むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「残花亭日暦」  7

2021年12月08日 08時46分32秒 | 「残花亭日暦」田辺聖子作










2001年(平成13年)

・8月20日(月)

Nさんに送ってもらい帰宅。ウチで昼食(カレー)
Nさんは「おっちゃんによろしく」と帰っていった。

そのおっちゃんは午後、ショートスティから送られて帰ってきたが、
連絡帳にかなり多めの血が口から出ました、とある。

病院へ、とにわかにあわただしく決定。
知人がいる伊丹の病院に電話すると、
すぐ来られるか、とのこと。

夕食も摂らずにタクシーで行く。
夜の間、パパを見てもらっているUさんに直接病院へ来てもらう。

レントゲンを撮り、個室を押さえてもらい、とりあえず入院。

「大丈夫よ、検査だけ。心配しないで」

私は力づけたが、パパは呆然とベッドに腰かけたまま、
そのさまは、過ぎ来しかたを悔やむようでもあり、
ここまでなだれ落ちた運命がどうしても腑に落ちない、
というようである。

近来、ものを言わないのがクセになり、
まわりにすっかり下駄を預けっぱなし、
あなた任せが身についてしまったので、
一人にされると途方に暮れる、
というパパのたたずまいだった。

帰宅。
どっと疲れた。食事はビールで流しこむ。


・8月21日(火)

台風が来ている。
二時、読売新聞の取材。

病院からUさんの電話で、
明日、口腔外科の先生が話があるとのこと。

上顎部に腫瘍とのこと。思いもかけない。
私は、パパの両親とも脳血管の病で亡くなっているので、
てっきりそれだろうと思っていた。

癌というのは意外。
夜はすきやきだったが、私は箸がすすまず、
老母一人健啖である。


・8月22日(水)

夕方、指定された四時過ぎ、病院へ行き、
口腔外科でF先生の説明を聞く。

上顎、下顎とも腫瘍あり、
場所が場所だけに手術は出来ないので、放射線でとのこと。

しかし、体力も弱っているので堪えられる限界で、との話。
その話にショックを受けるよりもまず、
臨機応変の対策を、という発想が頭に浮かんだ。

ショックはそのあと、
一人でゆっくり味わおうというのが、
正直なところ。

たぶん、私の過ぎ来しかたの人生はいつも臨戦態勢の非常時だった。
私の四十代半ばから五十代、六十代、しのぎを削る白兵戦の時代だった。

昭和54年に夫が最初の発病をして以来、
病人を看て、私一人で計画中だった家を建て、
子供たちの身のふり方、診療所閉鎖のさまざまの折衝、手続き、
そのあいだも、毎月、胸の悪くなるほどの、
物すごい執筆量であった。

締め切りは常に遅れ、
FAXもない時代だから、自身、空港まで届けに行ったりした。
どのくらい、出版社や新聞社に迷惑をかけたかわからない。

小説雑誌の全盛時代で、書いても書いても注文があったころだ。
まるで、刻々変わる戦況にかかんに対応して、
ともかく、この場をしのごうと悪戦苦闘中の作戦参謀みたいなもの。
そのクセが今も出る。

先生はもう一度、詳しい検査を、とのことなので、私は、

「主人の弟が外科医ですので、呼んでおきますから、
結果やあとの予定をお聞かせください」

とお願いした。

私は明後日の講演をキャンセル出来ないし、
義弟も病院を持っているので、
すぐにこちらへ来ることも出来ないだろう。
日を決めて、みんなで先生のお話を、と思った。

病室へ行って、うつらうつらしているパパの顔を見ると、
やっぱり、よよと泣けない。

作戦参謀たるものはヤワなことしていられない。
でも、涙は出て来るので、すそへまわって、

「足、だるくない?」とさすっていた。

病院へ詰めて来てくれている家政婦会のU夫人は、
家事よりも病院の方が手慣れているらしく、
きびきびとして、看護士さんたちとも打ち解け、
パパの世話を焼いてくれる。

しかし、私としては、
どうかして家で死なせてやりたいと思っている。


・8月23日(木)

明日の講演の準備で夢中。
パパの容態は安定しているとのU夫人の電話で、
病院へは行かず。パパは重湯と具の入っていないみそ汁を、
おいしい、といってあまさず飲んだ由。


・8月24日(金)

恒例の講演会。
テーマは古典の楽しみ。

まあまあの出来。
すっかり疲れ、新潮社の人を誘って伊丹まで帰って寿司屋へ。

帰宅してみると、留守中に老母が足の具合を悪くして、
妹夫婦らが近くの整形へ連れて行ってくれた由。

「大丈夫だったから」と妹たち。

私は礼を言ったが、いや、伏兵あらわる、
と思わずにいられなかった。

いつか私は、「神サマは寝首をかく名人だ」と書いたことがある。
神サマに対抗するのは大変だ。


・8月26日(日)

今日は日曜でミドちゃんはお休みだから、
私一人で病院へ行った。

お見舞いの花、いろいろに埋もれている。
テレビを見たり、うつらうつらしたり、
パパはそれほど弱っていないように見えるが、
なぜか心が身から離れ出し、
「ワシの出る幕ちゃうわ!」という風に見えた。






          





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