禁止は解けませんでした。
念願の軍艦島 数年前から機会をうかがっていました。
4月末に解禁になると聞き なんの迷いもなく即刻予約。
はやる気持ちを抑え定員200名乗りのマルベージャに乗り込みました。
途中からすんごい波・・・気持ち悪い・・・我慢できるか自信ありませんでした。
物を捕まえていないと転げてしまう。 キャーッと女性の悲鳴。
けれどちょうどその時 船に乗ってちょうど1時間後
海の中に突如 『軍艦』 が現れました。
遠目に見ると 緑なき島 コンクリートの塊。
どんな暮らしが島にあったのでしょうか。
石炭のためだけに作られた人工島だったので 閉山が決まるとそこに住み続ける理由はなくなり
3ヵ月後には完全に無人となって35年の経過です。
外海に浮かんでいるため波が高く 上陸許可はなかなか下りないようです。
解禁になって7日 その中で上陸できたのは1日だけだそうです。
長崎のシンボル 稲佐山です。
3枚の写真でパノラマを作りました。
念願の軍艦島 数年前から機会をうかがっていました。
4月末に解禁になると聞き なんの迷いもなく即刻予約。
はやる気持ちを抑え定員200名乗りのマルベージャに乗り込みました。
途中からすんごい波・・・気持ち悪い・・・我慢できるか自信ありませんでした。
物を捕まえていないと転げてしまう。 キャーッと女性の悲鳴。
けれどちょうどその時 船に乗ってちょうど1時間後
海の中に突如 『軍艦』 が現れました。
遠目に見ると 緑なき島 コンクリートの塊。
どんな暮らしが島にあったのでしょうか。
石炭のためだけに作られた人工島だったので 閉山が決まるとそこに住み続ける理由はなくなり
3ヵ月後には完全に無人となって35年の経過です。
外海に浮かんでいるため波が高く 上陸許可はなかなか下りないようです。
解禁になって7日 その中で上陸できたのは1日だけだそうです。
長崎のシンボル 稲佐山です。
3枚の写真でパノラマを作りました。
石炭を掘るためだけに造られた島と聞いてはいましたが、いろんな角度から撮られ写真を見ると、いったい何人の人と どんな暮らしがあったのだろう?と考い深く思って見入ってしまいました。
解禁になっても、上陸できたのはたったの1日というのを聞いても、また、閉山になってたったの3ヶ月で誰もいなくなったと聞いても、なんと不思議な島なんだろう・・・きっと、厳しい生活があったんでしょうね
上陸が困難なんですね?
コンクリートのアパートはその当時では憧れだったようですよ。
島内で全てが揃い、住み良かったと元住人の方がインタビューに答えてました。
パノラマ写真 とても3枚の写真を繋いでるなんて思えません。スゴ技ですね!
しかし「また行く?」と聞かれると「海が静かなら行きたい」と答えることでしょう。
想像以上にハードでした。
住宅の方には全然行けないそうです。
閉山時の待遇が良かったそうで 荷物を置いたまま出ていかれたかたも多かったとか。
あの島から荷物を持って出るなんて可能だったのかな・・・
ああ 空想に胸がふくらみます。
話には聞いていたのですが、イメージがわかなくて、一体どんな島か気にはなっていました。
浮島のような小さな島から何千メートルも海底を掘り進んで行って石炭を掘り、日本の復興を支えたのですね。今の私達の暮らしが有るのも皆さんのお蔭なんでしょうが、恐ろしく凄いことに思えます。このコンクリートの塊のような島をどう捉えたらいいのかわかりませんね。
暮らしていた人々にとっては 廃墟ではなくふるさとですものね。
この緑なき島で人間の営みが行われていた そして閉山とともに誰もいなくなった。
ただ一過性の観光スポットとして終わらせてはいけませんね。