・源氏は花散里の御殿から、
西の対の玉蔓のところへ行った。
まだここに住んで間もないが、
雰囲気はよかった。
かわいらしい女童の姿も、
女房たちもたくさんいた。
それなりに小ざっぱりと住みなしている。
玉蔓自身も花やかな美人であった。
あの山吹がさねの衣装がよく似合う。
ぱっと花の咲いたような美人で、
陰気なところは一つもない。
筑紫からこっち、
苦労をしたせいか、
髪の先が少し細くなっている。
果たして、
この美しい姫君に、
自分は何の野心も持たず、
見過ごすことができようか。
こうやって娘分の扱いをし、
家族の一員として隔てなく見なれているものの、
考えれば二人は他人なのだ。
源氏は実の娘と思うに思えず、
玉蔓も源氏になつきながら、
実の父のように打ち解けられない、
他人行儀なよそよそしさがある。
そのあやうい心理のたゆたいを、
中年男の源氏は、
ひそかに興じている。
「どうですか?
少しは住みなれましたか。
あなたももうこの家の人になったのだから、
遠慮しないであちらへもいらっしゃい。
みな気だてのいい人ばかりだ」
と源氏がいうと、
「おっしゃる通りにいたします」
玉蔓は正直に答えた。
夕暮れどき、
源氏は明石の上の方へ行った。
やはりどこよりも高雅な風情である。
明石の上の姿は見えない。
手習いしていたらしい紙がある。
明石の上の筆跡は、
無造作な走り書きさえ上品でゆかしかった。
明石の姫君の返事がよほど嬉しかったのか、
身にしむ古歌など書き流して、
明石の上には、
何よりの新春の贈り物であったのだろう。
豪奢に住みなし、
気位高い女であるが、
明石の上は源氏におごった態度は見せず、
つつましく控えめであった。
愛になれて無遠慮になったりしない聡明さに、
源氏は心ひかれる。
源氏の贈り物の、
唐綾の白い袿に黒髪があざやかにかかっている。
源氏は明石の上のもとで、
泊るつもりで来たのではなかったが、
艶な情趣に負けてしまうのも楽しかった。
明石の上とのあいだが、
そういう緊張した関係であるのも、
源氏には面白い。
紫の上の不快を思わぬでもなかったが。
それでもさすがに、
まだ明けきらぬころ南の対へ帰った。
紫の上は果たして機嫌が悪そうである。
「うっかりうたた寝をしてしまった。
眠りこけていたので、
誰も起こしてくれないものだから」
と弁解がましく言うのを、
女房たちはおかしがっていた。
紫の上は返事もしないので、
源氏は面倒に思って、
そら寝入りをし、
日が高くなって起きだした。
正月二日は臨時客の饗応がある。
それにまぎらして、
源氏は紫の上と顔を合わせないでいた。
上達部や親王たちも残らず来られる。
管弦の遊びがあって、
引き出物・禄など、
六条院らしい贅を尽くしたものが用意されていた。
あまたの貴族があつまる中でも、
源氏ほど容儀風采の人はいないのであった。
つまらぬ下人でさえ、
この六条院へ来るときは、
ことに気を配る。
まして上達部の青年たちは、
近ごろこの邸に養われていると聞く、
深窓の姫君のため心あこがれ、
緊張しているさまなど、
いつもの年と違っていた。
花の香をさそう夕風が吹き、
庭の梅もほころびはじめる。
たそがれどき、
管弦の調べもおもしろく、
興が高まってゆく。
六条院は広大であるから、
このにぎわしさを楽しめるのは、
南の対の紫の上のみであった。
離れた棟に住む女人たちは、
歓楽の宴のどよめきや、
馬・牛車の行き交う物音を遠くに聞きつつ、
極楽浄土にいながら、
開かぬ蓮のつぼみの中に、
閉じ込められている気がして、
物足らなかった。
まして、
離れた二條の東の院に住んでる人々は、
年月の経つにつれ、
つれづれに淋しかったが、
俗世を離れて山里に住んでいると思えば、
それもまた、よき生活であった。
源氏の訪れないのを怨むような、
なまなましい感情もすでに消えている。
暮らし向きの心配はないので、
空蝉は、尼として仏道修行に励み、
末摘花は、学問に没頭する風で、
それぞれ好みのままの、
趣味生活を送っていた。
源氏は大きな庇護の翼で、
彼女たちをはぐくんで、
安らかな人生を提供している。
(次回へ)