むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

28、姥あらくれ  ①

2021年11月22日 07時49分36秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作









・私は船場の旧家へ嫁入りして、
旧来の権式を鼻にかける姑にことごとく嫌味を言われ、
いやになるほど皮肉られたので、婚家の土蔵にあった、
おびただしい書画骨董、珍宝什器などが大嫌いになったといえる。

ところで、それらの家代々に伝わるものはどうなったか、というと、
戦後ののれんの復興の際、私が思い切って売り払ってしまったのである。

船場の店も邸も空襲で焼失した。
舅、姑は老いぼれてしまい、頼りになる夫は、
大事にされて育ち、実力もないまま来た人だから、役に立たない。

私は、今は亡くなった番頭の前沢と力を合わせ、店とのれんを守った。
それと共に、姑にいびられた船場の古いしきたりも一掃されてしまった。

そういう歴史があるので、
古い骨董には何の興味も愛着もなくなってしまった。

それに私は新しいものにいつも好奇心がある。
姑を見て、ワビ、サビ、日本趣味に反発し、反動したせいか、
私は何でも目新しい感覚が好きだ。

雨戸をくるよりアルミサッシがええわい。
フローリングの床がええわい。
紙の障子よりガラス障子がええわい。

そして私は、今さらのごとく気づくのである。

日本建築のよさ、和風の暮らしの快適を唱う人は多いけれど、
あれは女中衆(おなごし)さんや丁稚がいっぱいいて、
その人たちの手によって、辛うじて機能するというもの。

昔の奉公人は転職など出来なかった。
そういう人々によって、タタミ、障子、雨戸、フスマと、
手のかかる和風建築が維持されていたといえる。

戦前の船場の仄暗い居間、
姑が自慢げに拡げていたお茶道具を思い出すと、

(うわっ!もう古いもんはこりごりや)

私は骨身に染みた。


~~~


・そんな私であるけれど、
ふらりと入ったところが西洋骨董の老舗の出店であった。

(えっ!こんなに楽しい骨董があるのんか)

と目を開かされた。

家具、ガラス類、装身具、時計、食器、人形・・・
あざやかな色があふれ、目にも心にも近しいものばかり。

西洋七宝(エマーユ)のブローチ、それらが、
百年ぐらい前のもの、と知って、
私は初めて西洋骨董の面白みを知った。

パリの、のみの市やニューヨークの骨董ビルで、
私は装身具や人形を買った。

ロンドンでは、
西洋七宝の女の絵があしらってある小箱を買った。

こうして私はいつとはなく、
西洋骨董になじみ、愛用するようになった。

それでまた私は発見した。

日本建築が若い体力と人手がなくては維持できないごとく、
日本骨董には、老女向きのものは、
(あれへんやないの!)という恨みをこめた発見だ。

日本骨董は、オール、あげて「お爺ん」のためのものなのだ。

安物の明治の印判、皿かガラスの氷皿、むやみに高価で、
あとは仏像や七福神、鶴亀の置物、鎧甲に刀剣、
キセルのあれこれ、印籠・・・

それで私は、
宝塚観劇をするのと同じように、西洋骨董を楽しむ。

もう一つ言いたいこと。

昔の骨董品のアクセサリーの留め金は、
単純で大まかでしっかりして、着脱しやすいのが嬉しい。

現代のアクセサリーは若い女性向きで、
留め金が小さくて細かい。

目もうすく、指先もぶきっちょになった老女への配慮は不十分。
老女はアクセサリーなんか買わない、
と思っているのであろうか。






          


(次回へ)

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