「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「わたしの震災記」 ⑨

2023年01月20日 09時09分05秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・一週間目ぐらいから、
海外メディアの反応が新聞に載りはじめた。

どれも官僚の無能ぶり、
政府の対応の拙劣を衝いているが、
いちように驚嘆しているのは被災市民の、
沈着とマナーのよさである。

「何よりも驚くのは、
地震で破壊された街で、
ほとんど略奪が起きていないことだ」

とロシアの「イズべスチア」紙の東京特派員電。
(1995・1・24大阪朝日)

ロサンゼルス大地震では商店の略奪が横行したのに、

「日本では家を失った人々が、
食料品や水を求めて何キロもの行列を作り、
おとなしく待っている」

韓国の「朝鮮日報」は、

「集団への帰属意識が強く、
“和の精神”を学んでいるからともいえる」

フランスの「リベラシオン」紙は、

「多くの日本人が震災を『しょうがない』と受け止め、
冷静でいることが外国人を驚かせている」

と「独特の諦観」を紹介している。

諦観や服従精神ではないのだ。
自分さえも客観視できる関西人特有の精神風土というか、
これが上方人間の奇異な発想だ。

それと、略奪や暴行、
(落ち着いてくるにつれ、一部には無法者も出たが)
が少なかったというのは、
元来、文化の成熟度がたかい、
ということがある。

ことに芦屋・西宮は市民意識が高く、
市民運動も根強い。

また神戸は開港以来百三十年という新しいまちであるが、
元来、殿さまのいない土地だったし、
闊達な外国人に触れて国際感覚が養われ、
開明的だ。

階級意識よりは平等の意識が育った。

大阪のように古い因襲にとらわれないから、
男尊女卑臭は大阪よりずっと少ない。

外国船がもたらす海風が、
それを吹き払ってしまう。

それでいて昔からの村意識があり、
古風な人情、親しみが、温かい絆を、
人と人の間に結ぶ。

だから、マンションが崩壊し、
高速道路が落ち、車が燃えている、
というようなとき、
人々は水と食料を求めて、
コンビニの前に行列するのである。

なだれを打って押し入り強奪するということはない。
店のガラスを叩き割って乱入するなどということは、
決してない。

大渋滞がはじまっており、
被災地への食料供給路は断ち切られていた。

家を失って命からがら避難所へ逃れた人ばかりではない、
神戸・阪神間の三百万人が食料と水に飢えていた。

店はつぶれ、
水道は断水のままである。

神戸市は緊急時の生活物資確保を、
<コープこうべ>(生協)に頼っていた。

コープの本部も被災したが、
各店舗は係り員がそれぞれに被災しつつも開店、
たちまち百人以上の列が並ぶ。

混乱のさなか、
阪神間の被災地で店を開けたスーパー・コンビニは、
計二百十七店だったという。

全体の三十四、七%にすぎない。

デパートも市場も壊滅、
人々は飢えの恐怖で食料を求めに走る。

<ダイエー>芦屋店では行列が二百人以上並び、
数十個のパン、三百本のミネラルウォーターは、
正午までに売り切れた。

<ローソン>西宮球場前店は、
午後一時三十分に商品を売りつくし、
その後はサービスセンターとなった観がある。

安否を求める人の道案内に応じ、
トイレを提供し、
被災者には店内に段ボールを敷き、
休んでもらったという。

だが何より、
スーパー最大手の<ダイエー>本社の対応が早い。

ここは「地震対応マニュアル」があるそうで、
地震発生直後、大阪・姫路の店から報告が届く。

しかし神戸からこない。
報告も出来ぬほど壊滅してたのだ。

トップはすぐ指令を出す。

現地の様子はわからないが、
わかってからでは遅い。

ヘリ・トラック・フェリーを確保する。

関西汽船「さんふらわあにしき」(九八〇〇トン)を、
手配したというからすごい。

タンクローリーで水を運ぶ。

<物資を送れ。
二十四時間店を開けよ。
電気をつけよ>

今しなければいけないことは営業することだ、
と中内功さんは思ったという。

品揃えをし、
定価どおりのお金をもらって営業する。

それは<ダイエー>を育ててくれた神戸の、
被災者たちにこたえることだと思う。

「救援を待つ人たちの前に、
安い商品を大量に並べるのだ。
不安を消さねば」

と中内さんは思った。

神戸の私の友人たちは、
<ダイエーが開いてよかった>などといっていたが、
みな食料を求めてそれぞれ苦労していた。

大阪まで出ればものは豊富にあるのだろうが、
その往復というのが大変だった。

ズタズタになった電車の不通個所を代替バスが走っているが、
この長い行列に加わらなければならず、
駅までの道も遠い。

車ではそれこそ何時間かかるか知れず、
やはり頼みの綱は近間のスーパーだった。






          



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