺身する、
という心構えがあり、
あくまで中宮側に立つ人、
でなくてはならないのに、
ぬけめのない惟仲が、
頼もしい味方に、
なってくれるであろうか
第一、彼は、
みくしげ殿別当の、
後見者である
彼は主上の御乳母として、
いま羽振りのいい藤三位と、
再婚していて、
藤三位の連れ子の姫を、
入内させている
いや、何より彼は、
生まれながらの公達ではない
母は備中生まれで、
郡司の娘、
そのせいか備中なまりがあり、
それが彼を押し強く見せている
私はそういう、
成りあがりもののしたり顔、
というのが虫が好かないのだが、
向こうも才女ぶる女の、
したり顔は好かぬ、
と思っているだろうが
役目がらを、
おろそかにすることもあるまい、
とも思われ、
何にしても中宮職が再建されたのは、
嬉しいことである
(了)