むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「24」 ②

2024年12月20日 08時27分23秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・こんどの彰子姫の入内は、
御裳着の式をうわまわる、
さわぎになりそうだ、
と経房の君はいわれる

それにお輿入れの調度品の、
美事なこと、これも、

「前代未聞、
という噂ですよ」

と教えて下さるのは経房の君

「その中でも、
特別美事なのは、
何だと思われます?」

「さあ、何でしょう、
でもご入内のお道具なら、
こちらの中宮さまも、
お美事なのをお持ちに、
なりましたわ
ただ、
二条の宮の火事やら、
あちこち移られたまぎれに、
数は少なくなりましたものの、
お父君が心をこめて造られた、
お輿入れの調度は、
それはすばらしいものですわ
左大臣どのの姫君にも、
劣りませんわ」

ふしぎや、
私はこういうときになると、
たちまち定子中宮を庇い立て、
中宮のお味方意識が強くなる

いくら仲良しの経房の君といえど、
中宮を貶めるようなことは、
許せないという気負いがある

さかしい経房の君はすぐ悟って、

「まあまあ、
べつに調度比べをしよう、
てんじゃありませんよ、
男はそういうものに、
関心はないのだから
ただ、今度は、
ちょっと値打ちのある、
宝物といっていいものを、
お持ちになる、
これは世に珍しいといっても、
よいもので・・・」

「へ~え
どんな宝物か知らないけれど、
私にいわせれば、
この世の中の宝物は、
みな形のあるものでしょう

形あるものは必ず滅す、
と仏さまもおっしゃっていられるわ

それより本当の宝物というのは、
人間の才気、気だて、気力、
気魄、聡明、愛情、
そういうものじゃないかしら

いうなら定子中宮は、
たぐいない人間の宝物を、
お持ちになってお輿入れされたわ

中宮のいらっしゃるところ、
光と笑いが常に生まれるの

それこそご入内の、
この上ない持参金だわ

それに比べれば、
金銀で出来た厨子棚であろうが、
几帳であろうが、
ただのがらくたみたいな、
もんですわ」

「ま、
そりゃわかりますよ、
参ったなあ、もう
あなたまで過熱すること、
ないじゃありませんか」

経房の君は、
私の顔色をうかがわれる

「何ですか、
あなたともあろう人が、
桶洗し(ひすまし)童みたいに、
かんかんになって、
『春はあけぼの草子』でも、
書こうかという人は、
どんなときも客観的に、
見たり聞いたりするようでなくちゃ

私がいうのはね、
屏風なんだ
これが並みの、
四尺屏風じゃなくてね」

経房の君は得意顔になられる

もっともこれも、
ひたすら左大臣側に立って、
調度自慢するという、
単純なこのではない

純粋に面白がっておられる

「まず屏風は、
当代一流の画家、飛鳥部常則の、
大和絵が貼られていましてね」

「それだって別に、
珍しくございませんでしょ」

「まあ、聞きなさい、少納言
その絵にふさわしい歌を、
これまた現代最高の書家、行成の、
頭の弁に書かせようという」

「ははあ
でも格別変った趣向でも、
ありませんわね
頭の弁さまのお手の美事は、
みな認めていますもの」

「ところが行成卿に書かせる歌は、
誰の歌だと思います?
ありふれた古歌や、
そんじょそこらの歌詠みではない、
これも当代一流の公卿たちみんなに、
歌を詠ませたのですよ
こればっかりは、
左大臣どのの権力と人柄がなくては」

「どんな方々ですの?」

「公任、俊賢に、高遠に斉信・・・」

「まあ、斉信の君まで・・・」

「そればかりじゃない
花山院にもお願いしたそうです
何たって花山法皇は、
当代一流の歌詠みにほまれ輝くお方、
とはいうものの、
さすがにあまりに恐れ多い、
というので『詠み人知らず』として、
お寄せになったそうですが」

「どんなお歌なの?」

「<ひな鶴を養ひたてて松が枝の
影に住ませむことをしぞ思ふ>」

「おやさしいお歌ですこと
ひな鶴は彰子姫のことですね」

「公任卿はたしか、

<紫の雲とぞみゆる藤の花
いかなる宿のしるしなるらむ>

でしたか、
みなそれぞれ左大臣家の、
およろこびごとに、
めでたく唱和していられる
ところがもっとおかしいのは」

経房の君は眼を輝かせ、

「ただ一人、
左大臣どのの頼みを、
蹴った人がいましてね
中納言・実資(さねすけ)、
あのうるさ型の小野宮どの、

『上達部や法皇が、
左大臣の個人的祝いごとのために、
命じられて歌を献上するのは、
はなはだ奇っ怪千万、
往古聞かざることだ』

とつむじをまげて、
断ったという」

「まあ、
小野宮さまらしいじゃ、
ございませんか」

実資の君は理屈屋で、
しかも筋を通すのがお好きな方ゆえ、
しかにもそれらしい対応の仕方

しかし左大臣どのに乞われれば、
感激してわれもわれもと、
早速に歌を献ずるのも、
人情といえるし・・・

何にしても、
公任、俊賢、斉信というような、
当代の錚々たる文化人が、
寄せられた歌を、
行成卿が書いた屏風となると、
これは美事な宝物、
といっていいだろう

「実資どのは、
八、九年前に女の子を、
疫病で亡くしていますからね
子供運の悪い人で、
寺詣りに精出しているが、
一向に出来ないようだ
あの女の子が、
つつがなく成人していれば、
ちょうど彰子姫と同じような年ごろ、
それを思うと中納言もさぞ、
くやしいでしょうが、
しかしそのひがみともいえない
小野宮どのはもともと、
骨のある人だから
面白いじゃありませんか、
左大臣どののたっての頼みを、
蹴る男が当代にいるなんて
あははは・・・」

経房の君も、
ふしぎな方である

左大臣どのの身内という以上に、
左大臣どのにかわいがられて、
養子格でいらっしゃるのに、
平気でおかしがっていられる

そこが私と経房の君を、
結び付けている理由でもある

私たち二人とも、
それぞれに心寄せるところは、
ありながらも、
それはそれでという感じで、
ひろく見わたして、
視野に入るものすべての、
おかしい点を拾いあげて、
興じている






          


(次回へ)

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