「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

20、初音 ②

2023年12月11日 09時07分29秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏は花散里の御殿から、
西の対の玉蔓のところへ行った。

まだここに住んで間もないが、
雰囲気はよかった。

かわいらしい女童の姿も、
女房たちもたくさんいた。

それなりに小ざっぱりと住みなしている。

玉蔓自身も花やかな美人であった。
あの山吹がさねの衣装がよく似合う。

ぱっと花の咲いたような美人で、
陰気なところは一つもない。

筑紫からこっち、
苦労をしたせいか、
髪の先が少し細くなっている。

果たして、
この美しい姫君に、
自分は何の野心も持たず、
見過ごすことができようか。

こうやって娘分の扱いをし、
家族の一員として隔てなく見なれているものの、
考えれば二人は他人なのだ。

源氏は実の娘と思うに思えず、
玉蔓も源氏になつきながら、
実の父のように打ち解けられない、
他人行儀なよそよそしさがある。

そのあやうい心理のたゆたいを、
中年男の源氏は、
ひそかに興じている。

「どうですか?
少しは住みなれましたか。
あなたももうこの家の人になったのだから、
遠慮しないであちらへもいらっしゃい。
みな気だてのいい人ばかりだ」

と源氏がいうと、

「おっしゃる通りにいたします」

玉蔓は正直に答えた。

夕暮れどき、
源氏は明石の上の方へ行った。

やはりどこよりも高雅な風情である。
明石の上の姿は見えない。

手習いしていたらしい紙がある。
明石の上の筆跡は、
無造作な走り書きさえ上品でゆかしかった。

明石の姫君の返事がよほど嬉しかったのか、
身にしむ古歌など書き流して、
明石の上には、
何よりの新春の贈り物であったのだろう。

豪奢に住みなし、
気位高い女であるが、
明石の上は源氏におごった態度は見せず、
つつましく控えめであった。

愛になれて無遠慮になったりしない聡明さに、
源氏は心ひかれる。

源氏の贈り物の、
唐綾の白い袿に黒髪があざやかにかかっている。

源氏は明石の上のもとで、
泊るつもりで来たのではなかったが、
艶な情趣に負けてしまうのも楽しかった。

明石の上とのあいだが、
そういう緊張した関係であるのも、
源氏には面白い。

紫の上の不快を思わぬでもなかったが。

それでもさすがに、
まだ明けきらぬころ南の対へ帰った。

紫の上は果たして機嫌が悪そうである。

「うっかりうたた寝をしてしまった。
眠りこけていたので、
誰も起こしてくれないものだから」

と弁解がましく言うのを、
女房たちはおかしがっていた。

紫の上は返事もしないので、
源氏は面倒に思って、
そら寝入りをし、
日が高くなって起きだした。

正月二日は臨時客の饗応がある。

それにまぎらして、
源氏は紫の上と顔を合わせないでいた。

上達部や親王たちも残らず来られる。

管弦の遊びがあって、
引き出物・禄など、
六条院らしい贅を尽くしたものが用意されていた。

あまたの貴族があつまる中でも、
源氏ほど容儀風采の人はいないのであった。

つまらぬ下人でさえ、
この六条院へ来るときは、
ことに気を配る。

まして上達部の青年たちは、
近ごろこの邸に養われていると聞く、
深窓の姫君のため心あこがれ、
緊張しているさまなど、
いつもの年と違っていた。

花の香をさそう夕風が吹き、
庭の梅もほころびはじめる。

たそがれどき、
管弦の調べもおもしろく、
興が高まってゆく。

六条院は広大であるから、
このにぎわしさを楽しめるのは、
南の対の紫の上のみであった。

離れた棟に住む女人たちは、
歓楽の宴のどよめきや、
馬・牛車の行き交う物音を遠くに聞きつつ、
極楽浄土にいながら、
開かぬ蓮のつぼみの中に、
閉じ込められている気がして、
物足らなかった。

まして、
離れた二條の東の院に住んでる人々は、
年月の経つにつれ、
つれづれに淋しかったが、
俗世を離れて山里に住んでいると思えば、
それもまた、よき生活であった。

源氏の訪れないのを怨むような、
なまなましい感情もすでに消えている。

暮らし向きの心配はないので、
空蝉は、尼として仏道修行に励み、
末摘花は、学問に没頭する風で、
それぞれ好みのままの、
趣味生活を送っていた。

源氏は大きな庇護の翼で、
彼女たちをはぐくんで、
安らかな人生を提供している。






          


(次回へ)

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